塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

景清 / 入間川 / 浮舟 / 鉄輪

2010/11/07

観世能楽堂(松濤)で観世会定期能。番組は次の通りです。

  • 能「景清」
  • 狂言「入間川」
  • 能「浮舟」
  • 仕舞四番
  • 能「鉄輪」

見所の入りは、五分くらい?かなり空席が目立ちました。

景清

世阿弥作。流された日向の地に今は盲目の乞食として過ごしているかつての平家の猛将・悪七兵衛景清が、娘・人丸の訪問を受け、いったんは老残の身を恥じて正体を偽るものの、ついに名乗って屋島の戦の武勇を語るというもの。その戦語りは勇壮ですが、主眼は勇猛な武将の悲惨な末路を描くことにあります。

引廻しを掛け藁屋根を葺いた作リ物が大小前に置かれて〔次第〕ですが、その笛の滑らかな響きに驚かされました。こんなに美しい笛の音を聞いたのは、初めてです。そして登場したツレ/人丸(小早川修師)はほっそりした身体に紅入唐織、トモ/人丸ノ従者(上田公威師)は直面に素袍上下。〈次第〉消えぬ便も風なれば露の身如何になりぬらんに続いて、ツレは若い女性らしいすんなりとした謡い方で、源氏に憎まれて日向の国宮崎に流された父・景清を訪ねて鎌倉からやってきたと謡います。トモが宮崎に着いたことを述べ、ここで父御の行方を尋ねようと謡ったところでツレとトモが脇座に立つと、笛が静かに独奏(小書《松門之出》による)した後に、引廻しを掛けたままの作リ物の中からシテ/景清(観世銕之丞師)の低く、力のこもった声が松門獨り閉じて年月を送り、みづから清光を見ざれば、時の移るをも辨へず、暗々たる庵室に徒らに眠り、衣寒暖に與へざれば、膚は髐骨と衰へたりと響き渡ります。さすが銕之丞師の声は、ぞっとするほどの迫力。詞章の内容は老残の弱々しさを漂わせていますが、その中に悪七兵衛と呼ばれた猛将の衰えきらない芯の強さを感じさせます。なお、この詞章の中で「みづから清光を見ざれば」とありシテが盲目であることが示されていますが、これは源氏の世となったことを嘆いた景清が自ら両眼を抉ったという謂れに基づくもの。そして地謡による〈上歌〉の終わりに引廻しが外されて、床几に掛けたシテの姿が現れました。現在能ながらも掛けられる面はこの曲専用の盲目面「景清」、そして角帽子に灰色の絓水衣。その様子に気付いたツレ・トモとシテとの間に問答が交わされ、トモが景清という流され人の行方を知らないか?と尋ねますが、シテは知らぬと答え、トモはツレを促してその場を立ち去ろうとします。シテはひとり俯きながら、かつて熱田の遊女との間にもうけた女子がこうして父を尋ねてきたことの不思議をしみじみと述懐し、これを受けて地謡が、声は聞けても面影を見ることができない悲しさを謡ううちに、ツレ・トモはシテの前を通って橋掛リまで進みます。

一ノ松から揚幕に向かってトモがワキ/里人(福王和幸師)を呼び、出てきたワキとトモとの問答によって先ほど藁屋の中にいた盲目の乞食こそ景清その人であることを知ったツレは、思わずシオリ。これを不審に思ったワキはツレが景清の娘であることを知り、ひと肌脱ぐことにしました。ツレ・トモが脇座へ戻ったところで、同じく舞台に入ってきたワキはなうなう景清の渡り候かと乱暴に呼ぶとともに藁屋に手を掛け扇で柱を打つと、シテはたまらず耳を覆ってかしましかしましと声を荒げます。いったんは腹を立てて昔の名を呼んだとて答えられようかと右膝を打ったシテでしたが、やがて落ち着きを取り戻して由なき言ひ事ただ容しおはしませとワキに無礼を詫び、目は暗くても山や浦の風光は味わえるのだとしみじみと語ります。この場面、地謡の謡に合わせてシテは、山は松風では山を見上げ寄する波も聞ゆるはでは手を耳に当てと、最小限の所作で劇的な効果があげられています。そしてさすがに我も平家なり、つまり「自分は平家の侍」であるとともに「『平家』を語る者」であると述べ、物語りをしようと作リ物を出て中央に下居しワキと向かい合います。ここでワキはトラップ。私より前にあなたを訪ねた方はいませんでしたか?という問いにシテがいやいや御訪ねより外に訪ねたる人はなく候と答えるや否や、ワキはシテの言にあら偽りを仰せ候や先ほど御息女が来られたではないかと言葉をかぶせ、ツレも立ってシテにすがり、父と名乗ってくれない恨みを述べてシオルと、シテもついに自分が父であることを認めた上で我を怨みと思ふなよとワキを抱きとりました。父娘の再会における二人の心の高ぶりが極めて情感のこもった謡とリアルな所作で示されて、観ている方もじんときてしまいます。

一度は自分のあさましい姿に麒麟も老いぬれば駑馬に劣るが如くなりとがっくり座り込んでしまったシテでしたが、ワキの問い掛けに居住まいを正し、所望に応じて屋島での手柄の様子を物語ることになります。ここから、シテの第二の見せ場である〈語リ〉。シテは床几に掛り、脇座のツレ・トモ、笛座前のワキに見守られつつ、扇を片手に屋島での奮戦の模様を仕方で語り始めます。義経を討とうと上陸した景清の豪勇の有様が朗々と、そして銕之丞師ならではの気迫のこもった声で語られていきますが、シテの中にかつての景清の勇猛な武者心が蘇ってくると共に語りを地謡に引き継いで立ち上がり、扇を太刀と見て打ち下ろし切り払うと、その勢いに風切り音が見所へ響き渡ります。こらえきれず逃げ散った源氏の兵を睨み回し、太刀を小脇に掻いこんで手取りにせんと左手を前にぐっと出して開いて、扇を左手にすっくと立ち腰をぐっと沈めて一気に正先へ肉薄するところなどは、真正面に座っているこちらがつかまえられるのではないかと恐ろしくなるほどの迫力。三保の谷との錣引きの末に錣が切れてどっと着座、三保の谷がさるにても汝恐ろしや、腕の強きと讃えると、景清も三保の谷が、頸の骨こそ強けれと左手を首に当てて笑いますが、語りの最後左右へ退きにけるがスローダウンするとともに燃えていた武将の魂の炎が熾火に変わって静かに下居。

最後は地謡となって、シテがツレに左手を差し伸べて鎌倉へ帰り自分の亡き跡を弔ってくれるようにと声を掛けると、ツレとトモは立ち上がります。盲目のシテが杖を手探りで探して(といっても盲目面では視界が限られるのであながち演技ではなかったかもしれませんが)立ち、ツレはその前を通るときに杖に当たります。するとシテは左手をツレの肩にかけて常座まで送りますが、そこでのさらばよ留る行くぞの一声ずつが親娘今生の別れの言葉となり、ツレ・トモはそのまま橋掛リを退場。シテは常座に立ち尽くす形で、舞台上を静かな哀しみが覆ううちに終曲となりました。

入間川

まだ休憩前なのに見所のお客はぞろぞろ出ていってしまい、ただでさえ寂しい見所がさらにすかすかになったところで、めげずに「入間川」が始まりました。この狂言は前にも観たことがありますが、逆さ言葉の入間様いるまようを用いたやりとりの中にシテ/大名の憎めないキャラクターが光る一番です。そして今回の大藏吉次郎師による大名は、前回観た山本東次郎師とはまたひと味違ってえらく素っ頓狂、しかも微妙に言葉が訛っている風で、田舎くささ丸出し。その供をする太郎冠者もテンションが高く、本題の入間川に辿り着く前の道行だけでも、見ていて幸せになってくる感じでした。

浮舟

『源氏物語』宇治十帖の「浮舟」及び「手習」から。かつて薫と匂宮の間で板挟みとなり自殺を図ったものの、横川の僧都に助けられて出家を果たした浮舟の霊が、諸国遊歴の僧の供養を受けて兜率天に生まれ変わる喜びを述べるという曲。複式夢幻能で間語リが入りますが、前後場共にシテとワキの二人しか登場しません。

笛が身体を中正面方向に斜めに向けて、渺々と風の吹き渡るような音。そしてワキ/旅僧(工藤和哉師)が登場し〈名ノリ〉、さらに初瀬から宇治への道行となります。ワキの工藤和哉師は、その枯れた味わい深い声が素晴らしく、自然に幽玄の世界へと誘い込まれます。このワキが宇治に着いて脇座へ控えたところで、ヒシギの笛。作リ物の舟の舳先に柴を一束くくりつけた柴積み舟が舞台に出されて〔一声〕とともに前シテ/里女(武田志房師)が現れます。笠をかぶり、摺箔の上に縫箔を腰巻に着け(裳着胴)、その上に着た水衣が透けています。しずしずと舞台に進んだシテは、常座に置かれた柴舟の中に、水棹を持って立ちました。〈一セイ〉柴積舟の寄る波も、なほたづきなき憂き身かな。憂きは心の科ぞとて、誰が世を喞つ、方もなし。やがてワキがシテに声を掛け、この宇治の里にかつてどのような人が住んでいたのか物語ってほしいとの求めに応じて、シテは詳しくは知らないけれども、と前置きしつつ『源氏物語』の浮舟の話を語り始めます。地謡が〈上歌〉を終えたところでシテは舟の中に水棹と笠を置き、扇を手に舟を出て舞台中央へ下居。さらに地謡による〈サシ・クセ〉と続く中で、薫中将の思われ人であった浮舟が忍び来た兵部卿(匂宮)と契りを結んでしまい、そのことを悩んでついにこの世に亡くもならばやと、歎きし末ははかなくて終に跡なくなりにけりと語られます。この間、シテは正中にじっと下居したまま、時折ワキの方に向きを変えるだけ。さらにワキは女自身の身の上を問い始めたので、この動きのない問答は永遠に続くのでは?と不安を覚えましたが、シテは自分はここに仮に来ているのであって住家は小野(浮舟が横川の僧都に救われて静養したとされる地)である、なお悩む事のある身なのでそちらでお待ち申しますと語ると、シテは立って舞台を小さく回り、笛の調べを背にひっそりと雲の跡もなく行く方知らずなりにけり

ここまでの前場、動きらしい動きもほとんどなし。恐ろしい……。

アイ/里人(大藏千太郎師)がやってきてワキを目に止め、話し掛けます。ワキの求めに応じて浮舟の物語りを始めるのですが、何やら苦しげな口調でちょっと聞いているのがつらくなる感じ。もう少しリラックスして語ればいいのに、などと思ってしまいました。

アイが下がったところでワキは、小野に着いた旨を述べて今宵はここに弔いの経を読もうと待謡を朗々。工藤和哉師の力みのない枯淡の美声がひときわ映えるところです。そして〔一声〕。しみじみとした笛に、カンカンと大音量の大鼓、板挟みになって困る小鼓(?)。やがて出てきた後シテ/浮舟は比較的若い女性の面で、装束は紅無ながら金茶地の上に五色の組紐が乱舞する模様が極めて美しい唐織。その右肩を脱いで(脱下ゲ)、髪を左右に一筋ずつ垂らしています(長鬘)。浮舟は二人の貴人の愛の狭間で悩み、身を投げようとしたものの果たせず、美しい男の幻(実は憾みをこの世に遺した僧の死霊)に惑わされて暗い山道を彷徨い歩き正気を失っていますから、この出立ちもそうした浮舟の運命を示しています。一ノ松からの〈一セイ〉亡き影の絶えぬも同じ涙川、寄辺定めぬ浮舟の、法の力を頼むなりもまた、そうした「流される女」である浮舟らしい詞章。そして思い悩みの末にこの世になくもならばやと外に出て宇治川の荒々しい川波の音を聞くうちに知らぬ男の寄り来つつ、誘い行くと思ひしより、心も空になりはててここから舞台上は一気に緊迫し、高揚した囃子とともに〔カケリ〕となります。『源氏物語』で、死を覚悟した浮舟が死にきれずに夜道を歩くうちに、極限状態の中で法師の悪霊に取り憑かれる場面を示すものですが、舞台上の浮舟もそのときのことを思い出して心が苦しくなり、錯乱してしまったようです。しかし、やがて横川の僧都に救われて小野に伴われ、そこで加持祈禱によって物の怪を退けた過去が語られ、さらに今また旅僧の弔いによって執心晴れて兜率に生まるる嬉しきと扇を開いてひとしきり舞った後、明け立つ横川の杉の嵐や残るらんと僧の夢の終わりとともにシテは三ノ松に立ってワキを見やり、ゆっくり下がって幕の中に消えると同時に静かに終曲となりました。

正直、前場の動きのなさにどうなることかと思いましたが、後場は見どころも多く救われた気持ち。やれやれ。それにしても、こうした『源氏物語』に題材をとった曲を鑑賞するには、当り前ですが『源氏物語』をちゃんと読んでいないとダメだな、と改めて思い知りました。『平家物語』なら通読しているので、だいたいついていけるのですが……。それにしても、武家の芸能であった能において宮廷の雅の世界のように思える『源氏物語』が基礎教養になりうるというのは、なんだか不思議です。

仕舞四番は、「弓八幡」「清経」「遊行柳」「碇潜」から。それぞれに雰囲気を記せば、順に堂々・キレ・幽美・豪壮、といったところでしょうか。このうち「清経」のキリは、扇を楯や太刀に見立てて修羅の戦いを示しますが、ここはこのところ受講している桑田貴志師の講座で拝見したところでした。

鉄輪

他の女を妻とするために自分を捨てた夫を怨み、貴船神社に丑の刻参りをする女。これを哀れと思った明神は、社人の口を借りて、姿を変え忿怒の心を持つならば生きながら鬼になることができると告げます。そのお告げに従って恐ろしい姿に変貌した女は夫に対する呪詛の言葉を発しますが、陰陽師の祈りと祭壇に祀られた守護神に追われ、未練を残しつつ退散します。後妻打うわなりうちや丑刻参りといった神事信仰を取り入れつつ、庶民の女の嫉妬の恐ろしさと、哀れさとを示す曲。貴船神社には10年前に訪れたことがありますが、こんな怖いエピソードが秘められていたとは……。

狂言口開。アイ/貴船神社の社人が登場して、丑の刻参りをする女への告げを霊夢に見たので、女が来れば告げてやろうと述べたところで、〔次第〕から前シテ/女(山階彌右衛門師)の登場となります。脱力系の小鼓の掛け声に観ているこちらが腰砕けになりつつ見守るうちに、シテは舞台へと歩みを進めると大小に向かって日も数そひて恋衣、貴船の宮に参らんと〈次第〉。その低く震える声は、地取の静けさと相俟ってただならぬ気配を漂わせます。女笠の内に面を隠し、壺折にした金茶地の唐織の内側の銀の摺箔が喉元まで覆った姿は、何かを心の内に秘めている風情。続く〈サシ〉〜〈下歌〉で二道かくる徒人を頼まじとこそ思ひしに、人の偽り末知らで契り初めにし悔しさも、ただ我からの心なり。余り思ふも苦しさに、貴船の宮に詣でつつ、住むかひもなき同じ世の中に報いを見せ給へと頼みをかけて貴船川早く歩みを運ばんと恨みと苦しみとを連綿と謡い、道行となる〈上歌〉では糺、御菩薩(深泥)池、市原野、鞍馬川と地名が織り込まれてゆきます。「鞍馬川」のところで笠に手をかけて見やる形となると、笠をとって正面に向き直り急ぎ候程に、貴船の宮に着きて候。遠目には判然としませんが、面は泥眼?こ、怖い……。

大鼓の前で床几に掛かったシテに、一ノ松に立ったアイがお告げを申し渡そうと声を掛けて角へ。そのお告げとは、家に帰って身に赤い衣を着、額には丹を塗り、頭に鉄輪を戴いて三つの足に火を灯し、怒る心を持つならば、鬼になりたいとの願いはかなって鬼紙となるだろうという内容です。シテは自らが鬼になりたいとまでは思っていなかったのでしょう、これは思ひも寄らぬ仰せにて候、わらはが事にてはあるまじく候と答えますが、その神託を聞いて心の底に隠れていた自分の願いが表面に現われてきます。その様子に何とやらん恐ろしく見え給ひて候と恐れをなしたアイは、「おそろしやのおそろしやの」と逃げてしまいました。一方のシテも、お告げに従うことにしようと笠を手にとったところでフリーズ。髪は逆立ち凄まじい形相となって、急テンポになった囃子と地謡が恨みの鬼となつて人に思ひ知らせん、憂き人に思ひ知らせん。何かに取り憑かれたように激しく舞うと笠を捨て、一転して静寂。そしてしずしずと舞台から下がり始めたシテは、橋掛リにかかると自分の鬼心にせき立てられるように歩みを早めて幕の中へ消えました。

中入の間の登場人物は、ワキツレ/男。こいつの浮気のせいでシテは鬼と化そうとしているわけです。そんなこととは知らない素袍姿のワキツレは、近頃夢見が悪いので陰陽師の安倍晴明に占わせようと思うと揚幕に向かって案内を乞うと、今度はワキ/安倍晴明(野口敦弘師)が烏帽子・狩衣姿で現れました。一ノ松に立つワキツレと三ノ松に立つワキとの問答は「きみの命は今晩限りだよ」「そんな!何とかして下さい」とあっさりしたもの。義を見てせざるは勇なき也、とは言いませんでしたが、とにかくワキは何とかすることにして、いったん後見座へ。そして正先に一畳台が置かれ、その前(見所側)に祈禱に用いられる三重棚がしつらえられました。三十棚の四隅には五色の御幣が立てられ、上段には侍烏帽子と鬘が置かれます。これは加持祈禱のために安倍晴明が作った茅の人形という設定で、侍烏帽子は男、鬘はその後妻に見立てたもの。

囃子が入ってワキはおもむろに一畳台の上に下居すると謹上再拝と祈り始めました。ところが、祈りを地謡が引き取って間もなく、不思議や雨降り風落ち、神鳴り稲妻頻りに充ち満ち、御幣もざざめき鳴動して、身の毛よだちて恐ろしやといった態になり、怪しい気配にワキは幕の方を見て御幣を振るうと、ここから太鼓が入り始めます。祈禱を終えたワキは笛座前に下がり、〔出端〕の囃子となって幕が上がると、その奥に後シテが立ち尽くしています。徐々に現し始めたその姿は、黒の縫箔を腰巻きにし、上半身は赤地。打杖を持ち、頭上に蝋燭を三本立てた鉄輪を戴き、面は眉根を寄せた表情も恐ろしい橋姫です。一ノ松で〈サシ〉因果は車輪の廻るが如く、我に憂かりし人々に、忽ち報いを見すべきなり。恨みに悶々として賀茂川に沈む青き鬼はいま、頭に戴く鉄輪の炎で赤き鬼となり、高ぶる気持ちを隠すこともなく一畳台に上がって三重棚を見下ろしました。そしてクドキ。変わらぬ愛を誓ったはずなのに、どうしてあなたは私を捨てたのかとシオリ、台を下りて常座へ移ると捨てられて、思ふ思ひの涙に沈み、人を恨み夫を喞ち、或時は恋しく、又は恨めしく、起きても寝ても忘れぬ思ひと揺れる心中を語りますが、ついに執心の鬼となったシテはいでいで命を取らんと打杖を前に再び一畳台へ。三重棚に置かれていた後妻の髪を手に取って思ひ知れと杖で打ち始めました。といっても単調に打つのではなく、途中で人の心を取り戻したのかふと物思う風になったり、がくっと面を伏せて再び打ち始めたりとシテの心は千々に乱れている様子。さらに殊更恨めしき徒し男を取つて行かんと臥したる枕に立ち寄り見れば御幣に三十番神が責め立て、シテは苦しげに下がって足拍子。さらに打杖を肩に担ぐと常座にがっくりと安座、杖を捨てて扇を開き舞いながら顔を隠し、常座に立って留拍子となりました。

執心の最たるものは嫉妬、それも本妻の地位を奪われた屈辱が加わった女は、夫への未練に心を引き裂かれて、その裂け目から誰しもが心の奥底に潜ませている鬼の本性を表に出したのです。恨めしくもあり、しかしいまだに恋しくもあり……そうした女の苦しさ、つらさが伝わってきてシテに感情移入させられた一番でしたが、しかし、もはや人間に戻ることはかなわぬシテは、時節を待つべしや、まづこの度は帰るべしと言う不気味な声を残して姿を消したのでした。

配役

景清
松門之出
シテ/景清 観世銕之丞
ツレ/人丸 小早川修
トモ/人丸ノ従者 上田公威
ワキ/里人 福王和幸
藤田次郎
小鼓 幸清次郎
大鼓 國川純
主後見 観世清和
地頭 関根祥六
狂言 入間川 シテ/大名 大藏吉次郎
アド/太郎冠者 宮本昇
アド/入間の何某 大藏基誠
浮舟
彩色
前シテ/里女 武田志房
後シテ/浮舟
ワキ/旅僧 工藤和哉
アイ/里人 大藏千太郎
松田弘之
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 亀井実
主後見 坂井音重
地頭 野村四郎
仕舞 弓八幡 津田和忠
清経キリ 浅見重好
遊行柳クセ 谷村一太郎
碇潜 岡久広
鉄輪 前シテ/女 山階彌右衛門
後シテ/女ノ生霊
ワキ/安倍晴明 野口敦弘
ワキツレ/男  
アイ/社人 大藏教義
内潟慶三
小鼓 亀井俊一
大鼓 柿原弘和
太鼓 小寺佐七
主後見 観世恭秀
地頭 大江又三郎

あらすじ

景清

かつての勇将・悪七兵衛景清は日向国に流され、今は盲目となり生き長らえていた。幼少の頃に別れた娘が訪ねてきて対面した景清は、源平の合戦の様を語り聞かせる。やがて娘に死後の弔いを頼み、別れの時となる。

入間川

→〔こちら

浮舟

諸国一見の僧が宇治川で棹さす一人の女に会い、源氏物語の浮舟の物語を聞き、女に勧められるまま小野へ向かう。そこに浮舟の幽霊が現われ、入水の際に横川の僧都に助けられた昔を物語り、今は僧の供養で兜率天に往生したことに感謝して消え失せる。

鉄輪

前夫を恨んで貴船神社に丑の刻参りをする女は、社人から夢想の神託を告げられる。そして鬼と化した女は前夫を捕らえようとするが、陰陽師・安倍晴明によって退散させられる。