茶壺 / 俊寛

2014/05/16

国立能楽堂の定例公演で、狂言「茶壺」と能「俊寛」。どちらも以前観たことがある演目です。

この日の座席は、正面2列目1番。目付柱が少々邪魔ですが、舞台上の動きが間近に見られる席でした。

茶壺

以前観たのは2011年のことで、そのときも今日も和泉流です。主人の命を受けて京都栂尾に茶を買い出しに行っていた使いの者(井上松次郎師)と、その茶壷を我がものにしようとするすっぱ(佐藤融師)、そして二人を仲裁する目代(佐藤友彦師)のやりとりが楽しい曲で、最後は目代にしてやられた二人が茶壷を抱えて逃げる目代を「返して下され」と追いかけて消えてゆくことになるのですが、どうもこの日は堂々たる巨躯で園所(茶園の名)・入日記(製茶師の名が記された証明書)をおおらかに舞い謡ったアドの井上松次郎師の美声が際立っていたように思います。もちろん、相舞になってからのシテ・佐藤融師の絶妙なしどろもどろ振りにも大いに笑わされましたが。

俊寛

こちらは2010年に観ていますが、そのときは観世流。そしてこの日は、金春流。

美しい音色の名ノリ笛と共に登場したワキ・赦免使の福王茂十郎師は、以前観たときの能楽界きってのイケメン・福王和幸師とは異なって重厚なお顔立ち。謡の声も深く朗々と響いて、これまた重厚です。赦免の使いを承ることになった旨を述べると、アイ・船頭(野村又三郎師!)を呼び出して舟の用意を命じ、退出します。

ヒシギから次第の囃子となって、ツレの丹波少将成経(山井綱雄師)・平判官康頼(山中一馬師)の登場となりますが、茶の水衣に角帽子姿の康頼に対して成経の方は烏帽子を戴き、灰緑色の長絹に白大口と流人の身にしては場違いな程に華麗な出立ちです。山井綱雄師のブログによればこれは金春流の流儀だそうで、島流しにあっても、意地で、都と変わらない格好をしているのだという教えによるものだそう。

神を硫黄が島なれば、願ひも三つの山ならんとの次第を地取が冥界からの呼び掛けの如くに繰り返し、やがて一声、そして黒頭、光沢のある黒い絓水衣、専用面「俊寛」を掛けたシテ(本田光洋師)の登場。島の清水を酒に見立てて酌み交わす場面では、地謡を聴きながらシテはあら恋しの昔や、思ひ出は何につけてもで着座しつつ左手を右腕に添えてじっと舞台の床を見つめ内省的な姿を示し、都にあったときを振り返って法勝寺法成寺ただ喜見城の春の花と懐かしむときはやや顔を上げて遠い目。それにひきかえて……と今の境遇を嘆くところでは立ち上がって現実を直視しようとしたものの、その悲惨に負けて後ろずさり着座してモロシオリといった具合に、シテの心象が実にリアルに表現されていました。

一声の囃子からアイとワキが再び登場し、いよいよ愁嘆場となりますが、康頼が読む赦免状の中に成経・康頼の名はあっても自分の名が無いためにあら不思議や、何とて俊寛をば読み落とされて候ぞと咎める表現はむしろ抑制的に感じました。しかし、ワキからも自分は二人だけを連れ帰るように命じられていると言われて自分の運命を知った俊寛は、なかば放心状態で地謡のクセを聞き、もしや礼紙に名前があるのでは?と赦免状をひっくり返し、しかしそこにも自分の名は無いことを確認してこは夢かさても夢ならば、覚めよ覚めよとうつつなき有様を示すところではさすがに立ち上がって抑えきれぬ心の動揺のままに両手をはたはたと大きく振ると、正中に座り込んでモロシオリとなりました。そうこうする内にも出舟の時刻となり、無慈悲なワキが急かす声に成経・康頼がそそくさと一ノ松の舟へ移動すると、シテは舟の艫綱にすがりつくのですが、ここでは艫綱は実際には無く、シテが引く仕草、ワキが断ち切る仕草だけで示されていました。実際に綱が持ち出され、それが切られてシテがもんどりうつという演出ももちろんあるのですが、ここを仕草だけにとどめ、上述のように激情の表現も控えめであったのは、俊寛の内面にフォーカスするための演出上の意図があったのかも知れません。

橋掛リに浮かぶ舟から俊寛を励ます声は、康頼・成経の二人のもの(ワキは一切俊寛に声をかけようとはしませんでした)。その声が徐々に遠ざかり、正中に立ち尽くして右手を差し伸べて見送っていた俊寛の視界からやがてその姿も見えなくなって、なすすべもなく立ったままモロシオリの内に終曲となりました。

配役

狂言(和泉流)「茶壺」 シテ・すっぱ 佐藤融
アド・使いの者 井上松次郎
小アド・目代 佐藤友彦
 
能(金春流)「俊寛」 シテ・俊寛僧都 本田光洋
ツレ・丹波少将成経 山井綱雄
ツレ・平判官康頼 山中一馬
ワキ・赦免使 福王茂十郎
アイ・船頭 野村又三郎
主後見 櫻間金記
地頭 高橋汎
藤田朝太郎
小鼓 幸清次郎
大鼓 亀井実

あらすじ

茶壺

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俊寛

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