塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

萩大名 / 安宅

2011/10/05

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「萩大名」と能「安宅」。浅見真州師による「安宅」はどうしても観たかったので、会社を後半休にして千駄ヶ谷に向かいました。

萩大名

午前中の会議が長引いてしまい、5分ほど遅れて会場入り。しかしこの狂言は以前観たことがあるので、もっぱら野村萬師の雰囲気を楽しめばOKです。赤ら顔の萬師の大名は、やはり最高。天然系のとぼけた雰囲気もあり、大名らしい威厳もにじませ、全体として大らかな人柄が描出されていました。想定通り歌を詠む段になって、せっかくの事前の打合せにもかかわらず愚かしい受け答えに終始する大名に愛想を尽かした太郎冠者はさっさと引き上げてしまいますが、これに気付かない大名が、歌の最後の七字「萩の花かな」を聞こうと太郎冠者の方に振り向くとそこには誰もおらず、「あ、あれ?」といった様子で幕の方を見やる仕種がとりわけユーモラス。そして、押し問答の末にとうとう「太郎冠者の向こうずね」とやって亭主に叱られ、大名がしおれた様子で終わるのですが、わずかの間をおいて居住まいを正した萬師と小アドから先ほどまでの大名や亭主のおおどかな人格が消えていることに、一種ぞっとする思いがしました。気圧されたような見所の静寂の中、橋掛リを去っていく二人の後ろ姿には先ほどまでの軽さは微塵もなく、そこにいたのは厳しい表情の素の狂言師二人だったのです。

安宅

観世信光作とも言われるこの曲は、歌舞伎の「勧進帳」の元になった曲で、歌舞伎の方は七度も観ているのに「安宅」は未見。とりわけ劇的な表現が歌舞伎以上という話を聞いたことがあったので、大きな期待を持って舞台を観まもりました。

まず、藤田六郎兵衛師の流麗な〔名ノリ笛〕に乗って、素袍姿のワキ/富樫(宝生閑師)がアイ/従者(太刀持ち)を伴って登場。〈名ノリ〉、そして判官追捕のため関を設けて山伏を留めている旨を述べ、従者に触れを回させて共に脇座へ退きます。ついで強い笛に始まる〔次第〕があって、シテ/弁慶(浅見真州師)ほかが登場。山伏姿のシテは金色の光沢をもつ大口袴をきらめかせながら三ノ松辺りに立って見所から舞台を見渡す型となり、その横を通ってツレ/源義経が前に出てきます。常の演出では義経は子方が演じるのですが、この日は浅見真州師の「確かに難しい役どころだが、一行が命を懸けて守る主が子供というのは、どうもしっくりこな」いという考えにより、片山九郎右衛門師が演じています。舞台に進んだ一同は、正面向かって左にシテ、右に義経を置いて縦二列に並び、一斉に向かい合いました。ここでも、義経が大人であることは舞台上のバランスをよくしています。そして〈次第〉は旅の衣は篠懸の露けき袖や萎るらんと定番。ここで地取は入らず、一行のうちシテの列の最後尾にいたアイ/強力がおれが衣は篠懸の破れて事やかきぬらんと続けるのがユニーク。一見ユーモラスですが、義経主従の逃避行の辛さを強調しているようでもあります。

〈次第〉の後にはツレ/義経の従者たちによる〈サシ〉が続きますが、〈次第〉も〈サシ〉もシテは一言も発しておらず、義経と共に(あるいはそれ以上に)シテの超然とした立場が強調されているように感じました。しかし、ツレ一同の内の一人が地頭役を勤めているようで、ツレ九人の息の合い方は完璧という他なく、ゆったりとした〈次第〉、リズミカルな〈サシ〉、再びゆったりと歌われる〈下歌〉から力強い〈上歌〉へと自在に緩急がつけられていて見事でした。実はこの後徐々にわかってきたのですが、この曲では通常の地謡の役回りをツレ一同が勤める場面が多く、地謡陣の出番は(ことに前半は)相当に限定的です。そして〈上歌〉の最後にシテに動きがあり、目付柱を見込んでから〈上歌〉を謡っている二列のツレ一同の間に入って足拍子。これで旅の終わりを示して義経に安宅の湊に着いた旨を告げる〈着キゼリフ〉となりました。するとそれまで人形のような顔だった義経が一瞬はっと表情を変え、いかに弁慶とノーブルそのものの声で呼び掛けて、これを聞いたツレ一同はざざっと下居、シテも平伏。安宅に設けられた関への対策を談合するために、今度は義経が脇座で床几に掛かるとツレ一同は大小前と地謡前にカギ型に配置を変えますが、こうした一瞬・一斉の動きは大人数だけに迫力があり、すぐれて劇的です。シテはそれらの中心に座って一同を見渡すと談合を統率し、一人の従者がシテに迫り寄って関を打ち破ろうと主戦論をぶつのを扇で制して見せるなど、豪勇だけではない知将の側面を見せつけました。談合の結果、関を通るために義経に強力の笈を背負わせることにし、強力に持参させた笈をシテは自分の手でうやうやしく義経の前に置くと、義経の後ろに忍び寄っていた後見とツレの一人が手伝って脇座で物着。義経は笈を背負い、笠を深くかぶって金剛杖を手にします。この間、シテに物見を命じられた強力は一ノ松へ進んで前途を見やり、関がものものしく武装し、山伏の首がいくつも並べてある恐ろしげな様子を見て、これをシテに復命した後、狂言座へ下がりました。

シテの声に従って一同立ち上がり、舞台上をぐるりと回るようにして橋掛リに進み、その最後についた義経だけはそのまま後見座へ。弁慶たちが幕の前で転回して舞台に向かってくるところを、再び脇座に戻ったワキと従者が迎えていかに山伏達これは関にて候。ここからいよいよシテとワキの対決となります。南都東大寺建立のために北陸道をやって来たと名乗るシテに対し、ワキは威厳を持って山伏は通さぬと宣言します。それは作り山伏を留めるためであろう、真の山伏を留めよということではあるまいとシテが理屈をこねると、突如キレた従者が大音声でいらぬ事なおしやつそ、昨日も三人斬つてかけさすと威嚇。しかしシテはまったく動じずさてその斬つたる山伏は判官殿かと迫るので、従者は気圧されてしまいました。さすがにワキがいや、とかうの問答は無益と割って入りましたが、シテは気迫も強くこの上は力及ばぬ事、さらば最期の勤めを始めて、尋常に誅せられうずるにて候と語ると橋掛リのツレ一同に皆々近うわたり候へと声を掛けました。これを受けてツレ一同はいったん橋掛リの上で膝を突き、シテが後見(銕之亟師)の手によって水衣の肩を上げ、正先に出て安座するのを待って、次々に舞台に入ってきて両手を広げ舞い降りるように順番に安座。シテを頂点とするV字の形に居並びました。ここで長らく沈黙を保っていた囃子方がノットの囃子を奏し始め、シテとツレ一同の長い掛合いが謡われます(ここでもし《問答之習》の小書(金剛流)がついていれば掛合いの代わりにシテとワキがそれぞれ床几に掛けて11の問答を交わすそう。歌舞伎の演出はそれを模したものなのでしょうか)。さて、シテとツレ一同との掛合いは、最後にこれも劇的な囃子方のブレイクで終わり、地謡の阿毘羅吽欠と数珠さらさらと押し揉めばに合わせて弁慶の祈りとツレ一同の居立ち前のめりでの数珠揉みにワキが声を掛けて、小書《勧進帳》によりシテによる勧進帳の独吟となります。角に立ってのこの読み上げは、本当に感動的でした。低くゆっくりとしたそれつらつらに始まり、にじり寄るワキを意識しながら向きを変えてここに中頃から歌うような抑揚がつき、かほどの霊場のからはリズミカルな謡。そして最後は顔を高く上げて天もひびけと読み上げたり。背後の鼓を消してシテの声だけで聞かせてもらいたかったと思えるほどの朗唱で、これが歌舞伎なら間違いなく満場拍手の嵐が湧き上がるところです。この勧進帳の迫力があればこそ、関の人々肝を消し恐れをなしてシテたちを通してしまったという展開も納得。

ところが、従者が強力姿の義経に目をつけ、ワキは後見座から立って出てきた義経を留めます。義経は笠で顔を深く隠したまま常座に膝を突き、金剛杖を肩にもたせかけてフリーズ。浮き足立って舞台に戻ろうとするツレ一同の前に出てこれを制したシテは再びワキと問答となりますが、判官に似ていると言う者がいると言われたとき、憎々しげに強力姿の義経を罵ると金剛杖で本当にばしばしと打ち据えた上で、どさくさ紛れに金剛杖で押し出しました。ところがワキの何といっても通さぬという強硬発言にや、笈に目を懸け給ふは、盗人ざうなとシテは物言いをつけ、舞台に走り込んできたツレ一同がシテの真後ろに密集隊形を作ってワキに迫ります。その圧力たるや、何しろ人数が多いので歌舞伎の比ではなく、まさに地謡が謡うとおりいかなる天魔鬼神も、恐れつべうぞ見えてきます。横にした金剛杖で制するシテは前に押し出されそうになりながらかろうじてツレ一同を押しとどめ、一方ワキの方も従者が太刀を持ってかばうように制する型。ついに圧倒し尽くされたワキが近頃聊爾を申して候、急いで御通り候へと折れ、従者もお通りやれ!と捨て台詞を残して、二人は囃子方の後ろへ退きました。

関を通り抜けてしばらく離れたところで大休止、ツレ一同は再びカギ型に居並び、その中にシテと義経が向かい合いました。安宅の関での打擲を振り返り、そうせざるを得なくなった義経の不運の境遇を嘆くこの場面では、弁慶の主君に対する忠誠心と、運命を受け入れつつもなお八幡神の加護を信じようとする義経の高貴な品位が鮮やかに描き出され、そこにツレ一同のシオリが重なって義経主従に対する同情を誘われます。ようやく地謡の聞かせどころとなった〈クリ・サシ〉、そして〈クセ〉はシテ、義経、ツレ一同じっと聞き入る居グセとなり、途中に義経が一瞬激して扇を振り下ろす所作を入れながら、あら恨めしの憂き世やと無常の因果をしみじみ嘆きます。

この間に揚幕の前に姿を現したワキは、三ノ松に進んで従者に命じ、酒を持たせて弁慶一行を追わせます。従者と強力の問答、そして取次ぎの強力の言葉を聞いたシテと義経は無言で顔を見合わせ、さらにシテの一礼を受けて義経は後見座へ退避。この辺りも一種現代演劇的。脇正面に立ったシテと二ノ松のワキとの間で会話が交わされ、ワキは先にはあまりに聊爾を申して候ふ間、ところの酒を持たせ、これまで参りて候一つ聞こし召され候へと和解を求めますが、ワキが脇座に着座する間に後見座経由で一ノ松へ出たシテは、これは懐柔策であろうからなほなほ人に、心なくれそ呉機とまったく心を許しておらず、舞台上のツレ一同も中腰になって橋掛リ上のシテと目を見交わし、警戒を解きません。面白や山水に……からシテは舞台上で地謡に合わせて舞を舞いますが、その舞も舞台上を廻る中に厳しい足拍子を入れ、これなる山水の、落ちて巌に響くこそで目付柱に向かい扇を振り下ろす緩みのないもの。その際、右足を上げての静止は盤石の安定感があり、シテの気力横溢をひしひしと感じました。この辺りにも何種類かの小書があるそうですが、この日の小書は《酌掛之伝》。地謡の鳴るは滝の水を受けてシテは脇座のワキの前に進み、扇をもって酌をします。ついでワキがシテに酒を注いだように見えましたが、シテは盃(扇)を持って立ち上がり、これを見つめたままゆっくり一ノ松まで下がると、そこからワキをじっと見やって、無言のうちに高欄の外へ扇を傾け酒を下へ捨てる型。このときの、シテがワキを見る冷え冷えとした目に、観ているこちらの心臓が凍り付くようでした。恐ろしい……。

シテは舞台に戻って〔男舞〕。この〔男舞〕も、その動きの中に何度かワキへ迫り寄る場面があり、単に勇壮というだけではない、凄まじい怒りが感じられました。そして〔男舞〕を舞い終えたシテは、続けて地謡に合わせて舞いながらとくとく立てやとツレ一同を見渡し、これを受けてツレ一同と義経は一斉に橋掛リを下がります。最後はシテも二ノ松へ進んでワキと距離をとり、詞章が終わった後にテンポを落とした囃子方が鼓で留めて終曲となりました。

冒頭に書いたように歌舞伎「勧進帳」の元となったこの曲ですが、味わいはまるで違いました。甘ったるいユーモアとハッピーエンドの「勧進帳」に対し、「安宅」の弁慶を動かしているのは主君の境遇に対する怒り。その怒りがストレートに冨樫に向けられて、その氷の剣のような切れ味に震え上がってしまいました。歌舞伎の「義経の境遇に同情する富樫、弁慶と心を通わせるの図」も悪くはないのですが、この日の「安宅」を観た後では、もはや元(歌舞伎)には戻れない感じです。狭い舞台上でシテと九人のツレがダイナミックにさまざまな型を展開する演出も圧倒的な迫力ですし、シテとワキの対話はコトバで、勧進帳は独特の節や緩急をつけた謡でそれぞれに語られ、いずれも劇的な効果をあげています。特に眼目の勧進帳は、「木曽」の「願書」、「正尊」の「起請文」と共に「三読物」とされていますが、この日の浅見真州師による勧進帳の読み上げは、心が震えるほどの力がありました。さらに、通常子方が演じる義経を一線級のシテ方に演じさせた演出にも納得です。義経の高貴さと、それゆえの不遇の哀れさ、そしてその義経に対するシテやツレたちの思いの深さが、片山九郎右衛門師を義経役に得たことで、これ以上ない説得力をもって伝わってきていました。

配役

狂言和泉流 萩大名 シテ/大名 野村萬
アド/太郎冠者 野村扇丞
小アド/亭主 野村万禄
観世流 安宅
勧進帳
酌掛之伝
シテ/武蔵坊弁慶 浅見真州
ツレ/源義経 片山九郎右衛門
ツレ/義経の従者 清水寛二
ツレ/義経の従者 柴田稔
ツレ/義経の従者 馬野正基
ツレ/義経の従者 下平克宏
ツレ/義経の従者 大松洋一
ツレ/義経の従者 松木千俊
ツレ/義経の従者 武田尚浩
ツレ/義経の従者 岡久広
ツレ/義経の従者 武田宗和
ワキ/富樫 宝生閑
アイ/強力 野村万蔵
アイ/従者 小笠原匡
藤田六郎兵衛
小鼓 大倉源次郎
大鼓 柿原崇志
主後見 観世銕之丞
地頭 武田志房

あらすじ

萩大名

→〔こちら

安宅

加賀国安宅関を守る富樫某は、頼朝の命令で義経を捕らえようと待ち受けていた。北陸から奥州を目指す義経一行は、弁慶の考えで義経を強力の姿にやつして関を通ることにする。関で富樫の尋問を受けた一行は、東大寺の勧進をする山伏ならば勧進帳を読めと富樫に命じられるが、弁慶は笈に入っている巻物を勧進帳と偽って東大寺建立の由来と勧進の勧めを朗々と読み上げ、その堂々たる勢いに恐れおののいた関の人々は一行を通すことにする。ところが強力姿を義経に似ていると富樫が呼び止めたため、弁慶は富樫を欺くために義経を責め金剛杖で打ちすえ、なおも一人も通さないと息巻く富樫に強く迫って関の通過を許される。弁慶は心ならずも主君に手をあげてしまったことを謝罪し、主従揃ってこれまでの苦労や現在の不遇を嘆くところへ、富樫が酒を持ってきて先ほどの非礼を詫びる。弁慶は舞を舞い、やがて一行は足早に立ち去って行く。