塾長の鑑賞記録

月光露針路日本 風雲児たち

2019/06/02

歌舞伎座にて、六月大歌舞伎の第二部「月光露針路日本つきあかりめざすふるさと 風雲児たち」。みなもと太郎の漫画『風雲児たち』の一部を三谷幸喜が歌舞伎に演出したものです。『風雲児たち』は江戸幕府の成立から幕末までの膨大な内容を含む群像劇ですでに連載40年という超大作。そのうち杉田玄白らによる『解体新書』翻訳を描くドラマが、三谷幸喜の演出により2018年の正月にNHKのテレビドラマとして放映されていますが、今回は大黒屋光太夫の漂流とロシアからの帰還が描かれます。三谷幸喜の歌舞伎作品は、2006年に抱腹絶倒の「決闘!高田馬場」を渋谷パルコ劇場で観ていますが、いよいよ今回は歌舞伎座です。

なお大黒屋光太夫のロシア漂流についてはあらましは知っていましたが、歌舞伎座で買い求めた今月のプログラムの中にこの作品の背景がコンパクトに整理されていたので、最初にここに引用しておきます。

船頭の大黒屋光太夫は天明2(1782)年、神昌丸に乗り込み伊勢を船出し江戸に向う途中で遭難、漂流の後にロシアに辿り着きます。その後、時の女帝エカテリーナに謁見、日本への帰国を果すまでの約十年にも及ぶ道のりの体験談は、蘭学者桂川甫周により「北槎聞略」という見聞録としてまとめられました。これは鎖国時代のロシアの文化や制度を知る貴重な資料であり、井上靖の「おろしや国酔夢譚」をはじめとする光太夫を描いた多くの作品が生まれました。今回は、三谷作品ならではの視点で、光太夫とその周囲の人物たちの姿が、新作歌舞伎として活き活きと描かれています。

プロローグ
舞台上は波が泡立つ海原を模した幕に覆われ、その起伏から幕の下に和船が隠されていることがわかります。花道から登場した教授は黒縁メガネにスーツ・ネクタイ姿でテンション高く、授業の前にケータイをチェックしろ、わかった?(客席から「はーい」の声)と観劇マナーを徹底させておいてから、おもむろに船の歴史を語り始めました。曰く、その推進手段は棹→艪→帆と発展してきたが、徳川家康が船の大型化にストップをかけ、和船は一本帆柱までとされてしまったとのこと。その和船の模型を取り出して見せたところで舞台上は嵐の様相を呈しだし、教授も見得をきったまま波に飲み込まれて続く第一幕第一場にシームレスに転換します。
第一幕第一場:神昌丸漂流の場
波濤を示す幕が立ち上がり、これが切って落とされるとそこは海上の漂流船の上。この時点では登場人物が17人もいる上に開演二日目でまだ仕上がりきっていないせいか、やりとりのテンポが悪くはらはらしました。また、二階席からではどこにどの役者がいるのか今ひとつ判然とせず、かろうじて船頭の光太夫(幸四郎丈)、船親司三五郎(白鸚丈)、水主の庄蔵(猿之助丈)、同・新蔵(愛之助丈)、それに久右衛門(彌十郎丈)がそれとわかる程度。 それでも、どこか頼りない幸四郎丈、文句言いの猿之助丈、シニカルな愛之助丈といったキャラクターはそれぞれに描き分けられています。
ことに意外な面白さを示したのは大ベテラン白鸚丈の三五郎で、雰囲気を変えようと陸までの距離を占う御籤を引いたところ「600里」。これは彼らの出身地である伊勢から江戸までの距離の五倍にあたり、うろたえた白鸚丈が「今のはなし!」と待ったをかけて引きなおしてもまた「600里」(鐘がチーン)。しかし、ここで光太夫が力を合わせて伊勢に帰るのだと決意を示して全員に指示を出す場面では、頼りなく見えていた光太夫のリーダーシップが示されて、その帰郷に向けた決意と指導力とがこの後の芝居の軸となることが窺えてきます。
第一幕第二場:露西亜国アムチトカ島の場
八ヶ月の漂流の後に流れ着いたところはアリューシャン列島のアムチトカ島。舞台手前に波打ち際があり、上手には粗末な板張りの小屋。下手に並んでいる木の墓標は、第一場の最後に三五郎がその働きを期待した4人と三五郎自身のもので、第一場ですでに一人亡くなっているのでこの時点で一行は11人。この後も漂流行を通じて次々に登場人物が減ってゆくであろうことをここではっきりと予感させます。新蔵が集めた海鳥の卵を庄蔵が割ると中には雛の人形、というくすぐりを入れつつ、原住民ウナンガン(アリュート族の自称)とのトラブルへの対処を通じて、第一場では頼りなさばかりが強調されていた青年磯吉(染五郎丈)が語学の才能を発揮し主要人物に昇格する様子が描かれます。
一方、沖に現れたロシア船に希望が膨らんだものの、その船が座礁してしまうと一同は打ちひしがれ、発狂した一人が海に飛び込み(舞台上から客席へ飛び降り)姿を消してしまうと、その沈鬱な空気を変えようと庄蔵が仕方で笑い話を熱演するものの、高笑いがいつの間にか望郷の涙声に変わるその演技力には感銘を受けました。決してあきらめないぞ、目指すは日本!と光太夫は皆を鼓舞するのですが、史実ではこの島には四年も滞在し、さらにロシアを五年間彷徨い続けることになります。
第二幕第一場:露西亜国:カムチャッカの場
暗闇の中、上手の床のみ照らされて浄瑠璃が語られるうちに徐々に舞台上に光が戻ってくると、そこは雪原の上の質素な小屋。帰国願いのために役所へ行っていた光太夫が戻ってきて様子を一同に説明する場面で、ロシア語にまだ慣れない光太夫は一連の説明のうち地名の部分(オホーツク、ヤクーツク、イルクーツク)だけを磯吉に言わせ、そのわんこそばのようなテンポの良さに客席は大笑いでしたが、庄蔵は「ツクツクしか耳に入らねえ」。 磯吉によるロシア語講座が始まるものの、光太夫の要領の悪さに磯吉が「お頭、やる気あるんですか!」とテキストを床に叩きつけてこれまた喝采を浴びました。この場で一行は既に8人に減っており、それぞれの個性がくっきりしてようやく芝居が立ち上がってきた感がありました。
しかし、光太夫が唐草模様のふろしきを広げると中から出てきたのは牛の頭。これで春までしのげと役所が支給してくれたもののようですが、この当時の日本人は獣の肉を食べる習慣がなく、これまで牛乳を飲んでいたことを知らされただけで混乱に陥ります。皆が禁忌を克服して肉に手を出してゆく中、一人だけ頑なに肉を拒んだ者が錯乱して小屋から外に走り出たところで、花道の七三で流氷を踏み割りすっぽんに消えてゆく演出が歌舞伎の舞台機構を巧みに活かしたもの。さらに一人が食料にまつわる自己犠牲で衰弱死し、光太夫の苦悩が描かれます。
第二幕第二場:露西亜国オホーツクの場
ここはつなぎの場ですが、この時点で人数は6人。白衣が白い巨大な布を頭上に広げ、雪の光を投影。幌馬車がちら見せされて、次の場へ。
第二幕第三場:露西亜国:ヤクーツクの場
舞台には板張りではない少し大きな小屋があり、そこに焚かれている炎が徐々に大きくなって様子が見えてきます。ここでも帰国の許可は下りず、さらに故国から遠いイルクーツクに行かなければならないことに光太夫の内心の不安が高まる様子を鳴り物のゴーン、チーンといった音が雄弁に物語ります。
しかし、この場面での主役はむしろ磯吉。ロシア人教師の二人娘のうち姉のアグリッピーナと恋に落ちていることを新蔵は見抜いていて光太夫に警告するのですが、そのアグリッピーナを演じる高麗蔵丈の造形は女形の美を捨てており、磯吉との逢瀬で見せる素っ頓狂な声とでかい頭は明らかに三の線。どうしても日本に帰らなければならないの?と裏声で聞くアグリッピーナに磯吉が「僕には仲間が」と説明すると、アグリッピーナはひそかにちっ!と指を鳴らしてみせ、それでも二人が抱き合うと客席からは笑いがあがりました。このかなわぬ恋に対し、プログラムの記述によれば光太夫は磯吉を宥めるのであったとありますが、実際には七三に幻のように立って舞台上の磯吉に対し「あれは中の(小鼓がぽん!)下だ!」とフリ付きで繰り返して一刀両断。ひど過ぎる……しかし、ずっと悲壮なエピソードの連続を観ている方としては、アグリッピーナには申し訳ないながら、ここで笑わせてもらって救われた気持ちになりました。
第二幕第四場:露西亜国雪野原犬橇疾走の場
橇に荷物を積み終えて「こっちへ来るんだー」と犬たちを呼ぶと、背景幕の下から一斉に着ぐるみの犬たちが11匹も這い出してきて場内は大爆笑。白地に黒や茶色のハスキーたちが逆立ちしたりぐるぐる回ったりと賑やかなことこの上もありません。やがてそりの前後に犬たちが配置されましたが、後ろの二匹はなぜか橇を手で押すポーズをとっていてこれまた笑えます。乗り遅れるかと思われた磯吉が追いついて橇は止まり、犬が全員お手。そこへアグリッピーナが追いかけてきましたが、ニヒルな新蔵が当て身をくらわせ、そのすきに橇は花道を去っていきました。
残されたアグリッピーナのもとへこれまた頭のでかい妹のヴィクトーリャがスキップしながらやってきて、ここでアグリッピーナが身振り手振りも交えて先ほどの当て身の顛末を語ると妹もいたく同情した様子ですが、何しろ会話が怪しげなロシア語なので何を言っているかわかりません。さらに二人の父親らしきロシア人の男性がやってきて小芝居をした後に娘たちに追い込まれましたが、これも何が起きたのか意味不明。まるで、光太夫たちが漂流当初に言葉の通じない世界に放り込まれた状況を追体験しているようでした。
一方、舞台中央に客席を向いて据えられた犬橇は雪原をひた走ります。囃子にあわせた犬たちの踊りも楽しく快調に飛ばしているかと見えたのですが、居眠りをしていた庄蔵が橇から落ちてしまい、必死の膝行と六方でどうにか追いつき橇に乗り込んだものの、足をやられた!と苦悶の表情。そして橇の疾走は白樺の幹をもった白衣が橇の左右に現れては後ろに走り去ってゆくという、一所懸命なのにコミカルな動きで示されます。しかしいくら走ってもイルクーツクは一向に見えてこず、太夫が三味線に乗って次々に斃れる犬たちの名前を悲痛に読み上げてゆくのですが、シベリア犬のはずなのにその名前はどれも和風。とうとう橇は止まり、雪とスモークの中に絶望が広がったとき、背景の上半分がぱたんと前に倒れてイルクーツクの町の書割が現れました。ポーリュシカ・ポーレが流れ、犬たちも喜び、そして庄蔵はぐったり。
この場での犬橇のダイナミックな疾走感は見応えがあり、全幕の中でも屈指の見どころとなっていました。
第三幕第一場:露西亜国イルクーツク光太夫屋敷の場
屋敷の中で、光太夫と磯吉はロシア風の洋装。ここに来るまで、生活環境は徐々に改善されてきましたが、それに比例して日本は遠くなっています。二人は街の有力者たちに漂流譚を語り聞かせて施しを受けていたのですが、これを苦々しく思う長老格の九右衛門は相変わらず和装を貫き、小市を連れて出て行ってしまいます。そこへ酒に酔って戻ってきた新蔵はロシア娘を連れ込んで、この地での暮らしを受け入れたかのよう。このロシア娘マリアンナは、見た目はアグリッピーナに比べればずっと女性的ですが、どういうわけか話す言葉は「酒は飲むべし飲まれるべからず」など珍妙なイントネーションの諺ばかりです。
ロシア女性への深入りを警戒した光太夫がマリアンナを追い払ったところで、舞台上と客席の両方に向かって「どーも皆さん、お待たせしました」と登場したのは八嶋智人演じる博物学者キリル・ラックスマン。八嶋智人は三谷幸喜脚本の「古畑任三郎」やバラエティ番組「トリビアの泉」に出演して知名度を上げたテレビ人ですが、もとを正せば舞台人であり、私が観た中では1998年のNODA・MAP「ローリング・ストーン」にミズーリー役で出演していました。その彼がハイテンションと見事な滑舌の良さで「私の日本語通じてますか?はい注目ー」と前置きしてから説明したところによれば、ロシアは日本との交易開始を念頭に漂流日本人を教師に仕立てて日本語学校を運営してきたのですが、最初のにわか教師が大阪弁、次が薩摩弁、さらに南部弁といった具合(と三つの方言を語り分けてみせて大ウケでしたが、この日本語学校の話は史実です)で、教師が変わるたびに前の方言を全否定するので役に立たず、よって光太夫たちに今度こそまともな日本語教師になってもらいたいとの意向。ところが光太夫が帰国への強い希望を述べると、ラックスマンは七三で田村正和(古畑任三郎)風に思案する様子を示します。結局ラックスマンは光太夫をサンクトペテルブルグの宮廷へ連れてゆくことにしたのですが、このとき庄蔵の凍傷にかかっていた足が悪化して切るしかないと宣言され、庄蔵は泣き嘆き。さらに外出から戻ってきた久右衛門も急逝することになりましたが、その今際の語りはさすが彌十郎丈、しみじみと聞かせてくれました。
第三幕第二場:露西亜国サンクトペテルブルグ謁見の場
サンクトペテルブルグの豪奢な離宮で、貴婦人たちは光太夫の姿を見ながら噂話をしています。野蛮人だののっぺりした顔だの足が短いだのと東洋人をさんざんに見下して去っていった後に、どうしたことか超高齢の秘書官と女官が現れて、よろよろとダンス。実は、秘書官は寿猿丈(1930-)、女官は竹三郎丈(1932-)。ラックスマンは「二人合わせて175歳」と解説してくれて、その話の筋とは無関係のめでたさに拍手が湧きましたが、光太夫は二人を見送って「なんだったんですか?」。
そこへ新蔵がマリアンナを連れて登場し、庄蔵がイルクーツクで洗礼を受けたこと、自分も洗礼を受けてロシアに残ることを告げて光太夫を嘆かせました。この間、マリアンナは「破れ鍋に綴蓋」「女やもめに花が咲く」などと話の進行に合っているかどうか微妙な諺を繰り出していましたが、最後は光太夫もマリアンナに新蔵改めニコライをよろしくと後事を託しました。
いよいよ女帝エカテリーナとの謁見。最初に花道から現れたのは女帝の寵臣であるポチョムキン公爵(白鸚丈)で、穏やかな口調で光太夫をいたわってみせるその堂々たる姿には悠揚迫らざるという言葉がぴたりと合いそうです。ついで舞台後方から女帝の間の前室のようなものが前方にせり出してきて、煌びやかな装いの女帝(猿之助丈)が姿を現しました。その女帝の前でポチョムキンから示されたのはしかし、帰国の許可ではなく日本語学校の教師の席を用意するというもの。これに対して光太夫は動揺しながらもあくまで帰国を希望する旨を申し述べるのですが、ポチョムキンはさらなる好待遇を提示したり、逆に光太夫一行に対する支援の打切りをほのめかしたりと揺さぶりをかけてきます。最初は慈愛に満ちた人物だと思わせておいて、穏やかな口調のままじわじわと追い詰めてくるポチョムキンの肚の据わった怖さは、さすが白鸚丈。あまたの権謀術数をくぐり抜けて今の地位を築いたのだろうと客席を納得させます。しかし、決然と立った光太夫が、自分は日本人であり日本を愛している、たとえ魂だけでも帰ってみせると言い切ったときに、このやりとりを聞いていた女帝が「よう申した」と前に出てポチョムキンを制し、光太夫に帰国の許諾を与えてファンファーレと共に去ってゆきました。
その場に残ったポチョムキンと光太夫。先ほどの仕打ちもロシアへの愛国心ゆえの判断に基づくものであることがポチョムキンの口から語られて、光太夫との間に互いを理解する空気が流れます。それにしても日本人はなぜあのように貧弱な船で海に漕ぎ出すのかと問うポチョムキンに、それは徳川家康に聞いてほしいと返す光太夫。ここでプロローグの教授の説明との間に話がつながりました。
第三幕第三場:露西亜国イルクーツク元の光太夫屋敷の場
女帝の離宮からイルクーツクに戻った光太夫たちが、帰国のためにイルクーツクを発つ日。光太夫は紋付姿になっています。ふっきれた様子の新蔵と光太夫との対話、日本に同行することになったラックスマンの息子が明かす女帝の狙い(漂流民を送り返す名目で交易を申入れ)、その息子とラックスマン父の早変わり(見た目なにも変わっていないために場内爆笑)。そして最大の愁嘆場となる庄蔵との別れ。漂流から10年もの月日を待たされ続けた庄蔵は帰国の日が来ることを信じきれずキリスト教に救いを求めるしかなかったこと、かたや新蔵は庄蔵が足を切断する治療費を捻出するために日本語学校の教師になることを受諾したことが明かされます。
この、改宗してしまうとなぜ帰国できないのかがその場では理解しきれず少しもやもやが残り、当時の日本ではキリスト教徒は受け入れられない(無理に渡航すれば命に関わる?)からかとも思ったのですが、後日、井上靖の『おろしや国酔夢譚』を読んだところ、改宗した以上はロシア国民であるためにロシア政府が帰国の許可を与えない、とされていました。
ともあれ出発のときがやってきて、庄蔵の隣に座った光太夫が「ロシア流の挨拶だ」と庄蔵に迫ると、庄蔵は「それだけはやだー!やだー!」と(ほとんど素になって)抵抗しましたが、これを制して光太夫は正面から庄蔵に口づけ。間をおいてもう一度熱い口づけを交わすと、とうとう我慢しきれなくなった庄蔵は「日本へ帰る〜!」と泣き叫びはじめます。その姿に後ろ髪を引かれながらも七三まで下がる光太夫。庄蔵を押さえて光太夫を見送っていた新蔵も、ついに「オレも〜!」。光太夫が去り、取り残された二人が泣き崩れたところでいったん幕が引かれました。
エピローグ
ラジオのニュースが光太夫・磯吉・小市の10年ぶりの帰国を報じ、幕が開くと舞台中央には客席に向かって舳先を高く上げた船。根室が見えたところで小市の容態が悪化し、幻の富士山に喜びつつ息絶えてしまいます。最後の最後になおも過酷な運命を用意していた天と海とに向かって光太夫が敵意をむき出しにし、必ず伊勢に帰ってみせると宣言すると、舞台上には、故人となった者も含め漂流船に乗っていた全員が登場。光太夫はその一人一人の名前を呼び、「わしについてこい。進路は南、故郷は目の前じゃ」。ストーリーの冒頭から、ときに弱気になりながらも一貫して仲間たちに誓い続けてきた帰国の決意の成就を目前にした光太夫の力強い台詞にチョンと柝が入り、全員が横一列になって見得を切ると、薄青の幕がふわりと一階席の上を通過してゆき、気がつけば舞台上には白い富士山が背後から照らされて金色に光り輝いていました。

最後に登場人物十7人が立ち並んで喝采を受け、定式幕が引かれましたが、拍手が鳴りやまずカーテンコールあり。歌舞伎らしからぬ締めくくり方ですが、こうしたテイストの新作歌舞伎には現代劇の作法が取り込まれても悪くはないでしょう。


いかにも三谷幸喜らしい喜劇要素満載の芝居でしたが、さすがに歌舞伎座の午後の部いっぱいを使いきるのは難事だったと見えて、冗長に思える面もなきにしもあらず。本公演が始まったばかりというタイミングのせいもあってか、役者たちのアンサンブルにも噛み合わないところが見られました。ことに冒頭の「漂流の場」でのテンポの悪さには正直どうなることかと思いましたが、旅が進んで人数が減るごとに、登場人物の個性がその仁に沿ってぐんぐん立ち上がってゆくのには驚きました。長い旅の果てに、幸四郎丈・猿之助丈・愛之助丈のそれぞれの望郷の思いが頂点でせめぎ合う別れの場面(第三幕第三場)は、この芝居のクライマックス。3人のさすがの芝居ぶりを観ながら、ああ、これは「俊寛」だと思いじわっと胸に迫るものを感じましたが、そこに感応できずにけらけら笑っていた客がいたのも、客層を選ばない歌舞伎座では仕方ないことかもしれません。そして、やはり白鸚丈の存在感がさすが。三五郎が籤を引き直す場面の「今のはなし!」の巧まざる(でも実は技巧のなせる技と思われる)ユーモアもさることながら、初めは温情を示すと見せてその実徐々に光太夫を追い詰めてゆくポチョムキンの重厚な怖さには戦慄を覚えました。

本作をあえてカテゴライズする必要はないと思いますが、しいて「歌舞伎」の範疇に収めようとするのであれば、この愁嘆場と白鸚丈の存在をもってその根拠とすることができるかもしれません。

なお、この日は高麗屋三代がそれぞれ二代目白鸚、十代目幸四郎、八代目染五郎を襲名してから初めての観劇でしたが、八代目染五郎丈の堂々たる舞台度胸には感服しました。さすがに少し線が細いかなと思いながら観ていたのですが、後で彼がまだ14歳(2005年3月生まれ)であることを知って感嘆しました。線が細いどころか、末頼もしい14歳です。猿之助丈の舞台姿も久しぶりに見ましたが、2017年のスーパー歌舞伎「ワンピース」での事故(衣装を装置に巻き込まれて左腕骨折)の影響は微塵も感じられませんでした。めでたし。

配役

大黒屋光太夫 松本幸四郎
庄蔵 / エカテリーナ 市川猿之助
新蔵 片岡愛之助
口上 尾上松也
キリル・ラックスマン 八嶋智人
アダム・ラックスマン
マリアンナ 坂東新悟
藤助 大谷廣太郎
与惣松 中村種之助
磯吉 市川染五郎
勘太郎 市川弘太郎
藤蔵 中村鶴松
幾八 片岡松之助
アレクサンドル・ベズボロトコ 市川寿猿
清七 澤村宗之助
ヴィクトーリャ
次郎兵衛 松本錦吾
小市 市川男女蔵
アグリッピーナ 市川高麗蔵
ソフィア・イワーノヴナ 坂東竹三郎
九右衛門 坂東彌十郎
三五郎 / ポチョムキン 松本白鸚

あらすじ

鎖国によって外国との交流が厳しく制限される江戸時代後期。大黒屋の息子光太夫は、商船神昌丸の船頭として伊勢を出帆したが、江戸に向かう途中で激しい嵐に見舞われ、帆柱を折って大海原を漂流する。

海をさまよう神昌丸には十7人の乗組員たち。船頭の光太夫、経験豊富な船親司三五郎、最年長の乗組員九右衛門、喧嘩ばかりの水主庄蔵と新蔵、どこか抜けている小市、三五郎の息子の磯吉……。光太夫はくじけそうになる乗組員を必死で奮い立たせ、再び故郷の伊勢へ戻るため方角もわからない海の上で陸地を探し求める。

漂流を始めて八ヶ月、神昌丸はようやく陸地に辿り着くが、そこは日本ではなくロシア領のアリューシャン列島アムチトカ島。異国の言葉と文化に戸惑いながらも、島での生活を始める光太夫たち。厳しい暮らしの中で次々と仲間を失うが、光太夫たちは力を合わせ、日本への帰国の許しを得るため、ロシアの大地を奥へ奥へと進む。

異国から来た日本人である光太夫たちに対して親切なキリル・ラックスマンをはじめ、行く先々で様々な人の助けを得て、ようやく光太夫はサンクトペテルブルグで女帝エカテリーナに謁見することがかなう。光太夫の必死の訴えに心を動かされた女帝は光太夫たちの帰国を許すが、遂に日本への帰還を果たせたのは、光太夫と磯吉の二人だけだった。