二人袴 / 羅生門

2019/12/21

国立能楽堂で『第3回 下掛宝生流 能の会』。演目は舞囃子「三輪」、狂言「二人袴」、能「羅生門」。

17世紀に金春座付のワキ方春藤流から宝生座付のワキ方としてワキ方の宝生流が分離した経緯については10月の「咸陽宮」の解説で学習したところですが、シテ方の宝生流が上掛リなのに対して金春流は下掛リ、その金春座付から分離したのでワキ方宝生流も下掛リ。この日の能「羅生門」は以下の解説にもあるようにワキ方が活躍する曲で、シテは後場に登場するだけ、しかも謡がありません。

能『羅生門』は、ワキ方で非常に大事に扱われており、数ある演目の中でも上演機会が稀な秘曲です。当流では従来、宗家もしくは宗家に準ずる者がワキを勤めていましたが、今後のワキ方の技芸伝承を考慮し、この度は門下を代表して殿田謙吉が勤めます。鬼役のシテも存在感を要する重要な役で、渡辺綱との躍動的な対決場面は見た目にも分かりやすく、能を見慣れない方にも充分楽しめる作品となっています。

三輪

まずは友枝昭世師により舞囃子「三輪」からですが、地謡は宝生欣哉師を地頭とするワキ方六人が勤めます。その柔らかい謡に乗って、明るい黄土色の紋付袴に金無地の扇のシテ・三輪明神による三輪の神婚伝説の優美な舞、さらに太鼓が入って天の岩戸神楽がおおらかに舞われました。

二人袴

理屈抜きで楽しい狂言「二人袴」は10年前に和泉流で観ていますが、今日は大蔵流、それも折り目正しい山本東次郎家の山本則俊師とその息子たちである則重・則秀兄弟が演じるとあって、どうなるのかと楽しみにしていました。山本則俊師はほとんど表情を変えることなく、しごく生真面目に振る舞っているのにおかしみが浮かんでくる芸風という認識でしたが、今回は表情豊かに困惑したり驚いたり、あるいは大仰な動きで息子と息を合わせたり。それでもやはり観客に媚びない上品な風格があり、その中から親子の情愛や婿入のめでたさが伝わってきて、期待通りに楽しい狂言でした。


まず登場したのは裃長袴に侍烏帽子の舅(山本則重師)と太郎冠者(若松隆師)。今日は最上吉日なので聟殿が来るとのことであるから、掃除など準備をせよと太郎冠者に命じます。

場面変わって橋掛リの上、侍烏帽子と熨斗目着流しの出立の親(山本則俊師)が登場し、舅方からの再々の申し入れにも息子は聟入り(結婚後に夫が妻の実家を訪れて舅と親子の契りを交わす儀式)をしていなかったが、今日は最上吉日……というわけで「則秀!」と呼び出された息子=聟(山本則秀師)も紅白横縞の着付に侍烏帽子。何をしていた?と問われれば「表で子供と遊んでいた」、今日こそは聟入をせよと言われれば「そのようなことは恥ずかしうて、イヤでござる」とプイと横を向いてしまって、どうやら大人になりきれていない様子です。重ねて聟入せよと迫られた息子は「弁慶の人形」「えのころ(犬の子)」をくれるならと条件を出しましたが、これを笑って「買うておまそう」と受け入れる父もけっこう過保護な様子。最後に父も一緒に来てくれと言われ、一度は断ったものの「それではイヤでござる」とまたプイと横を向かれた父は、仕方なく門前まで着いていくことになりました。息子が袴の入った包みを腰につけるのを甲斐甲斐しく手伝い、「一段とよい」と喜ぶさまも微笑ましく、舅の家へ向かう道々も父は聟入に際して「臆せぬように」などと注意を与えています。

着いた舅の家は父の家と違って大きく、そのことをずけずけと指摘する息子に父は「舅殿は大の有徳人じゃ」と説明し、袴を着用するようにと息子に指示をしてから家の内へ案内を乞いました。ここで父が太郎冠者に来意を告げ、これを太郎冠者が舅に取り次ぐ台詞と同時並行で橋掛リの上では息子が「こんな長い袴は履いたことがない」と困惑しています。仕方なく父が袴を履かせようとするところへ太郎冠者が戻ってきたので、慌ててしゃがんで振り返った父は「ただいま身ごしらえをして参る」と主に告げるよう返答。息子も「いま行くと言ってくれ」と言葉を重ねましたが、この太郎冠者と父子との橋掛リでの応酬はこの後何度も繰り返されることになります。

用意ができた息子に父は、自分が来ていることは言うな、もし問われたら(一緒にいたのは)家の者だと言えと言い含め、ここで待っているから早く行けと優しく息子を送り込みます。舅の前に出た聟は「無案内でござる」、これに対して舅は「初対面でござる」。聟入が遅くなったことを詫びる聟の口調は意外にしっかりしており、観ている方もいつの間にか親の気持ちになって感心してしまいましたが、このとき太郎冠者が「親御様もおいでなさる」と口を挟みました。それなら親御様もこれへという舅に聟はあらかじめの打合せ通り「家の者」だと言ったのですが、太郎冠者は父の顔を見覚えていました。そこで聟は立ち上がり、太郎冠者に呼ばせようという主には私が呼んでくると返し、私が参りましょうという太郎冠者には「身共が呼うでくる(怒)!」。

復命した息子に父は困惑、なぜなら袴は一着しか持参していません。しかし是非に及ばず、息子の長袴を自分が着用しようとするところへ太郎冠者が主の命で呼びにきたため、父は「ただいま身ごしらえをして……」。大慌てで長袴を着用して息子にここで待っているようにと告げた父は、これは「迷惑なことじゃ」とぼやきながらよれよれの長袴を整えつつ舅の前に出ました。初対面の挨拶に続いて息子の聟入に付いてきたことの言い訳をした父は、聟殿も呼ぼうという舅の言葉に先ほどの息子同様に大慌てになって自分で呼んでくると立ち上がります。

もう一度、聟だけが舅の前に戻りましたが、父も呼ぼうという舅に「もう帰った」と言えば太郎冠者に追いかけろと舅が命じるので、やむなくまたしても橋掛リへ。これでは盃がならないので両人揃って来られるようにと舅の言葉を太郎冠者が取り次いで、父と息子は往生します。取り合いになった袴が前後二つに裂けてしまい、そこへ呼びに来た太郎冠者に聟は「ああ〜せわしない!今行くとおしゃれ!」と逆ギレ。太郎冠者が戻ったところで父が知恵を出し、裂けた袴をそれぞれ前に当てることにします。これが二人袴と感心する息子に、父は絶対後ろを見られないようにせよと念を押して二人揃って舅の前に進みましたが、舞台に入るときに父が息子に「あー!」と注意してカニ歩きになって脇正に居並びました。これでやっと盃事が始まります。

太郎冠者の酌によりまず舅から一杯、ついで聟。なみなみ一杯飲めるか?と心配顔の父を横目に聟は軽く飲み干したものの「あ〜辛い酒じゃ、茨を逆茂木にしたような」と思わず正直に声を上げてしまい父からたしなめられます。これを聞いて甘い御酒を用意させようとした舅に聟はこれでよいのでもう一杯となり、以下、聟→舅→父→舅と盃が行き来してめでたく盃が納まりました。

ここで舅はあらたまって、聟に舞を所望します。これを聞いて父は狼狽した口調で、息子は不調法で云々となんとか舞を断ろうとしたのですが、舅と父との押し問答を聞いていた聟は突然「もうし、舞いましょう!」。驚いた父は素っ頓狂な表情で舅と太郎冠者を見やり、ついで息子に袴の後ろを指差してから、二人で大きく頷き合いました。父の小謡「盃」(盃に向かへば……)に乗っての息子の舞はしかし、片膝を立てただけで前後左右に動くもの。その姿勢で横に動いても姿勢が崩れないのがある意味すごいところですが、舞い納めたところで舅から何故に立って左右に回らないのか?と問われて聟は咄嗟に「右にも左にも指神さすがみがござる」と方便を使い父もこれに同調します。納得しない舅と父との間でまたしても押し問答が始まり、再び聟は「もうし、立って舞いましょう!」。再び息子と父との間のサインの交換の後、態度を改めた父の「桑の弓」(桑の弓蓬の矢……)で聟は立って舞い始めましたが、謡の途中で舅の背後を扇で指し、舅と太郎冠者がぐるりと見回している間にくるりと小回りして舞い納めてしまいます。

しからば三人で合舞にしようという舅に父と聟も余儀なく同意して、一緒に「雪山」(春ごとに君を祝いて若菜摘む……)を謡いながら連れ立って舞い始めましたが、太郎冠者が父子の袴に後ろがないことに気付いて舅に報告します。父子は面目ないと恥じて下がってゆき、舅は太郎冠者と共に「まず待たせられい」とその後を追いました。

羅生門

観世信光作の切能で金春以外の各流にあるそうですが、この日シテを勤めた粟谷明生師の喜多流では、1983年の友枝昭世師、1987年の粟谷菊生師以来の三回目、32年ぶりだそうです。前場の争論はすべてワキ方、後場の格闘もワキが活躍する、ワキを主人公とする珍しい能。


次第の囃子があって、風折烏帽子に長絹姿の源頼光(宝生尚哉師)、侍烏帽子・掛直垂大口出立の平井保昌(野口能弘師)、立衆=坂田金時・碓井貞光・卜部季武・独武者、そして渡辺綱(殿田健吉師)。頼光を脇座近くに、綱を常座に配して七人向かい合い治まる花の都とて、風も音せぬ春べかな。見事なまでに壮観です。続いて頼光から、大江山の鬼退治を終えて今日も四天王と酒宴を開こうとする旨が語られました。宝生尚哉師は欣哉師の次男でまだ高校一年生、変声期を終えたばかりに聞こえるやや舌足らずな発声でしたが、態度は一門の棟梁らしく堂々としています。

舞台上は都の頼光の館、重厚な謡による上歌があって綱がまづかうかう御坐候へと着座を勧め、頼光は脇座で床几に掛り、その隣には保昌、立衆もずらっと居並んで、綱が一人常座に手をついています。雨が降り続く春の夕の無聊を慰めようと酒と共に語らい合う様子が地謡によって謡われるうちに綱は扇を手に進み出て、頼光と保昌に酒を注ぎました。クセ思ふ心のそこひなく……の上ゲ端しなじな言葉の花も咲きは綱。そして綱は常座から正中へと位置を改めます。

ここで頼光がいかに保昌と呼び掛けて近頃都に珍しいことはないかと問うと、保昌は九条の羅生門に鬼神が住んでいるので日が暮れると人も遠らなくなるという話をしました。するとその言葉が終わるのも待たず綱はああ暫く、御前にて左様の事をば申さぬ事にて候と憤然と言い放ち、王城の南門である羅生門に鬼が棲みつくなど許されることではない、いい加減なことを言うなと気色ばみます。保昌も負けずに、そう思うのなら今夜羅生門に行ってみろと言い返せば、それは自分が羅生門に行けまいと思ってのことだなと綱も激昂して、酒宴の場は一気に険悪な雰囲気に包まれます。売り言葉に買い言葉の応酬を立衆が止めに入りましたが、綱はい〜〜〜や〜〜〜とこれを制して保昌には遺恨はないが君(天皇)のためにと印を求め、頼光もこれを立て置いてくるようにと高札の頭の部分の形をした札を投げました。これを拾った綱は押し戴いてから正先に出て、右手に扇を掲げ、左手には札。ついで頼光に一礼し、常座で札を前に構え鬼を倒さなければ戻らぬ覚悟を示して、一気に揚幕へと駆け込みました。

早鼓が奏されるうちに一同は橋掛リを下がってゆき、入れ替わりに右肩を脱いだ姿のアイ(山本則重師)が忙しや忙しやと登場します。このアイは綱の家人で、綱の羅生門行に供をしようと身ごしらえをしてやってきたのですが、揚幕に向いて「綱は供はいらず一人で向かう」ということを聞き参らぬが幸せと安堵。それでも何かあればここまではやってきたことを言ってほしいとアリバイを頼むのは、昨日の「橋弁慶」の間語リとまったく同じパターンです。

アイが下がったところで一畳台が出されて大小前に置かれ、ついでその上の見所から見て右寄りに朱色の屋根と赤紫の引廻しの宮の作リ物が立てられて、これが羅生門を表します。

一セイの囃子と共に橋掛リに登場した綱は、鍬形をつけた黒頭を兜と見立て、黒地に金の矢車文様の側次、黒金石畳文様の半切という出立。ちなみにワキが半切を履くのは下掛宝生流では「羅生門」「張良」「大蛇」のみとのことです。勇壮なその姿を謡う詞章と共に橋掛リを行き来した綱は、春雨の中東寺の前を打過ぎて舞台に進み、目付あたりから小手をかざして羅生門を見渡したものの、俄の強風に馬が立ち往生したために常座から馬に見立てた鞭を後見座へと捨てて、羅生門の石壇にあがりと一畳台に乗って懐から取り出した札を宮の引廻しの上から差し入れました。すると引廻しが3分の1ほど下がって赤頭の鬼が顔を出し、腕が伸びて綱の黒頭をつかみます。綱は太刀を抜き黒頭のあご紐を引いて鬼に黒頭を引き込ませ、舞台に降りて脇座に右膝をつき太刀を構えると、引廻しが上げられた後に宮の後ろから、赤頭・緑地に金の文様の法被・朱地に金文様の半切という出立のいかにも怖そうな鬼(粟谷明生師)が先ほど奪いとった黒頭を手にして登場しました。

鬼は黒頭を投げ捨てると一畳台から飛び降り、打杖を手に綱を威嚇する舞働。さらに鬼と綱との激しい立回りとなって、綱はすれ違いざま飛び上がって鬼の杖をかわすと背後から斬りかかりついに腕落ち落として打杖が舞台上に落とされます。鬼は脇築地のぼり、虚空をさしてあがりけるを一畳台に片足をかけての上がり下りから橋掛リを下がってゆく姿で示し、綱はこれを追って常座で跳躍を見せつつ二ノ松まで進んでから舞台に戻ると綱は名をこそ、あげにけれと目付あたりで太刀を振るいながら威勢を示して、常座で留拍子を踏みました。


頼光四天王の筆頭にして一条戻橋の上で鬼の腕を落とした剛勇の武者として知られる渡辺綱の姿を活写して勇壮無比。50分弱と短い曲ですが、前場の論争は保昌と共に気迫に満ちていましたし、後場の鬼との闘争も「橋弁慶」の弁慶と牛若との立回りに負けず劣らず激しく、ワキ方には異例な型の連続で見応え十分です。さらに舞台上のワキ方の人々がこの曲を大事に演じている様子が伝わってきて、よいものを観たという感慨を得ることができました。

また、上述の喜多流による1983年の公演時には宝生欣哉師が頼光、殿田謙吉師は立衆。92年は宝生欣哉師が綱、殿田謙吉師は保昌を演じたとのこと。次に下掛宝生流で「羅生門」が上演されるときにも、それぞれの役を今日のこの舞台上にいた面々が役どころを変えて演じることになるのでしょうか。それが何年後のことになるかわかりませんが、今から楽しみです。

配役

舞囃子「三輪」 シテ 友枝昭世
松田弘之
小鼓 観世新九郎
大鼓 國川純
太鼓 小寺真佐人
地頭 宝生欣哉
狂言「二人袴」 山本則俊
山本則重
山本則秀
太郎冠者 若松隆
能「羅生門」 シテ・鬼 粟谷明生
ワキ・渡辺綱 殿田謙吉
ワキツレ・頼光 宝生尚哉
ワキツレ・保昌 野口能弘
立衆 則久英志
立衆 舘田善博
立衆 大日方寛
立衆 平木豊男
アイ 山本則重
松田弘之
小鼓 観世新九郎
大鼓 國川純
太鼓 小寺真佐人
主後見 友枝昭世
地頭 粟谷能夫

あらすじ

二人袴

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羅生門

勅命に従って大江山の鬼神を平らげた源頼光一党、此頃は頼光の館で日夜酒宴を繰り広げていた。春雨の降りやまぬ或る日の暮れ、一同はいつものごとく和やかに酒を酌み交し、宴もたけなわとなった頃、頼光が平井保昌に、近頃都に何か珍しい事はないかと問うと、保昌は羅生門に鬼が棲むという噂を申し述べる。それを聞いた頼光四天王の中の一人・渡辺綱は保昌を咎め立て、両者の間に激しい口論が勃発。王城の南門に鬼が棲むなど打ち捨てておけぬと憤る綱は、羅生門壇上に立て置く為の「印の札」を頼光より賜り、猛然と座を立ち館を後にする。

口論の行きがかり上、夜中羅生門に赴く事となった綱は、馬に乗ってただ一騎、九条通りの表に打って出る。折からの激しい風雨に慄き歩みを止めた馬を乗り捨て、石壇に上がり「印の札」を壇上に立て置き帰ろうとするが、そこへ後ろから鬼が兜を掴んで襲い掛かる。綱は騒ぐ事なく太刀を抜いて立ち向かい、鬼の腕を切って帰る。