超写実絵画の襲来

2020/03/22

春分の日の三連休の最終日は、Bunkamura ザ・ミュージアム「超写実絵画の襲来―ホキ美術館所蔵」へ足を運びました。

3月18日から始まる予定だったこの展覧会は、新型コロナウイルス対応のために二日遅れて3月20日に開催されたもの。舞台芸術系が軒並み公演中止に追い込まれる中、こうして催行してくれるイベントは貴重です。

例によって、まずは公式サイトから本展の惹句を引用します。

現在、ブームとも言える盛り上がりをみせる、対象をリアルに描く写実絵画。1年に数点しか描くことができないほど作家が時間をかけて向き合い、丁寧に描かれた作品には、それぞれの画家が表現したい想いが込められ、ただ細密に描かれているだけでなく、写真や映像とは違った存在感を醸し出します。本展では"写実絵画の殿堂"と呼ばれるホキ美術館が所蔵する、現在の写実絵画を代表する作家たちの選りすぐりの人気作品を一堂に集めて約70点紹介します。個性豊かな凄腕の作家たちによるバラエティに富んだ作品によって、写実絵画の醍醐味を存分にお楽しみいただけることでしょう。

ウェブ上の説明はここまでですが、図録の冒頭に掲載された主催者の「ごあいさつ」には続きがありました。そこには、ザ・ミュージアムがこれまで開催してきたアンドリュー・ワイエスアントニオ・ロペスの展覧会に言及し、本展は、まさにこのような文脈の中で開催される展覧会と位置付けることができるでしょうとありました。私の大好きなアンドリュー・ワイエスや、かつて見て感銘を受けたアントニオ・ロペスの名前がここで出てくるとは予想していなかったので、これはうれしい驚きです。

入り口で巨大な姿で待ち構えていたのは、甲殻類が好きだという島村信之《幻想ロブスター》を元にしたディスプレイ。ここでいきなり「この展覧会は色モノか?」と思わせておいて、中に進むと最初に並んでいたのは美しい女性たちを穏やかなタッチと色彩とで描いた森本草介《未来》《アンティーク・ドール》《横になるポーズ》の三点です。いずれも女性の肌のきめ細かさや柔らかな髪の一本一本、そして衣装の質感まで神経が行き届いた作品で、吸い込まれるように見入ってしまいました。

こうした女性像は他の作家も手がけており、中でも生島浩《5:55》と同《card》の二点が気になる存在でした。フライヤーの表面を飾る《5:55》は絵の中の右側の掛け時計が示す時刻からとられたタイトルで、画家が口説いてモデルになってくれた女性がその仕事から解放される約束の午後6時を前にしてそわそわしている様子を捉えたことで独特の雰囲気を醸し出しています(残念なことに彼女はこの一作限りでモデルの役割を降りてしまったそうです)。

一方、キャンバスの巨大さ(2m四方)にもかかわらず「超」細密な小宇宙を作り上げていたのが野田弘志《聖なるものTHE-IV》です。複雑に絡み合った枯れ草をもって作られた巣の中に鳥の卵が二つ。洞爺湖を望む原生林の中のアトリエの庭に営まれたこの巣には五つまで卵が産み落とされ、それらは孵化して雛となったのに、ある日雛も巣も忽然と消えていて、画家はそこに生と死とのありようを見たそうです。そうした背景事情は絵に添えられた解説で知ることができるのですが、仮にそうした説明を読まなかったとしても、この巣と卵のリアルな姿から丹念でいてはかない鳥の営みの尊さを感じとることは可能です。

さらに、ヨーロッパ静物画の伝統を受け継ぐと見えるリアルな静物画や、穏やかな田園風景を丹念に描く風景画、綾波レイとアスカに扮する少女の連作、造形と光沢とが異様な存在感を示すロブスターや甲虫類、羽毛の質感の表現に感嘆する剥製、ガラスの透明感や白墨のかすれ……など見どころを挙げればきりがないほどの多種多様な作品が並んでいましたが、とりわけ威厳に満ちた古木の複雑な形象とその足下に生茂る下草群を驚くばかりの緻密さで描いた五味文彦《いにしえの王は語る》には息を飲みました。この作品のように樹木を主題とした作品には他にも松田一聡《無題》原雅幸《ドイル家のメールボックス》がありましたが、かたや山中のぽっかり開いた空間に枯れて朽ちた木の幹が折り重なってオブジェと化したもの、かたや田園風景の前景として生き生きと葉を茂らせる大きな樫の木と対照的でありながら共に惹かれたのは、やはり木の持つ生命力(とその終焉)に対する画家の敬意が感じられるから。しかしそうした画家の敬意は生物に対してだけではなく、石黒賢一郎《SHAFT TOWER(赤平)》に描かれる炭鉱立坑櫓跡のような金属の構築物に対しても向けられていて、産業遺跡や廃屋につい反応してしまう自分の琴線に触れるものがありました。

このように画家の感性や美意識がよりビビッドに伝わってくるところが、写実絵画が「写真とは違う」ところなのだろうと思いますが、それにしてももう一つ何かが違うと思っていたところ藤原秀一《ひまわり畑》の説明にヒントがありました。この絵は横長の画面の下四分の三がひまわり畑に密生するひまわりたちで埋め尽くされているのですが、当然手前は大きく、奥は小さく遠近感をもって描かれているのに、そのどこを見ても焦点が合っているのです。

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展示:小木曽誠《森へ還る》

葉書:上段(左→右)生島浩《5:55》森本草介《横になるポーズ》石黒賢一郎《SHAFT TOWER(赤平)》 / 下段(同)野田弘志《聖なるものTHE-IV》松田一聡《無題》五味文彦《いにしえの王は語る》原雅幸《ドイル家のメールボックス》

今回の展示作品はいずれも千葉市に2010年に開館したホキ美術館の所蔵品。写実絵画専門の美術館として500点ほどのコレクションを擁しているものの、昨年10月に豪雨による水害の被害を受けて現在は休館中だそうです。リニューアルオープンのあかつきには、足を運んでみたいものです。

なお、この展覧会の作品群を観賞するにあたっては持参した単眼鏡がとても役に立ちました。他の鑑賞者の邪魔にならない距離を保ちながら、絵の細部の表現を仔細に観察することができ、豊かな感動と発見とを与えてくれました。私の還暦祝いにと旧友が贈ってくれたものですが、送り手が「世の中違って見えますよ」と言ってくれていた通り、この単眼鏡を用いることで絵画観賞の方法がまるで違ってきたことに驚いています。

1.生島浩《5:55》(部分) / 2.五味文彦《いにしえの王は語る》 / 3.三重野慶《信じてる》(部分) / 4.野田弘志《手吹き花瓶にバラ》 / 5.同《聖なるものTHE-IV》 / 6.石黒賢一郎《存在の在所》 / 7.青木敏郎《レモンのコンフィチュール、芍薬、染付と白地の焼物》 / 8.島村信之《幻想ロブスター》 / 9.同《オオコノハムシ―擬態―》 / 10.腹雅幸《ドイル家のメールボックス》 / 11.藤原秀一《萩と猫》 / 12.森本草介《未来》 / 13.磯江毅《地の音》 / 14.小尾修《Kay》