金札 / 鴈雁金

2016/01/06

今年最初の観能は、国立能楽堂の特別公演で能「金札」と狂言「鴈雁金」。能一番・狂言一番の組合せで狂言が後に来るというのは初めての経験ですが、「金札」は脇能なのでそういうことになっているのでしょう。

正月の装いの国立能楽堂で、午後1時からの開演です。

金札

観阿弥作の脇能。登場した囃子方と地謡はいずれも裃姿で、祝言能らしいフォーマルな雰囲気が漂います。続いて大小の前に一畳台が置かれ、引き回しをかけた大宮の作リ物が立てられました。

音取置鼓。何やらのどかな、しかし厳かな笛の音と、ヴィブラートの効いた掛け声とともに荘重な小鼓とが交互に奏され、やがて大臣出立のワキ(殿田謙吉師)とワキツレ二人が登場しました。ワキは深い色、ワキツレは明るい緋色の狩衣姿でしずしずと進み、ワキツレが橋掛リに控える内にワキは正中に立って、伏見に大宮を造るべしとの桓武天皇の宣旨により勅使として下向するところである旨を名乗ります。殿田謙吉師の柔らかく深い声は、こうした厳粛な場面にぴったりという感じ。続いて大鼓が入りワキツレも舞台に進んで、天地開闢以来の帝の御代の長久を寿ぎつつ伏見への道行・着キゼリフとなり、脇座に納まりました。

高く澄んだヒシギからの一声の囃子を聞いて登場した前シテ / 老翁(櫻間右陣師)は、杖を手に尉髪を風折烏帽子に隠し、面は小尉。舞台の木地に溶け込みそうな明るい黄色系の狩衣と白大口の姿で舞台に進み、やや枯れた味わいの高めの声でゆっくりと一声を謡いました。その姿に不思議の念を持ったワキの問いに対して、シテは伊勢の阿古禰の浦に住む者だと名乗り、王法を尊び伏見の宮を拝みに来た旨を述べて、下居して作リ物を拝む姿を見せます。ここからまず地謡が切る物尽くし(花山の木・井桁・切り石)を、次に地謡とシテが交互に木尽くし(椎・楊柳・槻・桐)を、美しい節付で謡うところが聴きどころ。この間、シテは下居のまま、時折ワキの方に向きを変える程度の動きしか示していませんでしたが、尽くし謡が終わったところで扇を開き立て両手で持つと、や、ただ今天より金札の下りて候と驚いてみせましたが、このあたりからシテの老翁に生き生きとした様子が加わってきます。シテから金札(扇)を受け取ったワキは、リズミカルな大小の鼓を聞きながら金札に記された金色の文字を読み上げました。そもそも我が国は、真如法身の玉垣の、内に住めりや御裳濯川の、流れ絶えせず守らんために、伏見に住まんと誓ひをなす。ここでシテとワキとの間に伏見問答が交わされます。伏見とはどこのことか?この御社のことではないか。いや、伊弉諾・伊弉冊の尊が伏て見出したのがこの国なのであるから、伏見とは日本の名なのである、と諭すように語るシテ。そしてシテはワキの前に進んで身を沈めその手から扇を取り上げるとそれまでのシテの様子からは想像もできないほどの素早さで橋掛リに向かいました。この間、地謡は夢とも現とも分かぬ光の内に金札をとった老翁がかき消すように失せたことをシテの動きに合わせるようにスピードアップして謡いましたが、一転、ゆったりとしたテンポでしばし虚空に声ありて。そしてシテは一ノ松で自らが伊勢大神宮の使者・太玉の神であること、このまま神社造営を進めるべきことを告げました。その声はおおらかに朗々として、神の姿が本当にそこに現れたかのよう。迦陵頻伽の声ばかり、虚空に残る雲となり、雨となるや雷の、光の内に入りにけりという地謡の荘厳な描写の内に舞台に戻ったシテは、来序の囃子と共にゆっくりゆっくり宮へと入りました。

間狂言は末社の神。これまでの仔細を語り、ワキに大宮造りの礼を述べ、再び金札の神が現れるまでの慰みをしようかと尋ねて「めでたかりける時とかや」と謡い、舞い始めます。震えるような不思議な発声での謡と囃子方の演奏と共にアイは三段に舞った後、「元の社に帰りけり」で留めて去って行きました。

目が覚めるほどに力強い笛に導かれる出端から後場に入り、地謡と作リ物の中のシテとが掛け合いで天皇の御代のいつまでも栄えゆくべきことを謡った後に、引き回しがさっと降ろされて床几に掛かった後シテの姿が現れました。冠の上に将棋の駒のような形の金札を載せ、面は怒りを含んだ天神。黒髪を長く垂らし、法被半切はキラキラとして、右手は逆手に矢、左手に槻弓を持っての威風堂々の姿。光もあらたに、見え給ふと一畳台から前に降りてきた様子は、本当に光を発しつつ登場したように見えました。ドンドンと勇壮に足拍子を踏んだシテは勢いよく舞台を回ると橋掛リに向かい、その入り口に膝をついて揚幕の方に向かって弓を構え、悪魔降伏の矢を放ちました。実は、学生時代に洋弓をたしなんでいた私としては、矢がどこまで飛ぶのか?に大いに興味があったのですが、矢はシテの足元にぽとりと落ちただけ。考えてみれば、本当に矢を飛ばしたのでは見所の観客に当たるかもしれず危険極まりないので飛ばせるはずはないのですが、ここはちょっとがっかりしました。ともあれ悪魔を射払ったシテは、極めて短いものの強烈にエネルギッシュな舞働を見せた後、国が治まり東夷西戎南蛮北狄の恐れがなくなったことを示すキリの地謡の下で弓の弭を目付柱の根元に押し当てて弦を外すと後見に渡し、天下泰平の御代を言祝ぐ舞を舞った後に常座で留拍子を踏みました。

前場の厳粛、後場の勇壮。誠にめでたく、そして見どころ・聴きどころの豊かな、年の初めを飾るに相応しい祝言能でした。前場を略した半能形式で上演されることもあるそうですが、こうしてみれば、やはり通しで観ることができて幸いであったと思います。

鴈雁金

摂津の百姓と和泉の百姓とが、新年の慣習として上頭(在京の荘園領主)にその年初めて獲れた雁を納めるために上京。まず現れたのはアド / 津の国の百姓(野村萬斎師)で、素襖小袴の上衣は茶の地に松竹梅の文様、袖の灰色の地の部分には折鶴文様。侍烏帽子を被り、肩にした棒には藁づとがぶら下げられています。その名乗りに続いて現れたのはシテ / 和泉の国の百姓(石田幸雄師)と小アド / 奏者(野村万作師)。和泉の国の百姓の出立は津の国の百姓のそれと色違い、かたや奏者は身分高く小豆色の素袍長袴ですが、これはここにはいない約束でしょう。そして和泉の国の百姓の道行には、天下が治りめでたい御代であるとの言葉があって「金札」とつながります。

さて、上京の途中で疲れて休みながら連れ合いを探していた津の国の百姓は、これ幸いと和泉の国の百姓に声をかけました。和泉の国の百姓は気のいい人物なのですが、なかなかブラックなユーモアのセンスがあるらしく、どこからどこへ行くのかと聞かれて「後から先へ」、和泉の国の百姓が自分の国を明かせば「それなら自分は隣の者」。同道を求められて「牛は牛連れ、馬は馬連れ」と快諾し、さらに都に上り上頭の屋敷に着いたところでさらばさらばと行きかけてみせた後に「実は自分の行き先もこの御館」。

まずは和泉の国の百姓から先に屋敷に入り、奏者を呼び出して「初鴈」を捧げましたが、これを一ノ松から聞き耳たてて聞いていた津の国の百姓は言い方を変えようと考え、入れ替わりに屋敷に入って奏者に「初雁金」を捧げました。藁づと二つが正先に並べられ、奏者はその場にはいない上頭に上申したところで、何やら命を受けて二人の百姓を呼び戻しました。曰く、同じ鳥を「初鴈」「初雁金」と異なる名前で呼ぶのはなぜか申し上げよとのことに、二人の百姓は互いに「お前が変なことを言うからだ」と責め合ったものの、ともあれ上頭に対して順番に説明することになります。まず津の国の百姓が重々しく引用したのは、『後拾遺和歌集』から「薄墨に書く玉章と見ゆるかな かすめる空に帰る雁金」、『白氏文集』から「風白浪を翻せば花千片、雁青天に転じては字一行」など。「雲井の雁」とこそ言え、「雲井の鴈」とは言わないだろうと自慢げです。かたや和泉の国の百姓は前九年の役で「兵野に伏すときは、飛鴈列を乱す」という兵法の心得をもって安倍貞任を討った八幡太郎義家の故事や、秦の始皇帝の宮の高い壁に雁を通すための「鴈門」を設けたこと、匈奴に囚われた蘇武が雁の足に文を結んだことから手紙を「鴈書」、使者を「鴈使」と呼ぶようになった、などと百姓とは思えない博覧強記ぶりを示します。

これらを聞いて奏者は再び上頭に伺いを立てたところ、上頭はいたく感心して二人を褒め、お流れの酒を下されることになりました。囃子方が切戸口から入ってきて位置に着く間に、扇を盃に三献までも飲み干した二人の百姓は、賑やかに舞いながら帰国するよう命じられて立ち上がり、舞台上に並んで「雁金」「鴈」を読み込んだ謡を謡うと、太鼓入りの囃子に乗って扇を手にゆったりおおらかに舞いました。この合舞は三段之舞となってやはり「金札」の末社の神の舞に通じますが、途中に袖を舞いてぴょんぴょんと跳んでから足拍子を踏む箇所があって三番叟を連想しました。最後は二人の百姓が「やらやらめでたや、めでたやな」と謡って太鼓の撥留。

これまたどこまでもめでたく、また今月再び観ることになっている「舟船」に通じる才気とユーモアもあって楽しい、明るい舞台でした。ただ、萬斎師が古詩を引用するところで「春来て秋に 帰る雁金」と語ったのは、春と秋とを取り違えた模様(上頭からの振舞い酒を飲む前のことなのですけど)。

今年もこの国立能楽堂に、何度も足を運ぶことになるでしょう。

配役

能「金札」(金春流) 前シテ / 老翁
後シテ / 天津太玉の神
櫻間右陣
ワキ / 勅使 殿田謙吉
ワキツレ / 随臣 則久英志
ワキツレ / 随臣 御厨誠吾
アイ / 末社の神 深田博治
杉信太朗
小鼓 幸正昭
大鼓 内田輝幸
太鼓 吉谷潔
主後見 長谷猪一郎
地頭 本田光洋
狂言「鴈雁金」(和泉流) シテ / 和泉の国の百姓 石田幸雄
アド / 津の国の百姓 野村萬斎
小アド / 奏者 野村万作

あらすじ

金札

平安京を完成した桓武天皇が、伏見にも神社を造ろうと勅使を送る。伏見に着いた勅使が出会った老翁は、伊勢の国阿古禰の浦の者だと告げて、王法を尊び、造営にちなんで木尽しの歌を謡う。その時、天から金札が降り、勅使がこれを取って読むと伏見に住むと誓う言葉がある。老翁は、伏見とは日本の総名であると教え、そのいわれなどを説いた後、金札を取ってかき消えるが天に声が残り、我は伊勢大神宮の使いの天津太玉神であると告げる。やがて楽の音に誘われて天津太玉神が現れ、弓矢で武徳を表わし日本国を寿いで神威を示し、君を守り国を治める印の金札を宮に納めて再び姿を消す。

鴈雁金

津の国の百姓と和泉の国の百姓は、年貢の初雁を納めるために上京する途上で知り合い、連れ立って都に入る。先に献上した和泉の国の百姓が「初鴈」と言って奏者に納める様子を見ていた津の国の百姓は、名を変えて納めようと「初雁金」と言う。二人の百姓が同じ鳥を違う名前で呼ぶ理由を述べよという上頭の命を伝える奏者に対し、二人の百姓は様々な詩歌・故事を引用して説明したところ、上頭は二人を共に褒め、これを喜んだ二人は謡い舞い、無事に年貢を納められたことを喜ぶ。