楊門女将(天津京劇院)

2017/06/21

東京芸術劇場(池袋)で、天津京劇院の「楊門女将」。天津京劇院の公演を観るのは2014年の「覇王別姫」以来二年ぶりですが、「楊門女将」は2006年の上海京劇院以来ですから相当久しぶりです。

「楊門女将」はもともと「楊家将」という北宋の楊一族数代にわたる活躍と悲劇を描いた一大伝奇から題材をとった演目ですが、Wikipediaで「楊家将演義」の内容を見る限り、「楊門女将」のストーリーは「楊家将」の中にそのままの形では存在しない模様で、スピンオフストーリーとして京劇の演目に採り入れられたということのようです。したがって、今回の公演プログラムの解説にも次のような記述がありました。

現在の京劇「楊門女将」の直接の原型は、1960年に中国京劇院(現在の中国国家京劇院)の范鈞宏氏と呂瑞明氏が、地方劇の演目を改変して創作しました。京劇作品の常として、「楊門女将」も、公演のたびに脚色やセリフ、歌詞が大幅に書き換えられます。1999年の山東省京劇合同公演、2006年の上海京劇院来日公演、そして今回の天津京劇院来日公演は、タイトルは同じ「楊門女将」でも、中身はそれぞれ別の芝居と言ってよいほど違います。

ここにもあるように、2006年の上海京劇院の公演では各2時間のAプロ(女将集結編)・Bプロ(女将合戦編)に分け合計4時間をかけた演出でしたが、今回は休憩コミで2時間の中にすっきり収めており、活劇としてのスピード感に満ちているものの一方で味わいは淡白なつくりでした。

第一場は楊家一族が戦場に出向いている元帥・楊宗保の五十歳の誕生日を祝う場面。そこに戦場からの使者が宗保の戦死を告げて祝いの場は一族の悲嘆の場となるのですが、悲報にショックを受ける場面での一同の演技や照明・演奏の効果が劇的です。特に百歳の佘太君を演じる魏玉慧(老旦)の通常声域での力強い唱には感情がこもり、目は本当に潤んでいました。思わずもらい泣き……の前に、とても美人であるためについ見惚れてしまったのですが、後でプログラムを読んだらなんと彼女は弱冠19歳。

第二場では仁宗皇帝の前で和睦派の王輝・主戦派の寇準の両大臣が議論を戦わせましたが、ごく短いやりとりの中で寇準の知略が浮かび上がる巧みな演出。そして第三場、穆桂英のしとやかな白い喪服姿も哀しい楊家を仁宗と両大臣が弔問に訪れ、西夏との和睦の方針であることを告げたときの佘太君の反論、さらに楊家には将軍がいないと抗弁する王輝の言葉を遮る穆桂英役の王艶(青衣・花衫)の強靭な唱が素晴らしい存在感を示しました。

第四場は元帥・佘太君の前に楊家の軍勢が勢揃いする場面。楊家の嫁の一人である楊七娘役の張佩文(刀馬旦)が打ち鳴らす太鼓を合図に重装甲の女将軍たちが登場すると、その豪華絢爛な姿に客席からは感嘆の声が上がりました。とりわけ穆桂英と楊七娘が靠旗や翎子をはためかせて立ち並ぶ姿は威風堂々。楊七娘による京劇独特の身体の軸を前傾させての高速回転が見られた後に、一同が見得を切ったところで休憩。

第五場は一転して西夏の陣営で、背景は山の絵。白を基調とした瞼譜に見事な顎髭を蓄えた王文は堂々たる風格ですが、その息子・王翔がチンチクリンな体格、下ぶくれの風貌にいかにも邪悪な目付きをしていてかえって笑えます。

そして第六場で最初の激突!両陣営の主要人物の立ち回りと兵士たちのスピーディーながら様式的な武闘の後は楊七娘の見せ場で、幅広の刃を先端に付けた槍のような武具を重装甲のままでぶんぶん振り回す勇壮な演武が見られました。

第七場、夜の楊家軍陣営。持久戦に持ち込まれて思案する佘太君を訪れる穆桂英。立ち回りで高揚した後に静かな夜景を導入して進行に変化をつける作劇が巧みですが、西夏の使者の来訪によって雰囲気が変わります。使者の襟首をつかんで振り回しぶん投げる楊七娘、探谷の策を確認し合う佘太君と穆桂英の一気呵成の台詞の応酬……というより、主演・王艶と対等にわたり合う魏玉慧の舞台度胸に感銘を受けました。

第八場は敵陣へ通じる谷の中の桟道を探す場面で、背景は水墨画のような深山となり、スモークの霧が立ちこめます。法螺貝のような不気味な音は、吹きすさぶ風のイメージ?亡き楊宗保の馬丁であった張彪と四人の兵士が宙を跳ぶ体術の妙技を見せ、穆桂英の唱が焦燥を伝えます。穆桂英が摺り足で舞台上を巡る円場(道行の動作)は緊迫感に満ち、張彪たちが繰り返す華麗な体術を上回る存在感を感じました。

そして最後の第九場、桟道を発見して敵陣に突入した楊家軍と西夏軍との大立ち回りは、さまざまな武具を駆使しての兵士同士の戦いから始まった後、張彪、楊文広の登場によって打ち合うスピードや跳躍の高さが増し、さらに楊七娘の高速回転、穆桂英の華麗な槍術、兵士たちの鉞を持ったままでの宙返りなどの見せ場が続きます。ついに西夏軍を打倒したところで、楊家軍勢揃い。佘太君も登場し勝鬨を上げて終幕となりました。

あっという間の2時間でしたが、その中に起伏もあり見どころもありで、非常に手際の良い脚本。ただし、短時間の中に活劇を押し込むために「楊家将」の背景にある悲劇性が薄れたことも事実。もともと「楊家将」は、楊家代々が次々に戦死者を出し、佞臣の讒言にも苦しめられながら、それでも宋のために報われない戦いを戦い続ける話です。また、上海京劇院の「楊門女将」での穆桂英は、息子・楊文広の参戦をためらったり(比武出征)、楊宗保の墓前で夢の中で夫と再会したり(祭夫夢会)と、母としての葛藤や寡婦としての寂しさを見せる場面があって、その造形に深みが感じられたものです。

ともあれ本公演では、文武を兼ねる王艶、刀馬旦らしい運動量を見せつけた張佩文、そしてとても新人とは思えない堂々たる演技で客席を圧倒した魏玉慧と、まさに女将たちが大活躍した舞台となり、終演後は客席からは熱心な拍手が送られました。その拍手の大きさを喜びながらはにかんだような笑顔を見せた魏玉慧は、なるほど確かに19歳の表情でした。

配役

穆桂英 王艶
佘太君 魏玉慧
楊七娘 張佩文
柴郡主 劉龍欣
楊文広 王一
寇準 馬傑
王輝 邵海龍
宋仁宗 王帥軍
王文 程洪磊
王翔 竇騫
魏古 韓慶
張彪 侯佩志
焦廷貴 王嘉慶
孟懐源 高航
楊八姐 公冶珍子
楊九妹 位夢思
楊大娘 程萌
楊二娘 李瑋
楊洪 芮振起