塾長の鑑賞記録

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私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

日光の社寺巡り〔輪王寺・東照宮・二荒山神社・大猷院〕

2016/10/23

前日の戦場ヶ原ハイキングの後、湯元温泉に泊まって英気を養った翌日は、今回の旅のメインとなる日光の社寺巡り。

いろは坂の下りは、紅葉の鮮やかさはいまひとつでしたが、それでも朝の爽やかな空の下に色づく山々の姿は美しいものでした。

神橋バス停でバスを降り、せっかくだからと神橋の上に乗って(有料・通り抜けはできません)から、日光山輪王寺に入ることにしました。今日訪れる日光山輪王寺・日光東照宮・日光二荒山神社の二社一寺は、まとめて「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。

日光山輪王寺

まず出迎えたのが、勝道上人(735-817)の像。勝道上人は782年に男体山を開山し、さらに湖畔に中禅寺を建立したことで知られます。その上人が766年に開いた四本龍寺が輪王寺の前身とされ、後に坂上田村麻呂や弘法大師もここを訪れたとされていますが、鎌倉時代には山岳信仰の場として栄え、下って江戸時代には天海大僧正が貫主を務めたこともあったそう。

その見どころは天台密教形式の巨大な本堂である三仏堂なのですが、あいにく修理中です。堂内にも足場が組まれ、何やら落ち着かない中で阿弥陀如来、千手観音、馬頭観音の三仏に詣でました。このときは「まあ修理もときどきは必要だからな」と鷹揚に構えていたのですが……。

修理中の屋根を7階の回廊から見下ろし、大護摩堂でご祈祷の様子を眺めてから、日光山最大のパワースポットである東照宮へGO。

日光東照宮

1612年に没した徳川家康が翌年、東照大権現となって駿府久能山から日光から改葬されたのが、こちらの日光東照宮。当初は質素なものだったそうですが、家光の時代に現在の絢爛豪華な社殿となりました。

高さ9mの石鳥居をくぐって境内へ。この鳥居は筑前藩主黒田長政が奉納したものです。

まず最初に出てくる五重塔の壮麗さに感動します。高さ36m、一層目の軒下には干支の彫刻があり、正面右から左へ寅(家康)、卯(秀忠)、辰(家光)です。

石段を上がり、仁王様が睨みつけてくる表門をくぐると、三神庫。ここには零細に使われる装束や馬具が収められています。

そして振り返ったところに神厩舎があるのですが、この見どころである長押の三猿は修復中とのことで、飾られていたのはレプリカでした。

屋根の唐破風が美しい御水舎やどっしりした構えの輪蔵を左に見て次なる石段を見上げると、なんと陽明門も修理中。なぜだ!

気を取り直して左右を見ると、廻廊の霊獣彫刻や鐘楼のすっきりしたフォルムはそれなりに見応えあり。

廻転燈籠と鼓楼を後ろに見つつ、陽明門をくぐります。工事中なのが、かえすがえすも残念……。

しかし、陽明門の先にある唐門の彫刻の素晴らしさには、目を見開かされました。上部には「舜帝朝見の儀」の彫刻。

下部の左右の柱には昇龍・降龍が見事に彫り出され、見飽きることがありません。これだけでも、ここに足を運んだ甲斐がありました。

東廻廊の奥社山道入り口、左甚五郎作の眠り猫を見上げてから、奥社への270段の石段を登ります。一段一段が一枚岩でできているのが何気に立派です。

奥社の鋳抜門と宝塔。ここに、徳川家康の神柩が収められています。南無。

拝殿で解説を拝聴してから、本地堂(薬師堂)へ。ここには天井に龍の絵が描かれており、その頭の下で拍子木を打つと天井が共鳴して鈴の音のような反射音が長時間響き渡ります。その響きの美しさは鳥肌ものでした。さて、東照宮を出たら次は二荒山神社への参道を歩きます。

日光二荒山神社

二荒山神社は1200年前からの日光山信仰の中心。中禅寺湖畔に中宮祠があり、奥宮は男体山の山頂です。

杉と楢が合体した縁結びのご神木を右手に見ながら参道を緩やかに登ると、神門から境内に入ることになります。

茅の輪をくぐって正面の拝殿を覗いてみると、ちょうど神前結婚式を行なっているところでした。お幸せに。

狛犬は、ずいぶんリアルなライオンの姿。これは、狛犬がもともと古代メソポタミアの神殿を守るライオン像に由来していることにちなんだものだそうです。

神苑の中はまるでテーマパーク。さまざまな信仰スポットが点在していてとても紹介しきれませんが、大太刀太郎丸(長さ260cm)や大黒像を納めた大黒殿と、本殿裏の恒例山に湧く「薬師の霊泉」と滝尾社の天狗沢に湧く「酒の泉」を合わせた二荒霊泉は紹介しておいてもよいでしょう。

そして山屋としての興味から、こちらの日光連山遥拝所も見逃すわけにはいきません。日光連山をここから眺められるわけではなく、そのミニチュア(?)が設けられているというのがミソ。

輪王寺大猷院

最後は、徳川家光の廟所である大猷院です。

真っ赤な阿吽二体の金剛力士像が見下ろす仁王門をくぐると、唐破風の屋根が美しい御水舎が迎えてくれます。この御水舎の水は、背後の岩山にかかる滝から樋で引かれているものでした。

大猷院の見どころの一つが日光山内最大の門である二天門ですが、またしても修理中。今年は徳川家康の400年御遠忌の記念の年のはずなのに、いったいどういうこと?

左・鼓楼、中・夜叉門、右・鐘楼。夜叉門の足元には以下の四体の夜叉がいて、霊廟を守護しています。

毘陀羅(南)と阿跋摩羅(東)。

犍陀羅(西)と烏摩勒伽(北)。

総金箔造りの唐門も、よく見ると彫刻が見事です。

金箔に覆われて光り輝く拝殿・相の間・本殿を見ながら右手に回って廻廊の外に出ると、そこにひっそりとエキゾチックな姿を見せる皇嘉門。ここは徳川家光の墓所がある奥の院への入り口ですが、現在ここを奥へ入ることはできません。

日光の社寺巡りはこれで終わりです。陽明門をはじめいくつかの重要な建物や彫刻が修理中で見られなかったのは残念でしたが、修理完了後に改めて日光を訪れる理由ができたと前向きに考えることにして、せめてものことに湯葉カレーを食してから、東武日光駅へ向かうバスに乗りました。