文荷 / 加茂-御田

2019/05/17

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「文荷」と能「加茂」、「御田」の替間付き。

……というよりも今回は「御田」を観たくて、千駄ヶ谷に足を運んだのでした。

文荷

主人が左近三郎に文を書いたので太郎冠者と次郎冠者に届けさせようとすると、二人は文が重いと言い出し、ついに文を開いてしまうが、文を奪い合っているうちに破いてしまい……という話。2012年に和泉流で見ていて、そのときは文の相手は「千満せんみつ」ですが、どちらも衆道が下敷きにあるようです。

山本東次郎家らしい武張った口調で語る主(山本則孝師)に呼び出された太郎冠者(山本則俊師)と次郎冠者(山本東次郎師)。文を運ぶだけなら一人でよいではないかと不平を言う両人に、一人でやったのでは寄り道をして遅くなるから二人で行けと主は命じます。言付かった口上から恋文であることは明らか。なんで二人に命じるかなーとぶつくさ言いつつ、それでも二人で行くのは楽しいなと語らい合いながら交代で文を持って歩いているうちにいつの間にか文の押し付け合いになり、怒った次郎冠者は文をポイ捨て。さすがにあわてた太郎冠者でしたが、竹に紐で結いつけて二人で担いで行くことを思い付きます。まったく重さのないはずの文を「えいえいやっとな」と掛け声を掛けて肩に担いだ二人でしたが、文が妙に重いと言い出した二人は謡曲「恋重荷」の一節を声を合わせて謡いだしました。由なき恋を菅筵、伏して見れども寝らればこそ、苦しやひとり寝の、我が手枕の肩かへて(やっとな!と持ち替え)持てども持たれず。そも恋は何の重荷ぞ。気持ちよく朗々と謡いおさめて安座した二人。道理で重いはずだと言う太郎冠者に次郎冠者も同意すると、太郎冠者はこの文の中を見てみたいと言い出しました。眉をひそめてたしなめる次郎冠者でしたが、構わず太郎冠者が文を開いてしまうと、「はよう読ましめ」と催促。文中に「海山」とあるのを読んで「重いはずじゃ」と太郎冠者が慨嘆すれば、次郎冠者も感に堪えない様子で同意するばかりか、文を自分にも読ませてくれとせがむ始末です。二人で取り合いになった文は、とうとう引き裂かれてしまい、二人の間にばつの悪い間。ここで責任の押し付け合いになるかと見えたのは太郎冠者の戯れ言(あの謹厳な山本則俊師が「はーはーは」と高笑いしたのにびっくり)で、これでは持って行けないから扇であおいで行こうと二人で扇をぱたぱたさせながら謡いだしました。

加茂の河原を通るとて文をおいた世の風の便りに伝え届けかし

詞章が正しいかどうか自信がありませんが、この日の演目「加茂」につながる加茂の河原を通るとては山本則俊師の朗々とした独吟、文をから二人で声を合わせて謡ったあと、あおげあおげと中腰の姿勢で二人が舞台上をうろうろする姿に見所から笑いが漏れました。ところが、二人の戻りが遅い(ここで最初の「二人を使いに出す理由」が生きてきます)のを不審に思った主が様子をみに出たところ、無心に文をあおぐ二人を見つけて仰天し、「汝らは何をしている」と叱りつけました。驚いたのは二人も同じ、「頼うだお方!」「おのれ、にくいやつ」「ははー、面目もござらぬ」とのやりとりの後、「許させられい」「やるまいぞ」と追い込まれました。

この曲は流儀や家によって違いがあるらしく、太郎冠者が主の衆道を批判したり、文面に小石や富士があって重さを強調したり、文字が汚いなどと笑い飛ばしたりといったバリエーションがありますが、この日の筋の運びではそのように主を笑いものにする嫌味な場面がなく、太郎冠者と次郎冠者の純朴さが好ましい「文荷」でした。

加茂

賀茂神社を舞台とする脇能で、2017年に観世流で観ていますが、今回は宝生流。そして上述の通り、替間「御田」が入ります。

例によって正先に白羽の矢が垂直に立つ矢立台が持ち込まれ、〔真ノ次第〕に乗って紺の狩衣に白大口のワキ/室明神の神職(森常好師)と朱のワキツレ二人が入り〈次第〉清き水上尋ねてや、賀茂の宮路に参らんの三遍返シ。森常好師の美声は健在だなあ……と聞き惚れていたら〈名ノリ〉が畳み掛けるように速く、強い口調です。〈着キゼリフ〉があって三人が脇座に控えたところで今度はぐっと重々しい〔真ノ一声〕となり、前ツレ/女(水上優師)と前シテ/女(朝倉俊樹師)が登場しました。前ツレは紅白段模様の唐織を着流し、面は小面。前シテは細かい文様を散らした淡い茶と暗い紅の段模様の唐織着流、面は泣増、右手に水桶。橋掛リ上で向き合って〈一セイ〉御手洗や、清き心に澄む水の、賀茂の河原に出づるなりをじわじわと謡ってから舞台に進み、御祓川辺りの情景が「夕波」「水桶」「村雨」など水に関わる言葉を連ねて描かれます。

ワキの呼び掛けにシテが応えて白羽の矢の謂れについての問答となり、加茂三神(別雷大神・玉依姫命・賀茂建角身命)が明かされてから、白川、賀茂川、瀬見の小川と清々しい川尽くしの謡を経て地謡のいざいざ水を汲まうよを聞きつつシテが小さく足拍子を踏んだときには、シテは常座、ツレは地謡前へと位置を変えていました。この川尽くしの謡の中に差し挟まれる地謡の美しさと力強さは思わず聞き惚れてしまうほど。さすが「謡宝生」と呼ばれるだけのことがあります。引き続き貴船川、大堰川(戸無瀬)、清瀧川、音羽の滝が謡い込まれて今度は神の御心汲まうよとシテは水桶を置き合掌。その姿を見て正体を問うワキにシテは白真弓の、やごとなき神ぞかしと明かし、常座で回って神隠れとなりました。

太鼓が入って〔来序〕となり、シテとツレが中入して作リ物が下げられたところで、いよいよ替間の「御田」となります。まず白い水衣を着用したオモアイ/加茂明神の神職(山本則秀師)が登場し、常座で〈名ノリ〉。曰く、霊験あらたなる当社の今日の神事はとりわけめでたい御田植えの神事であるので、早乙女たちを呼び出して植えさせようと思う。神職の呼び掛けに応じ狂言下リ橋の奏される中登場したのは美男葛も若々しい早乙女たち総勢七人。橋掛リの上にずらりと立ち並ぶ姿は壮観です。

神山の加茂の川浪豊かなる、御土代御田を植えんとて、早乙女の袖を列ね、笠の橋を並べつれ、いざ御田植を急がん。

このように謡いながら舞台を一周した早乙女たちの隊列は再び橋掛リに戻り、揚幕の前でぐるりと方向転換して再び一列に並びました。これに対しその出立ちの結構なことを褒めそやした神職は、早乙女たちに水口を祭るために身ごしらえをせよと声を掛けて、自らも水衣の肩を上げ襷をかける物着。これが終わると木の鋤簾を取り出し正先に置いて、早乙女たちに参らせ候と声を掛けました。種蒔きのような所作、白金の花咲き黄金の実なり……といった祝詞のような語りから田植は早乙女、植えい早乙女と謡い掛けて早乙女たちを舞台上に呼び込むと、笛座前から地謡前にかけて斜めに並んだ早乙女たちと神職との掛合いの謡となりました。謡の内容は、はじめは田植えを促し、その労働の様子を謡ったものと思えましたが、やがて早乙女たちに懸想文がほしいか、もらったところで水鏡でその容貌の悪さを見よとからかうものとなり、顔は汚れたりとも、想う人は持ちたりと早乙女たちが切り返したところで、皆で黄金の花も咲いたりと来るべき豊かな収穫を言祝ぐもの。この間に早乙女たちが脇正面側に緑の苗を並べ置いたり、神職が鋤簾を振って飛び返りや左右への跳躍を見せたり、早乙女のもとへちょっかいを出しに行って突き放されたかと想うと早乙女の一人が神職の背から手をかけて引き寄せるといった大らかな交歓の様子が示されたり。めでたき御代には千丁万丁、富ふれりふれりやと謡い納めつつ早乙女たちが片足立ちでぴょんぴょんと去って行った後に、神職は笛に合わせて頭上で鋤簾をヘリコプターのローターのようにぐるぐる回しさらなる跳躍を見せ、最後に「いやー」と渾身の掛け声を発してどん!と膝を突き、「御田」を終えました。

オモアイの山本則秀師はその最初から全力で発声し続けていたために、途中からはっきりと声が上ずるようになってしまいました。しかし、顔を真っ赤にしながら委細構わず激しい所作を繰り出し謡い続けるその姿からは、田植えの神事のめでたさ以上に、一年の収穫を切望する真剣な祈りの気持ちが伝わってきます。そして、後見についた東次郎師と則俊師が則秀師に注ぐ視線を見るにつけ、父から子へと芸を伝えることの厳しさと尊さとにも思い至りました。全体で25分弱というこの時間は長かったようでもあり短かったようでもありましたが、観る者にとってはまたとない貴重な機会であったと思います。

静寂の中をオモアイが下がり、場の雰囲気を一変させる〔出端〕の囃子に導かれてまず現れた後ツレ/天女は、月輪を立てた天冠、紫地に金の藤文様の長絹、白大口を着用し、面は引き続き小面。あら有難の折からやな……とこの世ならぬ声色で謡うと、扇を前に優美にして凛とした天女の舞を舞いました。続いて地謡加茂の山並み御手洗の陰、ツレが角で扇を用いて水を汲む型を見せると山河草木動揺。脇正からツレは揚幕を見込むと共に早笛となって囃子方が一気に最高潮に達します。そこへ現れた後シテ/別雷神は、天冠を戴き赤頭、金色の肌に目がギョロリとした異形の大飛出面。黒地に金色の檜垣紋の法被、赤い半切、手には御幣。揚幕の前に出て見得を示すといったん幕の中に戻り、すぐに一ノ松まで出て虚空に飛行しと足拍子。そこから短くも豪快な〔舞働〕を示した後、雷神のパワー全開の様子を地謡との掛合いで謡いつつ周囲を威嚇しましたが、袖を巻き上げてすっくと立ったその姿がさながら稲光のようでした。別雷神が五穀豊穣国土守護の神徳を示して飛び去るさまを描くキリに入り、まず雷鳴を示す詞章ほろほろとどろとどろに合わせて強靭な足拍子を何度も繰り返したシテは、糺の森へと飛び去るツレを先に下がらせてから自らも膝行で天路によぢのぼる様子を示し、最後は揚幕の前で御幣を後ろに捨てると左袖を前に構えて、太鼓の留の一打を受け止めました。

配役

狂言大蔵流 文荷 シテ/太郎冠者 山本則俊
アド/主 山本則孝
アド/次郎冠者 山本東次郎
宝生流 加茂 前シテ/女 朝倉俊樹
後シテ/別雷神
前ツレ/女 水上優
後ツレ/御祖ノ神 和久荘太郎
ワキ/室明神の神職 森常好
ワキツレ/従者 舘田善博
ワキツレ/従者 梅村昌功
御田大蔵流 オモアイ/加茂明神の神職 山本則秀
立衆 / 早乙女 山本則重
立衆 / 早乙女 山本則孝
立衆 / 早乙女 山本修三郎
立衆 / 早乙女 山本凛太郎
立衆 / 早乙女 寺本雅一
立衆 / 早乙女 若松隆
立衆 / 早乙女 山本泰太郎
  一噌隆之
小鼓 曽和正博
大鼓 柿原弘和
主後見 金井雄資
地頭 宝生和英

あらすじ

文荷

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加茂

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御田

加茂の神職が、今日は御田植えの神事なので神の御田に早乙女たちを呼び寄せる。すると早乙女たちが賑やかに現れ歌を歌う。神職が水口を祀る祝詞をあげると、早乙女が囃子に合わせて田植歌を歌いながら早苗を植える。