雁大名 / 花筐

2012/10/19

国立能楽堂の定例公演で、狂言「雁大名」と能「花筐」。今月の公演には、『古事記千三百年にちなんで』という副題がついており、国生み神話を描く「淡路」、出雲大社の謂れが語られる「大社」、そして継体天皇が登場する「花筐」がセレクトされています。もともと申楽自体が、天照大神の岩戸隠れの際の天鈿女の神懸りの舞に由来するとされているそう。

雁大名

訴訟がうまくまとまり所領に帰ることになった大名。都で世話になった人々を招いて宴を催そうと太郎冠者に肴を買いに行かせたところ、太郎冠者は肴屋町で見事な初雁を見つけましたが、お金がないので買えません。戻ってきた太郎冠者はその旨を復命するものの、大名も長い都滞在で既に文無し状態。しかも客に案内状を出してしまった後という話に太郎冠者は頭を抱えるのですが、ここから太郎冠者が一計を案じ、大名もその策に乗ることに。いかめしかった大名が、雁をせしめるために太郎冠者と同レベルの小悪党になって生真面目な店主の前でひと芝居を打つその砕けぶりが、店先でわざと使う「がいに高い」などの方言にも現れて、笑えます。しかも、まんまと雁をせしめた太郎冠者と後で落ち合った大名は、自分も国元への土産にしようと袱紗を盗んでいたことを太郎冠者に見られていて、二人で戦利品を前に大笑い。しかし、最後に大名は元の威厳ある声色に戻って「急いで(雁の)毛を引け」と太郎冠者に命じて終わります。雁は大羽箒で示され、シテ / 大名は石田幸雄師、知恵者の太郎冠者は野村萬斎師、ちょっと気の毒な店主は野村万作師。

花筐

世阿弥作の狂女物。シテ / 照日の前を寵愛していた男大迹辺おおあとめの皇子は即位して継体天皇となった人物で、武烈天皇崩御後の混乱の中で越前から畿内に進出し実力で皇位を継いだともされている人物。しかし本曲では、即位がかなった理由を天照大御神への篤い信心に求めています。

無音の内にワキツレ / 使者が現れて、皇子が皇位を継ぐことになったため照日の前に玉章(文)と花筐を届けることになった旨を告げると、そこへシテ / 照日の前(武田孝史師)が紅入唐織着流姿で登場(面は節木増)。使者が幕の前でシテへ文と銀色の皿に吊り柄がついたような花筐を渡すと、シテは皇子の即位を言祝ぎながらも別れの名残惜しさにシオリ、舞台中央へ進んで正中に下居、文を読みました。シテの武田孝史師はよく通る美声で、立ち姿も美しく、唐織の文様の斜めのラインがすっきりとした印象を与えます。そして、文の最後のめぐり逢ふべき月影を秋のたのみに残すなり / 頼めただ袖ふれ馴れし月影の しばし雲居にへだてありともと再会を期待させる歌が読み上げられたところで静かに鼓と笛が演奏を始め、シテのつらい心境を地謡が御花筐玉章を抱きて里に帰りけりと謡ううちにシテは花筐をじっと見込み、ここで中入となりました。

ここまでが、いわばプロローグ。狂女物でこのように短い前場を置く丁寧な作りは、たとえば「班女」などが同様です。

ヒシギから次第の囃子になって、ノーブルな初冠に薄紫の直垂を着た子方、ワキツレ / 輿舁二人、そしてキンキラの法被に白大口のワキ / 臣下(福王和幸師)が登場。次第の謡は君の恵みも高照らす紅葉の御幸早めんとあって、季節は再会を予告した秋であることがわかります。子方が脇座でミニ床几に着き、ワキツレ二人は切戸口から消えたところで、一声。ここで登場したツレ / 侍女(大友順師。面は小面)とシテは共に唐織の右袖を脱いだ姿で、ツレは右肩にかけた柄の先に空の花筐を下げ、シテも狂女のトレードマークである狂い笹を持ってはおらず(脱下げ姿だからこれでOK)、その代わりに手に扇を持っていました。皇子と別れた悲しみから物狂いとなったシテは、雁が南へと渡る季節に都をさして越の国からやってきたのです。舞台に進んで、雁に向かって我をも共に(都へ)つれてゆけと謡う地謡を聞きながら足拍子を踏むと、狂おしく舞台を回るカケリ。

野山に日を暮しながらのつらい道行の後に玉穂の宮に着いたことが謡われたところで、紅葉の御幸の前を清めるワキが橋掛リから常座へ進んできたツレを見咎めて狂女と見えて見苦しやと上から袖で払うと、ツレの手から花筐が音を立てて舞台上に打ち落とされました。これを見て何と君の御花筐を打ち落とされたるとや、あらいまいましの御事や候と舞台に入ってきたシテと「君の御花筐」という言葉を聞き咎めたワキとの緊迫した問答の後に、地謡が尊い花筐を乱暴に扱うことを戒め、転じてその花筐をくれた皇子を恋しく想い続ける心の乱れを謡ううちに、シテがあるいは力強くあるいは優美に、そしてあるいは詞章(たとえば水の月を望む)を写実的に模する舞を舞う「筐之段」。

さらに、ワキの求めに応じて御前に舞い狂うこととなったシテは、一噌仙幸師が澄んだ音色で高く低く奏する笛に乗って舞台をゆっくり回る(イロエ)と、大小の前で右足に重心を置き左足を軽く浮かせて左右を見る型。そのまま、武帝が先立った李夫人を偲んで反魂香を焚くと李夫人の姿がおぼろに見えたという故事を織り込んだ観阿弥作の謡い物「李夫人の曲舞」をクセとしてゆったりと舞う内に、武帝の嘆きはシテの悲しみへと同化していきます。このあたり、シテの舞と囃子方、地謡の緩急とが渾然一体となって、観ている方もすっかり舞台に感情移入してしまいました。

ここでついにワキが花筐を受け取って子方に見せ、シテがかつて親しんだ照日の前であることを認めて狂気を止めよ故の如く、召し使はんと宣旨があり、ハッピーエンドの大団円へ。恋しい人の手なれた物を「形見」と名付けるようになったのはこれが始まりであるといった掛け合いの謡があり、アップテンポな地謡の内に子方とワキが去った後、舞台に残ったシテは角から常座で回って、留拍子を踏みました。

「筐之段」と「李夫人の曲舞」という二つの場面を見どころとして、とにかくシテの謡と舞、それに立ち姿が美しく、囃子方と地謡もシテの感情の揺らぎを存分に謡い上げて、見ごたえ聴きごたえのある舞台でした。もっとも、世阿弥がなぜ継体天皇という一風変わった存在をこの曲の主人公としてとりあげたのかは、最後まで謎のままでしたが……。

配役

狂言(和泉流)「雁大名」 シテ / 大名 石田幸雄
アド / 太郎冠者 野村萬斎
小アド / 雁屋 野村万作
能(宝生流)「花筐」 シテ / 照日の前 武田孝史
ツレ / 侍女 大友順
子方 / 継体天皇 水上達
ワキ / 臣下 福王和幸
ワキツレ / 使者 喜多雅人
ワキツレ / 輿舁 村瀨提
ワキツレ / 輿舁 村瀨慧
一噌仙幸
小鼓 幸清次郎
大鼓 佃良勝
主後見 宝生和英
地頭 朝倉俊樹

あらすじ

雁大名

訴訟のために長く京に滞在していた遠国の大名が、勝訴して近く国へ帰ることになった。そこで太郎冠者を呼び、酒宴のために肴を買って来いと言いつける。太郎冠者は肴屋町で見事な初雁を見つけるが、現金払いを求められ、雁をとっておいてくれといって取って返す。ところが大名にはもう金がなく、しかも酒宴の客に案内を出してしまっていた。太郎冠者は頭を抱えるが、一計を案じて大名と示し合わせる。大名が店先で店主に雁を買うというところへやってきた太郎冠者が、先に買ったのは自分だといって喧嘩を始め、太刀を抜いた大名に店主があわてて仲裁に入る隙に太郎冠者はまんまと雁を盗み、大名も袱紗を盗んで逃げる。

花筐

大迹皇子は皇位継承の為に上洛することとなり、寵愛している照日の前へ文と花筐を使者を遣って届ける。照日の前は別れを悲しみつつ文と花筐を抱いて里へと帰る。即位して継体天皇となった皇子は、紅葉の御幸に出かけた折、そこへ物狂となって侍女とともに都へと後を慕って来た照日の前と行き合う。官人が侍女が持つ花筐を打ち落とすと、照日の前は花筐の由緒を語って官人を非難し別れの悲しさに泣き伏すが、継体天皇はその花筐をみて確かに照日の前に与えた物だとわかり、照日の前を再び召して都へと伴っていく。