苞山伏 / 雲林院

2017/04/21

国立能楽堂の定例公演で、狂言「苞山伏」、能「雲林院」。

今月は「特集 世阿弥周辺の能三題」として「野守」「采女」そしてこの日の「雲林院」です。世阿弥「周辺」という意味については後ほど。

苞山伏

おそらくはこの後の「雲林院」に出てくる素性法師の歌の中に「家苞」の語があることから選ばれたのであろうこの「苞山伏」は、一昨年、今回と同じ和泉流で観ています。したがって流れはそのときとほぼ同じですが、最後にとっちめられることになる小アド・使いの者を演じる野村萬斎師が、やはりはまり役。寝込んでいる山人につっかかりそうになって危うくバランスをとる仕草、苞を開いて弁当を食べる芝居気たっぷりの演技、山人が起きかけた瞬間すばやく横になりざまに苞を山人や山伏めがけて滑らす早業!これなら本当に山人を騙しおおせそうだと思われたのですが、多くの狂言では神通力をうまく発揮できずに笑いの種になる山伏がこの「苞山伏」に限っては立派に修行を積んだものと見えて、橋掛リを揚幕近くまで逃れかけた使いの者は山伏の「ぼろんぼろん」という呪文に背中を吊り上げられるようなかっこうで後ろずさりに舞台へ引き戻され、正中に倒れ伏して息も絶え絶えになってしまいます。最後は、這々の体で逃げてゆく使いの者、それを棒で打とうとする山人、「早う逃げいやい」と高潔な人格を示す山伏と三者三様の様子で下がっていきました。

雲林院

『伊勢物語』を題材とし、在原業平を主人公とした作品としては金春禅竹作の「小塩」がありますが、この曲も「小塩」と同じく業平をシテとし、満開の桜の花見が発端に描かれます。雲林院は今の京都市北区紫野にある寺院で、もと淳和天皇の離宮として造成された紫野院を貞観11年(869)に僧正遍照に託して官寺としたもの。後に歌枕となるほどに桜と紅葉の名所として知られたと言いますから、僧正遍照と同時代の人である業平もこの雲林院を実際に訪れたことでしょう。

演出によっては正先に桜ノ立木を出す場合もあるそうですが、この日は作リ物のないままに寂びた笛から次第の囃子となって、笠をかぶり茶の地に小さい白千鳥の文様をあしらった掛素袍と白大口、首から『伊勢物語』の巻物を下げたワキ・芦屋公光(野口能弘師)とくすんだ青系の素袍上下出立のワキツレ二人が登場しました。折しも今は春、場所は紫野、そして次第の詞章は藤咲く松も紫の、雲の林を尋ねん

ワキは摂津の国芦屋の里の公光であると名乗り、幼い頃から『伊勢物語』に親しんできた(なんて早熟な子供だったのだろう?)が、霊夢を得たので都へ登るところだと説明しました。ついでワキとワキツレが謡う道行は、たゆたうような旅情が感じられてなんとも風情あり。やがて着キゼリフとなって花がたくさん咲いているからと手折ろうと語り、笠を後見座に置いてから正先へ出て花を手折ったとき、揚幕が上がって中から前シテ・老人(渡邊荀之助師・着流尉出立に面は小尉)が誰そよう花折るはと声をかけました。風も吹かず穏やかな一日、花を散らすのは何なのかとしわい声で独り言を言いつつ橋掛リを徐々に歩んできたシテは、ワキの姿を認めて落花狼藉の人そこ退き給へと咎める口調になりました。どうせ散る花を惜しみなさいますなと反論するワキに対し、嵐とても花だけを散らせるのにあなたは枝を手折るとは、とシテは追及を緩めません。ここから歌問答となり、ワキは素性法師(僧正遍照の子で雲林院に住んだ)の歌見てのみや人に語らん桜花 手ごとに折りて家苞にせんを引用すれば、シテは春風は花の辺りを避ぎて吹け 心づからや移ろうふと見んと『古今和歌集』の藤原好風の歌を引いた上に蘇軾の「春夜」まで引用して譲りません。これにはワキも道理だと納得し花もの言はぬ色なれば、人にて花を恋衣と釈明すると、シテが花も物言わぬながらに散るのを惜しんでいるのだと語ったところで地謡が引き取って、花を惜しむのも花を所望するのもともに風流の心があるからだと和解を演出します。

この風雅なやりとりには心惹かれるものがありますが、枝を手折るなと言っているシテが実はかつて後の二条后となる藤原高子のもとへと禁断の恋路を通った(とここでは解されている)在原業平であるので、このシテの言葉は意味深。また、この日の宝生流の地謡は聞き慣れた観世流の太い地謡と違うやや高めの声で少し驚きましたが、それもこの曲の趣にはマッチしているようにも思いました。

さて、シテがワキにどこから来たかを尋ね、これに対しワキは夢の中で在原業平と二条后が雲林院にいる姿を見たのでここまで来たのだと答えると、それは業平があなたの熱意に感じて『伊勢物語』の秘事を授けようとしたのだろうから、ここに休んで夢の続きを待ちなさいと告げました。穏やかなシテの口調は徐々にこの世のものではなくなってゆき、あなたは誰かと問うワキに昔男となど知らぬ(どうして昔男とわからないのか)と答えましたが、では業平か?と問われるとシテは穏やかにいや……といったんは否定して、夢の中で私の姿を見るならそのときあなたの不審を晴らそうと地謡を通じてワキに告げると、常座で正面を向いてから、寂しくも澄んだ笛の音に送られて中入しました。

アイは、雲林院に花見に行こうとしていた北山辺の者。ワキの求めに応じ正中に座して、雲林院の桜の謂れ、在原業平は人ではなく歌舞の菩薩であること、その辞世つひにゆく道とはかねてききしかど きのふ今日とは思はざりしを(『伊勢物語』第125段)などを語り、ワキが会った老人は業平の霊であろうから逗留して奇特を見るようにと勧めました。このアイは野村又三郎師が演じる予定でしたが、怪我休演のために野口隆行師が代役。しかしながら長いアイ語リをじっくり聞かせて見事でした。

ワキとワキツレが上歌を謡い、一声の囃子となりました。この日の大鼓は安福光雄師で、小鼓に鵜澤洋太郎師がつけば泣く子も黙るパワーコンビとなりますが、今日の小鼓・住駒幸英師は柔らかいタッチで深い打音を鳴り響かせ、一味違った形で大鼓を受け止めている様子です。やがて登場した後シテ・在原業平は定番の初冠狩衣指貫出立。光沢のある狩衣には金の唐草模様が見え、頬に追懸は業平のトレードマーク。前シテに比べ若やいだ口調で、業平の歌月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身一つはもとの身にしてを謡いました。驚くワキに今は何をか包むべきと正体を明かしたシテはワキの求めに応じて『伊勢物語』の秘事を語りますが、まずサシにおいて業平と高子の逢瀬は弘徽殿の細殿においてのこととされ、これは光源氏の朧月夜との密会になぞらえたもの。ついでクセにおいて『伊勢物語』に登場する日本の名所は実は内裏の中にある、という驚きの秘事が語られますが、実際にかの「東下り」も東山の関白家に預け置かれたことを言うに過ぎないという古註があるそうです。地謡によるこのクセを背景にシテは詞章の内容に合わせて拍子を踏み、舞台を巡りますが、その写実的な所作にも関わらず、中将面の不思議な力のせいか舞台上はこの世ならぬ雰囲気に満たされてゆきました。『伊勢物語』第六段「芥川」の夜陰の逃避行のイメージを紅葉襲、緋の袴、藤袴……と色彩豊かに膨らませた末に、ついに太鼓が入り序ノ舞となって、格調高く優美な舞が繰り広げられた舞台上には千年の時を超えた在原業平の姿が、文字通り輝く姿となって出現しました。

やがて時が移りワキの夢は覚めて、シテは心を残しつつ常座で左袖を返して留拍子を踏みました。

この「雲林院」は世阿弥の自筆本が伝わっていますが、その後段は現行曲と異なり、後シテは藤原基経(二条后の兄)の霊、ツレは二条后の霊。この点について本公演のプログラムに掲載されている竹本幹夫氏の解説は、古い「雲林院」は芦屋の公光登場の後ただちに基経の霊鬼が登場して業平と二条后の逃避行を追跡する物まねを見せる能であったのを、世阿弥が前シテに花守の老翁を登場させて複式能の形に整え、さらに金春禅竹が後場を改作し古態の面影を払拭してて現在の姿にしたのではないかと推測しておられます。

配役

狂言「苞山伏」(和泉流) シテ・山伏 高野和憲
アド・山人 中村修一
小アド・使いの者 野村萬斎
 
能「雲林院」(宝生流) 前シテ・老人
後シテ・在原業平
渡邊荀之助
ワキ・芦屋公光 野口能弘
ワキツレ・従者 野口琢弘
ワキツレ・従者 舘田善博
アイ・北山辺の者 野口隆行
主後見 佐野登
地頭 小倉敏克
一噌庸二
小鼓 住駒幸英
大鼓 安福光雄
太鼓 小寺佐七

あらすじ

苞山伏

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雲林院

芦屋の里に住む公光は幼い頃から『伊勢物語』を愛読していたが、不思議な夢告を受けたので、従者たちを伴い京都の雲林院へとやって来た。折しも桜が見事に咲いていたので、公光は一枝折ろうとする。するとそこへ、一人の老人が現れ、古歌を引いて公光を咎めるので、公光も古歌を引いて応酬し、二人は風流な歌問答を交わす。その後、公光が先日見た夢の内容を語ると、老人は、それは『伊勢物語』の秘事を業平が授けようとしたものだろうと告げ、自分こそ業平の化身であると仄めかして消え失せた。その夜、公光が雲林院に留まっていると、夢の中に在原業平の霊が現れ、昔の二条后との逃避行を語り、懐旧の舞を舞う。