塾長の鑑賞記録

萩大名 / 咸陽宮

2019/10/18

国立能楽堂の定例公演で、狂言「萩大名」と能「咸陽宮」。

久しぶりの国立能楽堂、日が短くなったことを実感します。

萩大名

萩大名はこれまで3回見ており、最初のシテは故・野村万之介師、2回目は野村萬師、3回目は野村萬斎師といった具合にいずれも和泉流の野村万蔵・万作家でしたが、今回は大蔵流の山本東次郎家。大名・山本泰太郎師(1971年生)と太郎冠者・山本凛太郎師(1993年生)の親子を、泰太郎師の伯父であり当主である四世山本東次郎師(1937年生)が亭主役を勤めながら見守るという構図になりました。

細かいところで大名が呼び名を間違える対象(梅の古木→こぶく、立石→竹石、落花→落馬)がこれまで見てきたものと異なったり、最後に太郎冠者が捨て台詞なく黙って姿を消すといった台本の違いはありましたが、教養のない大名が太郎冠者に助けられたりたしなめられたりしながら萩の庭を観賞するものの太郎冠者がいなくなって亭主が求める和歌の結句に窮するという話の大筋は大蔵流になっても違いがありません。しかし、そこは式楽の重厚さを守る山本東次郎家のこと。野村大名の柔らかくとぼけたおかしみの代わりに山本大名は笑顔をまったく見せない武張った大名ぶりで、その堅い表情の大名が献身的な太郎冠者と交わすサインプレーが得も言われぬおかしみを醸し出します。そしてこの大名に相対する東次郎師の亭主が、歌をせがんだり困惑したり怒ったりと感情の起伏を豊かに示しながら、その大らかな風で舞台を包んでいるように思われました。

咸陽宮

秦王政(後の始皇帝)を暗殺しようとして果たせなかった燕の刺客・荊軻の話のおおもとはもちろん司馬遷の『史記』「刺客列伝」ですが、この曲は『平家物語』巻第六「咸陽宮」から題材をとっており、詞章の中に『平家物語』での設定や文章が引用されているほか、刺客を讃える立場ではなく無事を勝ち得た始皇帝を寿ぐ結末となっています。とはいえ、この曲はワキ方が演じる荊軻と秦舞陽の役割が大きく、17世紀に金春座付のワキ方春藤流から宝生座付のワキ方として後のワキ方宝生流が分離するきっかけとなった作品だそうで、プログラムには特にワキ方宝生流において「咸陽宮」は、出発点ともいえる大事な作品と記されていました。


はじめに大小前に一畳台が置かれ、引立大宮が宮殿を形作ります。『平家物語』ではこの話は始皇帝即位後の出来事として描かれており、この宮はその宮殿である阿房宮です。その後、官人頭巾・側次の唐官人出立のアイ・官人(若松隆師)が現れて、隣国・燕の地図と将軍・樊於期の首を持ってきた者がいたら褒美は望み次第と触れ回ります。このあたりは原典を読んでいないと背景がわからないところですが、曲中に登場しない樊於期は秦王に一族を滅ぼされて燕に亡命していた武将で、燕の太子丹から始皇帝暗殺の命を受けた荊軻が始皇帝に近づくために樊於期に命を差し出すよう求めたところ、樊於期はこれを受諾して自刎したという話が『史記』及び『平家物語』に記されています。

アイが狂言座に下がったところで長く引く笛が奏され、重々しい真ノ来序となって橋掛リを進んできたのはツレ・花陽夫人(小倉伸二郎師)、侍女二人、シテ・始皇帝(武田孝史師)、ワキツレ・臣下三人。シテは唐冠、豪華な狩衣・半切・直面、手には唐団扇。立烏帽子を戴いた臣下たちは一人が黒地、二人が赤系の狩衣でいずれも白大口、そしてツレの面は小面です。女性陣が脇座に居並び、シテは宮の中、臣下たちは脇正に並んで、いかにも宮中らしき厳かな場面が舞台上に出現すると、シテと臣下の掛合いで都・咸陽宮とそこに立つ宮殿・阿房宮の壮大華麗なさまが都の廻り一万八千三百余里内裏は地より三里高くなど、これでもかと言うばかりに謡われていきます(史実としての阿房宮は咸陽宮とは渭水をはさんで南側に離れています)。

そこへ一声の囃子が入り、ワキ・荊軻(宝生欣哉師)とワキツレ・秦舞陽(御厨誠吾師)が出てきて二ノ松と三ノ松で向かい合って思ひ立つ、朝の雲の旅衣、落葉重なる嵐かなと声を合わせました。そのまま道行から着キ台詞となり、荊軻はアイに件の品々を持参した由を告げて取次ぎを頼みます。アイは舞台上で黒臣下にこの旨を報告し、これに対する黒臣下の命にしたがって二人の刺客に玉座の前へ進むようにと促してから舞台から下がりました。いよいよ阿房宮に乗り込む荊軻は威儀をなして三里の階段を登りますが、秦舞陽の方は宮殿の威容に恐れをなして三ノ松に座り込んでしまいます。ああ不覚なりとよ秦舞陽と荊軻は秦舞陽のもとに駆け寄ってこれを引き起こし、共に舞台へ進むと、地謡の前に移動した臣下たちの代わりに脇正に座しました。

そして、まず秦舞陽が進んでシテに扇を差し出しましたが、これは樊於期の首を上覧に供したもの。秦舞陽がシテの左手側に控えたのに続き、荊軻も進んで扇を差し出してこれは燕の地図の入った箱という設定ですが、そのとき不思議やな箱の底に剣の影、氷の如く見えければと一瞬で舞台上が緊迫。立ち上がって逃れようとするシテを二人の刺客が両側から取り押さえ、再び一畳台の上に座らせると荊軻は一瞬の内に一畳台の上に仕込んであった剣(私の席からは台の縁の向こうに鍔だけが見えていたのでどのように止めてあったのか不明)を抜いてシテの胸元に当てました。このあたりの一連の流れは手際のよい殺陣を見ているように鮮やかで、そして荊軻の殺意が皇帝の威厳を圧倒する気迫に満ちた場面です。

これを見た花陽夫人があら浅ましの御事やなとシオると、シテは威厳を保ちつつ左右の刺客を見渡し、三千人の后の中でも並びなき琴の上手である花陽夫人の琴の音を最期に聞かせてほしいと願い、荊軻と秦舞陽は相談の上でこれを許すことにしました。そこで花陽夫人はさらば秘曲を奏すべしと琴を弾き始めるのですが、特にそうした所作があるわけではなく、最初にツレ、続いて囃子に乗って地謡が宮殿に妙なる琴の音が穏やかに流れゆく情景が謡われるばかりです。ところが調めを改めてから地謡に力がこもり、七尺の屏風は躍らば越えつべし、羅穀の袂をも引かばなどかきれざらんと高い音でシテに脱走を促しました。このとき刺客たちは琴の音に聞き惚れているのかぼうっと俯き加減で殺気を失っており、その様子を見てとったシテは次の刹那、一気に袖を払って立ち上がりました。一畳台から飛び降りた刺客二人のうち秦舞陽はここで切戸口から退場。激しい囃子と地謡のせめぎ合いを背後に荊軻は常座側から台に上がって斬りかかりましたが、一瞬早く台を下りたシテは袖に隠れて後見座へ移動し銅の御柱に立ちかくれたため、目標を見失った荊軻はくるくると高速二回転で脇座に移動してから常座に向かって剣を投げつけ、その場にがっくりと安座の後に切戸口へ消えていきました。

最後はシテが剣を抜いて舞台に戻り、荊軻と秦舞陽を八つ裂きにし燕丹太子をも程なく亡して秦の御代の万歳を保った、これも后の琴の秘曲のおかげであると寿ぐ地謡を聴きながら剣を振り下ろして左袖を高々と巻き上げ、常座で留拍子を踏みました。


舞事もなく50分ほどと短い曲で、刺客二人の心理描写と写実的な立回りに力点が置かれたちょっと変わった曲でしたが、ワキ方二人の引き締まった演技を面白く拝見しました。そしてこの曲、キリの詞章やシテが威風堂々と留める様子を見れば、表面的には「暗殺が失敗してめでたし」という話になってしまうのですが、やはり一曲の底には「風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還」と詠んで死地に赴き悲劇の最期を遂げた暗殺者・荊軻を讃える作者の眼差しが感じられるようにも思いました。

配役

狂言(大蔵流)「萩大名」 シテ・大名 山本泰太郎
アド・太郎冠者 山本凛太郎
アド・亭主 山本東次郎
能(宝生流)「咸陽宮」 シテ・始皇帝 武田孝史
ツレ・花陽夫人 小倉伸二郎
ツレ・侍女 當山淳司
ツレ・侍女 佐野弘宜
ワキ・荊軻 宝生欣哉
ワキツレ・秦舞陽 御厨誠吾
ワキツレ・臣下 野口能弘
ワキツレ・臣下 野口琢弘
ワキツレ・臣下 梅村昌功
アイ・官人 若松隆
一噌隆之
小鼓 曽和鼓堂
大鼓 柿原弘和
太鼓 三島元太郎
主後見 宝生和英
地頭 朝倉俊樹

あらすじ

萩大名

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咸陽宮

秦の始皇帝の命を狙う荊軻と秦舞陽は咸陽宮に入り込む。二人に取り押さえられた皇帝は最期に寵姫・花陽夫人の琴を所望し、荊軻たちもこれを許すが、花陽夫人の奏でる曲の中に秘められた活路に気づいた始皇帝は荊軻と秦舞陽の不意を突いて自らの衣の袖を引き切り屏風を飛び越えて逃れる。怒った荊軻は剣を投げつけるが、始皇帝に成敗されてしまう。