塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

越後駒ヶ岳〜中の岳

日程:1998/07/18-19

概要:枝折峠から越後駒ヶ岳へ登り、その日は駒の小屋に泊。翌日、越後駒ヶ岳から中の岳へ縦走し、十字峡へ下山。

山頂:越後駒ヶ岳 2003m / 中の岳 2085m

同行:---

山行寸描

▲朝日に銀色に輝く雲海。その手前の尾根上に小さな駒の小屋が見えている。(1998/07/19撮影)
▲越後駒ヶ岳側からの中の岳。すっきりと高い。(1998/07/19撮影)
▲中の岳への稜線から振り返る越後駒ヶ岳。どっしりと大きい。(1998/07/19撮影)

1998/07/18

△11:30 枝折峠 → △12:00 明神峠 → △13:40-45 小倉山 → △14:20-45 百草の池 → △15:50-17:50 駒の小屋 → △18:05-35 越後駒ヶ岳 → △18:50 駒の小屋

上越新幹線の始発で浦佐に着き、8時10分発のバスに乗車して目指したのは枝折峠でしたが、いつの間にかバスはシルバーラインのトンネルを経て銀山平に着き、さらに奥只見ダムまで行ってしまいました。仕方なくタクシーを呼んで枝折峠へ引き返しましたが大幅に時間をロスし、枝折峠出発は11時半。しかも天気予報では晴天のはずでしたが、雲が流れて展望に恵まれない尾根道をひたすら歩くことになりました。

途中で出会う百草の池は湿性植物やセリ科らしい白い花に囲まれた小さな池で、ここから道は急坂になり、植生も高山らしくなってきました。そして肩状の地点からは目の前に駒ヶ岳の山頂が見通せるようになり、雪に磨かれたスラブとキスゲの黄色い花を眺めながら岩がちの道を登るとひょっこり駒の小屋に到着しました。

宿泊手続を済ませて早めに夕食をとり、一眠りしてからすぐそこにある越後駒ヶ岳の山頂を目指しました。

山頂には三角点、標柱、そして銅像が立っていますが、雲のために南東方向にしか展望はありません。それでも近くに荒沢岳がすっきり高く、遠く雲間に平ヶ岳と燧ヶ岳のシルエットが見え隠れしていました。

1998/07/19

△05:30 駒の小屋 → △05:45-06:05 越後駒ヶ岳 → △06:55 天狗平 → △09:35-10:15 中の岳避難小屋 → △10:20-30 中の岳 → △12:00-05 日向山 → △13:10 千本松原 → △14:05-10 登山口 → △15:20 バス停

4時10分に起床し、小屋前の広場で朝食の用意をしながら御来光を待ちました。

やがて朝焼けの中に飯豊連峰、朝日連峰、蔵王連峰、吾妻連峰、荒沢岳、燧ヶ岳、皇海山、平ヶ岳、至仏山、武尊山が居並びました。これは凄い!一方、これから向かう方角には越後駒ヶ岳から中の岳へ続く稜線が伸び、縦走意欲をかき立てられます。

風の音と鳥の声しかしない静かな越後駒ヶ岳山頂に着くと、眼下に八海山が見下ろせました。稜線のぎざぎざはなるほど修験の道場にふさわしく、左手の中の岳への縦走路も後立山の八峰キレットを思い出させました。駒の小屋の番人さんの話では、この道の刈払いは今年8月の予定で、それまでは駒ヶ岳から一気に縦走するのは無理だろうと言うことです。一方、中の岳の右には巻機山が予想外に大きく見えています。以前巻機山に登ったときには雪とガスでほとんど山の姿を見ることができなかったため印象が薄かったのですが、今回改めてその立派さを再認識しました。

縦走路は越後駒ヶ岳からいったん大きく下り、右手に八海山を眺めながら木の根や笹が邪魔な起伏の多い縦走路を南下します。さまざまな花だけをなぐさめに歩みを進め、暑さにバテバテになりながら最後の坂を登りきると、中の岳北峰の立派な避難小屋に到着しました。

涼しい小屋に荷を下ろして大休止とし、ここで話好きな単独行者に十字峡のバスの時刻を教えてもらいました。三角点は小屋の裏手へ少し進んだところにある南峰にあって、そこから南へは兔岳から丹後山へ続く笹の優しい稜線が続き、南西にはこれから辿る日向山方面への逆落しの道が一望できました。

下山ルートは中の岳山頂から兔岳方面へわずかに進み、右手に折れて笹の急坂を一気に下ります。遮るもののない道で夏の日にあぶられ肌が焼けていくのを感じながらどんどん下り、膝ががくがくになる頃にようやく登山口に到着しました。3時間半で一気に1800mの急降下はさすがに辛かったのですが、立派な売店で冷たいジュースを飲んで生き返り、売店のおばさんにきゅうりの浅漬けをごちそうになって元気百倍。さらに車道を歩くこと1時間余りでバス停に到着したときには、ちょうど六日町からのバスが折り返し点に着いたところでした。

これで日本百名山は99座登頂となり、残るはいよいよ富士山です。