私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

ぬけから / 夜討曽我

2019/01/30

国立能楽堂の定例公演で、狂言「ぬけから」と能「夜討曽我」。

正月に曽我物というのは歌舞伎の決まり事(「対面」などが典型的)だったと思いますが、能の曽我物というのもまた良いものです。

ぬけから

この「ぬけから」は2012年に野村万作師の太郎冠者、野村萬斎師の主で観ていますが、今回は野村萬斎師が太郎冠者を勤め、主は深田博治師。命じられた使いに出る前の振舞い酒にしたたかに酔って途中で寝込んでしまった太郎冠者と、これを懲らしめるために太郎冠者に鬼の面をかぶせる主……という話ですが、主にねだって酒を一杯・二杯と重ねるうちに深まる酔態と、目が覚めて水を飲もうとしたところ清水の水鏡に映る鬼の姿に仰天し、やがてそれが自分の姿だと知って嘆き悲しむ様子が見どころ・仕どころです。


まずは酒を飲む場面。肴を求めにやらされるのにいつもの振舞い酒が出ないのでこれが先例になっては困ると言葉巧みに主に振舞い酒を要求する太郎冠者はここまではしたたかに見えるのですが、舞台上でサシになって御酌、慮外にござります苦しうない、飲め飲めというやりとりのうちに、一杯目はひんやり、二杯目は味が良い(主が寝酒に用いる遠来の酒だそう)、そして主をほめちぎっての三杯目でむせ返り間が生じたと思ったらもう目が座っていてり、呂律も回らなくなっています。この酔いが一気に回るさまが絶妙で、ようやく立ち上がって使いに出た太郎冠者の道行は足元が定まらず、本当に舞台から転げ落ちてしまうのではないかとハラハラしました。

正先で寝込んだ太郎冠者は、心配になって追ってきた主の手で懲らしめのために鬼の面を掛けられてしまい、ようやく酔いが醒めて目覚めたところで水を飲もうと清水を覗き込むと、そこに映るのは鬼の顔。これにぎょっと飛びすさったのち、あれやこれやとポーズをとってみてそれが自分の姿であると気づき泣き出す場面もコミカルな一人芝居です。ともあれ屋敷に戻り主を呼んだものの、主はわざとらしく驚いてみせて太郎冠者を入れてくれず、太郎冠者よりも一枚上手であるところを見所に見せつけます。どうにか自分だと認めてもらっても、鬼を雇ったとあっては外聞が悪いから出て行けと突き放される太郎冠者。ここからの問答も面白く、門番ででも雇って下さいと頼めば人が入れなくなるではないかと言われ、台所では?と聞くと女供が怖がるからダメ、それでは医者に診せて下さいとすがるものの鬼を診る医者などおらぬ、と太郎冠者の要望が全部それなりにもっともな理由ではねられてしまいます。

もはやこれまで、先ほどの清水に身を投げて死のうと覚悟を決めた太郎冠者の歩き方はすり足というよりすたすた。そして正先(の清水)に向かってダイブして、着地の刹那に面を外しつつ横転!この見事なアクションで元の姿に戻った太郎冠者は主に面を見せて「ここに鬼の抜け殻が」とやるのですが、前回は主の「やくたいもない、しさりおれ!」に平たくなって恐縮するという終わり方だったのに対し、今回は「やるまいぞ」と追い込まれていきました。これでは太郎冠者はどこまでも許してもらえないのではないか……と少し心配になった終わり方でした。

夜討曽我

昨年11月の「調伏曽我」を観たときに学習したように、能にも曽我者はいくつかありますが、その中でもこの「夜討曽我」は敵討前夜と当日とを描いて極めて見ごたえあり。前場は兄弟主従の緊迫したやりとりを気迫のこもった台詞で聞かせる対話劇になっており、一方、後場では一人残された五郎の奮戦と捕縛を派手なアクションで豪快に描くという対照的な場面構成です。この曲は2013年に観世流で観ていますが、今日は宝生流なので、どのように演出が異なるかという点も興味の的でした。


次第の囃子に続いて、シテ・五郎(辰巳満次郎師)、ツレ・十郎(朝倉俊樹師)、そして団三郎と鬼王が登場しました。前二人の出立は侍烏帽子に掛直垂・白大口で弓矢を持ち、後二人は素袍長袴。4人が舞台上に隊列を作っての次第はその名も高き富士の嶺の御狩にいざや出でうよ。 十郎の名乗リに続き富士の裾野への道行が勇壮に謡われ、着キ台詞と共に十郎五郎の対話となりますが、この二人の対話の中で弟の五郎(シテ)の敵討ちに対する温度感が兄の十郎よりも高めであることが如実に示されます。ともあれ、シテの強い気持ちを十郎が受け入れる形で今宵夜討を行おうということになったのですが、ここで十郎が故郷の母のことを思い出し、団三郎と鬼王に形見を届けさせることになりました。

まずは十郎が、最初に用向きも言わず「これから言うことを承諾するか」と二人に問い掛け、当然のごとく「御意に背くことはありません」という返事を引き出してから嚙んで含めるように「自分たち兄弟は今夜敵討ちを行うので、二人して形見の品を故郷の母へ届けてほしい」と語り聞かせたところ、団三郎はいきりたって御意も御意により候へ。敵討ちに際し真っ先かけて討ち死にするために我らは奉公してきたのだ、そうではないか鬼丸?と同輩に問えば、鬼丸もその通り、帰郷はできませんと同調します。困った十郎が五郎にバトンタッチすると、五郎はやあ汝らは何とて帰るまじきとは申すぞと怒気をあらわにし、刀に手をかけて二人を強く威嚇。見所から観ていても怖くなるほどのこの五郎の威圧に負けて帰郷しますといったんは前言を翻した団三郎と鬼丸でしたが、二人だけの会話になって曰く、帰郷するのは(自分たちの)本意ではないし、かといって帰らなければ命令に背くことになる、しかしどこにあっても命を捨てることが肝要なのだから、それならここで二人刺し違えてしまおう。そこで向き合った二人が互いに相手を刺し貫こうとしたときに、五郎は中腰になって二人の肩に手をかけああ暫く、これは何事を仕るぞと強く制止しました。そこへ立ち上がって近づいた十郎が諭すように道理を説き、ついに団三郎・鬼丸とも形見を故郷に届ける役割を引き受けることに同意します。これら一連の力強く緊張感に満ちた言葉の応酬と、そこに表出する鎌倉武士の命懸けの覚悟や主従の絆の強靭さは、『源氏物語』や『伊勢物語』に題材をとった雅びな曲と同じジャンルの演劇であることが疑わしくなるほど。

ともあれ、命令に従って帰郷することになった二人の家来が十郎・五郎兄弟から形見の文や守りを預かり、泣く泣く去ってゆく様子をクリ・サシ・クセの中で抑揚豊かな地謡と演者4人のリアルな型とによって示して、まず団三郎・鬼丸が幕の内に消えたのちに、十郎・五郎も中入となりましたが、これを送る大小のアシライが徐々にテンポアップして二人の歩みを速めさせていました。

間狂言は「大藤内」。敵の工藤祐経が討たれる場面を直接舞台上に再現するのではなく、そこから慌てふためいて逃れてきた吉備津宮の神主・大藤内に語らせる趣向で、大蔵流ではこれが常の間、和泉流では常は早打ちが一人出て兄弟の夜討を告げるという形になるそうです。この日は狼狽して狩場の者にさんざんからかわれる大藤内を野村万作師がコミカルながら品良く演じ、舞台上はいよいよスペクタルな後場へ。

一声と共に鉢巻姿も厳しい立衆4人が登場。彼らが鬨を作るうちに早笛となって、肩を脱いで抜き身の刀と松明を持った五郎が入ってきて、一ノ松から見所を見回しながら十郎殿十郎殿、何とてお返事はなきぞ十郎殿と既に討たれた兄を悲痛な大音声で呼びつつも悲壮な覚悟を固めると、舞台に進んで斬り合いに臨みます。最初に挑んだ古屋五郎は、刀を持ってシテと向かい合いながら舞台を回るも二つになつてぞ見えたりけるで飛び安座。ここでシテが後見座で烏帽子を外し上衣を脱いでいる間に、御所の五郎丸は白い薄衣を被いて舞台を回ります。戻ってきた五郎が刀を構えだんまり風にイロエで巡り、いったんは五郎丸にも斬りかかろうとしたものの女の姿と見て刀を止めましたが、これが五郎の運の尽き。五郎丸に後ろから右手をとられておのれは何者ぞと叫ぶシテ。刀を捨てて組み合って、合気道の技を見るような鮮やかな前転で正先に横たわった五郎丸の上を下よりえいやとまた押し返されて五郎が飛び越えたところで、シテは残る二人に取り押さえられ、幕へと引き立てられていってしまいました。後場においてはもっぱら討手の立場にあった地謡がこれをもってめでたけれと締めくくり、一人残った五郎丸が常座で留拍子を踏んで終曲となりました。


この後場は、演出面ではキリで五郎丸が舞台に残るか残らないか、斬組みの型では仏倒れが飛び安座になったり五郎丸の上でシテがとんぼを切らなかったりといった点が前回観た舞台との違いとなりましたが、それにしてもシテの、兄を失った悲痛と討死の覚悟、それでもなお討手の側にも誉めぬ人こそなかりけれと称えられたほどの気迫は共通していました。

翻って前場を思い返してみても、五郎の敵討ちにかける執念、十郎の親を思う気持ち、団三郎・鬼丸の主君に殉じようとする心、この二人に対する五郎の威迫と十郎の条理という対比……といった具合に劇的な感情の交錯が手を替え品を替えて描かれていることに気づきます。こうした強い感情と、その背後に前提とされている死をも恐れぬ倫理観を体現する鎌倉武士を、現代の人間が演じるということはどういうことなのか。見所にいる限り窺い知ることすらできないことではありますが、いま目の前でこの役を生きてみせた辰巳満次郎師自身に、こうした圧倒的な人間力が備わっているのであろうこと(そうでなければこの役を演じられないであろうこと)だけはわかります。この点においては、流儀の違いは関係のないことなのでしょう。

配役

狂言(和泉流)「ぬけから」 シテ・太郎冠者 野村萬斎
アド・主 深田博治
能(宝生流)「夜討曽我大藤内 シテ・曽我五郎 辰巳満次郎
ツレ・曽我十郎 朝倉俊樹
ツレ・団三郎 山内崇生
ツレ・鬼王 野月聡
ツレ・古屋五郎 渡邊茂人
ツレ・御所五郎丸 高橋憲正
立衆 / 縄取 内藤飛能
立衆 / 縄取 辰巳大二郎
アイ・大藤内 野村万作
アイ・狩場の者 石田幸雄
槻宅聡
小鼓 清水晧祐
大鼓 内田輝幸
主後見 宝生和英
地頭 渡邊荀之助

あらすじ

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夜討曽我

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