塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

船弁慶

2019/10/04

セルリアンタワー能楽堂で、Bunkamura30周年記念「渋谷能」のプログラムの一つ「船弁慶」。テーマは「戦い」。

この日の公演は、第五夜「井筒」に続く第六夜。金剛流の出番です 。

上演前の金子直樹氏の解説のポイントは、次の通り。

  • 普通、能は主人公一人に情念を集約するものだが、この曲は前後半で主人公が異なる。
  • 源義経にまつわる能は、幼少期を扱う「鞍馬天狗」、活躍を描く「屋島」、逃避行を綴る「安宅」などいろいろあるが、義経自身をシテとするものは「屋島」だけ。
  • この曲では義経を子方が演じる。これは情愛の生々しさを避けて静の思慕にフォーカスするため。
  • この曲を作った観世小次郎信光は、抽象美を極めた世阿弥や金春禅竹より後の世代にあたり、スペクタクル的な楽しめる能を作った。この曲でも多くの登場人物が演劇的技巧を駆使してそれぞれの役割を果たす。
さらにこの日の小書である《白波之伝[1]》の説明もなされましたが、この小書による演出(と思われる箇所)は太字で記すことにします。

船弁慶

囃子方四人と地謡六人が舞台上に揃い、〔次第〕の囃子に乗って登場したのは義経一行。子方/義経(廣田明幸くん)は金色の風折烏帽子に明るい緑紫段の掛素袍、白大口。山伏出立のワキ/武蔵坊弁慶(野口能弘師)と梨子打側次大口出立で軍装を示すワキツレたちの〈次第〉の詞章は今日思ひ立つ旅衣、帰洛をいつと定めん。大鼓(安福光雄師)と共に大音量のワキとワキツレの説明によって大物の浦へと逃れゆく経緯が語られたところで義経が判官都を遠近の、道狭くならぬその間に、西国の方へと志しと謡うのですが、これがよく通る自信に満ちた声色で感心しました。

〈着キゼリフ〉があって義経を脇座の床几に掛からせてから、弁慶は狂言座に控えているアイ/船頭(大藏教義師)のところへ向かい宿を借りる算段をつけると、次に義経の了解を取り付けた上で一ノ松から静御前を呼び出しました。呼び掛けに応じて揚幕から出てきた前シテ/静御前(宇髙竜成師)は面「孫次郎[2]」を掛け、細かい草花の総模様の唐織着流の姿で、弁慶から義経の御諚として遥々の波濤を凌ぎ伴なはれん事、人口しかるべからずという理由により都に帰れという言葉を聞いて愕然とします。あら思ひやらずの御使やと嘆く声は力を失い、あら何ともなや候と扇を手にした右手でシオリ。それでも弁慶との問答の中で気を取り直し、これは弁慶の計らいであろうから直接義経に会って話したいと返しました。女性とは言ってもさすが義経と共に修羅場をくぐってきた白拍子の意地が感じられるところですが、その期待も義経自身の口から我思はずも落人となりたり、まづこの度は京都に帰り時節を待ち候へと告げられて潰えてしまいます。

中央に下居して地謡の初同を聞いていた静は、やがて再びシオリ。義経の命により弁慶が扇を開いて酒を勧めても咽ぶばかりの静に弁慶は、嘆きはもっともだが船路の門出、ここに烏帽子があるのでこれをつけて舞を一さしと勧め、後見から金色の静烏帽子を受け取って静に渡しました。大小がアシラウうちに静はその前で物着となり、烏帽子を頭上に戴いたところで立ち上がり渡口郵船風静出、波頭謫所日晴看と小野篁の隠岐配流の際の詩を朗詠します。さらに間をおいて〈サシ〉を謡った後に低く入ってきた地謡に耳を傾け、やがて意を決するように足拍子を踏むとクセ舞に入りました。謡われる詞章は、越王勾践の功臣范蠡(陶朱公)が会稽の恥を雪いだ後に富貴を求めず隠退したという故事を引いて、平家追討に功のあった義経が都を離れ自身に科なきことを訴えれば頼朝とも和解できるだろうというもの[3]。そしてただ頼めと清水観音の御歌の初句(『新古今集』釈教では「なほ頼め」)を地謡がじっくりと伸ばしたところから〔盤渉序ノ舞〕になりました。

静は舞台上に緩やかな軌跡を描き、ところどころに足拍子を交えながら、その運びの中に義経への万感をこめるもの。その思いが極まって、舞の途中で常座から義経を見つめたシテは左手でシオリ、これを見た弁慶が居ずまいを改めてシテに向き直る場面が出てきました。この弁慶の動きに舞を再開した静がついに舞い上げてただ頼め標茅が原のさしも草 われ世の中にあらん限りは。この尊詠に偽りがなければやがて再び世に出ることもあるだろうと静が義経に言ううちにも舟子どもが船の纜を解く様子を、静ははっとした様子で振り返り見、一ノ松まで進んでから、乗船のために立ち上がった義経を見やりました。舞台に戻って静は泣く泣く烏帽子と扇を捨ててモロシオリ。弁慶の指示を受けた船頭が静の後ろに回って静を立たせると、静はモロシオリの型のまま揚幕へと送り込まれていきました。

船頭は静に同情する独り言を語った後に、弁慶に静を送り出したことを復命。さらに弁慶の問いに答え船の用意ができたことを告げて、狂言座に戻りました。ワキツレと弁慶との会話があって、いよいよ出立を督励しようと常座に仁王立ちになった弁慶の立ち騒ぎつつ舟子どもの謡の後に、えいやえいやと夕汐に、つれてお船を出しけりと謡う地謡にかぶせて弁慶は「船頭舟を出し候へ」と力強く命じ、船頭も「畏って候」と叫ぶと橋掛リを駆けて幕内に走り入り、ただちに舟の作リ物を持って走り出て一気に脇座まで進み、そこに舟を設えます。後見座で船頭をかわした弁慶は船頭の呼掛けに応じて脇座に戻り、船には先頭から義経・弁慶・ワキツレ/船頭の順に位置を締めました(ワキツレの一人は船の外)。この一瞬の動きによって舞台上は大物浦の宿の一間から洋上に転換し、ドラマの性格も悲恋のメロドラマからアクション満載のサスペンスホラーに転換するのですから驚きです。

それでも最初の内は順調な海路で、船頭は屈強の水主たちを集めたことを自慢したりしていたのですが、やがて怪しい雲と共に風が吹き始めると船頭は表情を変えて右肩を脱ぎ、大小の鼓がBGMとなって荒ぶる波を写実的に表現する中、激しく足拍子を踏み棹を遣いながら必死に船を漕ぎつつ「叱れ叱れ叱れ」と波を鎮めようとする様子を示しました。怯えたワキツレの一人がこの御船には妖怪が憑いて候と忌み言葉を口走ったところ船頭はナニ?という様子でワキツレを睨みつけ、あわてた弁慶がワキツレをたしなめたものの船頭の怒りは収まらず、弁慶が船頭に詫びる羽目になります。この辺りの描写は現代劇を見ているようで毎回笑えるのですが、この日のアイの大藏教義師はとりわけリアルな喜怒哀楽を見せていました。

いよいよ平家の亡霊の登場。ワキがあら不思議や海上を見れば、西国にて亡びし平家の公達、各々浮かみ出たるぞやと橋掛リの方角を睨み、これを聞いた義経が今更驚くべからず。たとひ悪霊恨みをなすとも何程の事のあるべきぞと驚くべき落ち着きを示したとき、地謡平家の一門雲霞の如く、波に浮かみて見えたるぞや。そして後シテ/平知盛の霊が、黒頭の上に鍬形を戴き、面は怪士あやかし、法被に群青色の地に波濤を白く描いた半切を着用し、長刀を右手に持った姿で登場すると三ノ松に出てきて朗々とそもそもこれは桓武天皇九代の後胤、平の知盛幽霊なり。さらに小手をかざしてあら珍しやいかに義経、思ひも寄らぬ浦波のとおどろおどろしく呼び掛けた後、いったん揚幕の中に消えた後に早笛に乗って先ほどの船頭にも負けないスピードで飛び出し、義経たちに肉薄してきました。

ここから先は激しい囃子の演奏と共に凄まじい〔舞働〕となり、海上を歩む様を示す流レ足や跳躍して空中で両足を前へ飛ばす足遣い、長刀を構えての大きな飛び返りなどが、文字通り舞台狭しと繰り返されます。さらに高速回転から長刀を肩に掛けて知盛が下居したところで義経がその時義経少しも騒がずと刀を抜くと、知盛と義経は打ち物をもって激しく刃を打ち合わせましたが、弁慶が割って入って数珠を揉み五大明王を呼び出すと、知盛は義経に打ちかかろうとしても近づけなくなってしまいます。祈りの力に押されて舞台上にがっくりと安座した知盛がいったん橋掛リ[4]を下り、この間に弁慶が命じて船頭が船を出したところ、揚幕の前に長刀を捨てた知盛は太刀を抜いて再び義経に追いすがりましたが、ついに刀を肩の上に横渡しにして左右に横滑るように舞台上を下がり、橋掛リから真後ろに向かって一気に後退。そのまま深海へ引き込まれるように幕の中へと消えてゆきました。そして最後にそれまでの急テンポを一転させ、地謡がゆっくりと跡白波とぞなりにける繰り返して、終曲。

夢幻能のように「かくして僧は再び旅を続けるのであった」的な終わり方ではないため、船の上から知盛を見送った義経や弁慶たちは、演奏が終わって静寂が舞台を支配すると、驚くほど足早に橋掛リを下がっていきました。

これが金剛流の「船弁慶」か、と圧倒される舞台でした。前半の静御前の〔序ノ舞〕も情感をこめてたっぷりと舞われているはずなのに、後半の知盛のあの運動量!次々に繰り出される型の豊かさ[5]にも目を見張りました。シテはへとへとになったのではないでしょうか。ただ、そうした激しい動きが単なる見せ物ではなく、義経に怨みを晴らそうとして果たせなかった知盛の無念[6]と無常をより強く伝えるためのものに昇華されているのが、やはり能の良いところです。

出演者・地謡・囃子方のいずれも素晴らしい迫力で舞台を盛り上げ[7]、小ぶりなセルリアンタワー能楽堂の閉鎖された空間の気圧と気温がはっきりと高まっているのを感じました。その中でも、知盛や弁慶に対して堂々と渡り合っていた子方の廣田明幸くんには感服しました。彼はTwitterのアカウントを持っていて、「おじいちゃん」(廣田幸稔師)による稽古の様子などをそこそこの頻度でツイートしているのですが、これが巧まずして抱腹絶倒です。この調子で、立派な能楽師になって下さい。

事前講座によるポイント解説

  1. ^シテの宇髙竜成師は「白波之伝」を舞うのはこれが初めて。金剛流では他に「波間之伝」がある。
  2. ^家元から拝借。金剛孫次郎が若くして亡くなった妻の面影を写したものとされ、その一作目の銘「おもかげ」は三井美術館蔵。この面は孫次郎の強い思いが乗り移った「笑おうとしない面」とされ舞台で使われることはあまりなく、今回は二作目を使う。人の生命より長く生き、数々の役者によって静御前を演じてきたこの面が言いたいことを引き出すのが、能楽師である自分の仕事。
  3. ^ポジティブな内容の謡・舞だが、静御前の心情とは掛け離れている。もしかするともう無理かも、と義経も弁慶も思っており、静御前もこれで義経とは二度と会えないと思っている。
  4. ^ここでは橋掛リを海の底と思ってみるとよい。
  5. ^金剛流は型どころが多く、その代わり謡はシンプル。謡は舞のためにあるという感じでいるので、囃子方の人たちからは「金剛さんの謡は張合いがない」と言われることもある。
  6. ^義経に対し強い思いを持っているという点で、前シテの静御前と後シテの知盛は共通している。
  7. ^事前の申合せなく、一期一会で本番に臨んでいる。

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この日のシテを勤めた宇髙竜成師自身による「船弁慶」解説。しかし、最後に予想外の結末が……。

配役

金剛流 船弁慶
白波之伝
前シテ/静御前 宇髙竜成
後シテ/平知盛の霊
子方/源義経 廣田明幸
ワキ/武蔵坊弁慶 野口能弘
ワキツレ/義経ノ従者 野口琢弘
ワキツレ/義経ノ従者 御厨誠吾
アイ/船頭 大藏教義
藤田貴寛
小鼓 後藤嘉津幸
大鼓 安福光雄
太鼓 林雄一郎
主後見 廣田幸稔
地頭 金剛龍謹

あらすじ

船弁慶

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