卒都婆小町 / 文蔵 / 乱

2011/12/03

「ユネスコによる無形文化遺産 能楽」、略してユネスコ能の第四回公演として、能「卒都婆小町」、狂言「文蔵」、能「乱」を国立能楽堂で。

卒都婆小町

観阿弥の作。先日観た「通小町」と同じ四番目物で、題材も同じく小野小町と深草少将の百夜通いですが、「通小町」の小町が幽霊であるのに対して、こちらは老いてなお歳を重ねている小町が主人公。また深草少将の妄執と救済が主題である「通小町」に対して、「卒都婆小町」は前半の卒都婆問答と呼ばれる小町と高野山の僧との宗教問答と後半での深草少将の憑依による小町の物狂いが見どころとなっています。

まずはワキ / 高野山の僧(宝生閑師)とワキツレ / 従僧(宝生欣哉師)の二人が登場して、次第は山は浅きに隠處の、深きや心なるらん。都に向かう途中であることを述べ、何やら悟りすましたような会話を交わして、阿倍野への着キゼリフとなります。ついで極めて密やかな、ゆったりと低くうねるような習ノ次第が奏されるうちに、静かに幕が上がりました。たっぷりと間をとって、やがて女笠をかぶり姥面(恐らくは名のある優品なのでしょう)に暗く透けた水衣の老女姿のシテ / 小野小町(野村四郎師)はおもむろに橋掛リへ一歩を踏み出し、三ノ松で息を整える様を見せてから杖を突きつつゆっくりと橋掛リを進んで一ノ松で立ち止まり、笛の音が消え入ると共に鏡板に向かって次第身は浮草を誘ふ水、なきこそ悲しかりけれを謡います。声には力なく、手は震え、命の火が尽きかけているような姿で、かつての美貌にひきかえ今の老残の身を嘆いて都を出てきたことを謡い、笠に手をかけて遠くの舟を望むと、両手で杖にすがってあまりに苦しう候ほどに、これなる朽木に腰をかけて休まばやと思ひ候と笠をとって大鼓の右前(常座寄り)に出された床几に掛かりました。この床几が、卒都婆を意味するわけです。

ここで脇座に下居していたワキはシテが卒都婆に腰掛けていることを見咎め、立ち退かせようと立ち上がりました。ワキツレも共に立ち、脇座からぐるりとシテの後ろを回って目付近くに立ち、ワキと共にシテを挟撃する態勢。ここからワキ / ワキツレとシテとの「卒都婆問答」が始まります。ワキ / ワキツレはけしからぬシテを懲らしめようという勢いでしたが、シテは我も賤しき埋木なれども、心の花のまだあれば、手向けになどかならざらんと反撃。問い掛けるワキ / ワキツレに律儀に面を向けながらも徐々に若き頃の才知をほとばしらせ始めたシテはとても臥したるこの卒都婆、我も休むは苦しいかと逆ギレしてみせ、明鏡また台なしで杖を突き、ついにはげに本来一物なき時は仏も衆生も隔てなしと杖を斜めに構えてワキを見やると、恐れ入ったワキはたじたじと平伏。さらに追い討ちの戯れ歌極楽の内ならばこそ悪しからめ そとは(極楽の外は / 卒都婆は)何かは苦しかるべきを詠んだシテは、杖を持つ手に力をこめて立ち上がるとむつかしの僧の教化やと吐き捨てました。つ、強い。

ここでやり込められたワキがシテに名を問うと、シテは正中に下居して小野良実の娘小野の小町がなれる果てにてさむらふなりと名乗ります。このときシテは再びかつての美しかった自分の身を思い出していますが、ワキや地謡がそれに引き換えて今の白髪姿は……と謡うとシテはその言葉に恥ずかしさを募らせます。左手に持った笠を掲げて隠れたシテは笠の陰で面を俯かせますが、その表情はまるで泣いているように見えました。さらにロンギとなってシテの持ち物の貧しさが次々に謡われ、笠を手に常座で数歩行き来をして物乞いのさまを見せていたシテでしたが、乞ひ得ぬ時は悪心、また狂乱の心つきて声変りけしからずと謡われるうちに地謡の謡は緊迫の度を増し、シテも足拍子を踏むと杖を捨てて様子が一変。地謡のけしからずにほとんどかぶせるようになう物賜べなうお僧なうと声色を変えてワキへ迫り、驚いたワキの前で小町が許へ通はうよなうと憑依した姿を見せました。あら人恋しやとシオるのは、シテに取り憑いた深草少将。正中に立ち尽くして月こそ友よ通路の、関守はありとも留るまじや出で立たんときっぱり謡うと、後見座での物着となりました。

やがて黄地に金の扇紋の長絹を身につけ烏帽子を戴いたシテは、深草少将の百夜通いを再現し始めます。袴の裾を持ち上げ、烏帽子の先を折って風折りとし、狩衣の袖を頭上にかざして人目を忍びながら月にも行く闇にも行く、雨の夜も風の夜も、木の葉の時雨、雪深しと舞台を廻ります。一夜二夜……と指折り数えて榻のはしがき百夜までと強く拍子を踏みましたが、九十九夜目にあら苦し目まひやと大小前に下がり、扇を胸に当てて苦悶の様子を示すと着座して面を伏せ一夜を待たで死したりし。このようにして無念の内に亡くなった深草少将の怨念が憑いてシテを物狂いにさせたことが謡われ、シテが一度は立ち上がろうとしたものの力なく安座してワキを見やったところでシテは狂乱状態を脱し、地謡と囃子方とが浄化された静謐さを取り戻します。

シテは静かに立ちこれにつけても後の世を、願ふぞ真なりけると穏やかにキリを舞うと、花を仏に手向けつつ、悟りの道に入らうよと扇を差し出し、そして小さく合掌。最後は、常座で脇正面方向へ身を向けた姿で立ち尽くして、静かに終曲を迎えました。

老女物(「関寺小町」「檜垣」「姨捨」「鸚鵡小町」「卒都婆小町」。特に前三者は「三老女」と呼ばれる最高秘曲)とは言いながら、卒都婆問答や物狂いなどの起伏にも富んで、劇的な要素の強い曲。シテの野村四郎師はプログラムの中で

曲中「百歳の姥となりて候」と一足前に進みます。これは過去から現在までを現す一足なのです。老境の乞食となってもどこか品位と艶が求められる作品と思います。

と述べられていますが、その言葉通り、緩急自在の地謡と囃子方とも息を合わせてシテの心理の移り変わりを大胆に演じながら、小町の老いの向こうに美しく才気に満ちた過去の面影を垣間見せたように思いました。ただし、この重い扱いの曲を自分がきちんと鑑賞できるようになるには、まだまだ観能の経験をたくさん積まなければならないはず。今の素人見でもこれだけ心惹かれる体験をしたのだから、たとえば10年後にこの曲を観たらどれだけ豊穣な感動を得られるかと、今から楽しみでもあります。

文蔵

「文蔵」は以前野村萬斎師のシテで観ていますが、芸風がまるで違う山本則俊師がどうこなすか興味津々でした。山本則俊師は滅多に笑顔を見せず、ぶすっと重い語り口の中に不思議なおかしみを湧き立たせるタイプ。今回も最初から則俊節全開で、これでは地の語り口と「石橋山合戦」の仕方語りとが同じ調子になってしまうのでは?と心配していたら、仕方語りが熱を帯びるにつれて、あの不機嫌そうな表情のまま顔を紅潮させて身振り手振りが大きくなり、最後は血管が切れるんじゃないかと心配になるくらい。これはこれで凄い!と引き込まれました。

切能「猩々」に《乱》という小書がついたものが、金剛流では「乱」。さらにそこに重い習事である小書《九段》がついて、舞が特殊なものになります。金剛永謹師の解説によると、次の通り。

月を見上げ、笛を吹き、波の鼓を打つ型など派手な型に続いて、中の舞。しかし「乱」では中の舞に乱の特殊な舞が加わります。それは遅速の変化の多いリズムに乗り、抜き足、蹴上げる足、つま先で立っての滑走する流れ足などを用いた舞ですが、まるで酔いにまかせて水上を戯れて遊んでいるようです。小書(九段)はその舞が最も長くなり、橋掛りまで乱れ足を使って行きます。

キンキラキンの側次に白大口のワキ / 高風(工藤和哉師)が登場して、正中で名宣った後、待謡を謡ってから脇座に着座。どこかエキゾチックな雰囲気の下リ端の囃子がひとしきり奏され、幕が上がってシテ / 猩々(金剛永謹師)が姿を現しました。朱色基調の装束は下に赤地に金の文様の半切、幕の前で猩々面の上の赤頭を振って、これは海から上がってきた猩々が水を切る型です。扇を開き、左手を前に構えて橋掛リをゆっくり進んだシテは、地謡との掛合いで友と共に酒盛りをすることの喜びを謡いながら舞台を廻り、身体を大きくひねってついと足を上げ、あるいは拍子を踏み、爪先立ちから左足を上げて静止する型を見せて、いよいよこの曲の眼目である《乱》。

最初に扇を前に構えて顔を隠し中腰になってから始まった舞は、首を振る動作、足をついと上げる不思議な動き、爪先だって舞台上を大きく移動する流レ足が組みになり、それが舞台上からさらには橋掛リの端までも使って繰り返されるもの。特に一ノ松では橋掛リ上に膝を突き、あるいは欄干に足を上げて扇を掲げる型も交えられました。この位置を変えて何度も繰り返される型は長時間にわたりましたが、この間シテの舞には寸毫も揺らぐところがなく、圧倒的な安定感を示しています。また、面によって視界が制約を受けている中で流レ足での大胆な移動を繰り返す位置感覚にも驚嘆。舞金剛の面目躍如ですが、ついにシテは正先で扇を掲げ足を上げると、一回転して正中に膝を突き、回って酒に酔い臥した姿で安座しました。

最後にワキに向かって酒の汲めども尽きぬ壷を授ける旨を謡ったシテは、地謡に合わせて扇を盃に見立て、さらに酔って足をふらつかせ膝を突く姿を見せると泉はそのまま、尽きせぬ宿こそ、めでたけれと常座に立って左右左と留拍子を踏みました。やれ、めでたし。

配役

能(観世流)「卒都婆小町」 シテ / 小野小町 野村四郎
ワキ / 高野山の僧 宝生閑
ワキツレ / 従僧 宝生欣哉
寺井久八郎
小鼓 大倉源次郎
大鼓 亀井忠雄
主後見 観世銕之丞
地頭 武田志房
狂言(大蔵流)「文蔵」 シテ / 主 山本則俊
アド / 太郎冠者 善竹十郎
能(金剛流)「乱 九段 シテ / 猩々 金剛永謹
ワキ / 高風 工藤和哉
杉市和
小鼓 観世新九郎
大鼓 柿原崇志
太鼓 金春國和
主後見 廣田幸稔
地頭 今井清隆

あらすじ

卒都婆小町

高野山の僧が都へ向かう途中、道ばたの朽ちた卒塔婆に腰を下ろして休んでいる老女に出会う。僧は、仏体そのものである卒塔婆に腰を下ろすとは、と他の場所で休むように話すが、老婆は僧の一言ひとことに反論し、仏も衆生も隔たりはない、と説き砕く。僧は老婆の説法を恐れ敬い、三度の礼をする。そして名を尋ねると、それは百歳になろうとしている小野小町であった。才色兼備で世の男性を魅了した小町も、今は破れ笠に乱れた白髪の憐れな物乞い。しばらく身の憐れを歎いていた小町だが、突然様子が変わり「小町の元に通おう」と叫ぶ。不審に思い僧が問うと、それは小町に憑いた深草四位少将の怨霊だった。昔小町を慕い九十九夜通い詰めながら、ついに思いを遂げずに死んだ少将の怨霊は、生前の百夜通いの様を繰り返す。

文蔵

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中国・揚子の里に住む親孝行の男、高風は、酒を持って潯陽の江のほとりへ行き、猩々が現われるのを待つ。猩々は友の高風に逢えた喜びを語り、酒を飲み、舞を舞う。