塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

千鳥 / 道成寺

2015/08/29

国立能楽堂(千駄ヶ谷)で、金春流能楽師山井綱雄師主宰「山井綱雄之會」。師にとって「道成寺」は10年ぶりで、鐘入りは「斜入にて相勤めます」とフライヤーに書かれていましたが、「斜入しゃにゅう」とはいったい?

雨の国立能楽堂は、まだ8月だというのにもう長雨の季節に入ったようなしっとりした風情です。

「山井綱雄之會」の第十回記念であると共に、この日が綱雄師の祖父である梅村平史朗師の命日であることから、その第三十七回忌追善と銘打っています。この日を国立能楽堂からあてがわれたのは全くの偶然だそうですが、やはり何かの導きがあったのでしょう。

紺野美沙子さんのパンダ花籠が可愛い。そしてロビーから一段上がったところには、梅村平史朗師の生前の写真が飾られていました。

さて冒頭の謎解きですが、会場で配られたパンフレットにその解説が載っていました。

斜入とは、金春流に伝わるもう一つの鐘入りで、通常の、真下に入って正面に向き真上に飛び上がって入る鐘入りと異なり、鐘の外に手を付き、正面へ捻りながら飛び上がって鐘に入る荒業です。これは肥後熊本の芸統で、祖父は自身の師匠であり昭和を代表する名人・故櫻間弓川先生より相伝しました。

読むだけで恐ろしい技ですが、外から鐘に飛び込むというのは型は違うものの金剛流でも観たことがあり、そのときは金剛龍謹師が落ちてくる鐘を腰に受けるというアクシデントがありました。今日は山井綱雄師がそうした目に遭うことがないようにと祈っていたのですが……。

13時開演。まず山井綱雄師が舞台に登場しての挨拶は、身命を賭けて舞台を勤めるので、皆さんも心してご覧下さい、という気合の入ったもの。続いて、綱雄師の次男で8歳の惠登くんの仕舞「絃上」と長男で11歳の綱大くんの仕舞「高砂」。惠登くんは訳も分からず終始ニコニコしながら、綱大くんは多少緊張した面持ちながらもすらりとした声色で、それぞれ見事に謡い、舞ってみせました。

千鳥

山本東次郎・則俊両師による「千鳥」は五年前に式能の中で観たことがありますが、そのときと同様に、まさに至芸です。東次郎師の品のある中にもユーモラスな語りと所作、則俊師の決して笑顔を見せないぼそぼそとした語り口ながら太郎冠者のペースに巻き込まれてつい慌てたり話に引き込まれたりするおかしみ。主人の厳命を受けて、まだツケが残っているのにさらに酒を後払いで手に入れようと知恵を絞る太郎冠者とそうはさせじとする酒屋の対決は、千鳥作戦失敗、山鉾作戦失敗の後に、流鏑馬作戦が奏功して太郎冠者は素早く酒樽をかっさらっていくのですが、こうして改めて観ると、既に70台半ばに達しているとはとても思えないお二人の強靭な身体能力が芸の根底をがっしり支えていることを強く実感させられました。

続いて仕舞五番。まず梅村平史朗師の高弟で山井綱雄師の芸の恩人でもあるという富山禮子師の「西行桜」のゆったりした〈クセ〉と、櫻間金記師の「藤戸」の非業の死の再現から成仏に至るキリ。ついで地謡が替わり本田光洋・高橋汎・金春安明の各師が三人並んで座って、順に「百万」から笹ノ段、流れるような「実盛」、そして地獄の情景を舞う迫真の「善知鳥」。

道成寺

30分の休憩を挟んで、いよいよ「道成寺」。観世流では最初に狂言方が鐘を舞台に出してからおもむろにワキ・ワキツレが登場する演出が常ですが、金春流によるこの日の演出ではまずワキ/住僧(舘田善博師)が〈名ノリ〉と共に鐘を再興する旨を語ってから、アイ/能力(山本則重師)を呼んで鐘を鐘楼へ上げることを命じ、これを受けたアイがいったん幕の中に下がった後にもう一人のアイと共に橋掛リへ鐘を担ぎ出してきます。実際にはアイの二人ではなく介添えの狂言方二人が鐘を下げた棒の前後を担い、さらに山本東次郎・則俊の両師が鐘の脇に手を添えるという豪華な布陣で鐘を運ぶのですが、エイト〜、エイヤ〜と声を上げながら進んできたアイは橋掛リの途中で重さに負けた態で一旦休み、さらに励ましあって鐘を舞台中央へ。そして両御大のサポートを得つつ竹棒と鈎棒とで紐を滑車に掛けて、「何とよいか」「一段とよい」と確かめ合って一気に竹棒を抜き、鐘後見が鐘を引き上げるときにもエイト〜、エイヤ〜と鐘を持ち上げる様子を示しました。このように劇中の一部分として鐘が吊り下げられる演出は上述の金剛流「道成寺」でも見られたもので、すなわち下掛リの流儀に共通のものです。

ついでワキはアイに女人禁制を触れて回るよう命じ、これを受けてアイは力強くこの旨を語ると、後に出てくる〔乱拍子〕を思わせるじっくりとした動きで舞台を回ります。アイの山本則重師は以前「邯鄲」で独特の存在感を発揮するのを見ていますが、ここでも何とも言えない雰囲気を漂わせていっとき舞台上を支配しました。

厳しいヒシギ、そして気迫の大小は先日の「水無月祓」でその強靭な音圧と非の打ちどころのないリズム感とで見所を圧倒した鵜澤洋太郎師と安福光雄師のコンビ。やがて幕が上がり、しばらくしてすっと三ノ松に進んだ紅無唐織壺折に曲見面のシテ/白拍子(山井綱雄師)はゆっくり舞台に進み、〈次第〉作りし罪も消えぬべき、鐘のお供養拝まん。「道成寺」の白拍子に地味な紅無の鶴菱文様の唐織を用いるのは金春流の決まりだそうですが、この「鐘の」で一気に五度上(上ウキ)に上がるところも観世流の謡では聞くことのないパターンでした。

以下、シテの道行から〈着キゼリフ〉を経てアイとの問答となり、女人禁制だからダメだというアイに対してシテは、いや自分は他の女とは異なりこの辺りに住む白拍子であるから結縁のため拝ませてほしいと頼むのですが、そのときついと一二歩前に出るシテに気圧されたかアイは後ずさり、それならばと舞を所望して地謡座から烏帽子を取り出しシテに渡します。受け取った烏帽子を身体の前に捧げ持つようにしてシテは、囃子方の〔アシライ〕を聞きながら後見座へ。アイが狂言座に退く間に烏帽子を頭上に戴いたシテは、立って一ノ松に移動するとじわりと向きを変え、次の瞬間、大鼓の咆哮にハッとして素早く舞台へ進みました。花のほかには松ばかり、暮れそめて鐘やひびくらんとシテが〈次第〉を謡うとこれに対する地取は予想もしていなかった地頭の独吟となり、その謡が徐々に強さを増して頂点に達するところから小鼓の長く引く掛け声。〔乱拍子〕へと移行します。

ごく小さな、しかし極めて精密な動きにより繰り返されるシテの動きと、鵜澤洋太郎師の全身を震わせながらの迫力に満ちた一調に時折笛の〔アシライ〕を絡めた〔乱拍子〕は、異次元の緊迫感。長大な時間をかけてシテが鐘の向こうに小鼓を見据えるようになるとシテと小鼓の一騎打ちの様相はさらに強まりましたが、遂にシテは小さな三角形を回り切って、ほとんど呪文のようなワカ道成の卿云々、そして成寺とはから拍子を変えた後に、ここまで溜めてきたエネルギーを一気に解き放つような〔急々ノ舞〕。舞台上をきりきりと舞い続けたシテは脇正で烏帽子の紐を解いてこれを捨て、鐘に近寄ると左手をいっぱいに伸ばして異様に高い位置にとどまったままの鐘に目付側から手を掛け、合図の足拍子の後にいったん身体を左へ振ったと思うと、次の瞬間に鐘の中へ右に向かって跳躍!そこへまさしくジャストのタイミングで鐘が轟音を立てて舞台上に落ちました。凄まじい鐘入り、これが「斜入」か。見所からは「うわー!」という驚きの声が上がり、私も胸を熱くして舞台上を見つめましたが、橋掛リの上では鐘の落ちる音に驚いた二人の能力がごろごろと転がり、やがて舞台に進んで鐘が落ちていることを知ると住僧への報告の押し付け合い。そのおかしさに見所もやっと緊張を緩めて、笑い声を漏らしました。

ところがこのとき、鐘の中では大変なことが起こっていました。その一部始終を、山井綱雄師のブログから引用します。

鐘入りで、飛び上がった瞬間、鐘の中の裏側上部に、相当強く頭を打って(これも瞬間キィーンと耳鳴りがしたくらいに激しく打ち、今でも首が痛みます)次の瞬間に床に叩きつけられた際に、私は右膝つき左膝立ての体勢でいつも着地していたのですが、変な方向に鐘に押し潰され、打つはずの右膝を打たずに(その為に膝にはガッチリサポーターをしていましたが)ツマ立てした右足に、全ての圧力がかかってしまい、ツマ立てた右足の甲の骨が、グシャといってしまったようでした、、、

鐘の中で既に、実は相当の足の痛みで悶絶していました、、、

そんなこととは知らないうちに舞台上ではワキが鐘の由来を写実的な語りで説明し、ワキツレと力を合わせて祈り始めました。渾身の祈りのうちに鐘はいったん浮き、再び降ろされた鐘の中から鈸の音が響くと鐘が引き上げられました。そこに姿を現した後シテ/蛇体は赤頭に般若面、鱗文様の摺箔に黒地の縫箔を腰巻にし、唐織は背後に脱ぎ捨てた状態で打杖を手に右膝を立てましたが、もうこのときは足の痛みに耐えるのに精いっぱいだったでしょう。それでも立ち上がったシテは、懸命にワキ・ワキツレと戦いながら舞台上から橋掛リの端までいっぱいに動き続けましたが、鱗落シや柱巻キを伴わなかったのが本来の演出であったかどうかは不明ながら、祈り伏せられて舞台上に崩れ落ちる型ももはや不可能。それでも懸命に鐘に迫って追いすがるワキに引き戻されながら動き通したシテは、遂に僧たちの祈りに破れて鐘に未練を残しつつ橋掛リを下がると、揚幕に向かって飛び込んでいきました。

最後、舞台から幕へ走り込んでからは、装束の間で、一歩も動けなくなってしまいました、、、、

ということだったそうですが、実際のところ後場のシテの動きは山井綱雄師のそうした悲惨な状況を感じさせないもので、それだけに、故人追善の能にふさわしい「融」の詞章この光陰に誘はれて、月の都に、入り給ふよそほひ、あら名残惜しの面影やが附祝言として謡われた後に予定されていた金春宗家と山井綱雄師の対談の場に宗家一人が出てこられて綱雄師の負傷の話をされたときは、見所のおそらく誰もが驚いたことと思います。

ともあれ、この日の「道成寺」は山井綱雄師が冒頭に宣言した通り、その身命を賭けた名演になったと思います。以前に「邯鄲」でもダイナミックな身体能力を示した綱雄師でしたが、今回は文字通り命がけ。共演のワキやアイはもとより、大小の鼓や地頭を勤めた宗家、さらには鐘後見の万全のバックアップも得て舞台上に大輪の花を咲かせた感がありました。たとえ負傷のために後場の所作や型が本来のものとはならなかったとしても、そのことはこの舞台の価値を何ら落としていなかったと断言します。

山井綱雄師の負傷の程度がいかほどのものかわかりませんが、一日も早く全快して、再び舞台に戻って来られることを祈ってやみません。

配役

仕舞 絃上 山井惠登
高砂 山井綱大
狂言 千鳥 シテ/太郎冠者 山本東次郎
アド/酒屋 山本則俊
アド/主 山本則孝
仕舞 西行桜クセ 富山禮子
藤戸 櫻間金記
笹ノ段 本田光洋
実盛クセ 高橋汎
善知鳥 金春安明
道成寺 前シテ/白拍子 山井綱雄
後シテ/蛇体
ワキ/道成寺住僧 舘田善博
アイ/能力 山本則重
アイ/能力 山本則秀
一噌幸弘
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 安福光雄
太鼓 吉谷潔
主後見 本田光洋
地頭 金春安明
主鐘後見 本田芳樹

あらすじ

千鳥

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道成寺

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