世界四大文明 メソポタミア文明展

2000/11/05

世田谷美術館で開催されている「メソポタミア文明展」へ行ってきました。

メソポタミアの歴史は高校生の頃にずいぶん熱心に勉強したので、会場に入るとまず懐かしさが先に立ちました。南部のシュメールとその北に隣接するアッカド、北方のアッシリアと東のエラム人。そしてアッカドのサルゴンとナラム・シン、ウルのウル・ナンム、バビロンのハンムラビとネブカドネザル、アッシリアのアッシュールバニパルといったメソポタミア古代史の主人公達の興亡が順を追って解説され、旧知の友の事蹟を見聞きするようでとても興味深いものでした。

展示品の白眉はハンムラビ法典で、もとはバビロンにあった石碑が略奪されてスーサに運び去られたものですが、それが今はフランスのルーヴル美術館にあるというのは、考えてみれば歴史は繰り返すということなのかもしれません。他にもさまざまな土器や彫刻が展示してありましたが、これらは単体として鑑賞するよりも、それらを媒介としてメソポタミアのダイナミックな歴史に思いを馳せるというのが正しい見方なのでしょう。ウルの町の様子を再現したコンピュータ・グラフィックスもなかなかリアルで興味深いものでした。

  • ▲男性の小像(前2550年頃)。ユーフラテス中流域に栄えたマリのイシュタル神殿に納められた小像は、信者が自分の代理として神を永遠に崇めるために作られたもの。
  • ▲祈る王グデアの像(前2125年-前2110年)。アッカド帝国崩壊後の「シュメール・ルネッサンス」を押し進めたラガシュの王。
  • ▲バビロンのハンムラビ王の法典(前1792年-前1750年)。前1150年頃のエラム人による侵略でスーサに持ち去られていたが、20世紀に入ってフランスによる発掘調査により発見されたもの。
▲行列道路のライオン装飾(前580年頃)。ヘブライ人のバビロン捕囚で有名な新バビロニアのネブカドネザル2世の頃のもの。バビロンの新年祭で王とその供が通った行列道路には全部で120頭のライオンの装飾が施されていた。