楊門女将(上海京劇院)

2006/05/28

東京芸術劇場(池袋)で、上海京劇院の「楊門女将」。そんなに久しぶりという意識はなかったのですが、SARS騒ぎの影響もあったせいか、上海京劇院を観るのは四年ぶり。主演はもちろん、青衣と武旦の両方をこなすスーパーヒロイン史敏です。

「楊門女将」は、宋の時代、辺境守護の元帥である楊家の当主が西夏に討たれたため、楊家の女たち(嫁や娘たち)が出征して見事に西夏を打ち破るというお話で、そのうちの一部(「探谷」)は折子戯として観たことがありますが、通して観るのはもちろん初めて。今回はこの長編を各2時間のAプロ(女将集結編)・Bプロ(女将合戦編)に分けており、どちらかだけでも観ることができることになっていますが、もちろん今日は両プロを続けて観ました。演出は、これまた日本でもおなじみの厳慶谷。ストーリーの全体をしっかり押さえながら、スピードアップを図ってあるそうです。

まずはAプロ。久しぶりに見た史敏は、その美しさに変わりなし。「寿堂驚変」では細かい目の動きやしなやかな指先の演技でも見せてくれますし、立回りももちろんお手のもの。「比武出征」での息子の楊文広との一騎打ちで、スピーディーに回転したり槍を繰り出してみせながら、しかし余裕たっぷりで母の慈愛の表情を崩しません。この人が舞台にいると、目が釘付けになってしまいます。

佘太君を演じた胡璇も、素晴らしい唱を聴かせてくれて拍手喝采。楊一門の御大としての貫禄十分で、かなりの存在感がありました。宰相・寇準と兵部尚書・王輝は意見が対立していて、言ってみれば後者は憎まれ役になるのですが、そこは厳慶谷自身が演じているのだから……というわけではないかもしれませんが、王輝も悪い奴では決してなく、ちょっとコミカルですらあります。そして二人の意見に左右されながらも一応決断は下す宋王・仁宗が何とも言えずいい雰囲気。こうしてみると、Aプロでは悪人は一人も出てきていないわけです。そんなこともあり、AプロはBプロの決戦につながる背景説明的な場面が中心なので比較的淡々と推移した感があったのですが、いよいよ「比武出征」で楊一門の女将軍たちが色とりどりの靠旗(鎧の背中に付けた四旗)で重武装し雉尾で華やかに着飾って勢揃いすると、その絢爛豪華さに会場にどよめきが湧きました。

Bプロでは佘太君のみ役者が変わって王小磚が演じます。こちらの佘太君も朗々たる唱を聴かせてくれましたが、うーん、若々し過ぎてとても百歳には見えません。そしてもちろん、「両軍対塁」での両軍の交戦場面では京劇ならではのアクロバティックな体術が次々に披露されて、客席もだんだんヒートアップしていきます。張艶秋演じる楊七娘も槍をバトントワリングみたいに身体の前や上で回したりぽんと投げ上げたり。さらに「探谷遇助」から「決戦奏凱」では史敏も華麗な槍の妙技を見せてくれて、その史敏が後ろにのけぞった身体の上を正面から敵兵が跳び越えたのには驚きました。しかも、これらの激しい動きの後に誰も息を荒げずに平然と演技を続けています。そして、これらの派手な立回りにはさまれた「祭夫夢会」で、月明かりの下で史敏がしっとりと、亡き夫を想ってつく溜め息の凄艶な美しさに、観ているこちらも溜め息。「比武出征」では母の顔、「両軍対塁」では武人の顔でしたが、ここではそうしたものを横に置いて夫を愛する妻の顔をしていて、この場面が、一番好きです。

久々の上海京劇院、贔屓の役者たちの変わらぬ姿と声を見聞きできたし、舞台装置や照明も効果的でした。ストーリー自体はひねりや起伏のあるものではありませんが、Aプロでの佘太君の存在感に唸り、Bプロでは穆桂英の亡夫を想う哀しみに感情移入させられ、あっという間の2時間ずつでした。ただちょっと残念だったのは、大好きな劉佳さんが端役っぽかった点。もちろん楊家の女将軍たちの一人ではあるのですがほとんどセリフもなく、表情を作って動き回るだけ。勇壮な女将軍ばかりの話だから、おきゃんな娘役をやらせたら絶品の花旦である彼女の活かしどころがないのかな?次回公演では、彼女が元気に活躍する演目にしてほしいものです。

配役

穆桂英 史敏
佘太君 胡璇
王小磚
楊文広 何蕾
楊七娘 張艶秋
柴郡主 任恵英
楊八姐 劉佳
楊九妹 奚鳴燕
孟懐源 唐元才
焦廷貴 任広平
楊洪 奚維堂
寇準 陳少雲
仁宗 徐建忠
薬草採りの老人 斉宝玉
楊宗保 李軍
王輝 厳慶谷
王文 劉軍
王翔 洪小鵬
魏古 虞偉

あらすじ

宋の時代、周辺国の絶え間ない侵犯に悩む朝廷は、国境の守備を楊継業の代から武勇の誉れ高い楊家一門に委ねていた。継業とその息子たちは敵国との争いの中であるいは戦死し、あるいは捕虜となり、次々に命を落とした。彼らの妻、娘たちはそれぞれ武芸に秀でていたが、継業の六男の子である当主・楊宗保が西夏との国境警備にあたる現在、開封にある留守宅・天波府は継業の未亡人である百歳の佘太君を頂点に、遺された女たちが守っていた。
寿堂驚変 楊宗保の五十歳の誕生日の祝賀の宴を準備している天波府へ、腹心の将軍・孟懐源と焦廷貴が帰着する。二人から楊宗保が西夏の伏兵の矢に斃れたとの報告を受けた宗保の母・柴郡主と妻・穆桂英は悲嘆を隠して宴席に連なったが、佘太君は気配を察して焦将軍を問いただし、悲報が明かされる。
金闕聞警 楊宗保の殉国が朝廷に伝えられ、西夏との戦争継続を主張する宰相・寇準と和睦を唱える兵部尚書・王輝の意見が対立する。宋王・仁宗は人材不足から主戦論に消極的だったが、寇準は仁宗に楊家弔問を促す。
霊堂請纓 楊家を訪れた寇準から王が和議につこうとしていると告げられた佘太君は激昂し、人材がいないのなら自ら元帥を務めると宣言し、先行将軍には穆桂英が名乗りを上げた。王輝はこれに反対したが、仁宗は出征を認める。
深宮論策 朝廷に戻った仁宗は、はやくも楊門女将に出征を命じたことを後悔している。しかし、そこへ寇準が、仁宗の詔勅に応じて多くの民が従軍を願い出ていることを報告すると、仁宗は二人の大臣を兵糧を届けに辺境に派遣し、王輝には形勢不利と見たらすぐさま和議を調えるよう命じる。
比武出征 楊家の女将軍たちが集合しているところへ楊宗保の遺児・楊文広が出征を志願してきた。楊家唯一の男子・文広を戦場に連れて行きたくない母・穆桂英だったが、佘太君の命に従い息子と一騎打ちをしてその腕に手応えを感じた穆桂英は勝ちを譲り、文広は晴れて従軍することとなる。
敵焔囂張 国境の陣営で気勢を上げている西夏王・王文のもとに、楊家の女将軍たちが迫っているとの報告がもたらされる。王文の息子・王翔は女子供の軍勢を侮るが、軍師・魏古は油断を戒める。
両軍対塁 到着早々の楊家軍を急襲した西夏軍だったが、意外な強さに敗走する。そこで魏古は天険に寄って守りに徹し、宋の食料が尽きるのを待つ策を進言する。
祭夫夢会 月夜、夫の墓に参り、泣き疲れて眠る穆桂英の夢に楊宗保が現れ、二人は喜びの再会をする。夢の中で楊宗保は穆桂英に、西夏軍に奇襲をかけるための桟道を探していたのだと告げる。
巡営籌計 幕営で、佘太君と穆桂英は奇襲策を練る。寇準・王輝の両大臣も兵糧を携えて到着した。
探谷遇助 楊宗保の供をしていた馬丁・張彪と楊宗保の愛馬だった白龍馬を先頭に桟道を探す穆桂英たちだが、道を見つけられない。しかし、楊家に心を寄せる薬草採りの老人が道案内に立ち、ついに桟道が発見される。
決戦奏凱 穆桂英軍は桟道から西夏陣を襲い、合図の火に応じて焦・孟両将軍が王文たちを挟み撃ちにする。西夏軍を一網打尽にした楊家の女将軍たちは勝利を喜び、凱旋する。