小督 / お茶の水 / 三輪 / 鵜飼

2010/08/01

観世能楽堂で、観世会定期能。番組は次の通りです。

  • 能「小督」
  • 狂言「お茶の水」
  • 能「三輪」
  • 仕舞四番
  • 能「鵜飼」

四番目物が二つということは、眠くならないということだな……と不埒な予想をたてて朝のうちにジムで一汗かき、シャワーでさっぱりしてから観世能楽堂に出かけたのですが、まあ世の中そううまくはいかないものです。

小督

金春禅竹作(一説に世阿弥作)、平家物語巻六「小督」から。「宮中一の美人、琴の上手」である小督は高倉天皇の寵愛を受けますが、中宮・徳子の父である平清盛がこのことを快く思わず小督を害そうとしたため、内裏を出て嵯峨野に身を潜めます。このことを嘆いた高倉天皇が源仲国に命じて小督を捜させる、というのがこの曲のあらすじ。

笛に導かれてワキ・勅使(師)がまず登場。名ノリの中で、小督局を失い嘆きに沈む高倉帝が嵯峨野に小督が潜んでいることを聞き、仲国を召し出して小督の行方を尋ねさせることになった旨を述べ、仲国を呼びます。これに応えてシテ・源仲国(谷村一太郎師)は、幕を出たところで平伏。直面、ゆったりとした語りのシテは一ノ松にいるワキから宣旨を受け取ります。嵯峨野の片折戸したる所にいるらしいという話を聞き、今夜は八月十五夜なので小督局は必ず琴を弾くだろうから、それを頼りにきっと見つかるだろうと言上するシテ。仲国は小督局の琴に合わせて笛を吹くことがあり、小督局の琴の音は聞き分けられるだろうというわけです。ちなみに『平家物語』では仲国に探索を命じるのは勅使ではなく帝本人ですが、この曲の作者は舞台上に帝を登場人物として持ち出すことを憚ったのでしょうか。ともあれ、シテの心強い言葉に御感なのめならぬ帝から馬を賜ったシテは一ノ松で平伏。やがて出づるや秋の夜の月毛の駒よ心してと地謡の上歌のうちにワキは脇座へ移り、シテは立って見得のような力強い姿を示すと、シテ、ワキの順に下がって中入となります。このあたり、なんだか間がもたないというか、なんというか。

片折戸と柴垣が持ち込まれ、舞台上に斜めに設置されて、静かにツレ・小督局(木原康之師)とトモ・侍女(野村昌司師)が登場。片折戸をくぐって脇座に並んで下居した二人のうち、トモの方は紅入唐織着流姿ですが、ツレの方がおとなしい緑黄色系の紅無唐織だったことにちょっとびっくり。美男鬘を垂らしたアイ・里人も出てきていったんアイ座に座を占めた後、片折戸の外までやってきて、十五夜だから夜もすがら琴を調べあれとツレに勧めました。これを受けてツレの第一声は、げにや一樹の蔭に宿り一河の流れを汲む事も皆これ他生の縁ぞかし。そしてツレ・トモが声を合わせますが、二人の女性の横顔が美しく、ユニゾンでの謡も気持ちよく響きます。

そこへ、肩をあげた狩衣姿のシテが登場。一ノ松での一声、鞭を上げて馬を駆る型を見せた後、地謡が単騎夜行の様子をじっくり聞かせるうちについにシテは琴の音に気づきます。このあたりの詞章は峰の嵐か松風か、たづぬる人の琴の音かと概ね『平家物語』の通り。そして奏されている曲は雅楽「想夫恋」。本来は「相府連」で、中国古代の晋の大臣王倹が邸内に蓮を植えて愛でたことを題材としたものに、のちに白楽天が「想夫憐」の字をあて、それから「想夫恋」へと転化したものだそうです。シテはこれこそ疑いもなく小督局だと片折戸に寄っていかにこの戸あけさせ給へと呼び掛けます。ここからシテは必死の説得、入れてくれるまではと片折戸の外に下居します。これを見てトモが気の毒に思いツレに仲国を入れてあげては?と呼び掛けるのですが、その声がはっと思うほどの美声で、これを受けてのツレの謡もまた風格あり。さらば此方へ御入り候へと招かれたシテは後見座で袖をぱちんぷちんと下ろしてもらってから、片折戸の中に入って手をつくと懐から取り出した宣旨を扇に乗せてツレの前へ。帝の心をありがたく思うツレの述懐が地謡を交えクリ、サシと続いて、玄宗と楊貴妃の驪山宮の故事を地謡が引用するクセは居クセ。しっとりしたやりとりが続いた後に、ツレから返書を受け取ったシテは正中に手をつくと、やがて迎えの車が来るでしょうと告げて発とうとしますが、そこでトモが名残の酒を勧めます。ここからの男舞が、この曲の眼目(ここにくるまで長かった……)。囃子方もようやく高揚し、片折戸と柴垣に仕切られた舞台をいっぱいに使っての舞はそれまでとはうってかわって勇壮で、足拍子も力強く、時には膝も突いての力感あふれる長大な舞で、見ている方も一気に溜飲が下がる思いがしました。最後は、ツレに別れを告げたシテが一ノ松で馬に乗る型を見せ、三ノ松へ。ツレとトモは立って見送る型で終曲。

その後の小督はどうなったのかというと、『平家物語』によれば仲国の復命を受けた帝はその夜のうちに小督を連れてくるようにと命じ、このため仲国は再び嵯峨を訪れて小督を内裏に連れ戻すのですが、そのことがやがて平清盛の知るところとなり、小督は無理矢理出家させられます。このことの心労でやつれはてた小督は、ついに若くして亡くなってしまうのですが、本曲ではこの曲を見る誰もが知っているであろうそうした悲劇的結末は背景に退けて、後場での仲国の単騎行による月夜の嵯峨野の情景描写と男舞を見せ聞かせることにフォーカスしていたようです。

お茶の水

「お茶の水」を見るのは二度目。前回見たときも、若々しくて楽しい曲だなと思いましたが、前回はいちゃを演じた山本則俊師が今回は住持を演じるのがポイント。あのぼそぼそっとした味のある語り口がなんとも言えず好きなのですが、確かに若い娘であるいちゃよりは堅物の住持の方が似合っている感じ。しかし、前回の一見ミスマッチな配役もまた面白みがあったかもしれません。そして今回のいちゃはその則俊師の次男の則秀師。夕暮れに水汲みを命じられて不安を消すために歌う歌はあまり女らしくないものの、引き込まれるものがあります。そこへ後からやってきた新発意・泰太郎師。いちゃの則秀師とは従兄弟同士になります。新発意に袖を引かれて住持に知られたらと不安がっていたいちゃも、求めに応えて歌を重ねるうちにシンクロ。二人並んで正面を向き、歌いながら水を汲む仕種、足拍子、扇、連れ舞……。最後は住持に見つかり、つかみ合いになった新発意と住持のどちらに加勢するか迷ったあげく、いちゃは住持の足をとって押し倒し、新発意と二人手に手をとって(?)逃げてゆきます。この結末もオチとして上質ですが、今回は男女の掛け合いの中での実にほのぼのとした二人の世界に、うっとり見惚れてしまいました。

三輪

4月に文楽を観に大阪まで行った翌日、奈良の三輪山周辺を歩いたのですが、そのときに見かけたのが下の写真の玄賓庵。そこには、こんな解説の看板が掛けられていました。

ここは玄賓僧都が隠棲していた庵で、ここには重要文化財の木像不動明王座像が伝わっています。謡曲で有名な「三輪」は玄賓と三輪明神の物語を題材にしたものです。玄賓は弘仁九年(818年)になくなりました。

有名な三輪山伝説は、神代の頃、活玉依姫のもとに夜な夜な通う男があったが、その素性を知りたいと一夜衣の裾に糸を刺して翌日これを頼りに訪ねて行くと三輪神社に入ったので、この男は大物主であることがわかったという古事記の伝承で、文楽の「道行恋苧環」はこのエピソードを転用しています。謡曲「三輪」の作者である世阿弥は、シテに神代の恋物語を上品に語らせるためにシテを女性とし、その相手役として平安初期の高潔の僧として高名であり三輪山にも所縁のある玄賓僧都をあてたのでしょう。ちなみに、俗世との交わりを厭う気持ちの強かった玄賓は後に出奔し、後に粗末な身なりの渡し守になったという言い伝えが鴨長明の『発心集』に紹介されていますが、この話はヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を連想させますね。

それはさておき、舞台上では大小前に杉小屋の作リ物。周囲を引廻しに囲まれ、上部には杉の葉を立てています。何やら妖しげかつ寂しげな笛の音に乗ってワキ・玄賓僧都(宝生閑師)登場。手元の詞章では玄賓と申す沙門にて候とあるところを「僧にて候」とあえて名乗らなかったのは、上述の玄賓僧都の人柄を考えてのことでしょうか?このところどこからともなく女性が一人やってきて樒閼伽の水を運んで来るので、どこから来るのかと尋ねてみようと思うとワキが説明して脇座に収まったところでヒシギ、次第の囃子となって黄茶系のとても地味な紅無唐織着流、左手に樒を持った前シテ・里女(観世喜之師)が登場します。三輪の山もと道もなし、檜原の奥を尋ねんと静かな、ゆったりした次第に合わせるように、地取もこれ以上ないほど低く、静か。やがてワキとシテとの間での問答にはシテの次第からも読み取れる玄賓の庵の寂しい様子が山頭には夜孤輪の月を戴き、洞口には朝一片の雲を吐くと漢詩を引用した風格のある詞章で詠み込まれ、たとえようもなく緩やかな時間が流れて、私の意識も一瞬、上代の彼方へ……。

やがてシテはワキに向かって、秋も夜寒になったので御衣を一重賜りたいと願い、ワキも易いことと衣を与えます。ここでは詞章の通りに受け取っておきますが、「衣を賜る」とは元来受戒することを意味するようですね。ところが、衣を押し戴いて下がろうとするシテが常座に着くわずか手前の絶妙なタイミングでワキが発した「暫く」にシテはギクリとフリーズ、緊迫した空気が流れます。重ねてワキがさてさて御身は何処に住む人ぞと問うとシテは我が庵は三輪の山もと恋しくは 訪ひ来ませ杉立てる門と古今集の歌を引いて作リ物の中に入ります。そして作リ物の上から、作リ物の上の枠と引廻しの上辺の間へ衣がはみ出すように出されて、アイ語り。アイ・里人は三輪神社の縁起をひとしきり語った後、ご神木の一の枝に玄賓僧都の衣が掛かっているのを見て不思議に思います。そこでワキのところに言ってそのことを告げたところ、ワキも合点がいった様子。アイはその女は疑いなく当社大明神だろうから、神前へ参ってごらんなさいとワキに勧めて、下がっていきました。

後場に入って、ワキは草庵を立ち出で三輪の里へ。見れば杉の木に前シテに与えた衣が掛かっており、その褄には金色の文字で三つの輪は清く浄きぞ唐衣 くると思ふな取ると思はばと歌が書かれています。宝生閑師がこの歌を美しく歌い、大小の鼓による心にしみ入るようなアシライの後に、作リ物の中からちはやぶる神も願ひのある故に 人の値遇にあふぞ嬉しきと神がかった後シテの声が聞こえてきました。お姿をお見せ下さいというワキの懇願にやがて出てきたのは、紫地に金の模様も美しい長絹、緋大口、そして風折烏帽子姿の三輪明神。長絹を着ていますから女神ですが、烏帽子姿ということはそれが男装しているということになります。したがって、これを巫女に大物主命が依り憑いていると見ることもできるようです。ともあれ、シテが正中に立ったところで、作リ物の引廻しがはずされ、舞台上はすっきりしたものになります。

それ神代の昔から始まるクリ、さらにサシと神婚説話を語る地謡・囃子方を後ろに聞きながら正中に立ち尽くすシテの姿は神々しいばかりですが、女が夜毎通ってくる男の正体に不審を抱くくだりを謡うクセに入ると足拍子がつき、厳粛な雰囲気を漂わせた舞が始まります。その姿はやがて男に結んだ糸を追い、神木に辿り着く写実的な型となってクセを終えますが、興が乗った(?)シテは続いて神代の物語を語って上人を慰めようと言うと天の岩戸説話を始めます。「八〜百萬」と地謡が引っ張る間にシテは手にしていた扇を御幣に持ち替え、太鼓も入ってきて囃子方の雰囲気ががらりと変わると神楽になりました。一歩進めた爪先を上げ、静止させてから下ろす独特の足遣い。御幣を捧げ持って舞台を回り、足拍子。正面に向かって二礼、さらに舞台上を動きながら足拍子をきかせた後、御幣を逆手に持ってはっと袖を返す鮮烈な型。そうした見応えのある舞の後に、御幣を後見へ戻したシテは扇に持ち返るとテンポアップして、さらに鋭い足拍子や扇遣い、袖遣いを見せる忘我の舞が続きます。いつしか作リ物は天の岩戸そのものとなり、ダイナミックな舞の中に示される神楽の熱狂が見所をも支配するうちにキリを迎えて、シテが常座で留拍子を踏みました。

仕舞四番は、「江野島」「田村」「雲雀山」「阿漕」から。毎度思うことですが、能楽師の身体能力の凄さは仕舞を観ると際立って鮮やかに感じられます。とりわけ「江野島」で観られた回転や跳躍などの激しい動きのキレの良さと、どのように激しく動いても身体の芯がまったくブレない安定感は、能楽師がActor でありArtistであると同時に、Athleteでもなければならないことを如実に物語っています。

鵜飼

先日観た「善知鳥」と共に、三卑賤のうちの一曲。摂津猿楽の榎並左衛門五郎による先行曲を世阿弥が改作したものだそうです。

美しい音色の笛、そしてワキ・旅僧(殿田謙吉師)は角帽子に水衣、熨斗目といった定番のいでたち。よく通る声で安房から甲斐の国行脚を志した旨を名ノリ、ワキツレと向かい合っての道行のうちに石和に着いた旨が語られました。安房出身ということから、この旅僧が日蓮であることが窺われますが、この曲の中では明示されることはありません。さて、ここでいきなりアイ・里人との問答。ワキはアイに宿を貸してほしいと頼むのですが、アイは大法で禁じられているので貸せないといったんは断ります。しかし、諦めて立ち去ろうとするワキを呼び止め、あそこに見える御堂に泊まりなさい、ただしそこには夜な夜な光り物(?)が出てくるので心するように、と注意します。

ヒシギ、そして耳に痛いほどの鋭い大鼓の打音の中に、茶の絓水衣、同系色のグラデーションがかかった腰蓑、そして尉面をかけた前シテ・尉(津田和忠師)が松明をかざしながら登場しました。一声は鵜舟にともす篝火の、後の闇路を如何にせんと、この短い詞章の中に一曲の主題が見事に織り込まれています。続くサシでも夏川に鵜使う事の面白さに殺生をするはかなさよと謡い、雲上人は月がない夜半を悲しむのに自分は仕事柄闇になる夜を喜ぶのだ、と自身の業を嘆きます。そのシテが御堂に入り鵜を休めようとするところでワキに気づき、と松明を持ったまま立ち尽くします。以下はワキとの問答となり、ワキが宿りを断られてこの御堂に一夜を過ごしていることを説明するとシテも納得。見ればずいぶんな歳のようだが、このような殺生の業はもうやめてはどうか、と問うワキに対し、シテはもっともながら若年よりこの業で生きてきたので、今さら止めようもないのですと半ば自嘲気味に答えます。そのときワキツレ・従僧が、この人は二三年前にこの近くを通ったときに泊めてもらったことがある鵜使いに違いないと口をはさみ、シテもそう言えばあなたは、と思い出した様子ですが、続いてシテの口から語られたことはなうその鵜使こそ空しくなりて候へと衝撃的な事実。それはなぜ?と驚く様子も見せないワキに、シテはそのときの有様を語って聞かせるので、弔って下さいと頼みます。

ここから、シテは正中に下居して「語」。石和川のこのあたりは殺生禁断であったのに夜な夜な忍んで鵜を使っていたシテは、ある夜、所の人々に待ち伏せされて捕まり、手を合わせての懇願も空しく川に沈められてしまったのでした。これを聞いたワキがシテに、罪障懺悔のために鵜を使ってお見せなさい、跡を懇ろに弔いましょうと声を掛けると、シテは業力の鵜を使うて御目にかけ候べしと喜び、松明と扇(骨が多いので扇子?)を手に鵜を使い始めます。鵜籠を開いて取り出した鵜たちを川波にばっと放つと、篝火に驚く魚たちを追い回して潜き上げ抄ひ上げ、隙なく魚を食ふ時は、罪も報いも後の世も忘れ果てて面白やと夢中になってしまいますが、鵜を使っている時間が短いことや、所作がおとなしいせいもあり、「善知鳥」のシテが見せた憑依の鬼気迫る恐ろしさまでは感じられません。それでも不思議やな篝火の、燃えても影の暗くなるは、思ひ出でたり月になりぬる悲しさよと我に返ると松明・扇を取り落としてモロジオリとなり、鵜舟の篝影消えて、闇路に帰るこの身の名残惜しさを如何にせんと消えゆく篝火にシテの魂の揺らぎを重ね合わせる巧みな詞章を置いて、寂しく中入となりました。

原曲ではここで終わりとなっていた可能性もあるそうですが、現在は後場があるので、ここで間狂言が入ります。ここはアイの一人語りではなくワキとの問答になり、ワキが「罧刑ふしづけ」にされた鵜使のことを尋ねると、なんとアイは我らが手にかけて殺したとこともなげに答えます。竹を割り、簀に編んで鵜使を簀巻きにし、重石をくくりつけて石和川に沈めたのだが、別に間違ったことはしていないと思うけど、何か?といった感じのアイの恐ろしい説明に、ワキは先ほど鵜使の老人と会ったことを説明。アイは、回向にあずかりたいと現れたのだろうから弔ってあげて下さいと述べて下がります。シテはその殺生の業によって浮かばれずにいるわけですが、この問答を聞くとこの世もまた修羅、という感じがしてしまいます……。

ワキとワキツレは河原の石を拾っては一文字ずつ法華経の文字を書き付けて波間に沈め、鵜使を弔いますが、そのことによってなどかは浮かまざるべきと鵜使の救済が示されると太鼓が入り、さらに早笛となって囃子方が高揚したところへ勢いよく幕が揚げられて後シテ・閻魔大王が登場しました。唐冠、赤頭、癋見面。黒地に雲文様の金箔の狩衣、紅地の半切。複式能では珍しく、前場と後場で別人格となっていますが、これも後場を世阿弥が後からつけたことによるのでしょう。橋掛リから鵜飼が僧の功力によって仏所へ送られたことを述べると、舞台に進んでロンギ。地謡との掛け合いで法華経の功徳を褒め讃えながら、閻魔の迫力をもって拍子を踏み、正中にどすん!と安座。キリはげに往来の利益こそ、他を済くべき力なれと最後まで抹香臭く、常座で留めました。

「善知鳥」が後場に猟師の修羅を見せて、その罪深い生業への忘我と地獄での報いの凄まじさに圧倒的な迫力を感じさせたのに比べ、こちらの「鵜飼」は鵜遣いの場面を前場に置いて短く、後場でも閻魔王に法華経の徳を語らせるどたばたとしたハッピーエンド。その深みの不足に「うーん」と少し物足りないものを感じながら、附祝言を聞きました。さて、それでは三卑賤の最後のひとつ「阿漕」はどうなんでしょうか?それはいずれの日にかのお楽しみ。

配役

能「小督 替装束 シテ・源仲国 谷村一太郎
ツレ・小督局 木原康之
トモ・侍女 野村昌司
ワキ・勅使 大日方寛
アイ・里人 山本則孝
主後見 武田志房
地頭 野村四郎
一噌庸二
小鼓 幸信吾
大鼓 柿原光博
 
狂言「お茶の水」 シテ・新発意 山本泰太郎
アド・住持 山本則俊
アド・いちゃ 山本則秀
 
能「三輪」 前シテ・里女
後シテ・三輪明神
観世喜之
ワキ・玄賓僧都 宝生閑
アイ・里人 山本則重
主後見 観世恭秀
地頭 観世清和
杉市和
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 國川純
太鼓 小寺佐七
 
仕舞 江野島 武田尚浩
田村キリ 武田宗和
雲雀山 木月孚行
阿漕 寺井栄
 
能「鵜飼」 前シテ・尉
後シテ・閻魔大王
津田和忠
ワキ・旅僧 殿田謙吉
ワキツレ・従僧  
アイ・里人 山本則秀
主後見 関根祥六
地頭 高橋弘
藤田次郎
小鼓 幸正昭
大鼓 守家由訓
太鼓 桜井均

あらすじ

小督

源仲国は、宮中より身を隠した小督局を捜すようにとの勅命を受け、嵯峨野へ赴く。十五夜、夫を思う曲である「想夫恋」を奏でる琴の音を頼りに小督を見つけた仲国は、小督に帝の文を渡し、返事を預かる。そして名残りの酒宴で舞を舞い、都へ帰る。

お茶の水

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三輪

大和の三輪に住む玄賓僧都の元へ女が訪れ、僧都に衣を一枚乞うと、杉木立の門を目印に来るようにと言って姿を消す。訪ねた僧都が神木に掛かった衣と和歌を見つけると、巫女の姿を借りた三輪明神が現れ、三輪の神婚伝説を物語り、天の岩戸神楽を舞い、夜明けと共に消えていく。

鵜飼

旅僧一行は石和川にて鵜使いの老人に出会う。その老人は殺生禁断の川で漁をしたために殺された亡霊であった。鵜使いは旅僧に生前の様子を語る。やがて鵜使いを弔う僧の前に閻魔大王が現れ、法華経の功力により鵜使いを成仏に導いたことを告げ、法華経を礼賛する。