塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

恵那山

日程:1991/05/03-04

概要:黒井沢ゲートから恵那山に登り、山頂避難小屋に1泊。翌朝山頂を踏んで出発点に戻る。

山頂:恵那山 2191m

同行:ユウコさん

山行寸描

▲登路からの山頂。つかみどころのない山だった。(1991/05/03撮影)

1991/05/03

△13:20 黒井沢ゲート → △13:55 黒井沢休息所 → △15:20 野熊ノ池 → △17:25-40 恵那山頂小屋 → △17:45-50 祠(ニセ山頂) → △17:55 恵那山頂小屋

直前まで加賀の白山登山を計画していましたが、今年は雪が多く登山口までバスが走っていないことが判明したため、急遽変更した行先が恵那山です。中央本線中津川駅でユウコさんと合流し、タクシーをゲートまで走らせて翌朝の迎えを頼みました。実はここでも、本来は山を北側に越えた強清水を下山地とする計画だったのものの烏越峠方面は通行困難との標識があったので渋々黒井沢からの往復に切り換えたのですが、これが後で幸いすることになりました。

きれいな休息所の小屋を過ぎたら道は登りにかかり、1時間強がんばって平坦地に出ると透明な湧水が溢れる野熊ノ池(畔にはテントが2張りあり)。さらに尾根通しから左の山腹を巻くようになった頃から、道の上に固く締まった雪が出始めました。

やっと到着した今宵の宿は1987年に改築されたばかりの立派な小屋で、家族連れや単独行などバラエティに富んだ宿泊者で大入り満員でした。宿泊室にかろうじて2人分の地所を確保してから、到着時に目をつけておいた小屋の左横の道を登ってすぐ裏手の岩の上に立つと、山頂部を雲と雪に白く覆われた南アルブスが屏風のように並んで見えています。さらに進むと尾根筋が下り始める手前に祠が建ち、ここから先にはここより高い所はなく、白く雪に包まれた樹林の向こうには雲海らしきものも広がって山頂の雰囲気が漂っています。地図代わりに持ってきた『岳人』のコピーの写真とはえらく雰囲気が違うなあと不安にもなりましたが、見れば祠の横に打ち込まれた杭にはマジックで「恵那山頂」と書いてあるので、やはりここが山頂であったかと得心しました。

小屋に戻り、一休みしてから夕食にすき焼きを作りました。すると食事中、土間の石の下から尻尾を除く体長が5-6cmのキウイフルーツのように丸々とした可愛いネズミが人を恐れずに辺りを歩き回り、宿泊客の喝采を浴びていました。

1991/05/04

△07:10 恵那山頂小屋 → △07:20 祠(ニセ山頂) → △07:30 恵那山頂小屋 → △07:45-50 恵那山 → △09:30 野熊ノ池 → △10:05 黒井沢休息所 → △10:25 黒井沢ゲート

5時前に目が覚めましたが、いつものごとく外は一面のガス。ゆっくり朝食をとり、パッキングを済ませてから空身で小屋を出て、昨日の祠で記念写真を撮って早々に退却。本来採るはずだった烏越峠方面の縦走路はこの先に伸びていますが、黒井沢に下ることにしているので元来た道を戻るだけ……のはずでした。

小屋に戻って荷物をまとめ、軽アイゼンを着けて下山にかかったのですが、道はすぐに軽い登りになり、次いで通った記憶の無い平坦な尾根道に変わりました。「?」と思っていると、ガスの中から小屋で一緒だった家族連れが現れ、「ピークが二つあるのかな」と言いながらすれ違いました。ここでようやく真の山頂に向かっていることに気付きさらに歩みを続けるとニセ山頂のものよりも一回り大きな祠が現れ、その左を抜けるとそこに『岳人』の写真通りの山頂標識がありました。黒井沢からの往復コースとしたこと、帰り道を誤ったことの二つの偶然が重ならなければこの山頂には辿り着けなかったはず。これも恵那神社の神様のお導きに違いありません。ありがたいことです。

いったん小屋前のテントサイトに戻ってみると、確かに「山頂はこっち」との消えかかった小さな標識が今下ってきた方角を指し示していましたが、これではこれまでにも見過ごした人が少なからずいそうです。ともあれ無事に登頂できて幸いでしたが、その後の下山はせわしないものになり、10時に予約しておいたタクシーをさんざん待たせて(ごめんなさい!)ようやく下山しました。