北斎とジャポニスム

2017/12/23

よく晴れた祝日。この日は上野で美術館巡りをしました。まずは国立西洋美術館で「北斎とジャポニスム」です。北斎の浮世絵については2005年の「北斎展」で体系的に学習済みですが、今回のこの展覧会は、その北斎がヨーロッパにどのように受容され、西洋美術に影響を与えたかを明らかにすることを目的とするものです。

日本では江戸時代の末期にあたる1867年のパリ万国博覧会をきっかけに、ヨーロッパ(とりわけフランス)で日本美術に対する関心が高まり、ついには「ジャポニスム」と呼ばれるブームとなりました。その中で、日本では庶民のレベルで消費される存在であった浮世絵の代表的な作家のひとりであった葛飾北斎が、あたかも日本美術の到達点であるかのように紹介され、賞賛されることになります。もちろんこれに対しては、日本美術の伝統に通暁していたアメリカ人フェノロサが土佐派(貴族)や狩野派(武家)の絵画をさしおいて北斎を神格化することを批判していますが、その間にも、既成のアカデミズムの軛から脱することを目指した印象派とポスト印象派の画家たちの間では、浮世絵の研究と受容が着実に進んでいきました。そのいわば「本歌どり」の様子を、この展覧会ではさまざまな画家・作家による作品とその元ネタとなった北斎作品とを対比させるかたちで紹介しており、質量共に素晴らしく充実した、たいへん興味深いものでした。

まずは入り口でポーズをとって写真に収まったら(私はしませんでしたが)、会場へ進みます。

1. 北斎の浸透
最初は北斎がヨーロッパに紹介されてゆく歴史を、日本の開国直後から主に外交官たちによって刊行されるようになった紀行書類への『北斎漫画』等からとったイラストの引用というかたちで示すコーナー。そこでの北斎の絵は多分にエキゾチシズムの象徴でしかありませんでしたが、しかし、徐々に北斎の作品が知られるようになると、美術批評家たちは芸術家・北斎に対し熱心に賛辞を送るようになります。なお、北斎を最初にヨーロッパに紹介したのが鎖国時代のシーボルトの『日本』(1832年〜)だったというのは初めて知りました。
2. 北斎と人物
北斎が描く庶民の日常の身体表現に影響を受けた作品の数々。ただし、北斎自身も西洋画の写実に触発されて人体の骨格や筋肉の動きを研究していたそうです。
エントランスにあった、エドガー・ドガの《踊り子たち、ピンクと緑》と北斎《北斎漫画 十一編》の対比は、相撲取りが踊り子に化けるという意外性もあって面白いものでした。
メアリー・カサット《青い肘掛け椅子に座る少女》のいささかお行儀の悪い姿には、北斎《北斎漫画 初編》の布袋様(?)が合わせてありました。ただしカサットは、むしろ喜多川歌麿の浮世絵からより多くのインスピレーションを得ていたようです。
このコーナーではほかに、トゥールーズ=トートレックの《ジャンヌ・アヴリル》《ムーラン・ルージュ》やクロード・モネの《舟遊び》など視点の置き方が特徴的な作品やオディロン・ルドンの妖怪絵が並んでいたのも面白い点でしたが、北斎の春画を集めた一角が独立した部屋風になっていて子供に見せない工夫がされているのも行き届いた配慮だと思いました。
3. 北斎と動物
西洋美術の中では花鳥や動物が主題となることはほぼ皆無でしたが、このコーナーでは《北斎漫画》などの絵手本を参照したと考えられる作品が並びます。その代表が、ポール・ゴーガン《三匹の子犬がいる静物》。これは可愛い!としばらく見とれました。
他にはエドガー・ドガ《競馬場にて》のさまざまなポーズで描かれる馬たちも見事でしたが、この分野ではエミール・ガレのガラス工芸品に取り込まれたさまざまな動物や、時期の皿に描かれる絵に登場する鳥たちが異彩を放っていました。
4. 北斎と植物
西洋美術の伝統の中では植物は風景画の一部であるか、または切り取られて屋内に持ち込まれた姿での静物画としてしか描かれることはありませんでしたが、花鳥画におけるありのままの自然に親しむ姿勢は、そうした植物観を揺るがすものでした。
ここでもさまざまな工芸品に意匠としての和風な植物のモチーフが描かれている様子が展示されていましたが、絵画の中ではフィンセント・ファン・ゴッホの《ばら》が存在感がありました。
5. 北斎と風景
西洋アカデミズムにおける風景画には一定の規範があり、あまり独創性を発揮する余地がなかったそうですが、逆に浮世絵では画家の自由度が高く、意表を突くアイデアをもって購買層に訴えかける必要がありました。そうした中で北斎の風景画は、大胆な構図やリズミカルなモティーフの配置などが西洋の画家たちを覚醒させる作用があったようです。
北斎《富嶽三十六景 東海道程ヶ谷》の松並木とモネ《陽を浴びるポプラ並木》に見られるリズムの共通性の他にも、近景を木々に覆わせてその合間から遠景の対象を覗き見させるアイデアがモネをはじめとするさまざまな画家の作品に取り入れられていることを見てとることができます。また、このコーナーでは他に《富嶽三十六景 甲州三嶌越》《同 駿州江尻》《同 甲州石班沢》等といった機知に富む浮世絵の数々を眺めることができるのも嬉しい点です。
6. 波と富士
最後のコーナーで取り上げられるのは、波と富士。
波に関しては、「The Great Wave」として知られる《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》の大胆な描写が強い印象を西洋の画家たちにも与えており、この日の展示場にはカミーユ・クローデルの、緑の大理石による波の上に手をつなぐ三人の女性たちのブロンズ像を配した《波》がそのひとつとして展示されていましたが、むしろ面白いと思ったのは、盛り上がった波の形をジョルジュ・スーラが《尖ったオック岬、グランカン》で岩の岬を見下ろす構図に流用したのではないかと推測している点でした。
一方、富士はもちろん《富嶽三十六景》を取り上げることになりますが、ここでの主題は個々の絵の構図ではなく、「連作」というコンセプトです。アンリ・リヴィエールの《エッフェル塔三十六景》はタイトルからしてそのものですが、《富嶽三十六景 駿州片倉茶園ノ不二》を引き合いに出しつつポール・セザンヌの輪郭線が明らかな《サント=ヴィクトワール山》の連作を紹介している点には、目を見開かされました。

いや、本当にすごい充実度の展覧会でした。西洋作品が資料も含めると220点、これに対し北斎作品が錦絵・摺物41点、版本38点。まず西洋作品をセレクトし、これに対応する北斎作品を探し出し所蔵者(個人蔵も多数)から借り出すという気の遠くなるような準備作業を経てこの日の展覧会があるわけで、並大抵の努力ではなかったでしょう。主催者は国立西洋博物館と読売新聞社、日本テレビ放送網、BS日テレの四者ですが、国立西洋博物館のキュレーターの皆さんの苦労が偲ばれます。

なお周知のとおり、明治時代に大量の(一説には錦絵16万枚、絵本1万冊)浮世絵がヨーロッパに流出していきました。その立役者となった美術商の林忠正は後に「浮世絵を海外に持ち出した国賊」と批判されましたが、冒頭に記したように当時の日本での浮世絵の位置付けは大量消費される卑しい絵紙に過ぎず、したがってこの展覧会の図録の中で解説者は林は浮世絵を海外の蒐集家の元に運び、芸術作品として保存されることを望んだのであろうと林忠正を好意的に説明しています。そしてこれはちょうど、明治の廃仏毀釈の中で寺院が次々に破却される中、少なからぬ仏像が海外に居場所を得ることで今日まで永らえたことと似た話のようにも思えます。

このように、自分たちの価値ある美的財産を外国人によって守られ、教えられることを繰り返してきたというのは残念な歴史ですが、一方で現代の我々としては、そうした価値観を盲目的に逆輸入するのではなく、日本美術の全体像を自律的に見渡した中で、それぞれの位置と価値とを正しく把握し、鑑賞していきたいものです。

鑑賞が終わったらお昼どき。昼食は久々に「韻松亭」でゴージャスなお弁当をいただきました。

この後は、東京都美術館で開催中の「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」に転進です。