阿弥陀岳南稜

日程:2002/03/09-10

概要:阿弥陀岳の南稜を1泊2日で単独縦走。幕営は青ナギの少し先、下山は行者小屋経由。

山頂:阿弥陀岳 2805m

同行:---

山行寸描

▲P1から見た南稜核心部遠景。顕著な岩峰がP3。(2002/03/10撮影)
▲P3。直登もできるが一般的には基部を左に巻く。(2002/03/10撮影)
▲P4。ここも基部を左に巻くがトラバースのバンドが狭く緊張した。(2002/03/10撮影)
▲阿弥陀岳の山頂から南稜を振り返る。権現岳の左奥には富士山が高く聳えている。(2002/03/10撮影)

『やっぱり山が好き!』のsudoさんの阿弥陀岳南稜の記録は前々から気になっていて、自分も今年の冬は狙おうと思っていたところ、今度は『山岳劇場』のさかぼう氏に先を越されてしまいました。遅ればせながら2月の連休に一度は計画したものの気象条件が合わず延期し、満を持しての3月のこの週末は天気予報も好天を告げていて、期待しながら土曜の朝一番の特急に乗りました。

2002/03/09

△10:20 舟山十字路 → △11:00-20 広河原橋の先の道標 → △11:50 稜線 → △14:05 立場山 → △14:35 青ナギ → △14:50 幕営地

茅野から舟山十字路までタクシーで6,000円弱。運転手さんの話によると例年この時期は途中までしか入れないそうですが、今年は寡雪とあって目的地までちゃんと連れて行ってくれました。雪がうっすらと積もった道には数台の車が停車しており、折しも2人組が旭小屋方面へ出発するところ。ゆっくり身繕いをしているうちに新たにタクシーが到着して今度は4人組が降り立ち、彼らも旭小屋方面へ向かうようでしたが、こちらはいろいろな記録に南稜へ上がる最短ルートと書かれていた広河原林道を奥へ進むルートをとりました。

雲一つない快晴の空の下、汗ばむような陽気の中の林道を歩いていくと、前方には阿弥陀岳が高く聳えているのがよく見え、南稜の岩峰も目に入ってきました。やがて広河原橋と書かれた小さな橋を渡って少し行ったところに標識が立っていましたが、道の左側に立っている道標は真っすぐ進めと指示しているようにも見え、踏み跡も直進するものの方が右折するものよりはっきりしています。

しかし行動食をとりながら地図を眺めて、多分ここから南稜に取り付くのだろうと当たりを付けて右折すると、南稜にぶつかるところに堰堤があり明瞭な「阿弥陀」の標識もあって、トレイルはここから斜面を登っています。ストックを縮めてリュックサックにくくりつけ、アイゼンを履きピッケルを手に持ってかちかちの雪の斜面を登ると、実働20分ほどで稜線上に着きました。ぽかぽかと暖かい稜線上は雪も少なく、眼下には木の間に旭小屋らしき屋根も見えています。

シャクナゲが目立つ尾根筋の道の右にはワイヤーが張られ「入山禁止 / 違反者は規約により十万円以上をいただきます」と書かれた看板がやたらに目立ちます。この辺りはマツタケがとれるようですが、こちらはいつになく背中の荷が重く感じられてそれどころではなく、ゆっくり歩みを進めて2時間余りもかかってやっと立場山に到着しました。立場山の山頂は樹木に囲まれて展望に恵まれませんが、そこから平坦な尾根筋をわずかに進むと前方が急に開けて阿弥陀岳へ連なる稜線が一望できるようになり、さらに進むにつれて右手には手を伸ばせば触れられそうな近さに権現岳、左手は見渡す限り北アルプスの山々が居並んでいるのが見えました。右斜面がきれいに平らな雪面になった青ナギの鞍部を越えてテントを張る場所を探しながら歩いていると、樹林の中に舟山十字路で見掛けた4人組のテントが今まさに設営されたばかりという風情で立っており、こちらもそこから声が聞こえるくらいの距離の場所に空間を見つけて整地しました。

夕食はソース焼そばにコンビーフを入れたもので、これはなかなか美味でした。いつもはこの後、朝まで時間を持て余してしまうのですが、今回は小型のラジオを持ってきていてこれが単独行の良い友達になってくれました。またここからはケータイもちゃんと通じて、翌日の天気予報を見たりメールをチェックしたりすることができました。

2002/03/10

△07:35 幕営地 → △08:05-10 無名峰 → △08:50 P3基部 → △09:50 P3上の稜線 → △10:00-05 P4基部 → △10:30-45 阿弥陀岳 → △11:30-50 行者小屋 → △12:55-13:10 美濃戸 → △14:00 美濃戸口

ラジオ放送に夜更かししたせいか起床は午前5時40分。わかめ・シーチキン入りラーメン(朝食としては少しヘビー)を食べ、テントを畳んで出発です。バイルをカラビナでリュックサックのウエストベルトにぶら下げ、ヘルメットもここからかぶりました。無名峰の登りはきついと聞いていましたが、背中が軽くなったせいもあって快調に足が上がります。風の強い頂上からは、前方に阿弥陀岳へ続く岩稜がぐんと高度を上げており、ちょうどP3の基部をトラバースする2人組も見えてこちらの登高意欲もそそられました。そのまますぐに達したP1はほぼ稜線通しを、ただし雪庇を避けるように左(西)寄りから通過し、いったんコルに下っていくつもの幕営跡を見てからちょっと登ったP2はこれも左側を難なく巻くと、見上げる位置に大きなP3の岩峰が立ちはだかりました。

P3の基部から左手に下り気味にトラバースしてカンテの向こう側に回り込むと、ルートはさらに雪の急斜面を横切りながら下っていきます。しっかりした踏み跡を辿ってワイヤーが雪の中に顔を覗かせているところに達すると、その先から踏み跡は突如右上にルンゼを上がっていて、これがこのルートの核心部の一つであるP3ガリーでした。見上げると先行パーティーの2人がガリー途中の灌木の位置で止まっており、ちょうど「ビレイ解除!」の声がその上から聞こえてきたところでした。頃合いを見計らってP3ガリーに入り登り始めましたが、ガリー内は完全に雪で覆われており、フィックスロープも埋もれてしまっています。しかし思いの外に傾斜が緩く、分厚い雪の上に階段状に踏み跡がついていて登るのにまったく苦労がありません。とはいえ雪の下がどれくらいの深さで凍っているのかわからないので、ピッケルとバイルは極力打ち込みながら前進しました。

こちらが灌木の高さに到達した頃には先行パーティーの1人が移動を始めていたので、空いたスペースに入らせてもらって灌木にセルフビレイをとりました。先に移動した1人はメインロープにプルージックで確保しながらじわじわと高度を上げ、後続はそれを近くでサポートしているようです。ここからは上で確保している人の様子が斜面に映る影でよくわかるので、2人とも確保支点まで到達したのを見極めてから後を追いました。ガリーを横切るように左へトラバースし、下部に比べて凍っている部分の多い雪面上に出ているフィックスロープに沿って斜上すると、確保支点にかたまっていた3人が先を譲ってくれました。

そこからは困難なところもなく気分の良い稜線上に出ると、前方にはP4が指呼の間にあり、後ろには権現岳の左奥に富士山も顔を覗かせています。バイルを再びウエストベルトにぶら下げて、風に吹かれながらP4に向かいました。

P4の基部は左に狭いバンドをトラバースしますが、ここが今回一番緊張しました。ほんの数歩だけ、1段下の片足幅しかないバンドに左足から下ろして進まなければならないところがあるのですが、右側の岩が張り出し気味でリュックサックを圧迫し、ホールドを探っても岩が凍っていてつるつる。「ここで落ちたら」ということは考えないことにして、ピッケルを上段の雪に深々と刺してから、右膝を折り畳み左足をそろそろと下ろしじんわりと前進してなんとかここを通過しました。

トラバースを終えると岩と雪がミックスした斜面になり、ここをガリガリと登っている途中で右手に光るものが見えました。足場を確認してからピッケルを伸ばして手元に引き寄せてみると小型のアッセンダー(ペツルのタイブロック)で、どうやら先行パーティーの落とし物のようでした。

P4の上に出た先で、右手赤岳寄りのちょっと際どいトラバースから小さな岩場を越えて、後は雪田状の斜面をどんどん登ると待望の山頂でした。先行の4人パーティーが休憩しているここからは、赤岳から横岳を経て硫黄岳へ続く八ヶ岳主稜線の山々が見事で、それはそのまま天狗岳を越えて蓼科山まで一つながりの連なりを見せていますし、振り返れば権現岳の眺めもさることながら、右下に昨日から辿ってきた南稜が、途中いくつかの岩峰を隆起させつつぐんと下方へ落ち込んでいました。しかし、ここを登ってきたのだという感慨はあまり湧かず、淡々と1本片付けたという醒めた印象しか残らなかったのが自分でも不思議です。

滞頂15分、御小屋尾根を下るか行者小屋方面にするか迷いましたが、ノーマルに行者小屋方面へ下ることにしました。阿弥陀岳の下りはかなりの急傾斜でしたが、雪は柔らかく踏み跡もしっかりしていて苦労なく下ることができました。続く行者小屋への下りは雪崩の心配もしないではなかったのですが、迷っている暇があったらスピーディーに下った方がいいと考えて、なるべく木の生えているところをつなぐようにして一気に駆け下りました。

戸締まりされた行者小屋の周囲には数組のパーティーがたむろしていましたが、いずれも腰にぶら下げたギア類をがちゃがちゃ言わせた筋者ばかりで、堅気の登山者はほとんどいないようでした。ここから美濃戸までは引き続きアイゼンをつけて下ることにして、それ以外の装備をリュックサックにくくりつけ、日差しが強烈で暑いくらいなのでヤッケもリュックサックにしまい、再びストックを伸ばしました。