二千石 / 三山

2015/04/17

国立能楽堂の定例公演で、狂言「二千石」と能「三山」。

いつの間にか夕立が降っていたようですが、それにしてもこの空に、日が長くなってきたことを実感します。

二千石

「二千石じせんせき」は以前山本東次郎・則俊のお二人の組み合わせで観たことがありますが、今日は善竹十郎・大藏吉次郎両師の舞台とあって、どれくらい味わいが異なるものかという点が興味の的でした。

腰に小太刀、左手に太刀を提げしかつめらしい顔つきで静々と登場した主=大名は、口をひん曲げ、怒りを内に秘めた声音で名乗ると許可もなく旅に出かけた太郎冠者のことを「言語道断、憎いやつ」とこき下ろすと叱責するために太郎冠者の所へ向かいます。一方の太郎冠者は飄々たる雰囲気ですが、主のド迫力の叱責には恐縮するばかり。しかし、太郎冠者が京内詣をしてきたと聞いて主は後ろを向き「京の様子を聞いてみよう」と独り言を言うと、やや猫撫で系の声に変えて太郎冠者に都の様子を話させます。

太郎冠者は都で流行している謡を習ってきた、それというのも、酒宴の席で主が最初は上座にいるのに乱舞になると謡えないので徐々に下座へ下がって行き畳の塵を毟る(退屈している)様子なのを気の毒に思ったから。これを聞いて主は「よう習うてきた」とにこにこ顔ですが、床几にかかって太郎冠者の謡う二千石の松にこそ、千年を祝ふ後までも、その名は朽ちざりけれを聴いている内に不機嫌になってそっぽを向いてしまいます。太郎冠者がちゃんと聞かせようと位置を変えていると、ついに主はだまりおろう!と一喝しました。

ここから「二千石」が主の家に伝わる大事な謡である謂れを滔々と仕方で語る場面がこの曲の見どころですが、主は正先に扇を置いて南無謡大明神と礼拝すると後ろずさって床几に戻り(このとき後見の手を借りませんでした)、ゆったり扇を使って朗々と八幡殿から宇陀の庄を拝領した由来を語りました。その語りは厳かでもあり、歌舞伎を連想させるような抑揚の大きさもあり、とにかく惹きつけられる語りです。

さて、仔細の語りののちに成敗される太郎冠者はおろおろとして、でも都で流行るによってと抗弁するとお前が流行らせたのだろう!と決めつけられ、では謡うまいと逆ギレすると主はスラリと太刀を抜きました。そのとき、太刀を構える主の姿を見て先代の主を思い出した太郎冠者はおいおいと泣き出し、ここからはこのお二人らしい喜劇調に戻ります。太郎冠者が泣いた理由を聞いて主ももらい泣き、すぐ機嫌を直せばこれも似ている、よしよしと太刀を与えるところもそっくり。このあたりのやりとりは何となく「入間川」を連想させますが、最後は子が親に似るのはめでたいと破顔、二人で前に立ち、大笑いをして納めました。

三山

「三山」とは天香具山、畝傍山、耳成山の大和三山のことで、万葉集の中大兄皇子の歌に題材をとったもの。

香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相あらそひき 神世より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬を あらそふらしき

本曲では、天香久山に住む膳公成が畝傍山の桜子と耳成山の桂子を寵愛したという設定になっていて、上記の歌とはマッチしていませんが、天香具山が三山の中でも特に神聖なものとされていたことを反映しているのかも知れません。

よく通る小鼓の打音とビブラートが印象的な笛の音(大鼓は全体に控え目)による次第の囃子を聞きながら、明るい色調の水衣を着たワキ・良忍上人(殿田謙吉師)とワキツレ・従僧二人が登場。次第は法の心も三つの名の 大和路いざや尋ねん。ワキが諸国一見の僧なら南都を見物に行こうとなるところですが、この曲のワキである良忍上人(1073-1132)は融通念仏宗の開祖。大和へは念仏布教の旅ということになります。道行は大原を出て、深草、木幡、宇治。そして大和の国に到着したところで、狂言座に控えていたアイ・所の者(トサカを生やしたようなファンキーな髪型の善竹富太郎師)に三山の名所案内を受けました。アイが狂言座に立ったままワキと言葉を交わすという演出は初めて見たように思いますが、やがて説明を終えたアイが再び狂言座に座したところで、前シテ・女が静かに登場しました。面は曲見(甫閑・作)、橙・黄色系の地にワンポイント桔梗に朱色を用いた唐織を着流しにして、ワキに向かって少しずつ近づきながら三山にまつわる妄執の物語、耳成山の池水に沈みし人の昔語り、よくよく問はせ給へとよとまさに池の底から聞こえてくるような深い声音で語りかけます。これに対して三山の謂れを問う脇座のワキと答える一ノ松のシテとは、南の香具山(正面)、西の畝傍山(中正面)、そして今いる耳成山(揚幕方向)を見渡して、見所に大和盆地の景観を浮かび上がらせました。

虚ろな表情で常座に出てきたシテに向かってさらに詳しく物語るように求めるワキに対し、正中に下居したシテは、二道かけていた男の心が桜子に靡き耳成山に足を運ばなくなった次第をクリ・サシと無念そうに語り、クセで思いつめた心の動きを地謡にじっと語らせながら、床の照り返しを受けて面に凄みを漂わせます。ここ地謡がじっくりと謡うクセの詞章は桂子の心象を描いて泣かせるものがありますので、少し長く引用してみます。

桂子思ふやう、もとよりも頼まれぬ二道なればこのままに、在り果つべしと思ひきや、その上何事も、時に従ふ世の習ひ、殊更春の頃なれば、盛りなる桜子に、移る人をば恨むまじ、我は花なき桂子の、身を知れば春ながら秋にならんも理や。
さる程に起きもせず、寝もせで夜半を明かしては、春のものとて長雨降る、夕暮れに立ち出でて、入相もつくづくと、南は香具山や、西は畝傍の山に咲く、桜子の里見れば、外目も花やかに羨ましくぞ覚ゆる。

桜子の里を見やるときに腰を浮かせて目付柱をじっと見込んだシテは生きてよも、明日まで人の辛からじと入水を決意。立ち上がって桂子が池に身を投げる様をがくっと腰を落として一回転する所作で再現したところで、シテは現在に戻ってワキに向かって下居するとわらはをも名帳に入れて賜はり候へと頼んで自らを桂子と名乗ります。驚きつつも念仏を勧めるワキと共に合掌して南無阿弥陀仏の十念を唱えたシテは、再び立ち上がって後ろずさりに下がり、常座で再度、池水の底に消える様を示してから、寂しい笛の音を聴きつつ橋掛リを下がっていきました。

中入のアイ語りは、三山を巡っているはずのワキがまだそこにいることに驚いたアイによる三山にまつわる一男二女の逸話語りで、 桂子の身投げを聞いた膳公成はショックを受けて桜子のもとにも通わなくなってしまったとのこと。

ワキとワキツレの美しい待謡の中で夜も更けるにつれ嵐烈しい気色となってきたことが謡われて、厳しい笛から強い大小の掛合いによる一声となり、揚幕がさっと開くとツレ・桜子(浅見慈一師)が驚く程の早足で一ノ松まで飛び出してきました。面は小面、一筋の黒髪を面の横に垂らし、金の格子縞に桜文様の唐織を肩脱ぎにして桜の枝を肩に担ぎ、耳成山(桂子)が起こす嵐のために心乱されて現れたことを告げると因果の花に憑き祟る、嵐を退けて賜び給へと高く震える声で訴えます。するとその後を追うように濃く暗い色合いの唐織をやはり肩脱ぎにして桂の枝を肩にした後シテ・桂子が揚幕の前に姿を現しました。血の気のまるでない真っ白な怖い表情の桂女面に黒髪を左右二筋垂らしてあら羨ましの桜子や、また花の春になるよなう、忘れて年を経しものを、見よかし顔に桜子の、花の外目も妬ましやと舞台に逃げた桜子を睨みつけます。「羨まし」が「妬まし」に変わってしまっている、この恐るべき妄執……。

シテと地謡が桂子の恨み節を掛合いで謡った後にカケリとなり、桂子は桜子を足拍子で威嚇すると回って手にした桂の枝で桜子を打ち、たまらず桜子が下居してシオリとなったところでワキが「その執心を捨てて成仏しなさい」と割って入りました。しかし嫉妬の念に捉えられてしまっている桂子は桜子の華やかさを非難。これに桜子が立って季節に花を咲かせるのは当然ではないかと抗弁すると、花は物を言わないというのになぜ反論するのかとやりこめます。桜子の花の季節は春限り、しかし花は散っても春は毎年巡ってくる、また花の咲くぞや、また花の咲くぞや、見れば外目も妬ましきと狂乱の態となった桂子は何度も憤怒の足拍子を踏むと桂の枝を構えました。耳成の山風、松風春風も、吹き寄せて吹き寄せて、雪と散れ桜子、雲となれ桜子、花は根に帰れと枝を振り、ついに後妻うわなり打ちを始めます。舞台中央で向き合った桂子と桜子は、それぞれの枝を打ち合わせて立ち回り。これが歌舞伎なら様式的なツケ打ちが入るところですが、眼前の立ち回りはお互いの存在を賭けた必死なもので、軽薄なツケ打ちなど受け付けるものではありません。引用することも憚られる程に口汚く桜子を罵りながら桂子は、足拍子を鳴らし、枝で打ち、桜子を圧倒します。

とうとう枝を打ち落とされた桜子がシオる姿を見せたところで、唐突に静寂が訪れました。おもむろに地謡が因果の報いはこれまでなりと空気を変えると桂子も桂の枝(=妄執の象徴)を捨て、正中に立った桜子の右後ろに静かに立って桜子の肩に手をかけました。恨みも解けた二人は、ほのぼのと明けてくる飛鳥の里の美しい情景を謡う地謡のキリを聴きながら舞台を廻った後、まず桜子が橋掛リから揚幕へと姿を消し、ついで桂子も下がっていきましたが、三ノ松で桂子はワキの方を振り返り、おそらくは妄執を晴らしてくれたことへの感謝をその表情に示しつつ、後ろずさりに幕の中へ消えていきます。その姿をワキは脇座に立って見送り、ここで深い余韻の内に終曲となりました。

こちらは、三輪山の近くから望んだ大和盆地南部。遠くに二上山から葛城、金剛の山並み。そして手前には三山(右から耳成・畝傍・天香久山)。

配役

狂言(大蔵流)「二千石」 シテ・主人 善竹十郎
アド・太郎冠者 大藏吉次郎
 
能(観世流)「三山」 前シテ・女
後シテ・桂子
浅井文義
ツレ・桜子 浅見慈一
ワキ・良忍上人 殿田謙吉
ワキツレ・従僧 大日向寛
ワキツレ・従僧 則久英志
アイ・所の者 善竹富太郎
主後見 観世銕之丞
地頭 野村四郎
寺井宏明
小鼓 成田達志
大鼓 國川純

あらすじ

二千石

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三山

京都大原の良忍上人が、大和国耳成山の麓で所の者から、香具山・耳成山・畝傍山を三山と呼ぶと教わる。そこに一人の女が現れ、香具山は男、耳成山と畝傍山は女と教え、昔、香具山に住む膳公成が、畝傍山に住む桜子と、耳成山に住む桂子の二道に通っていたが、華やかな桜子を公成が選んだために桂子がこの池に身を投げた、と語りその身も池に消え失せる。夜もすがら上人が回向をしていると、桜子の幽霊が現れ成仏を望む。そこに桂子の幽霊が現れ、花の咲く桜の華やかさに花の咲かぬ桂が負けたと桜子に後妻打ちをするが、上人の回向により因果の恨みも晴れ、二人の姿は飛鳥川に夢と消える。