俊寛 / 文山賊 / 葛城 / 熊坂

2011/12/04

観世能楽堂で、観世会定期能。番組は次の通り。

  • 能「俊寛」
  • 狂言「文山賊」
  • 能「葛城」
  • 仕舞四番
  • 能「熊坂」

二日続きの観能は、さすがに疲れます。しかもこの日は、11時から16時までの長丁場。

俊寛

歌舞伎でもおなじみの「俊寛」は、山本順之師のシテで昨年11月に観ていますが、今回は、観世宗家清和師が俊寛をどういう人物像で演じるかが、興味のポイントです。お調べがすんで、揚幕から出てきた囃子方の面々を見ると、昨日も国立能楽堂で「卒都婆小町」で小鼓を打っていた大倉源次郎師の顔。ご苦労さまです。

以下、前回観たときとの対比を中心にこの日の「俊寛」のポイントを列挙してみることにします。

  • ワキは今回もイケメンの福王和幸師でした。この人は「俊寛」にはつきものなのか?女性客は大喜びだと思いますけど。
  • ツレの二人のユニゾンによる次第〜サシ〜上歌は、ぴったり息が合って耳に心地よいものでした。
  • シテは前回は角帽子でしたが、今回は黒頭。そして一ノ松からの一声は、意外に力強い響きをもっていました。
  • 水を酒と見立てて後の上歌にもいくつかのポイントがあり、あら恋しの昔やでは常座に立ち尽くしてじっと正面の床を見つめ物思いにふける風、五衰滅色の秋なれやに続く落つるで一瞬地謡がテンポアップし、シテはすっと前へ出て扇を構えました。
  • ワキが再び登場し、赦免状を読んで俊寛の名前がないことを知ったシテは、動揺しているというよりは怒っているように聞こえました。続いてこは如何に罪も同じ罪、配所も同じ配所……と抗議する声も最初は怒りに満ちていたものが、徐々に声が上ずり涙が混じり、結局最後の果てなんこと如何にではシオリとなります。
  • 有名な時を感じては花も涙をそそぎ、別れを恨みては鳥も心を動かせりに始まるクセは、地謡が極めてゆっくりとシテの心情を謡い、シテはこれをじっと受け止めていましたが、せめて思ひの余りにやと赦免状をゆっくりとり上げて左右に首を振って眺めるうちに地謡はテンポアップ。赦免状をひっくり返して見始めたときには「本当に自分の名前はないのか?」と肩に力が入っている様子が窺われ、ついに赦免状を畳んで思い切り右膝を手で叩くと立ち上がり、正先へ。両手を大きく二度開いて激情を示しましたが、ふと赦免状を取り落とすとよろよろと下がって着座、モロジオリ。
  • 赦免船に乗ろうとする康頼にすがりつくシテは、前回は袖をとるだけでしたが、今回は両手で後ろからがばっと左肩を押さえて力強く引き止めます。
  • 前回は纜は「あるつもり」の演出でしたが、今回は実際に赦免船の作リ物に黒々とした綱が結わえられており、シテとの綱引きになった後にワキが断ち切るとシテはもんどりうって中央に安座。そして切り離された纜の端は見事に放物線を描いて地謡の前に落ちました。
  • 遠ざかる船の上からワキやツレたちの声が単調に響いてくる中、シテは音を泣きさして聞き居たりで右手を上げ耳を傾ける形、さらに頼むぞよとの絶唱に続いて立ち上がったシテは頼もしくてと震える声を長く引きましたが、やがて揚幕へと消えてゆくワキ、ツレたちを常座に膝を突いて見送ると、そのまま正面へ向きを変えながら下居の形になって、静かに終曲。

こうしてみると、全体を通して俊寛は「気骨の人」であり、それだけに赦免状に名前がないことを直ちには納得できず悲嘆に暮れる人物として描かれている感じ。そのためかどうか、前回は舞台上に展開する俊寛の悲劇を一歩離れたところから見るような透徹した視点で描かれた舞台であった観があるのに対し、今回はあくまで俊寛その人の視点で運ばれたような気がしました。どちらがよいというのではなく、なるほど演者によってずいぶん違うものだなとあらためて感じ入った次第。

文山賊

弓矢を持った山賊と槍を構えた山賊がどたどたと走り込んできたものの、言葉の行き違いから獲物を逃がしてしまった様子。喧嘩を始めた二人は互いに打物を捨てて素手で組み合いますが、弓矢方が追い詰められるとそちらには荊があり、それは痛かろう、こちへこいと槍方。かたや槍方が追い詰められると後ろは崖で、それは危ない、こちへこいと今度は弓矢方。結局、見物人もいないのに死んでも犬死にだから、書き置きをしてからあらためて命のやりとりをしようということになったのですが、出来上がった書き置きを二人で声を合わせて読んでいるうちに後に残す家族が思いやられて二人は泣き出してしまいます。結局は、互いに了簡し合って仲直りし「犬死にせでぞ帰りける」。

追いはぎ家業の山賊とはいいながら、どこか人が良く間が抜けていて憎めない二人をユーモラスに描き、最後はめでたく謡って終わる短い曲ですが、冒頭の走り込みや、手紙の途中で「刀の柄に手を」でびくりと飛び退って腰の刀に手をかける一瞬の動作を、それも二人が完璧にシンクロして行うところに、狂言師の身体能力の真髄を垣間見た気がしました。

葛城

この「葛城」も国立能楽堂で2009年2月に観ており、このときは金剛流でシテは宇高通成師、《神楽》の小書つきでした。こちらも囃子方を見ると、やはり昨日「卒都婆小町」で大鼓を打っていた亀井忠雄師。ご苦労さまです……。

舞台上に白い幕に覆われ、雪を戴いた葛の葉を載せた作リ物が大小前に置かれると、なるほどこれは冬の曲だということがひしひしと伝わってきます。冷え冷えとした笛の音、はるばる羽黒山から葛城山へやってきたものの雪を避けようと岩陰に隠れるワキ(殿田謙吉師)・ワキツレに鏡ノ間から呼び掛けた前シテ(梅若玄祥師)は、白い水衣に白い雪綿で覆われた笠を戴き、背にも雪を乗せた柴、手に杖を持つ姿で登場し、滑るように橋掛リを進みながらワキたちとの対話を重ねます。柴の庵に着きにけりで常座に後ろ向きに下居すると、後見の手を借りて笠・柴・杖をはずし、楚樹しもとを手にとって大和舞の歌の謂れを説明しながらワキの前に火を熾すと、作リ物の前で足拍子を踏んだシテは扇を手にゆったりとクセ舞を舞いました。あの巨体にしてこの優美さは、不思議としか言いようがありません。シテに熾してもらった火に当たって身を休めたワキが後夜の勤めを始めようと言うと、シテは御勤めの序に祈り加持して賜はり候へと懇願。訝しむワキに、自らの正体をほのめかしてシテは中入り。作リ物の横(常座側)を後ろずさると、そこで一回りして作リ物の後ろへ消えました。

アイ/里人との問答からシテがかつて岩橋を架けられず役行者の呪縛を受けた葛城の神であることを知ったワキが待謡を謡い、脇座に立って数珠を正面へ捧げていると、出端の囃子と共に作リ物の中からシテの謡が聞こえてきて、やがて引廻し幕がはずされて現れた後シテの姿は、葛の鮮やかな紅葉をあしらった天冠を頭上に戴き、緋地に金文様の美しい舞衣、抹茶色の大口で、手には紙垂をつけた榊の枝。あの巨体にしてこの……〔以下略〕。

そしてこの日は小書《大和舞》により序ノ舞のかわりに神楽となり、シテは囃子に合わせて榊を振り、舞台を大きく廻って足拍子。月白く雪白く、いずれも白妙の景色の中で厳粛に舞われるこの神楽は、舞というより神事を見ているようですが、これは葛城山が天の岩戸のあるところと考えられていたことにも関わりがあるようです。しかし、神楽の高揚の中にふと自分の面貌の醜さを思い出した葛城の神は面なや面はゆやと袖で顔を覆ってしまい、さらに一ノ松へ下がって左袖を高々と巻き上げると、夜が明けぬ前にと橋掛リを下がってまっすぐ揚幕の中へ消えていきました。

最後の舞は、以前観た金剛流の《神楽》の方が複雑な所作や型を伴って華美でしたが、この日の《大和舞》も純粋に梅若玄祥師の舞の美しさに惚れ惚れさせられました。それにしてもあの……。

仕舞四番をはさんで、最後は「熊坂」。これは6月に観た「烏帽子折」と同じ主題を、ただし現在能ではなく複式夢幻能として構成したものです。

熊坂

次第の囃子に乗って登場したワキ/旅僧(山下浩一郎師)は、角帽子、グレーの熨斗目の上に茶の絓水衣。次第の謡は憂しとは言ひて捨つる身の、行方何とか定むらん。東国修行を思い立って都を出てきたワキは近江から美濃に入り、夕暮れの青野が原に着いたところで(ただしこの日のワキの道行はかなり簡略化されたものでした)鏡ノ間から声を掛けられます。出てきた前シテ/僧(武田尚浩師)の出立ちはワキとそっくり。ただし熨斗目と水衣の配色が逆になっていて、これはワキの姿を見たシテ(実は熊坂長範の幽霊)が似せて作ったものではないかと疑われるほど。さて、一ノ松に立ったシテから今日はさる者の命日にて候、弔ひて賜はり候へと頼まれたワキは、回向すべき相手の名がわからないことにとまどいながらもこれを受け入れてシテの庵室に入ります。正中に下居したシテに向かい合って脇座に下居するワキが、庵室に絵像木像の形もなく壁に大長刀をはじめ兵具がびっしり立て置かれているのを見て不審がるところ、シテはこのあたりに里人を狙う盗賊が出没するときは長刀を引っさげて行けば、ときには事が起こらずにすむこともある、これも慈悲心であると語った上で、長物語をしていると夜が明けるからお休みなさい、私も眠ることにしようと立ったとき、そのシテの姿も庵室も消えて、あたりは松の木蔭……と地謡が謡ううちにシテは中入していきました。

アイの赤坂の宿の者とワキの問答は、このあたりでかつて悪行をなし果てた者の仔細を語って聞かせてほしいとのワキの求めに、アイが熊坂長範という北国出での盗賊の出自を話し、「盗みほど面白きものはない」と各地で盗賊稼業を働いたものの、三條吉次という金商人を狙ったときに同行していた牛若に討たれてしまった経緯を語ります。そしてアイ「でもなんで?」ワキ「かくかくしかじか」アイ「それは熊坂長範の幽霊に違いない。弔ってあげなさい」。

アイの勧めに応え、ワキが夜を通して松の下で供養をしていると、笛が高く吹かれ、太鼓も入った出端の囃子となって、やがて揚幕が上がり後シテがしずしずと登場しました。その出立ちは、長範頭巾に長霊癋見の面、小書《替之形》により法被は着ておらず(裳着胴)シンプルな小袖姿で下はキンキラキンの半切。橋掛リを進むと、一ノ松で長刀を振るいながら執心のためにこうして姿を現した己のあさましさを謡い始めました。ワキが物語を求めると、常の演出では床几に掛けるところを正中に着座し、長刀は右へ。これも小書によるものですが、演じる者にとっては大きな違いだそうで、床几に掛けていると仕方語りの間ずっと長刀の重みを右手で支え続けなければならず、これがかなりの苦行なのだそう。ともあれ、三條吉次の荷を狙うことにした長範は、仲間を集めて赤坂の宿で三條吉次を襲うことにします。この語りの間、時折腰を浮かせたり膝を立てたり、きっとワキを向いたりはするものの、基本的にはずっと正中に安座したまま。しかし、ついに吉次の宿に踏み込む段になってシテは長刀を持って立ち上がると、松明を投げ込む所作、足拍子、そして長刀を構えて下から何度も薙ぎ上げます。ところが、吉次一行の内にあった十六七の小人=牛若に盗賊たちは次々に斬り伏せられ(というところを「烏帽子折」では大人数でリアルに再現しましたが、ここでは地謡とシテ一人の所作のみで描写)、盗みも命のありてこそ(この詞章も「烏帽子折」と共通)と長範もいったんは退却を考え常座で背を向けます。しかしこのとき熊坂思ふよう、自分が秘術を尽くして戦うならどのような鬼神であっても倒せるはず、討たれた者どもの弔いをしようと引き返します。ここは小書に従うならば橋掛リで演じられるところですが、この日の舞台では常座から目付柱に迫って長刀を構え、さらに正先に立って後ろ手の長刀を垂直に立て左手を前に(楯を構えるように)出す型となりました。この型は素晴らしく勇壮で、盗賊ながらも長範の討死を前にした気高い矜持を窺わせます。

長範の牛若との最期の戦いは、最高潮に高揚した地謡に乗ってシテが舞台狭しと激しく長刀を振るい、膝を突いたりその膝で進んだり。派手な飛び返りや飛安座こそありませんでしたが、延々と続く長刀での闘争にシテは相当に消耗しているはずです。さらに打物業では叶ふまじと長刀を橋掛リへ捨てた長範は大手を広げて組み打ちを挑みますが、身軽な牛若をどうしても捕まえることができぬうちに次第に力が弱まり、とうとう座り込んでがっくりと面を伏せてしまいました。

ここで囃子方と地謡はもとの穏やかさを取り戻し、昔語りからワキの時制に戻ったシテは、一ノ松からワキを見やって自分の後の世を弔って助け賜び給へと頼むと夜も白々と赤坂の松蔭に隠れけりと一ノ松の陰に手をかざして下居。最後はそこに再び立って、留拍子を踏むことなく静かに終曲を迎えました。

この曲は作者名が不詳で、宮増作とする記述もあれば、金春禅竹作とする記述もあるようです。いずれにしても、後段の長範の物語と派手な一人立ち回りの面白みがこの曲の眼目ではあろうと思いますが、同時に、その必死の昔語りは旅僧の弔いによる成仏を願ってのことであり、そこに盗賊であっても救済の機会を与えようとする作者の心が感じられます。ただし、詞章はあくまで長範の助け賜び給へという悲痛な願いで終わっており、たとえば永遠に地獄の責め苦から逃れられないであろう「善知鳥」ほどには悲惨ではないにせよ、成仏をなし得たというハッピーエンドには「熊坂」は(まだ)なっていないのですが。

なお、附祝言は「尽きせぬ宿こそ、めでたけれ」。これはもちろん、前日に観た「猩々(乱)」です。

配役

能「俊寛」 シテ/俊寛 観世清和
ツレ/丹波少将成経 野村昌司
ツレ/平判官入道康頼 藤波重彦
ワキ/赦免使 福王和幸
アイ/船頭 高部恭史
寺井宏明
小鼓 大倉源次郎
大鼓 國川純
主後見 関根祥六
地頭 坂井音重
 
狂言「文山賊」 シテ/山賊 野村万蔵
アド/山賊 野村扇丞
 
能「葛城 大和舞 前シテ/里女
後シテ/葛城ノ神
梅若玄祥
ワキ/山伏 殿田謙吉
アイ/里人 野村扇丞
一噌庸二
小鼓 亀井俊一
大鼓 亀井忠雄
太鼓 金春國和
主後見 野村四郎
地頭 角寛次朗
 
仕舞 和布刈 木原康之
佛原 谷村一太郎
富士太鼓 武田志房
観世芳伸
 
能「熊坂 替之形 前シテ/僧
後シテ/熊坂長範
武田尚浩
ワキ/旅僧 梅村昌功
アイ/里人 山下浩一郎
藤田次郎
小鼓 森澤勇司
大鼓 佃良勝
太鼓 徳田宗久
主後見 観世恭秀
地頭 岡久広

あらすじ

俊寛

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文山賊

旅人を追ってきた山賊二人組が、言葉の意味を違えて逃してしまい、仲違いをして果たし合いとなる。誰にも知られずに死ぬのは犬死なので、書き置きをしようということになり、相談しながら文章を書き始める。書き上げて後、その文章を読み上げて行くうちに、女房や子供のことが思われ、感無量になった二人は仲直りをして、めでたく謡って帰路につく。

葛城

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熊坂

旅僧は美濃国・赤坂で、所の僧に弔いを頼まれ庵に導かれる。ところが仏具などはなく、武具ばかりが並べられているので、不審に思った旅僧が尋ねると、所の僧は旅人を守るためだと答える。いつしか庵も消えて、旅僧は野原にいることに気づく。その前に盗賊・熊坂長範が現われ、牛若丸に討たれた最期を語る。