塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

シルヴィ・ギエム ライフ・イン・プログレス

2015/12/17

シルヴィ・ギエムが体操の選手からバレエダンサーに転身したのが1977年。パリ・オペラ座バレエ団のエトワールになった1984年から常にトップを走り続けてきた彼女も50歳になり、ここをバレエダンサーとしての自分の人生に幕を引き、新しい人生に乗り出すタイミングだと心に決めたようです。そうして始まったギエムのファイナルツアーのうち、「ライフ・イン・プログレス」と題した公演を東京文化会館(上野)で観ました。

ロビーには、ギエムの長年にわたる日本との関わりの中から培われた日本文化に対する彼女の深い思いが伝わる言葉が記されたパネル。これを読むと、思わずじんわりきてしまいます。しかし、だからといってこの日の公演は決して懐古趣味ではなく、以下に記す各演目のコリオグラファーの名前と新作を交えたプログラム構成からは最後まで挑戦を止めることのないギエムの姿勢を見てとることができます。

イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド

『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』は非常に厳格な意味での「主題と変奏」である。本作はアカデミックな舞踊の超絶技巧を駆使して、古典バレエの伝統的な形を拡張し、加速させている。直接的配置と移動部分の強調に変化を加えた結果、アンシェヌマンは斜めに傾き、まるで本来の形と不整合にあるかのような予測外の勢いを得ている。——ウィリアム・フォーサイス

ギエム自身がフォーサイス作品をレパートリーに持つことは、バレエ・カンパニーにとって“マスト”であると東京バレエ団に対し強く薦めた作品とのこと。舞台装置皆無のシンプルな舞台は黒い背景の前を白色光のみで照らされ、インダストリアルでノイジーな強い音楽が流れる中、グリーンのぴっちりしたコスチュームをまとったダンサーたちが、そこがスタジオででもあるかのようにリラックスした様子で登場します。その動きは数名が組み合わさったものであったりソロであったりしますが、最初はクラシカルな技巧がある種そっけないそぶりで示されますが、中間部ではコンテンポラリーな身体言語(たとえば両足を左右180度に開いて膝を直角に曲げ爪先立つパなど)が頻出するようになり、音楽共々舞台に緊張感を漲らせます。ダンサーの個性は捨象され、記号としてのダンスに封じ込められるように見えますが、それでもそこで踊っているのは間違いなく生身のダンサーたち。

ドリーム・タイム

『ドリーム・タイム』は、不可視なものが大きな意味を持つバレエである。目にしているものより、見えないもののほうが、重要かもしれない。観客がこのバレエを思い返す時、実際にこのバレエを見たのか、それともひと時、夢を見たのか、定かではなくなるだろう。——イリ・キリアン

東京バレエ団にとっては15年ぶりの再演です。中空に半分ほど巻き上げられたつやのある光沢と絨毯の厚みを持つカーテンと、その向こうに陶器のような肌合いを示す背景。最初に長い無音の中で裾の長い黒のスカート姿の女性3人がひとしきり蟷螂を連想させる不可思議な動きを見せた後に、音楽が入ると共に上半身をあらわにした黒いパンツ姿の男性が飛び込んできます。緩やかに流れるストリングスや管に効果的に打楽器が絡む曲は、プログラムを見るまでもなく武満徹だとわかるもの(曲名「オーケストラのための『夢の時』」)。以後、その夢見るような、ときに覚醒させられるような音楽に乗って男性2人と女性3人が組み合わさって複雑に絡み合い支え合い、あるいはソロを踊ります。特に男性2人と女性1人のパートでは、舞台上に並んだ男性2人がそれぞれ外側片足立ちになって内側の足を後ろに跳ね上げ、そこに女性が乗るかたちになって宙に浮遊する場面が印象的でした。最後は女性3人に戻り、その姿が降りてくるカーテンの向こうに消えてFIN。音楽とダンスの優美さが際立ち、ギエムが踊っているわけではないにもかかわらず、この日最も印象に残った演目になりました。

テクネ

自分でもどう答えていいかわからない問いから、私の作品は生まれている。問いを投げかけ、身体を通じてストーリーを語る。シルヴィの身体は今、最も詩的で率直な状態にあるが、その身体と作品を作るこの機会に、私は芸術と時についての何かを尋ねてみたかった。——アクラム・カーン

ギエムとアクラム・カーンのコラボレーションを観るのは、2009年の「聖なる怪物たち」以来。この作品でギエムは、環境破壊による“失われたコミュニケーション”をテーマとしたそうです。暗闇の中に細かい打楽器音が鳴る中、舞台上の光の円盤の中央に立つ白い枯れ木の周囲を極めて低い姿勢で巡るギエム。その姿は人というより太古の生き物のよう。やがて背後のミュージシャンたちの姿が浮かび上がってきて、南アジアにルーツを持つアクラム・カーンの作品らしいエスニックな打楽器が舞台背後の下手に潜んでいることがわかりましたが、中央奥にはビートボックス(ヒューマン・リズムマシン)、上手にはヴァイオリンも加わっています。その無国籍な音楽に乗って蠢いていたギエムが木に触れると、そこで何かが切り替わり、激しい動きの後にギエムの姿は直立します。余分なものを削ぎ落としたシンプルな衣装に短髪のギエムののたうち回るようなダンス、風と波のざわめき、いつしか月の表面のような模様をまとう光の円盤。徐々にオレンジ色に染まる枯死した生命樹は回転しながら闇に浮かび、その回転に寄り添うように見上げるギエムの姿がフェードアウトして終了。近年のギエムの傾向を反映して、技巧ではなく主題に重きをおいた作品ですが、ギエムでなければ得られないであろう説得力を感じさせる舞台でした。

デュオ2015

1996年初演のフォーサイス作品。ラフな服装でマッチョな2人の男性ダンサーが舞台に立ち、何やらくねくねとした動きでお互いに挑発し合うように延々と踊り続けるもの。しかも、かなり長い間無音のままに展開し、途中から高く尾を引くような単音(弦楽の高音のようにもグラスハープのようにも聞こえます)による音楽がかすかに聞こえてくるのですが、それよりもダンサーたちの荒い息の方が目立ちます。途中でほんの一瞬、ギエムが登場して2人のダンスに刺激を与えるものの、すぐに2人きりのダンスに戻りました。プログラムの解説は、この作品が時を資格化することを意図したものであることを記していますが、正直に言えばこの作品の魅力をつかみきれぬままに終わってしまいました。

今のは何だったんだろう……と悩みつつ休憩時間に入りましたが、私の後ろの席に座っている女性2人(母娘?)の会話を聞くと、彼女たちはどうやら面白く観た模様です。年下の方の女性はダンサーである模様で、1人ははっきりバレエ出身だがもう1人は違う方面から入ったのではないか、私だとああいう崩し方はしようと思ってもできない、と言った話をしていましたが、なるほどそういう見方もあるものかと感心してしまいました。

ヒア・アンド・アフター

本作で私は、シルヴィと過去に作った作品や一緒に過ごした経験に敬意を表し、また前進を続け、コントラストを表現する振付語彙を探し、女性ふたりの作品を創作することにした。——ラッセル・マリファント

シルヴィ・ギエムとエマヌエラ・モンタナーリ(ミラノ・スカラ座バレエ団)。2人の女性ダンサーによる長いパ・ド・ドゥ。これも舞台装置はない代わりに、ライティングが大活躍します。遠い風の音や持続音系の緩やかな分散和音風メロディの中で紗幕のかかったような暗い照明の中に浮かび上がる2人がゆったりと絡み合い、あるいはシンクロしながら円を描きますが、やがて2人が左右に分かれると舞台上の光の図形も左右に伸び、次いで中央に3×3の格子のパター作ります。いつしか音楽は女性の強いブレスと破裂系の打撃音に変わり、シンクロして緩やかに回転する2人を包む光はオレンジ色から白色に、そして再びオレンジ色に変化します。いったん2人の姿が闇に溶けていって、そこで終わるのかと思ったところ、光の模様は5 マスを一辺とする四角い回廊になり、激しいリズムに乗って2人のダンサーは追いかけるように走り、重なり、踊り、その動きにつれて格子の形や大きさも目まぐるしく変わります。そして、意表を突くヨーデルがリズムに重なり、ライトを連ねたバーが舞台後方に降りてきてダンサーを奥側から照らしダンサーたちの姿がシルエットになった後、2人は唐突に踊るのをやめてライトに向かってすたすたと歩み去り、そこですぱっと暗転しました。音楽・照明・振付のすべてが一体となって予見不能な展開を示すこの作品は、光の檻の中で踊るという一点を捉えれば同じマリファントの「TWO」を空間的に拡張したものと考えることもできそうに思えますが、ダンサー2人の相互作用が新しい価値を舞台上に創造していることは間違いありません。しかし、ギエムが踊ることをやめた後に、この作品に生命を再び吹き込むダンサーが現れる日は来るのでしょうか?

バイ

女は部屋へ入る。しばらくした後、彼女はそこから離れる用意ができている。他に加わる準備ができている。——マッツ・エック

これは2011年に観た「アジュー」を改題したものです。フランス語の「Adieu」には訣別といった強いニュアンスがありますが、それを英語の「Bye」にしたことで意味合いを軽やかなものにしたかったのでしょうか。ギエムはこの作品に強い思い入れを持ち、この「ライフ・イン・プログレス」の最後に踊る作品は本作をおいて他にないと前々から決めていたそうですが、確かに、内省的な様子でステージ上の一室にふさぎ込みながら過去を回想するかのような1人の女性が、やがて新しい人々の待つドアの向こうへと足を踏み出していくこの作品のラストには、ダンサーとしてのこれまでを回顧しながら、ここで区切りをつけて新たな人生へと歩み出そうとするギエム自身の決意がこめられているのでしょう。この日の舞台も、そうしたギエムのパーソナルな思いが丹念に描かれて感動的でした。

カーテンコールではギエムは繰り返し舞台の前に出て、客席に向かってさようならの手を振ってくれました。観客もみな大きく手を振ってギエムに別れを告げましたが、確かに今日ここに集まったファンの多くにとって、この日がギエムの姿を直接目にする最後の機会となるのでしょう。幸い、私にはまだ12月30日の横浜公演が残されています。そして、そこでギエムが踊るのはマリファントの「TWO」と、あのベジャールの「ボレロ」の予定です。

▲上左は「バイ」を踊る今のギエム、上右はバレエを始める前の5歳のギエム。

配役

イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド 川島麻実子 / 渡辺理恵 / 秋元康臣
河合眞理 / 崔美実 / 高橋慈生 / 伝田陽美 / 松野乃知 / 吉川留衣
ドリーム・タイム 吉岡美佳 / 乾友子 / 小川ふみ
木村和夫 / 梅澤紘貴
テクネ シルヴィ・ギエム
  パーカッション プラサップ・ラーマチャンドラ
ビートボックス グレイス・サヴェージ
ヴァイオリン、ヴォイス、ラップトップ アリーズ・スルイター
デュオ2015 ブリーゲル・ジョカ / ライリー・ワッツ
ヒア・アンド・アフター シルヴィ・ギエム / エマヌエラ・モンタナーリ
バイ シルヴィ・ギエム