邯鄲

2013/08/22

国立能楽堂で、能「邯鄲」。この日は「働く貴方に贈る」と題して遅めの19時スタートでした。

この時刻にしてすっかり暗くなった国立能楽堂を見ると、夏も終わりに近づいていることを実感します。

この日は最初に、才媛アナウンサーの八塩圭子さんとおなじみ林望先生との対談がありました。八塩さんが「自分が出演するはずの生放送番組を自宅のTVで『あっ、始まっちゃった!』と見てあせる」という悪夢の話をして見所を笑わせた後、林先生が「邯鄲」を解説。原典にあたる『枕中記』やこれを引いたと思われる『太平記』が、立身出世を願っていた主人公が夢の後に無常観にとらわれて隠遁するという話なのに対して、能「邯鄲」では主人公は最初から自分探しの途上。そこから、夢の奇瑞譚ではなくもっと哲学的な内容を伝えることを眼目としていることがわかるという説明がなされました。今こうして能舞台を観ている我々も、もしかすると幸せな夢の中にいるのかもしれませんね、というのがオチ。

邯鄲

囃子方 / 地謡がそれぞれの場所に収まった後、後見が一畳台を持ち込んで脇座へ置き、折り畳みの柱を立てて屋根を高く掲げ、引立大宮が立ち上がりました。続いて、足袋の音をきゅっきゅと鳴らしながら丸紋縫箔の上に側次を着て唐風のアイ / 宿の女主人(山本則重師)が登場。狂言口開にて、邯鄲の枕の謂れを述べると、手にしていた金色の直方体=枕を一畳台の上に置いて、地謡の前あたりに着座しました。

澄み渡る笛とぴったり息の合った大小鼓による次第の囃子に呼び出されて、シテ / 盧生(梅若紀彰師)が登場。黒頭に煌びやかな法被・半切の出立、手には唐団扇、面はもちろん「邯鄲男」です。シテは、次第浮世の旅に迷ひ来て夢路をいつと定めんを一ノ松で向こう向きに謡った後、見所へ向き直って、これまでただぼんやりと過ごしてきたが、蘇の国の羊飛山に尊い高僧がいると聞いたので、いかに生きるべきかということ(身の一大事)を尋ねたいと思って旅をしていると語りました。道行、着キゼリフとなって邯鄲の里に旅宿をとろうとするシテは、一ノ松で歩行の態を示してから舞台に向かって案内を乞い、これに応えてアイが脇正に立って、一ノ松のシテとの問答になったので、この演出では舞台全体が宿に見立てられていることがわかります。宿を借りることになったシテは、一ノ松で後見の手により掛絡(略式の袈裟)を首から下げてから常座に入り、アイの勧めに応じて床几に掛けました。アイの問いに応えてシテが旅の理由を話すと、アイはそれならと粟の食事を作る間に邯鄲の枕を使って一睡することを勧めます。アイが幕に向かって食事を作るよう命じてから狂言座へ着座する間に、シテは一畳台の上に乗ってなるほどこれが件の枕かとしげしげと眺め、地謡が謡を引き取っている間にごろりと横になりました。そこへ、タイミングよく入ってきていたワキ / 勅使(宝生欣哉師)が扇で一畳台をぱんぱん!と二度叩いて、ここから夢の世界へ移り進みます。

起き上がって胡坐を組んだシテに、正中で平伏したワキは楚国の帝位が譲られたことを告げました。なぜ自分が?と訝しむシテ、理由を問う必要はないから早く輿に乗りなさいと問答無用のワキ。一畳台を下りたシテが正中に立つと(このとき、後見が枕を片付けます)、ワキツレ二人が輿の天蓋の作リ物をその頭上に掲げ、地謡が玉の御輿に法の道、栄華の花も一時の、夢とは白雲の上人となるぞ不思議なると意味深に謡ううちにそこは楚の国の宮廷となって、役割を終えたワキツレが退場すると太鼓が入り力強い真ノ来序の囃子となります。この間に子方 / 舞童とワキツレ / 大臣三人が登場して脇正に居並ぶ一方、シテは一畳台=宮殿に戻って後見の手によって掛絡をとり着座、ワキは切戸口から退場します。ありがたの気色やなから地謡が詞章を尽くして囃子方と競い合うように光り輝く宮廷の壮麗さを讃え、東西の銀の山・金の山が「春秋富」の詩の世界を再現するさまを謡うと、大臣の一人が正中に平伏し、既に即位後50年が経過していること、さらに仙境の酒を飲めば齢一千歳まで寿命を保つであろうと言上。舞童の扇に酒を注ぎ、舞童はシテの前に進んでシテは唐団扇で酒を受けました。

ここから舞童の舞になりますが、この日の子方(小田切春璃さん・2001年生)はプロゴルファーの横峯さくらさん似のすらっとした美少女で、緊張した様子も見られたものの、唐織壷折姿も美しく華やかに舞いました。この間に右肩を脱いだシテは、舞童の舞が終わると共に一畳台の上に立ち上がり、〈楽〉を舞い始めます。一畳台の上は広壮な宮殿の中、したがってゆったり大きく舞いながらも柱に当たってはいけないのですが、シテは台の大きさをぎりぎりに使い、袖を巻いたり唐団扇を順手から逆手に持ち替えながら振るいつつも、決して破綻を見せません。ところが、三段目で突如左足をはずして床に落とし、すぐに台の上に戻ると右足を上げ片足立ちであたりを見回す型。「空下リ」と呼ばれるこの独特な型が何を示しているのか不明ですが、しばし後ろ向きに座り込んで静止していたシテは、やがて一畳台の手前を回り込んできて舞台の中央に進み、それまでの制約から解き放たれたかのような大きな舞を舞い始めました。この日は小書《盤渉》により笛の音も一段と高く、囃子方の演奏はどこまでも強くなっていきます。地謡とシテが掛け合う詞章も夜かと思えば昼になり、昼かと思えば月またさやけしと時の進みがどんどん加速してゆくさまを描き、すべてが高揚の絶頂へと向かう内にシテは二ノ松へ向かって、そこで下居。すると、地謡の詞章は一転してかくて時過ぎ頃去れば、五十年の栄華も尽きて、真は夢のうちなれば、皆消え消えと失せ果てて、ありつる邯鄲の枕の上に眠りの夢はさめにけり。この詞章が謡われる内に、次のことが同時に行われます。

そして、シテの後を追って狂言座から舞台へ戻っていたアイはさめにけりを聞くや否や手にした扇で一畳台をぱんぱん!と二度叩くと、囃子方も地謡も一瞬の内に沈黙に沈んで、舞台上は完全な静寂が支配。

アイのいかにお旅人、粟のお台が出で来て候という冷え冷えとした呼び掛けに、しばらくは身じろぎもできずにシテは一畳台の上に横たわったままでしたが、やがて夢覚めて茫然と起き上がります。アイも下がってただ一人舞台上に取り残されたシテは、女御更衣の声は松風、宮殿楼閣は仮の宿、そして五十年の栄華は粟飯を炊くほんのわずかの間のことであったことを知り、空しい面持ちで台から下りましたが、ふと気づいて正中に留まり、よくよく思へば出離を求むる、知識はこの枕なり、げにありがたやと枕に向かって膝をつきます。詞章の最後は夢の世ぞと悟り得て、望みかなへて帰りけり。シテは静かに橋掛リを目指し、大小が留めて終曲となりました。

いや、心底驚きました。これだけダイナミックな静と動の対比を能舞台の上で観せてくれた曲は、これまで経験がありません。夢の前・中・後という三つの場面の転換も鮮やかですし、舞童の舞も華やかなら、楽の中でもシテが一畳台の上から舞台上へ出てきたときの解放感が見事。地謡・囃子方のフォルテシモから、夢からの目覚めと共に一転して無音が舞台上を支配した瞬間は、鳥肌ものでした。また他流では、シテが一畳台に戻るときに遠くから飛んで空中で横臥し台上に落ちるという型もあるそうですから、これも観てみたいものです。

そんなわけで、この「邯鄲」はぜひ再び観たいと思うのですが、それにしても不気味であったのは、舞台上で栄耀栄華を極めるシテの姿を、狂言座でじっと見ていたアイの存在。釣り上がった両目は宙を見据えて気配を消しているようにも見えましたが、一方で、シテの人生のすべてを最初から見通していたかのような存在感もありました。これもまた作者(世阿弥とする説あり)の作劇意図に含まれていたのかどうか、次に「邯鄲」を観るときは、そこも確かめてみたいと思います。

配役

能(観世流)「邯鄲 盤渉 シテ / 盧生 梅若紀彰
子方 / 舞童 小田切春璃
ワキ / 勅使 宝生欣哉
ワキツレ / 大臣 殿田謙吉
ワキツレ / 大臣 大日方寛
ワキツレ / 大臣 御厨誠吾
ワキツレ / 輿舁 舘田善博
ワキツレ / 輿舁 森常太郎
アイ / 宿の女主人 山本則重
竹市学
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 亀井広忠
太鼓 観世元伯
主後見 小田切康陽
地頭 清水寛二

あらすじ

邯鄲

日々漠然と過ごしていた蜀の盧生は、思い立って高僧に生きる道を尋ねるために楚国の羊飛山へ向かう途次、邯鄲の里の女主人が営む宿に投宿する。女主人の勧めるまま、盧生は粟が炊き上がるまでの一時、邯鄲の枕にまどろむ。すると、夢の中で盧生は勅使に迎えられ、楚王となり栄華を極める。そして五十年がたち、祝いの宴が開かれて臣下が仙家の酒と盃を用意し、童が舞う。帝王・盧生も自ら舞い興じるが、やがて夢は果てて、そこには粟が炊き上がったことを告げるために盧生を起こす女主人がいた。夢はわずか粟が炊き上がるまでの寸時のできごとだった。盧生は何事も万事「夢の世」と悟り、枕に謝して帰ってゆく。