封印切

2001/11/10

近松門左衛門の人形浄瑠璃「冥途の飛脚」を歌舞伎に移した「恋飛脚大和往来」の中の一幕「封印切」は、ずっと前から観たいと思っていた演目です。この度歌舞伎座であの鴈治郎丈が忠兵衛、富十郎丈が八右衛門という組み合わせ、その上時蔵丈・左團次丈・田之助丈といった配役で掛かることになり、これは見逃せないと幕見席に陣取りました。

この芝居のサブタイトルに「玩辞楼十二曲の内」とあるように、主人公忠兵衛は初代以来の鴈治郎丈の当たり役で、「井筒屋」の明るい見世先に鴈治郎丈が姿を現すとますます舞台が輝いて見えます。思わず身を乗り出して見入ってしまいましたが、おえんの田之助丈とのやりとりにみせるおかしみが上方和事芸。舞台が回って「茶室」で梅川の時蔵丈と舞踊的な振りを見せた後、再び「井筒屋」でいよいよ富十郎丈登場。

八右衛門はもう少し憎々し気に演るのかなと思っていましたが、最初は思いの外に淡白な悪役で客席を適当に笑わせたりしていたので不思議に思っていたら、悪口雑言に我慢できなくなった忠兵衛との間での金を見せろ見せないのやりとりが上方漫才のようにテンポよく、しかしだんだん忠兵衛が二進も三進もいかなくなるように実に巧みに盛り上げていきます。鴈治郎丈にとっても見せ所のこの場面で、富十郎丈の突っ込みにきっと左を向いた瞬間に反対側の右手を後ろに回して手にしていた煙管と煙草入れを後方の仲居のところまで飛ばすという小技を見せておっと驚かせましたが、その後は徐々に追い詰められていく忠兵衛の葛藤がひしひしと伝わり、男の意地からついに預かり金の封印を切ってしまった後の悲劇への一瞬の大転換を説得力あるものにしていました。

最後に忠兵衛が一人で引っ込むのが玩辞楼十二曲独自のやり方だそうですが、死出の旅へと発つ忠兵衛の心情が哀れを誘い、しんみりと終わります。この後、忠兵衛と梅川の道行を描く「新口村」が夜の部に仁左衛門丈で用意されていましたが、今日は「封印切」で十分満足したので、そちらは別の機会に観ることにしました。

配役

亀屋忠兵衛 中村鴈治郎
傾城梅川 中村時蔵
槌屋治右衛門 市川左團次
井筒屋おえん 澤村田之助
丹羽屋八右衛門 中村富十郎

あらすじ

大坂新町の廓にある揚屋、井筒屋の遊女・梅川には忠兵衛という深く馴染んだ男がいる。忠兵衛は飛脚問屋亀屋の養子で、梅川の許に通い詰めて身請の手付五十両を払っているが、後金の工面ができずにいた。その合間に梅川を身請すると横槍を入れてきた飛脚屋仲間の丹波屋八右衛門が、井筒屋を訪ねてきて身の代二百五十両を横柄に投げ出す。梅川の心を知る主人・治右衛門は、そんな礼儀もわきまえない八右衛門になど梅川はやれぬときっぱり断るが、八右衛門はこれを聞いてむきになり、忠兵衛の悪口をあることないこと言い触らす。それを二階で聞いていた忠兵衛は堪忍袋の緒が切れ、階段を下りてきて反論し、さらに実家の父が大坂に来たときにくれた金が懐にあると見栄を張る。八右衛門との言い合いの末に突き飛ばされた拍子に金包みの封印が切れてしまい、小判が畳の上にばらまかれるが、それはお屋敷に届ける為替の金。飛脚屋が客の金に手を付けたら斬首が定め。八右衛門が去り、治右衛門、おえんもそれぞれ門出の手続に出掛けた後で、忠兵衛は梅川に事の次第を打ち明け「一緒に死んでくれ」と頼む。覚悟を決めた梅川を先に送り出し、おえんに弔いの費用のつもりで祝儀を渡すと、忠兵衛も梅川が待つ廓の西口へ、重く沈む心を隠して向かう。