塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

贋作 桜の森の満開の下(NODA・MAP)

2018/11/22

東京芸術劇場(池袋)で、NODA・MAP「贋作 桜の森の満開の下」。昨年の歌舞伎座での「野田版 桜の森の満開の下」が歌舞伎への翻案だったのに対し、こちらは夢の遊民社時代の戯曲をダイレクトに再現するものです。歌舞伎版・演劇版と立て続けにこの作品を制作した野田秀樹の意図は不明ですが、この芝居は上演期間中に日本国内ばかりではなくパリ国立シャイヨー劇場への遠征上演も9月末から10月初頭にかけて実施されており、この日の公演は帰国後に大阪と北九州を回って東京での2サイクル目、千秋楽(11月25日)まであと少しというタイミングです。

配役は、妻夫木聡・深津絵里・古田新太・秋山菜津子・大倉孝二・藤井隆・池田成志・銀粉蝶と近年の野田作品ではおなじみのメンバー。ストーリーは歌舞伎版と同じなので、興味の中心はこの配役や演劇としての様式の違いがどれくらい作品に差異をもたらすかという点にありました。この観点からは、オオアマを女性の天海祐希さんが演じる点には注目を要すると思われました。

舞台機構として面白いのは、オーケストラピットからスロープを使って役者が舞台上手へと上がってこられるようになっていたこと。これを使って登場人物たちのスピーディーな出入りを可能としていました。また、冒頭、舞台上に広げられた波打つ白い布……と思ったら実は紙で、これをつきやぶって鬼たちが一斉に登場する場面は息を呑みました。長いピンクのテープが舞台上の鬼たちの手によって自在に形を変えることでオオアマと早寝姫の逢瀬を映すスクリーンやこれを撮影するカメラ、レフ板などに見立てられるのも斬新です。さらに、耳男と夜長姫が甍の上に登る場面で青い巨大な布がふわりと舞台を覆う瞬間も鮮烈。一方、巨大な桜の木と、これと背中合わせになっている大仏の造形(特にへのへのもへじの顔)は歌舞伎版と同様。鳥居型の鬼門も同様ですが、その高さは驚くばかりに高いものでした。

上述の通りストーリーは歌舞伎版と変わらないのでここでの説明は省略し、主要キャストについて思い付くところを以下に記します。

耳男:妻夫木聡
野田秀樹の数々の作品で主役を張っている彼ですが、どの作品に出演していても「妻夫木聡」を演じているように思えてしまいます。本作においても、その印象は変わりませんでした。これは一体どういうことなのかと考えてみたのですが、野田秀樹がいわゆるスター・システムを採用しているのだと考えれば納得できなくもないかも……と思うようになりました。
夜長姫:深津絵里
こちらもいい意味で「深津絵里」ですが、底抜けの天真爛漫さと、これと裏腹の底なしの残酷さを体現して、唯一無二の夜長姫。真っ白に塗った顔の目の周りをピンクに染めたメイクがインパクト大です。過去にこの役を演じた毬谷友子や中村七之助丈と比較することはできません。同時に、過去に見た芙蓉のエキセントリックさとも、苺イチエの強いられた多重人格とも異なる突き抜け方を感じました。
オオアマ:天海祐希
今回最も不思議な存在だったのが、天海祐希さんによるオオアマの造形です。宝塚スターだったという先入観を取り除いてみても天海祐希さんの存在は凛として善悪を超えた気高さを感じさせましたが、一方、歌舞伎版で市川染五郎丈が示した権力者の狂気やこれと裏腹の脆弱さ(ヘンナコに翻弄される場面に端的に示されます)は希薄。それが演出意図に基づくものか天海祐希さんの解釈なのかはわかりませんが、歌舞伎版とのはっきりした違いとして認識されました。
マナコ:古田新太
毎回おいしいところを持っていく古田新太ですが、今回も俗物感丸出しで随所に笑いをとっていきます。オーケストラピットにつけられたスロープは客席最前列の目と鼻の先なのですが、マナコが都へ注進にゆく場面で古田新太は舞台を降りスロープにつけられた柵越しに最前列の客を相手にして「間違いありやせん!」「え!あっしが?」などと小芝居を始め、当の客はドギマギ。ヒダの王のもとから耳男の仕事場へ移動する際には舟を使いながら『オペラ座の怪人』のテーマを口ずさみ、「とことん下りつづけるほどに人間は強くない。どこかでブレーキをかけて引き返す」と達観したような口をききながら、ぐんぐんスピードを上げる自転車の上で風圧と恐怖に歪む顔芸を見せ、と笑いのポイントを押さえつつも、最後は権力に抗う者の代表として存在感を示しました。

練達の秋山菜津子さん、大倉孝二、藤井隆、池田成志、銀粉蝶ら充実した脇役陣の存在感も素晴らしく、演出は全体に無駄な笑いを減らしてすきっとした印象。そのことがエンターテインメント性と共に、この戯曲の主題と思われるまつろわぬ者たち(鬼)の悲哀を深めていましたが、エナコ / ヘンナコに関しては中村芝のぶ丈による怪演(特にヘンナコ)の強烈な印象は上塗りされませんでした。そして、歌舞伎版での役者たちが歌舞伎の枠をいとも簡単に乗り越えていたことを再認識もしました。

夜長姫が耳男と共にあるために初めて朝を越えたことで殺戮が広がり、そのために耳男は自らの手で夜長姫を殺さなければならなかったこと。『桜の森の満開の下』で桜の花びらと冷たい虚空の中に溶けた山賊や『夜長姫と耳男』で夜長姫の亡骸を抱いたまま気を失って倒れた耳男と異なり、本作の耳男が、木霊する夜長姫の声を聞きながらひとり桜の森にじっと佇み続けるというある意味救いのない結末。これらの必然がより鮮明に理解されたのは、歌舞伎版と本作(さらにはDVDで夢の遊民社版も)とを間をおかずに観たことの効果だったかもしれません。

この作品は野田作品らしく言葉遊び(たとえば「狭き門」=「C'est Ma 鬼門」)が縦横に駆使され、壬申の乱をクライマックスとする大和政権の確立の歴史も背景知識として求められ、さらに「桜」の日本的なイメージが全体のトーンを決める作品です。本作がフランスでどのように受け入れられたのか、現地での劇評を読んでみたいものです。

配役

耳男 妻夫木聡
夜長姫 深津絵里
オオアマ 天海祐希
マナコ 古田新太
ハンニャ 秋山菜津子
青名人 大倉孝二
赤名人 藤井隆
エナコ 村岡希美
早寝姫 門脇麦
エンマ 池田成志
アナマロ 銀粉蝶
ヒダの王 野田秀樹