リリオム(ハンブルク・バレエ団)

2016/03/04

東京文化会館(上野)で、ジョン・ノイマイヤー率いるハンブルク・バレエ団「リリオム」

ロビーには、カラフルな風船が浮いていました。この時点ではこれがなんのことかわからなかったのですが、プログラムの表紙を見て、ああそういうことかと気付きました。そしてホールの中に入ると、ステージ上には白い幕が降りていて、その中央に窓が開き、向こうに空が見えていました。この幕は、後で重要な役割を果たすことになります。

【プロローグ】廃墟と化した遊園地

まず、風船をたくさん頭上につけた白塗り黒づくめの男が無音で上手から入ってきます。その姿は最初は膝を突き、やがて徐々に伸び上がって、そのまま宙へと飛んで行ってしまうのではないかと思われたときに音楽が始まり、幕が上がりました。そこは廃墟のようで、かろうじて「PLAYLAND」と読める傾いた看板が、かつてここが遊園地であったことを教えます。風船男はそこに現れた若い男と同期して踊り出しましたが、この若い男はリリオムが16年間煉獄から見守ってきた彼の息子ルイス。やがて風船男の背後からリリオム(カーステン・ユング)が現れ、息子に贈り物=星のランプを渡そうとするものの、リリオムの若い頃と同じように荒れている息子の拒絶に会い、失望のあまり息子を殴ってしまいます。そのとき、かつてリリオムが愛したジュリー(アリーナ・コジョカル)がその場に現れて星を手に取ったとき、彼女はリリオムの存在を感じます。風船の一つが空へ放たれて、やがてこの場面へ回帰することになるであろう予感をはらみつつ、物語は過去へ遡ることに。

【第1場】遊園地

生き返った回転木馬の前にはたくさんの人々が行き交い、鮮やかなネオンが古き良き時代を象徴します。そこはリリオムとジュリーが出会う前の遊園地、上半身裸で肉体美を誇示するリリオムは回転木馬の客引きであり、遊園地を所有するマダム・ムシュカートの愛人でもあります。リリオムとマダム・ムシュカートの交歓、回転木馬の前での賑やかな、あるいはエキゾチックなダンス、その場を不思議な存在感を持って通りすがる道化(実在のピエロ、エミット・ケリー)と、時を超えてリリオムたちを見守る風船男。そしてリリオムの運命を左右することになる、酔っ払った水兵との諍いとジュリーとの出会い、マダム・ムシュカートの嫉妬と解雇。流れるように展開するこれらの場面を彩る音楽(ミシェル・ルグラン作曲)は、オーケストラによるクラシカルな曲とビッグバンドによるジャズが場面によって交錯するようになっていて、残念ながら今回の来日公演ではオーケストラパートはあらかじめ録音されたものでしたが、ジャズの方は舞台背後の高いところに並んだ北ドイツ放送協会ビッグバンドによるゴージャスな生演奏でした。

【第2場】人気のない場所

ピンクの風船を持つジュリーと、その友人マリーがベンチに腰掛けてわくわくと人待ち顔。そこへやってきたマリーの彼氏であるウルフとマリーが踊るパ・ド・ドゥの曲はビッグバンドの演奏で、幸せそうな2人を見ながらベンチで所在なさげなジュリーの上に風船男が花びらを降らせ、やがてリリオムを入れた群舞を経てジュリーとリリオムのパ・ド・ドゥとなります。このパ・ド・ドゥは2014年の「アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト」で観ていたく感動したのですが、今回も不器用な2人が恥じらい、ためらいながら徐々に心を通わせていく様子を見事な技巧と息の合ったダンスとで見せてくれました。リリオムの帽子を目深にかぶって可愛く踊るジュリーのダンスはテクニックをひけらかすタイプのものではないものの、適度に抑制された表現の随所にはっと息を呑む瞬間があり、そうしたところはやはりアリーナ・コジョカルならではだと思えます。そしてここでも、2人を見守り祝福する風船男の存在感。

【第3場】仕事を探す男たちの群れ

JOB AGENCYの前に佇む失業者たち、わずかな仕事の奪い合い。きびきびとした群舞がウエストサイドっぽく、不穏な高揚感に満ちた素晴らしい迫力を示しました。ここでは風船男は風船の代わりに求職のプラカードを掲げて景色に加わっていましたが、リリオムには仕事がなく、黄泉の国からやってきたフィスカーの陰謀に巻き込まれていきます。

【第4場】自宅

結婚を目前にしたマリーと踊るジュリー。その舞台の上手袖では、自暴自棄になったリリオムが壁に貼られたポスターを乱暴にはがしています。リリオムの心象を描くようにジャズバンドがいらいらとした音をたて、場面はジュリーとリリオムの2人の情景となって、リリオムによるジュリーへの暴力が描かれます。乱暴に椅子を倒し、すがるジュリーを突き放し、一度は改心して抱きしめたものの、いらついて殴ってしまう。そんなリリオムへのマダム・ムシュカートの誘惑と共に、舞台はネオンに飾られた回転木馬となり、軽業師やダンサーたちが行き交う賑やかな場面に魔法のように転換しました。元の世界への誘惑にとまどいながら、マダム・ムシュカートに毛皮を返して再び1人椅子に佇むリリオムに、迷いながら絡むジュリー。たけり狂って椅子を投げたリリオムは、何か人形のようなものを拾い、ジュリーがリリオムの子を宿していることを悟ります。壁の前に静かに並んで立ち、リリオムがジュリーの腹の上に手を当てて目を閉じる姿は、このバレエの最も印象的なシーンですが、やがてジュリーは静かに去り、冒頭の息子とのダンスが夢のように繰り返され、しかしその息子の姿も再び背後に現れた遊園地の中へ消えていって、リリオムは呆然と佇むことになります。

【第5場】マリーとウルフの結婚式

休憩を間にはさんで第5場は、結婚式の場面。参列者たちによる楽しげなダンスと、フィスカーによるリリオムの勧誘、ジュリーの不安とが並行し、楽しげなオーケストラの曲とビッグバンドの緊迫が重なります。上手奥の急な階段を登り降りし、覆面をして強盗を働く2人の男。しかし警察に囲まれたリリオムは白いクロスに覆われたテーブルの上に飛び乗り、人形を手にして生まれ来る子に思いを馳せながら、ナイフを胸に突き立てて自殺します。スモークが舞台を幻想的に包み込み、ジュリーとリリオムの別れのパ・ド・ドゥ。白いテーブルはリリオムの棺桶となり、キャンドルを手にしたジュリーがリリオムに近づくと、その遺体にすがり、抱き起こし、揺さぶり、叩く悲痛な演技から、嘆きのソロへと移ります。ストリングスの美しい主題と不安定な爪先立ちがジュリーの悲しみを表現し、やがてリリオムにキスをして別れを告げたジュリーはテーブルクロスでリリオムの身体を覆いました。

【第6場】あの世

星と白い幕が降り、白装束の風船男から風船を渡されたリリオムは、テーブルの上で浮遊します。風船男に背後から抱えられて空を行くリリオム、暗いのに美しい情景。しかし、ここでは死後の審判が待っています。6人の赤い男たちが天国の門番で、舞台の一部が四角い光で照らされると、審判たちの前で繰り広げられたのはリリオムが荒れてジュリーを殴る場面。いたたまれない様子のリリオムの姿が哀れを催しますが、ついで水兵との喧嘩の場面が再現され、ナイフを手にしながら相手を刺すことをせず、水兵がリリオムと握手をしたときに、リリオムは地獄ではなく煉獄へ行くことが決まります。

舞台上に、開演前に降りていた窓つきの幕が降り、その窓からリリオムは下界での時の流れを見下ろすことになります。この16年間の時の流れを表現する場面は流れるような音楽と共に極めて印象的で、惹きつけられるものがありました。下手にベンチが据えられ、ジュリーが抱えていた赤子は次には少年になり、その少年の手を離れたピンクの風船は窓の中のリリオムのもとに届きます。子供にダンスを教えるように踊るジュリーの美しいソロ。そこに山高帽の男が加わってデュオとなりましたが、その男が衣装を脱ぎ捨てると、それはすさんだ息子ルイスの姿に変わり、最後の場面に移ります。

【第7場】ルイス

幕が上がって、斜めに落ちたPLAYLANDの看板が示す荒廃した遊園地となり、回転木馬が回るとそこにはリリオム。プラカードを掲げた失業者の群れが幽霊のように右から左へ通り過ぎ、成功者になったマリーとウルフの旅立ちもルイスを苛立たせ、その姿を風船男とリリオムが見守っています。煉獄での16年の後に一度だけ下界に降りることを許されたリリオムは、風船男に促されて息子の前に姿を現し、ここでプロローグに回帰して、リリオムとルイスのデュオが再現されました。楽しげに踊る2人、しかしリリオムが天国から持ってきた星を渡そうとしたときにルイスがこれを拒絶し、苛立ったリリオムはついにルイスを殴ってしまいます。そこへ背後から走り込んだジュリーは、息子を抱き、星を拾い、そして姿の見えないリリオムとの切ないデュオ。

最後は、スポットライトが当たるベンチに座ってリリオムの気配を感じているジュリーに背後から現れたリリオムがKnow that I love youと額に口づけをして去り、ジュリーが独り残されて暗転して終わりました。

ハンガリー人作家モルナール・フェレンツの戯曲『リリオム』はブダペストの「場末の伝説」として1909年に初演されましたが、1945年にリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン2世によりブロードウェイミュージカル「回転木馬」となって大ヒットし、映画にもなりました。ノイマイヤーのバレエ作品「リリオム」は、モルナールの戯曲を素材に、舞台を1930年代の大恐慌時代のアメリカに置き換えたもの。バレエ作品とは言いながら、限りなく演劇的な作劇法が採用されており、象徴的なダンスと音楽と舞台装置を組み合わせることでストーリーが滑らかに流れました。アリーナ・コジョカルは繊細な演技と抑制の効いたダンスでリリオムを愛し続けたジュリーの人生を生き、カーステン・ユングも粗暴で愛することに不器用なリリオムその人のように見え、その2人を見守る風船男の不思議な存在感と共に、作品にしっかりとした骨格を与えていました。ジュリーへの暴力の場面があるために、あんな男は最低!といった見方になってリリオムに感情移入できないという声も見聞きしましたが、純粋に、人生において幸福に恵まれてこなかった男の物語として読み直せば、リリオムの造形はむしろリアルであり同情に値すると言えそうです。そして原作の娘ルイーゼを息子ルイスに変えたのはノイマイヤーの創作で、その姿はリリオム自身の過去へのフラッシュバックです。原作者モルナールのメッセージについてのノイマイヤーの解釈は未来は存在する、そしてこの未来は、愛の思い出があればさらに前途有望なのだ。16年間、息子ルイスの中にリリオムを見てきたジュリーが、この日煉獄から降りてきたリリオム自身の愛を実感したエンディングを見れば、これはジュリーにとっての未来のことであり、バレエ「リリオム」はジュリーの視点から描き直した「リリオム」であると見てもよいように思われます。

そのノイマイヤーがアンコールの舞台上に登場したとき、客席は総立ちになって熱烈な拍手を送りました。

小学生の頃、同じ社宅の家に揃っていた少年少女向け文学全集を次々に借りて読んでいたのですが、その中で特に印象に残っているのがアームストロング・スペリー『海をおそれる少年』と、この「リリオム」の原作者であるモルナール・フェレンツの『パール街の少年たち』でした。ただ、いつの間にか記憶の中でパール街はパリのどこかということになっていて、今回モルナールのことを調べていくうちに『パール街の少年たち』がブダペストを舞台としていることを知り、今さらながらに驚きました。

配役

リリオム カーステン・ユング
ジュリー アリーナ・コジョカル(イングリッシュ・ナショナル・バレエ)
ルイス アレッシュ・マルティネス
風船を持った男 サシャ・リーヴァ
マダム・ムシュカート アンナ・ラウデール
マリー レスリー・ヘイルマン
ウルフ コンスタンティン・ツェリコワ
フィスカー ダリオ・フランコーニ
水兵 キーラン・ウェスト
天国の門番 エドウィン・レヴァツォフ
内気な青年 アリオシャ・レンツ
悲しいピエロ ロイド・リギンズ
エルマー エマニュエル・アムシャステギ
幼少期のルイス ヨゼフ・マルキーニ
指揮 ジュール・バックリー
演奏 北ドイツ放送協会ビッグバンド