仁王 / 杜若

2015/05/15

国立能楽堂の定例公演で、狂言「仁王」と能「杜若」。

能楽堂のエントランス周辺は、カキツバタではなくツツジが満開でした。

仁王

博奕ですってんてんになって国許にいられなくなった男が、旅立つ際に日頃意見してくれていた何某に暇乞いをすると、他国に行かずにすむように、仁王のふりをして信心深い人たちから供え物をだまし取ろうと提案されて……という話。何せあの野村又三郎師がシテの博奕打ですから面白くないはずがありません。

最初に登場した博奕打の又三郎師は刈上げ頭に口ひげを生やして何やら精悍な感じがしますが、これが後で顔芸と相まって阿形・吽形の仁王像の姿にぴったりマッチします。その博奕打は国許を離れることになった事情を述べて何某の家へ別れの挨拶に行くのですが、何某(野口隆行師)は話を聞いて上述の通り「にせ仏」になることを提案します。喜んだ博奕打は何になろうかと思案。「大黒は?」「槌の袋のと道具がいるから無理」「吉祥天女は?」「そなたの顔で吉祥天女は」といったやりとりの末、仁王になることに決まりました。何某の手を借りつつ博奕打は裃の上衣を両肩脱ぎにし、頭巾をかぶり、たなびく天衣の代わりに錦色の棒を半円に曲げたものの両端を腰にさして固定して巻物を持てば、にわか仁王像の出来上がり。連れ立ってやってきた上野(脇座)でシテは口を開け両腕を構えて阿形の仁王像になりすましますが、本来阿形は怒りを発している姿のはずなのに、又三郎師の仁王像は満面に笑みを浮かべているようにしか見えず、見所に笑いが広がります。そしてシテが待つ内に、何某が一ノ松から揚幕に向かって二人の在所の者を呼び出すと、信心深い在所の者たちは舞台に進んでシテを眺め、ありがたがって拝みました。在所の者が賛嘆して「生きているようだ」と言うのにはまたも笑いが起きましたが、在所の者たちは何某の先導に従って小刀を仁王像が前に突き出した腕に掛けて寄進します。その重さに身体を前に傾けながら必死にこらえるシテ、喜びながら後見座に下がる在所の者たち、帰宅する何某。

誰もいなくなったのを確かめて高笑いをした博奕打は、お礼かたがた何某の小刀を返却するために何某の家を尋ねますが、このあたりのやりとりを見ると博奕打は実は誠実な人柄であることが伝わってきます。十分に儲けたのでもはや暇を乞おうとするシテでしたが、何某がもう一度と強く勧めるので再び上野へ戻った博奕打はまたしても仁王になりすましました。これは最初のなりすましの翌日という設定で、何某としては昨日の在所の者たち以外の参詣人から供え物を巻き上げることを想定していたはずなのですが、なんと昨日の二人が何某の家に連れ立ってやってきて、何某を仁王参詣に誘いました。そこで三人一緒に再び上野に来てみると、確かにそこに昨日の仁王が立っているのですが、口をへの字にした吽形像。在所の者たちは、ちと合点がゆかぬ、昨日は口を開けていたし印相も違うと言い始めます。これに博奕打がギクリとすると、気のせいか瞬いているようだとさらなるツッコミ。何某はあわてて間に入ろうとしますが、在所の者たちはかまわず遠くからくすぐる仕草をしながら徐々にシテに近づいていきました。悶絶しそうになりながらこらえるシテでしたが、ついに我慢できなくなって笑ってしまったところで事は露見し、シテは賑やかに追い込まれていきました。

仁王に化けるというのがすでに罰当たりですが、それでも最初の一回だけで済ませておけばよかったのに、欲を出したために悪事が露見する……という教訓めいた筋書きにも見えますが、野村又三郎師の憎めない博奕打とユーモラスな仁王には、そうした説教臭さは無縁です。なお、演出によって博奕打自身が自ら「もうひと稼ぎ」と仁王になったり、参詣人の数が増えたり、参詣人がアドリブで願い事を唱えて仁王に絡むといった演じ方になることもあるそうですから、これからもいろいろなバージョンの「仁王」を楽しむことができそうです。

杜若

『伊勢物語』の東下りの話の中に出てくる有名なかきつばたの歌をモチーフとした曲で、一昨年の今頃に宝生流で観ていますが、この日は観世流です。

名ノリ笛に乗ってやってきたワキ・旅僧(宝生欣也師)が美濃・尾張・三河と短い道行を美しく謡って今を盛りの杜若を愛でながらワキ座へ移動しようとしたとき、シテ・杜若の精(武田尚浩師)がその背中に声をかけました。前回の宝生流は鏡ノ間からの声掛けでしたが、この日の演出は三ノ松から。段替りの唐織を着流し、若女面を掛け、問答を重ねながらじわじわと舞台に近づいてくるシテの姿は、既に人ならぬ気配を漂わせています。舞台に進んでからころも……と有原業平の故事をワキに紹介したシテは、さらにワキとの掛け合いの中で杜若を業平の形見の花であると謡い、在原の跡な隔てそ杜若……と地謡の初同が業平を偲ぶ内に舞台を小さく廻ると、ワキを自分の庵に誘います。ワキは脇座へ着座し、シテは後見座へ。

密やかに長く奏される物着アシライの内に後見二人が手際よく物着を終えてみれば、シテは金地に菱形文様の長絹(前回は紫地に金の扇と白の藤花)をまとい、頭上には巻纓冠(同・垂纓冠)。驚くワキにシテは真は我は杜若の精なりと明かして在原業平は歌舞の菩薩の化身、その詠歌は仏の説法の妙文であると語ります。地謡遥々来ぬる唐衣、着つつや舞を奏づらんに地取が重なり、業平の立場になったシテ別れ来し、後の怨みの唐衣そして再び地謡が声明のように深く強い響きで袖を都に返さばやと謡うと、イロエを挟んで『伊勢物語』「初冠」からとられたクリ・サシが地謡によって朗々と謡われ、クセは前半が東下りの情景を謡う詞章に乗ったゆったりした舞、一瞬の間を挟んで後半は衆生済度のための方便として和合を重ねた業平の徳を地謡に謡わせながら扇を振るい、袖を翻して舞台一杯に巡るダイナミックな舞。その最後に太鼓が入り始めて、序ノ舞となりました。

ゆったりと優美に、なんとも言えない風情で舞われる序ノ舞は、その前のクセ舞と共に長大なものでしたが少しも緩むところがなく、徐々に高揚の度を高めていきます。これはすごい……と思っている内にそのままキリに突入し、「かきつばた」の歌に詠み込まれることによって成仏を得た杜若の精の解放感が全開のキリの舞は、フォルテシモの地謡、強靭で分厚い囃子方の掛け声(これほどにせめぎ合うような掛け声の応酬は初めて聞きました)を背景に流れるような運ビと袖を用いたダイナミックな所作が重なって見所を圧倒します。最後に常座で左袖を返したシテが半身になって留拍子を踏み、太鼓の撥留によって終曲を迎えると一瞬にして静寂が舞台を覆って、その動と静の極端な対比に見所が呆然とする内に、シテとワキは先ほどまでの舞台上の高揚を忘れたかのように静かに橋掛リを去ってゆきました。

配役

狂言(和泉流)「仁王」 シテ・博奕打 野村又三郎
アド・何某 野口隆行
アド・在所の者 奥津健太郎
アド・在所の者 藤波徹
 
能(宝生流)「杜若」 シテ・杜若の精 武田尚浩
ワキ・旅僧 宝生欣也
主後見 武田宗和
地頭 武田志房
杉市和
小鼓 住駒幸英
大鼓 柿原弘和
太鼓 前川光長

あらすじ

仁王

博奕で負けて無一文になった博奕打が他国へ行くしか無くなって仲間を訪ねてやってくる。仲間は博奕打を、仏が降るという噂に見立て仁王に仕立てて參詣人たちから供物を巻き上げようと思いつきまんまと上手くいくが、調子にのって大勢の参詣人を連れてくる。供物を巻きあげて大喜びしていると、ある男がやってきて、足を治したいといって仁王に扮した博奕打の体を撫で回す。くすぐったくて我慢ならなくなった博奕打は逃げ出していく。

杜若

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