風の谷のナウシカ〔昼の部〕

2019/12/09

新橋演舞場にて、新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」。これまで実写映画化も舞台化もされてこなかったこの作品がまさかの歌舞伎化ですが、尾上菊之助丈が数年前から企画し、原作者である宮崎駿氏の許可を得て、満を持しての上演です。脚本は丹羽圭子・戸部和久、演出はG2。

映画「風の谷のナウシカ」は1984年公開。周知のように、この映画は原作である宮崎駿氏の漫画全7巻のうち2巻の途中までをもとに一部の設定とストーリーを変えて制作されており、映画公開後も描き継がれて1994年に完結した漫画は映画とは比べ物にならないほどの膨大な内容となっています。私も映画はリアルタイムで観ており、その後DVDも購入してたまに見返すことがあるのですが、原作の方は読んでいなかったため、今回の歌舞伎化の話を機に漫画版を買い揃え、にわか勉強をしてから観劇に臨みました。

なお、ストーリーは漫画版原作を見事なまでに忠実に再現しているので、以下、筋書きについての説明は省略します。

第一幕 青き衣のもの、金色の野に立つ

プロローグ
最初に尾上右近丈による口上があり、最初に前日の上演の途中で起きた事故の説明がなされました。12月6日から始まった本作の上演三日目、12月8日の昼の部の終盤で花道を引き上げていた主役の菊之助丈が騎乗していたトリウマがバランスを崩したために、菊之助丈は客席まで落ちて左肘を亀裂骨折してその日の夜の部は休演。翌九日の上演も中止が危ぶまれたのですが、「演出を一部変更して」怪我の翌日からの上演再開を実現したということです。ついで、定式幕の上に「瘴気・腐海・王蟲・トルメキア王国・土鬼帝国・巨神兵・秘石」というキーワードを浮かび上がらせて本作のあらすじを説明した上に、定式幕を横に引いて現れたタペストリー幕(特注品!)を用いて作品の世界観を懇切丁寧に解説してくれました。
腐海の場
琴の演奏によるテーマ曲(久石譲作曲のあれ)が流れ、本編最初は腐海の場。巨大なヘビケラがゆらゆらとうねりながら進み、その奥から王蟲の姿が登場して紗幕の上に「風の谷のナウシカ」とタイトルが投影され、のっけから「ナウシカ」の世界に引き込まれます。ナウシカ(菊之助丈)の出立ちは原作に忠実ですが、キツネリスがユパを介さずいきなり登場するのは時間短縮、しかし「こわくない」のやりとりはしっかり描かれました。そして墜落したペジテの船に乗っていた王女ラステルは着物、秘石をナウシカに託して亡くなった彼女を看取るナウシカの台詞は「お休みなされて下さりませ」とやはり歌舞伎調です。
風の谷場内広場の場
続く風の谷場内広場の場では、客席の通路に風車かざぐるまを持った純和風庶民の男女がわらわらと走り込んできて賑やかに踊り、ついでユパ(尾上松也丈)がトリウマを連れ、ミト(市村橘太郎丈)に案内されて花道に登場しましたが、こちらのユパはかなり若々しくすっきりしたイケメンで、腰に大小を差しつば広の帽子をかぶった無国籍な感じです。舞台上には、大きなベッドの上に紫の病鉢巻で横たわるジル(河原崎権十郎丈)。ナウシカがペジテ滅亡を報告したところへ花道から乗り込んできたのがクシャナ(中村七之助丈)率いるトルメキア軍で、クシャナは原作に忠実な銀色の装甲姿ですが、家来たちの武装はやはり日本の戦国時代風で、その装束が黒と銀の鱗紋なのはトルメキアの旗印「双頭の蛇」に応じたもの、ナウシカと一騎討ちをする兵士が剣ではなく鉞を遣うのは和風に見えて実は漫画版原作に忠実です。
同 ナウシカ実験室の場
クシャナ一行が引き揚げたあとにユパがテト(を遣う黒衣)の案内で地下のナウシカの実験室に向かう場面がチャリ場で、ユパは、舞台上手から階段を降りて客席を見渡すと驚いて「人のような置物だらけではないか」。さらに通路を辿ったテトが途中で客席を横に強引に突っ切ると、ユパもしばしためらった後にテトを追って横一列の客の膝の前を通り抜けようとしましたが、ユパは二本差しなので大変な苦労をしていました。しかしお客は大喜び。
空中 ガンシップの場
雲上の集結の場面は舞台上に幕を広げて雲となし、その向こう側にガンシップの作り物。トルメキアの大型船を撃墜したものの反撃に遭って落ちていくペジテのガンシップを追うためにメーヴェに乗ったナウシカの見得。
腐海・森の奥の場 / 同 森の底の場
腐海の情景を描く幕が降りて、虫たちに追われたアスベル(右近丈)が花道に登場。舞台上で蟲たちが豪快にとんぼを切っての立ち回りとなります。追い詰められたアスベルが切腹しようとしたときにナウシカが花道に現れて光玉で蟲を静め、二人で腐海の奥底へと逃れると幕が上がり、暗闇の中に巨大な王蟲の赤い目が光るのが不気味。その目はやがて青く色を変え、王蟲の声(市川中車丈)が「小さきものよ」とナウシカに呼び掛けます。ナウシカ の夢の中で、少女時代のナウシカが大人たちに王蟲の幼生を取り上げられたことを思い出す場面では、和楽器による「王蟲との交流」(「らんらんらららんらんらん」と歌うあれ)と共に子役が稚児姿で登場しましたが、これはなかなかの名演。一方、森の底に結晶が降る様子はプロジェクションマッピングが活用され、テクノロジーの活用がさりげなく光ります。
酸の湖・トルメキア軍宿営地の場
本国から派遣されたクロトワ(片岡亀蔵丈)がここから芝居に参加しますが、最初に配役を見たときにクロトワが亀蔵丈ということを知って、これはハマり役だとうれしくなってしまいました。期待に違わず、亀蔵丈はのっけから存在感抜群です。
土鬼マニ族浮砲台の場 / 元の酸の湖・トルメキア軍宿営地の場 / 酸の湖・中洲の場
足軽姿の土鬼兵たち、「善知鳥」のシテの漁師を連想させるマニ族僧正(中村又五郎丈)。アスベルを残してナウシカがミトと共に花道を去ったところで舞台が回り、クシャナの本陣を襲う王蟲の大群の姿が幕に描かれています。兄皇子たちの罠に無念を噛み締めるクシャナが花道から退避した後に幕が切って落とされて中洲の情景となり、ここでは酸の湖に入ろうとする幼生を必死に止めようとするナウシカの様子を上手床の竹本が「とどまりくれよと押し戻せど〜」と切々と謡いました。さらに王蟲の幼生と心を交流させる場面には子役による王蟲の精が登場し、胡弓や笛・三味線を用いた「王蟲との交流」を聴きながら連れ舞の舞踊を見せて、さらに引抜きでピンクの衣装が一瞬で青く変わり、金色の布(?)が舞台一面に広がって七三から僧正が「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」という伝承を思い出します。最後にナウシカの背後で金のリボンが飛び広がって幕となりました。

第二幕 悪魔の法の復活

工房都市セム酒場の場 / 腐海・土鬼の基地王蟲培養室の場
酒屋での女中たちの歌舞伎舞踊に続いて、ユパの登場。蟲使いたちの衣装の青・赤・緑などの原色が鮮やか。その蟲使いたちの後を追ってユパが去るといったん定式幕が引かれ、再び幕が開くと王蟲培養室の場。墨染めの法体の部族長たちが下手の袖から横に走る照明に照らされて議論を重ねた後に舞台全体の照度が上がると、培養室の全体像が見えてきました。背後の高いところにある大きなガラス管の中では王蟲の幼生が数匹うごめき、培養槽の手前は二段になっていて左右と中央の階段が舞台と培養槽の間をつないでいます。そこへ現れたユパが培養槽を破壊しようとしてまず蟲使いたちと立回り。さらに花道から駆け込んだアスベルがユパと対峙すると見せかけて、太刀を合わせながら助力することを告げて培養槽の破壊を始めたところから、本水を使った豪快な立回りとなりました。培養槽の周囲のパイプを断ち切るとそこから驚くほど大量の水が吹き出し、二人を倒そうとする蟲使いたちが切りかかっては中段の左右に設けられているプールに落とされて派手な水しぶきを上げています。これでもかというくらいに立回りが続くうちに蟲使いはもとよりユパもアスベルも水をかぶってびしょ濡れになり、さらにユパが正面階段の途中から舞台上のアスベルの上をジャンプして飛び越すと客席からは「おぉー!」という歓声が上がりました。二人は花道に退いたところで追手に挟まれましたが、ここでも追手たちの一人がかがんだアスベルの上を跳び越えるダイナミックなとんぼを見せ、最後に追手を倒した二人は六方で花道を引いて行って大喝采。この日、最も盛り上がった場面となりました。
同 荒野の場
舞台上に僧正、花道には高位僧侶の姿の僧官チャルカ(中村錦之助丈)と実悪の隈取りも憎々しい皇弟ミラルパ(坂東巳之助丈)。僧正を殺したミラルパがその超能力でナウシカを滅ぼしに行く場面では、ミラルパの姿がセリ上がってぶっ返りにより銀色の衣装に早変わると共に舞台上に雲を示す布が広がることで生き霊となったことを示し、どろどろと鳴り物が鳴る中すっぽんから登場したナウシカがミラルパの呪力によって舞台へ引き込まれるもセリ上がってきた僧正の霊がその呪縛を解くとミラルパの姿は奈落へ消えていく、といった具合に歌舞伎ならではの舞台機構が存分に活かされます。最後は舞台下手のユパとアスベル、上手のナウシカとクシャナ、セリの上のミラルパとチャルカの計六人が台詞を回す歌舞伎らしい演習のうちに幕。

第三幕 白き魔女、血の道を征く

空中・トルメキア装甲コルベット操舵室の場
土鬼の地をの上空を南に進むコルベットの操舵室の中で、実は三皇子の回し者であるクロトワに正体を明かせ、さあ、さあとピストルを向けるクシャナ。観念したクロトワが「尻尾を出しちゃうよ」とどっかと座り込んで七五調の乗り地で告白する場面は明らかに「弁天小僧」の見顕しのパロディーで、台詞の中には「旧世界のジパングじゃ、義経公の梶原景時」と自分の立場を巧みに解説するフレーズもあって楽しいところ。そしてクロトワの口から自分を葬ろうとしている者が父のヴ王その人であることを聞かされたクシャナは、一度は衝撃を受けた表情を見せたものの、気丈に立ち直って決意のほどを示しました。
サパタ都城城外土鬼攻城砲台の場 / 同 トルメキア軍本陣の場 / 同 戦場攻城砲台の場
花道に立ち並んだのは奴姿に両手に独鈷杵を持った土鬼の兵たち。土俗的なダンスをひとしきり踊って見せました。ナウシカを危険とみなすミラルバとチャルカの謀議、絶望的な戦を強いられているトルメキア第三軍の将たちの幕前でのやりとり、ついで幕が上がってトルメキア軍の本陣の場となり、そこにクシャナが登場するとそれだけで客席から拍手が湧き上がりました。そしてトリウマ2頭(2羽?)が引き出され、クシャナはナウシカを将士に紹介した後、出撃の鬨をあげると舞台が回って土鬼の攻城砲台の場に変わりました。
おそらくこの場が、冒頭の口上で「演出を変更」した影響が最も大きい場だったのだろうと思われます。ここは筋書では、次のように展開することになっていました。

合戦が始まり、ナウシカはトリウマに乗って戦場を奔る。その姿を見つけたチャルカはナウシカを追うように命じる。ナウシカが敵を引き付けている間に、クシャナ達は攻城砲を破壊し、戦に勝利する。ナウシカは仲間たちとトリウマの犠牲によって何とか生き延びる。敗れたミラルバは国土が腐海になったとしても早く戦争に勝とうと考えている。クシャナは兵と共に祖国を目指す。そしてナウシカはメーヴェに乗って王蟲を追い、遥か南を目指すのだった。

実際、報道映像などではナウシカがトリウマに乗って戦場を奔る場面やメーヴェに乗って宙乗りで花道の上を下がっていく場面が紹介されていたのですが、この日はトルメキア兵たちと土鬼兵たちの戦闘場面はあるもののナウシカの活躍やナウシカを援護して死んでゆくトルメキア装甲兵の姿はなく、あっさりトルメキア軍の勝鬨となったところへ傷ついたトリウマのカイを引いたナウシカが花道を入ってきてクシャナたちに合流。場内が暗くなって七三に現れたミラルパとチャルカがさらなる戦を予言した後にナウシカが一人スポットライトを浴びて舞台前面の中央に立ち、背後の幕が切って落とされると舞台上には赤い空と赤い大地が広がって解放された民らしき男女が三々五々並んで見守る中、ナウシカは王蟲が向かうと告げた南を目指すことになるというところでいったん幕。客席からの大きな拍手を受けて再び幕が上がり、ナウシカとクシャナが並んで客席に向かってお辞儀をして昼の部が終了しました。

こんな具合に大きな演出変更を余儀なくされてはいたものの、全体を通して満足度の高い舞台でした。あの独特の世界観を持つ「風の谷のナウシカ」が歌舞伎として成り立ち得るのか?という不安は誰しも感じたと思います(私も感じました)が、蓋を開けてみるとその不安は杞憂だったことがわかりました。

まず、極めて手際の良い脚本が凄いと思いました。冒頭に記したように原作7巻の内容は膨大で、歌舞伎のスピード感の中ではとても最後まで行きつけないのではないかと思っていたのですが、ポイントとなるエピソードを省くことなく手際良く枝葉を整理して原作に忠実なストーリーを作り上げていたことに感嘆しました。筋書きばかりでなく、要所要所に原作に出てくる台詞がそのまま使われているのもファンにはうれしいところです。

次に、演出面ではちゃんと歌舞伎の観客を唸らせる作りになっているところが驚きです。ナウシカとクシャナの二人の姿は原作に近いもので、そのヴィジュアルだけが先に公開されたために歌舞伎ファンの懸念を生んだように思いますが、それ以外の登場人物は大胆に時代物や世話物の世界観を持ち込んでいて、これが成功しています。さらに七五調の台詞回しや竹本の活用、旋律は久石譲でも音は和楽器にこだわった音楽、引抜き・ぶっ返りといった小技、歌舞伎舞踊もあれば本水も使った豪快な立回りもあり、本来であれば最後に宙乗りも見られたはずですので、ありとあらゆる歌舞伎の技法を駆使してほぼ全ての段に見せ場を作っていることになります。

最後に、この昼の部ではクシャナの獅子奮迅の活躍が光りました。映画でのクシャナは傲岸不遜な人物に描かれていましたが、原作のクシャナはもっと度量が大きく武略に優れ、クシャナのためになら命を投げ出せると将兵たちに思わせるほどに魅力的な皇女です。七之助丈のクシャナは、まさに原作のクシャナを舞台上に再現していて、トルメキアの部下たちばかりか観客をも完全に掌握し、途中から客席はクシャナ応援団の趣を呈していました。一方、菊之助丈のナウシカは、世界の運命をその肩に負うことになるヒロインという存在の重みを感じることはまだできませんでした。

しかし夜の部では、大海嘯の中で死の淵から再生し、巨神兵を我が子とし、墓所の主と対峙するナウシカの姿が見られたはずですから、全編を通して見たときにはナウシカの「存在の重み」が違って見えただろうと思います。ところが、迂闊なことに私は昼の部のチケットしか確保できていなかったために、夜の部を観ることができませんでした。宮崎駿自身が執筆しながら悩み続けて納得しきれな形で終結させざるを得なかったと言われるこの作品に、菊之助丈はどのような解釈を加えて大団円を用意したのか、あるいは単純に巨神兵をどのように舞台上に登場させたのかなど興味は尽きないのですが、発売初日にすべてのチケットが完売だったということですから仕様がありません。

そんなわけでこの記録では〔昼の部〕という中途半端な状態での感想を記すことしかできませんが、幸いに来年2月には「ディレイビューイング」と称して映画館での上映が予定されているそうです。そちらのチケットも争奪戦が予想されますが、運良く夜の部を観ることができれば、こちらに何らかの追記をしてみたいと思っています。

ところで、昼の部でトリウマの立回りとメーヴェの宙乗りを共に観ることができたのは初日と二日目のみということになりましたが、このまま千穐楽まで演出変更のままで行くのでしょうか?宙乗りの方は怪我の回復具合次第で再開できそうですが、トリウマの立回りは、そもそもトリウマの中の人が一人で主役を上に乗せて駆け回るという演出自体に体力・安全両面で無理があった(ために事故につながった)のだとすれば、これを再現するのは難しそう。この点を演出家の方がどのように検証して今後の演出変更につなげるかも、興味の湧くところです。

2020年2月16日に昼の部のディレイビューイングを観ました。撮影されたのは私が観た2019年12月9日より後のことらしく、最後の戦場攻城砲台の場でのトリウマに乗った立回りは再現できていませんでしたが、ラストシーンでのメーヴェに乗った宙乗りは再開されていました。〔2020年2月16日追記〕

ついで同年3月2日に夜の部のディレイビューイングを観ました。大海嘯を止められなかったことで虚無に囚われたナウシカの魂の彷徨を歌舞伎舞踊で表現し、墓の主と巨神兵オーマの闘争を紅白の獅子の激しい毛振りで見せるアイデアが秀逸でしたが、全体としてはストーリーを追うために語りによる説明中心の展開となってしまい、森の人セルムと庭の主の役割が消化しきれていなかったように感じました。プロダクション面でも巨神兵の大きさには驚きましたが、それ以外のセットは言葉を選ばずに言えば貧相に思えたのは、限りある製作費や場面転換の多いストーリー展開の中では仕方のないことかもしれません。役者の中では、古典的な実悪そのもののミラルパからどこか飄々とした今風の恐さを持つ兄ナムリスへと見事に切り替えた巳之助丈が圧巻でした。〔2020年3月2日追記〕

配役

ナウシカ 尾上菊之助
クシャナ 中村七之助
ユパ 尾上松也
ミラルパ 坂東巳之助
アスベル 尾上右近
口上
ケチャ 中村米吉
ミト 市村橘太郎
トルメキアの将軍
クロトワ 片岡亀蔵
ジル 河原崎権十郎
城ババ 市村萬次郎
チャルカ 中村錦之助
マニ族僧正 中村又五郎