塾長の鑑賞記録

ゴッホ 最期の手紙

2018/07/22

渋谷シネクイントで、映画『ゴッホ 最期の手紙』(原題『Loving Vincent』 / 監督:ドロタ・コビエラとヒュー・ウェルチマン)を見ました。前日の『クレイジー・フォー・マウンテン』に続いてのシネクイントですが、実は『クレイジー……』のチケットをとろうとシネクイントのサイトにアクセスしたところ、昨年末に見逃したと思っていたこの映画が夜の最後の上映時間帯に上映されていることを知って、あわせてチケットをとったものです。

この映画の特徴は、何と言ってもゴッホ調の油絵を1秒あたり12枚用いて動かすアニメーション映画であること。さすがにあの色彩とタッチがずっと続いたら見る方も疲れてしまいそうですが、ところどころに差し挟まれる回想シーンがモノクロームの水彩画なので、全体を通して集中力を保ちながら見ることができました。撮影に際しては、俳優が行なった実際の演技をキャンパスに投影し、125人の画家たちが合計62,450枚の油絵を描き起こしているとのこと。その随所にゴッホの絵画が登場しており、その数はオリジナルの姿で94点、部分的引用で31点。ぱっと見でも「タンギー爺さん」「夜のカフェテラス」「種まく人」「星月夜」「悲しむ老人」「ピアノを弾くマルグリット・ガシェ」「医師ガシェの肖像」「カラスのいる麦畑」等々が、そのまま映画の一場面としてスクリーンに描き出されました。しかも、それが静止画ではなく動くのですから驚きです。

ストーリーは、フィンセント・ファン・ゴッホの死後1年がたった頃のアルルから。ゴッホと親しかった郵便配達人ジョゼフ・ルーランに、パリに送っても手元に戻ってきてしまうフィンセントから弟テオ宛の手紙をテオにじかに届けるよう頼まれたジョゼフの息子アルマンを主人公として、手紙を渡すための旅がゴッホの拳銃「自殺」の真相探しに変わってゆくミステリー仕立てとなっています。あらすじは、こんな感じ。

パリで画商タンギー爺さんに会ってテオが既に物故していることを知らされたアルマンは、タンギー爺さんからフィンセント終焉の地となったオーヴェール=シュル=オワーズに主治医だったポール・ガシェを訪ねるよう勧められる。オーヴェールに宿をとったアルマンは、不在だったガシェ医師が戻ってくるまでの三日間の間に村のさまざまな人々にフィンセントの話を聞くものの、ガシェ家の家政婦、ガシェの娘マルグリット、フィンセントが泊まったラヴー宿の娘アドリーヌ、警官リゴーモン、貸しボート屋といったフィンセントと関わった人々の語るフィンセントの人物像と「自殺」の理由についての説明がことごとく食い違い、困惑する。それでも、フィンセントの傷を診たマゼリ医師から銃創の特徴が第三者による発砲を示しているとの示唆を得たアルマンは、フィンセントが自殺ではなく村の若者ルネに撃たれたものだと確信し、フィンセントがなぜ自分を撃った者をかばって自殺だと言ったのか、ガシェ医師はどうして銃弾を摘出しようとしなかったのかという疑問を抱えつつガシェ医師と面会する。

昨年末に東京都美術館で「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を見ており、その際にフィンセントの生涯と、その死についてのエピソード(テオ一家(特にテオの妻ヨー)との確執、他殺説の存在)を学習していたのでスムーズについてゆくことができましたが、そうした予備知識がなかったら、この映画のストーリー展開に理解が追いつかなかったかも知れません。しかし、アニメーション化されてはいても俳優の演技は素晴らしく、また、日本語吹替えの声優陣(アルマンは山田孝之、ジョゼフはイッセー尾形)の語りにも説得力があって、アニメーション技法の目新しさにとどまらない芸術性を獲得した作品に仕上がっています。そして、初めは父から託された仕事になかば義務感で取り組んでいたアルマンが徐々にフィンセントの死の真相解明にのめり込んでゆく姿をカラフルな油彩アニメーションで描く現在進行形のメインストーリーに対し、この映画の主題となる要素はむしろ暗いモノクロームの回想シーンにあり、複数の人物の回想を通して描かれるのは、フィンセントの人生をその幼少期から死の瞬間まで覆い続けた孤独の影。ガシェ医師の口から、事故の直前に弟一家に過重な経済的負担をかけていることを指摘されたフィンセントがショックを受けたこと、死の床でフィンセントが自分の死が皆のためになると語ったことを告げられたアルマンが、フィンセントの心情を思いやるところで、アルマンの旅は終わりを迎えます。アルマンがフィンセントの実像を追いかけようとするにつれ、映画の鑑賞者もフィンセントの報われない人生に感情移入させられてゆく構成の巧みさに、95分間があっという間でした。

なお、作中では最終的にフィンセントを撃ったのがルネであったと結論づけてはいませんが、そこには登場人物がすべて実在の人物であることへの配慮が働いていたのかも知れません。また、最後にルーラン親子の対話の中で言及されるテオの妻ヨーは、アルマンが届けようとした手紙をガシェ医師経由で受け取ったことを感謝する善意の持ち主として描かれていますが、史実では、彼女が出版した「書簡集」の中でヨーは美談作りに都合の悪い箇所を飛ばしていることが知られています。こうしてみると、この映画の縦軸となったミステリーは、より大きな「事実」という名のミステリーの一部を切り取ったものに過ぎないと見るべきなのかも知れません。