貰聟 / 大原御幸

2018/06/07

第22回日経能楽鑑賞会のプログラムとして、狂言「貰聟」と能「大原御幸」を国立能楽堂で(別日程で「蚊相撲」「井筒」あり)。

18時半開演ですが、夏至が近いだけあってずいぶん日が長くなってきました。

先月は赤いツツジが目立っていた国立能楽堂の前庭も、この季節は紫陽花が青い花をつけています。

貰聟

シテ/舅(野村万作師)と小アド/妻(中村修一師)を笛座前あたりに出し置きにして、アド/聟(野村萬斎師)がしたたかに酔った態で小謡を謡いながら揚幕からふらふらと登場。外でさんざん飲んで帰宅したものの、女房を呼び出してまだ飲むという夫を妻がたしなめたところ、怒った夫は「暇をやる!」。最初は酔った勢いで口から出まかせかと思っていた妻は、離縁の印をくれと言ったところ夫が腰の小刀を差し出したのを見てようやく本気であることに気付いたのですが、夫の勢いは止まらず妻を邪険に追い出し、妻は「許して下され」と後見座へ逃れます。

まだ収まらない夫が「ざざんざ」を謡いながらふらふらと下がっていったところで後見座の妻の道行へと場面が変わり、自分がいなければ困るだろうにとぼやいたり子の金法師を思って泣いたりしながら実家に戻ります。これを出迎えた父が娘から顛末を聞かされて「またか!」と大声で呆れたことからこの家出騒動が初めてではないことが見所にも知れるのですが、父が娘に夫のもとへ戻るよう諭したところ娘はだんだんヒートアップしてきて、戻るのは嫌だ、どうしても戻れと言うなら身を投げて死んでやるとまで言われて父も観念し、それなら奥に引っ込んで、迎えが来ても出てくるなと言い含めました。

舞台上が静まったところで、今度はシラフの様子の聟がついついと登場。酔いが覚めてみれば妻はおらず、世帯のことがどうにもならない上に、金法師が母はどうしたと尋ねてくるので困ってしまっています。あれこれ言いながら逡巡していた聟でしたが、意を決して舅の家に案内を乞いました。「私でござる」「ようござった(やや怒)」。聟は正中に座って舅に対しおべんちゃらな挨拶、これに対し舅は脇座あたりで正面を向いたまま、言葉は丁寧ながらつっけんどんな対応。聟は自分の酒の失敗を舅が苦々しく思っていることを自覚しているらしく、酒はやめましたと舅に説明します。昨夜も飲んだと聞いているが?との舅の意地悪な問いに、昨夜を飲み納めにして今朝からふっつりやめましたと返すと、舅は「こりゃ、萬斎!」と叱って立ち上がり、これに対し聟は袖にすがりついて妻のおごうを戻してほしいと頼みます。二人が押し問答をしている間に妻は一ノ松に移動して聞き耳を立てていたところ、聟の「金法師が尋ねましてどうにもなりませぬ」に思わず「おお、尋ねましょうとも」とつい大声を出してしまいました。

これを境に、夫の元に帰りたくない娘とこれを守る父というそれまでの構図が、一緒に帰りたい夫婦を邪魔する舅という形に変わってしまいます。聟が舅の右手側からおごうを戻してくれと迫るれば、娘は父の左手の袖を引く始末。とうとう舅の左右の二人が顔を合わせてしまい、聟は妻を連れて帰ろうとするのですが、怒った舅が娘を引き倒すと、今度は聟が怒り出して舅と組み合い、妻にも舅の足をとらせて二人で舅を倒してしまいます。最後は、先に立った妻が「ちゃっとござれ、ちゃっとござれ」、聟が「心得た、心得た」と仲良く退出し、その後に独り残された舅が揚幕を見やりながら「来年から祭りには呼ばぬぞよ」と呼び掛けて留となりました。

父と娘、舅と聟、夫と妻という三つのそれぞれに異なる人間関係が実に巧みな距離感で演じ分けられていて、それだけでも観ていて楽しくなってきますが、犬も食わない夫婦喧嘩のとばっちりを受けてひどい目にあった舅の最後の言葉がどこまで本心なのかは不明。もし夫が再び酒に酔って妻を追い出したら、舅はやはり娘を受け入れ、そして同じことが繰り返されるのではないか、などと想像するのも楽しい狂言でした。そして、この曲の留が聟と娘を遠く見送る形であるところが、次の「大原御幸」につながります。

大原御幸

『平家物語』巻第十二「六代被斬」において平維盛の子・六代(「義経千本桜」の「すし屋」に出てくるのでおなじみ)が斬られ、平家の血筋が永久に絶えたことにより本編が終わった後に、エピローグとして建礼門院の出家から死去までを描く「灌頂巻」は、平家琵琶の奥義ともされてきました。この「大原御幸」は、「灌頂巻」のうち後白河院による大原寂光院訪問を描く「大原御幸」「六道之沙汰」「女院死去(部分)」をほぼそのまま舞台上に再現するもので、鬘物の中で舞がない唯一の曲だそうです。

舞台上に地謡と囃子方が揃ったところで、揚幕から大小の前までゆっくり運ばれたのは、屋根に控えめに蔦を置いた大きな藁屋の作リ物。そしてまず洞烏帽子狩衣大口出立のワキツレ/法皇の臣下がアイ/従者を伴って登場し、常坐に立って〈名ノリ〉。当初このワキツレは殿田謙吉師が予定されていましたが、能楽堂入り口には配役変更の告知が貼られています。なんだトノケンさん出ないのか、と少し落胆しましたが、輿舁役からスイッチした大日方寛師も堂々たる臣下ぶりでした。ワキツレが橋掛リから退場し、アイも法皇の大原御幸のため道を整備するべき旨を触れた後に姿を消すと、大藁屋に掛けられていた灰緑色の引回しが下ろされると、そこには中央にシテ/建礼門院(梅若実師)が床几に掛かり、その左右にはツレの二人(大納言の局と阿波の内侍)が座していました。三人とも花帽子をかぶって出家の身であることを示し、さらにツレ二人は墨染姿ですが、シテのみは紅無唐織を壺折にしています。「灌頂巻」からの引用によりシテが謡う〈サシ〉に続き、三人での連吟住みよかりける……安かりけれまで囃子を伴わずに山里の寂しさがしみじみと謡われます。さらに訪ねる人も稀な大原の情景が滑り込むような大小の鼓と共に静かに謡われ、舞台上に本当に大原が現出したかのよう。そしてシテと局の問答に続くシテの〈サシ〉譬へは便なき事なれども、悉達太子は浄飯王の都を出では、梅若実師の謡の至芸を見事な抑揚で聞かせました。シテと局が山に樒しきみを摘みにゆくために、まず局と内侍が立って藁屋の外に出ると、シテは局が差し出す籠を手掛かりに立ち上って藁屋の外へ。そして内侍が渡した太く黒い杖を手にして立ち、シテは局と共にゆっくり山深く入り給ふと中入。

間髪入れずヒシギがあり〔一声〕でツレ/後白河法皇(観世銕之丞師)が輿舁二人とワキ/万里小路中納言(宝生欣哉師)を伴い登場しました。法皇は花帽子に掛絡、水衣、指貫という出立ですが、法体でありながらやはり身にまとうものは豪華な感じ、そして直面なのであのギョロ目が迫力満点です。三人を引き連れて法皇が舞台正面にやってきたところで〈一セイ〉九重の、花の名残を尋ねてや、青葉を慕ふ山路かな、さらに〈次第〉分け行く露も深見草、大原の御幸急がん。しかる後、法皇と輿舁二人は一ノ松へ移動し、舞台に残ったワキ(この万里小路中納言は『平家物語』には登場しません)による寂光院の情景描写が初夏の季節感を艶やかに謡い、法皇も小柄ながらその貫禄で大きく見える立ち姿から、あの低音を効かせた声を響かせて御製の歌を謡います。さらに地謡が寂光院の荒れて物寂しい様子を謡ったところで、ワキと藁屋の中の内侍との間に問答があり、シテが不在であることを知った法皇は脇座へ進んで床几に掛かりました。ついで藁屋を出てきた内侍と法皇との問答の後、またしても〔アシライ〕の囃子が静かにすっと滑り込んできて、光沢のある水衣を着込んだシテが、左手に籠、右手に杖を持って登場しました。

シテは二ノ松辺り、局は揚幕の前に立ち、シテによる〈サシ〉が浸透力のある声で謡われたところで、シテは庵の辺りに人がいることに気付き、しばらくここで休むことにして後見の浅見真州師が持ってきた床几に掛かりました。一方、内侍は法皇にシテが帰ってきたことを告げ、一ノ松まで迎えに出て法皇の御幸の由をシテに伝えます。これを聞いてシテの揺れる心が、シテの謡や細やかな所作、地謡による〈下歌〉〈上歌〉を通じて示されたのち、春過ぎ夏もはや、北祭の折なれば、青葉にまじる夏木立……から初夏の情景描写の中で法皇の御幸を感謝の念と共に迎えようとシテが心を固めた様子がシテと地謡の掛合いで描かれます。とりわけ、地謡これも御幸をに続くシテ待ち顔にの強さ、長さがシテの覚悟を示すと、地謡の一体感もここでぐっと増してきました。

中央に進んだシテは杖を捨て、ここで法皇と向き合って床几に掛かりました。常の演出では、ここでシテは舞台上に着座し、後の安徳帝入水の語リのときに床几に掛かるのですが、前場から杖を用いたことも含め、やはり梅若実師の足の状態を勘案した演出が採用されているようです。ともあれ、法皇の問い掛けに応じてここから〈クリ・サシ・クセ〉とシテ及び地謡による六道の説明が続きました。すなわち、

  • 天上界:天子の国母となったこと
  • 餓鬼道:西海で波に浮き沈むが海水なので飲むこともできない
  • 地獄道:荒波に舟が覆されそうになり皆泣き叫ぶ(叫喚地獄)
  • 修羅道:陸上での恐ろしい戦闘
  • 畜生道:多くの駒の行き交う蹄の音
  • 人間道:餓鬼道以下の四種の迷界を生きながら見聞きする苦しみ

ここでは特に〈クセ〉における地謡と囃子方の高揚が修羅の闘争を印象付けましたが、法皇が重ねて先帝の最期の様子を問い、これに応えてシテの長大な語リが始まります。ここで後見・浅見真州師は、シテのすぐ後ろにぴたりとついて床几に手を掛け、万全のプロンプター体制。しかし梅若実師の語リには淀みがなく、壇ノ浦の合戦での能登守教経(安芸太郎兄弟を左右の脇に挟み、最期の供せよとて海中に飛んで入る)や新中納言知盛(沖なる舟の碇を引き上げ、甲とやらんに戴き、乳母子の家長が、弓と弓とを取りかはし、そのまま海に入りにけり)の壮絶な死を仕方話ではなく最小限の所作のみで語りきってから、続いて安徳帝が二位尼に連れられて海に身を投げる場面に移りましたが、二位尼の極楽世界と申して、めでたき所のこの波の下にさぶらふなれば、御幸なし奉らんという言葉を受けて幼い安徳帝が発したさては心得たりという言葉に母である建礼門院の抑えきれない激情が垣間見え、地謡と囃子が入って今ぞ知る、御裳裾川の流れには、波の底にも都ありとはと入水するときにはもはやシテは身を震わせているようにも見えました。

自らも海に身を投じたものの源氏の武士に引き上げられて命を長らえ、こうして法皇に再会して不覚の涙に袖を濡らすとは恥ずかしいことだと右手で左袖をとってシオリをしたシテ。ようやく鎮静の時が訪れ、一同立ち上がると、法皇とワキは舞台を離れ、舞台後方から一ノ松に移動して待機していた輿舁と合流して静かに去っていきます。そして局と内侍を後ろに従えたシテは、藁屋の柱に手を掛けて法皇を見送り続け、そのまま終曲となりました。

シテ:梅若実師、ツレ:観世銕之丞師、さらに後見:浅見真州師と「超」がつく豪華布陣で『平家物語』の世界を堪能しました。ことに、建礼門院自身の目線による語リから立ち上がってくる闘争の凄惨と、先帝入水の描写にこめられた悲嘆には、心の底からの感動を覚えました。しかし、詞章の一番最後御庵室に入り給ふを聴きながらシテは、常座から揚幕の方(すなわち後白河院の方)へ合掌した後、さらに1、2歩、あとを追うような歩みを見せて留となったのですが、これが何を表現したものだったのか、終演後に考え込んでしまいました。現し身にして六道を見た建礼門院が最後に平穏を得た大原と後白河法皇が帰っていく都との間の隔絶感なのか、それとも法皇の御幸によって思い出させられた都での幸福な日々への追慕であったのか。常の演出では藁屋の柱に手を掛けて見送った後にシオリで留となり、小書《庵室留》なら藁屋の中に入ってシオリ留。さらに法皇の御幸が夢であったという小書《寂光院》もあるそうですが、ここまでくると全く別の話ではないでしょうか。

配役

狂言和泉流 貰聟 シテ/舅 野村万作
アド/聟 野村萬斎
小アド/妻 中村修一
観世流 大原御幸 シテ/建礼門院 梅若実
ツレ/後白河法皇 観世銕之丞
ツレ/阿波の内侍 谷本健吾
ツレ/大納言の局 川口晃平
ワキ/万里小路中納言 宝生欣哉
ワキツレ/法皇の臣下 大日方寛
ワキツレ/輿舁 野口琢弘
ワキツレ/輿舁 御厨誠吾
アイ/従者 内藤連
松田弘之
小鼓 成田達志
大鼓 國川純
主後見 浅見真州
地頭 梅若紀彰

あらすじ

貰聟

酔っ払った夫に家を追い出された妻が実家の父のもとに逃げ帰ってきた。翌朝、酔いがさめた聟が妻を迎えに行くが、父親は「ここにはいない」と突っぱねる。そこで聟は「子供が泣いている」などと情に訴えると、ほだされた妻は夫と共に戻ろうとし、これを止めようとした父と組み合った夫を助けて父を倒し、夫婦一緒に帰っていく。

大原御幸

源平の戦いの後、安徳帝の母・建礼門院は出家して京都の北方 大原寂光院に隠棲し、大納言の局・阿波の内侍とともに、天皇や平家一門の菩提を弔っていた。ある日、女院と局が花を摘みに外出しているところへ、後白河院が女院を慰問しに訪れる。そこへ女院と局が山から戻り、院と久しぶりに再会した女院たちは昔を偲んで涙する。院は「女院が生きながらにして六道輪廻を体験した」という噂の真偽を尋ね、女院は平家都落ちの苦しみが六道輪廻にも等しいものであったことを述べる。次いで院は、安徳帝が壇ノ浦に入水した時の有り様を語るよう所望し、女院はその時の様子を語る。やがて、日も暮れ方となり、女院に見送られながら、院の一行は帰っていく。