ターナー展

2013/11/17

夜に友人たちとの飲み会が入っている日曜日、午前中にジムで脚力トレーニングをして、さて空いた時間はどうするかと考えて、上野へ絵を見に行くことにしました。お目当ては、東京都美術館で開催されている「ターナー展」です。

ターナーと言えば、自分の中ではなんとなく「蒸気で朦朧となったような絵」というのと「『坊ちゃん』の赤シャツ」というイメージなのですが、公式サイトを覗いてみると、実際はそれだけでもない様子。

すっかり秋の装いとなった上野公園を突っ切って、何度も足を運んでいる東京都美術館を目指しました。

風景画の可能性と、英国絵画の地位を飛躍的に高めたターナーは、その生涯を通じて自身の絵画表現を追求し続ける求道者でした。本展覧会は、世界最大のコレクションを誇るロンドンのテート美術館から、油彩画の名品30点以上に加え、水彩画、スケッチブックなど計約110点を展示し、その栄光の軌跡をたどります。

というのが公式サイトの謳い文句ですが、実際、ターナーは生涯に何度も画風を変えた画家であったようです。そのことを反映してか、展示の構成は次の通り10もの章に分かれています。

  1. 初期
  2. 「崇高」の追求
  3. 戦時下の牧歌的風景
  4. イタリア
  5. 英国における新たな平和
  6. 色彩と雰囲気をめぐる実験
  7. ヨーロッパ大陸への旅行
  8. ヴェネツィア
  9. 後期の海景画
  10. 晩年の作品

理髪店を営む父親のもとで幼少の頃から画才を発揮していたジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)は、14歳でロイヤル・アカデミーに入学を許されて腕を磨き、26歳で早くもロイヤル・アカデミーの正会員になるなど、早くのうちに名声を獲得していました。図版に載る解説を読むと、性格はかなり狷介で金への執着もひとかたならぬものがあったようですが、風景表現の可能性を追求し続けたその絵画は多彩な魅力に満ちています。

初期の作品群の中で、まず目を引いたのは《月光、ミルバンクより眺めた習作》(1797年)で、夜のテムズ川の彼方に低く月がかかり、その光彩が川面にもかすかに反映している様子がとても幻想的です。また、30歳頃の作品である《ディドとアエネアス》(1805-06年頃?)は近景に狩りに出るカルタゴの女王ディドとトロイアの英雄アエネアス一行を、遠景にカルタゴ市街を描き、その向こうに雄大な空が広がる構図ですが、若い頃に建築素描の修行を積んだターナーの建築物描写は極めて的確かつ魅力的で、古代建築の存在感が余すところなく描かれています。ターナーはまた、海と船を描く腕も確かで、《スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船》(1808年)では帆船の複雑な構造とダイナミックな波や雲の動きが写し取られています。

他にも海景を描いた作品は生涯にわたり何点もありましたが、展示は引き続いてイタリアへ。ターナーが実際にイタリアに旅立ったのは44歳と遅かったのですが、画家にとって大きな転機になったようです。《ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ》(1820年)は、幅3mにもわたる大作。展示場の中でも、ひときわ強い存在感を示していました。

中央に描かれているのは、本来は右端の台座に大理石の彫像として納まっているはずのラファエロで、その周囲の様々な美術品はラファエロの多才を象徴し、同時にターナー自身がラファエロの衣鉢を継ぐ者であることを示そうとする意図もこめられています。しかし、このコーナーで最も心惹かれたのは二度目のイタリア滞在中に描かれたという《レグルス》(1828年)でした。

第一次ポエニ戦争でカルタゴの捕虜となった将軍レグルスは、暗い地下牢に閉じ込められ瞼を切り取られてから陽光の下に引きずり出されて失明します。この絵は、瞬きできないレグルスが失明直前に見た最後の光景を描いたもので、絵の中心の白熱の太陽から溢れ出る強い光はこの世の終わりすら思わせる力を感じさせます。

《チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア》(1832年)は、バイロンの物語詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』に題材をとったもの。しかし日本人なら、夏目漱石『坊ちゃん』の次の一節を思い出すでしょう。

赤シャツあの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね
野だいこ全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ

ターナーの重要な功績のひとつに、水彩の分野での革新があげられます。《スカボロー(版画集「イングランドの港」のための原画)》(1825年頃)には新旧の建築物、小型の帆船といったおなじみの主題と共に活発に活動する人々の姿も巧みに描かれており、これらの水彩画を原画とする版画集も人気を集めたそうです。

来ました!これこそターナー。あらゆるフォルムがウェットな空気の中にぼんやりと溶け込んだような《湖に沈む夕陽》(1840−45年頃)。しかし、実はこれは完成作ではない模様。当時、ロイヤル・アカデミーでは作品がいったん壁に掛けられた後に3日間ほどかけて仕上げの手を入れることが許されており、ターナーは自分の作品の周囲に掛けられる他の画家の作品を見回してから自作が最も目立つものとなるように明るい色彩を加えたり具体的な形象を浮かび上がらせたりしたという逸話が残っています。このためにターナーの死後、そのアトリエには大量の「完成一歩手前」の作品が残されたそうです。

あまりに黄色を好むので「からしの壷を偏愛しているのだろう」と揶揄されたというターナーが、黒を基調に描いた《平和―水葬》(1842年)。同時代の画家サー・デイヴィッド・ウィルキーのジブラルタルでの水葬の模様を描いたこの絵の黒さが不自然ではないかという指摘に対してターナーは「もっと黒くできる絵具があればなおよかった」と答えたそうですが、自身の末期を意識したターナーは前景を飛ぶマガモ(mallard=ターナーのミドルネームmallordの洒落)に自分を託して同僚の死を悼んだのだそうです。

ターナーの画業をまとまったかたちで見ることができたこの展示は、画風の多彩さに触れることができた以上に、ターナーの生涯とその複雑な人間性を知る機会ともなって、駆け足ながら有意義な鑑賞となりました。

閉館間際の美術館を後にして、上野から大宮へ移動。ドイツから一時的に里帰りしているピアノ調律師ありか先生と、デチ・まっきーコンビとの飲み会でした。楽しいひと時でしたが、上のフローズンビールの泡の形状がターナーっぽい……というのはかなり無理がありそう?