苞山伏 / 頼政

2015/03/20

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「苞山伏」と能「頼政」。

ずいぶん日が長くなりましたが、18時半ではまだこの暗さです。

苞山伏

まず出てくるのが、山人(三宅右矩師)。棒を肩に掛け、その棒の先に鎌と苞(見た目は藁苞に包まれた納豆のよう)をぶら下げ、頭も苞のような帽子で頭上から両頬まで覆っています。山仕事で疲れたということで舞台の向かって右手、脇座あたりに横になり、寝込みます。ついで山伏(高澤祐介師)が出てきますが、こちらはすり足ではなく足を大きく上げた歩き方なのに足音をまったく立てず、何やら神通力がありそうな雰囲気。葛城山での修行を終えて羽黒山へ戻るところだそうで、その語りも重々しく〈次第〉の謡、最後の「帰らん〜」には後見の地取もついていました。こちらも旅に疲れて反対側の角の辺りにやはり横になりました。最後に出てきたのが使いの者(三宅右近師)で、舞台を斜めに横切ろうとして山人につまずいてしまいますが、見れば弁当を入れているらしい苞がそこに。喜んで苞を棒から外し、舞台中央に座り込んで弁当を食べてしまいます。この食べ方は流儀・演者によって工夫があるそうなのですが、この日の舞台では苞を縦に持って両手の親指で藁を押し広げ、口をつけてもぐもぐ。そのリアルな演技に本当にそこに米飯が詰められていたように見えてきました。ところが、山人が寝返りを打ち始めたので驚いた使いの者は苞を山人の方へ投げ捨てて一旦寝たふりをします。しかしどうやら起きてこない様子に再び苞をとって飯を食べ、残った米粒も一粒ずつつまみ出して吸い食べていると再び山人が動き始めたために今度は苞を山伏の方に投げて再び狸寝入りに入ります。

今度こそ起き出してきた山人は自分の弁当がすっかり空になっているのを見て仰天し、そこに寝ている使いの者を起こして詰問しますが、使いの者はもちろん知らぬふりで、そこに山伏が寝ているではないかと罪をなすりつけようとします。山伏たるものそんなことをするはずないではないかと言ってみても聞く耳持たない山人に、ここで金田一耕助風(?)になった冷静な山伏は、三人それぞれに疑われる理由があるから、法力をもって真犯人を探し出そうと提案します。一度はこれを笑い飛ばした使いの者でしたが、何やら不安げ。最初は山伏が数珠を手に「ぼろんぼろん」と祈ってみても別状ないのですが、山伏が山人に向かって祈っている間にとんずらしようとした使いの者が橋掛リに逃げたところを後ろから山伏が祈ると、使いの者は身体が言うことを聞かなくなり、舞台中央に引き戻されてそこに倒れ伏してしまいました。

真犯人が分かり山伏の法力に感嘆した山人は、先ほどの非礼を詫びると山伏に一飯を進ぜようと申し出て山伏を喜ばせましたが、そこで虫の息の使いの者は法力を解いて欲しいと懇願します。山伏はもはや真相が明らかになったのだからと鷹揚に法力を解こうとするのですが、弁当を食われた山人の方は腹に据えかねており、舞台上で身体をぎくしゃくさせている使いの者を棒で打とうとします。最後は、身体の自由を取り戻して逃げて行く使いの者を山人が棒を振り上げて追い、後ろから山伏が「早う逃げいやい」と追って幕へ下がっていきました。

ところでこの三人の組合せは式能での「舟渡聟」と同じですが、その残像もあるせいか、高澤祐介師の熱演に小アドの使いの者の方が主役に見えてしまいました。しかし、相変わらずぴったり息の合ったやりとりに見所は何度も大笑い。楽しい舞台でした。

頼政

源三位頼政と言えば、保元・平治を生き抜いて平家全盛の時代に従三位まで昇進し、歌人としても名を成した源氏の武将。最後に以仁王を奉じて挙兵し宇治に討ち死にしたものの、各地での源氏の蜂起の契機を作った人物です。本作は世阿弥の作で、「実盛」「朝長」と共に三修羅と呼ばれる重い習事ですが、私はこれらのいずれもまだ観ていません。

寂びた音色の〔名ノリ笛〕に乗って着流僧出立のワキ/旅僧(森常好師)の巨体が橋掛リを舞台へと進み、〈名ノリ〉の謡となります。曰く、洛陽の寺社は残りなく拝み廻ったので、これから何都(奈良)に行こうと思う。そしてここからの道行は深草、木幡、伏見を経て宇治へと土地の名前を織り込んで謡われますが、久々に聞く森常好師の美声はこの日も絶好調で、その流麗な抑揚の豊かさは現代的な意味での「歌」と言ってよく、惚れ惚れと聞き入りました。ワキが宇治の里の景色に感嘆している間にひっそりと幕前に現れた前シテ/老人(粟谷能夫師)は、ワキがあはれ里人の来たり候へかしと語るのを聞いてなうなう御僧は何事を仰せ候ふぞとひっそりと低く、しかし豊かに深い声音で三ノ松からワキに語り掛けます。白い尉髪、茶の絓水衣、面は三光尉。宇治の名所旧跡を教えて欲しいと頼むワキに、賤しい身なので答えかねると一度は返したシテですが、ワキが巧みに喜撰法師の庵(我が庵は都の巽鹿ぞ住む 世を宇治山と人はいふなり)から話をつなぐと、シテも応じて解説=「名所教めいしょおしえ」を始めます。シテとワキとは次々に向きを変えながら、槙の島、橘の小島が崎、恵心院の名を次々に挙げていき、二人の掛合いのうちに宇治の景観が立ち昇ってきます。なうなう旅人あれご覧ぜよとシテが揚幕の方を指して示したのは名にも似ず月こそ出づれ朝日山。ここで満を持して地謡が宇治の里の名所ぶりを讃えたところで、シテは居住まいを正してワキを平等院へと案内します。歩行の態を数歩示してシテとワキは平等院に着き、ここでシテがこれなるは釣殿と申して面白き所にて候、よくよくご覧候へと中正面の方を眺めることを勧めますが、この釣殿(現在は観音堂)は実は、頼政の嫡男・仲綱が自害した場所。そんなことは知らぬげにワキは今度は正先を見下ろして扇の形に取り残された芝の由来を尋ねます。これこそ頼政自身の終焉の場所で、覚悟の頼政はここに扇を敷き辞世を歌って自害したのでした。その模様は、後場で再現されることになります。ともあれ、痛わしやと下居して数珠を手に合掌するワキに、シテは今日こそ月も日も宮戦の日に当たることを告げると、自らのことも現とな思ひ給ひそとよと怪しい言葉を残して笛の音を背に去って行きました。

アイ/所の者(石田幸雄師)は、ワキの求めに応じて謀反の経緯と頼政の最期、扇の芝の由来を語りましたが、その長大な間語リは正中に正座して背を伸ばし、見所を圧するが如く見事な語り。これだけで一つの演目にできそうな程で、ここで、シテ・ワキの謡のみならずこの日の上演が屈指の名演の一つとなる予感を得ました。

頼政の幽霊と夢の契りを結ぼうと謡う待謡から〔一声〕、フォルテシモの笛、さらに鼓膜を破らんばかりの大鼓の打音。気合を込めて登場した後シテ/源頼政の霊は、この曲専用の頼政頭巾、頼政面(金属の眼球を持ち口を大きめに開いてインパクト抜群)、紫地に金の亀甲と大きな白牡丹の文様の法被を黒無地の滑らかな水衣から肩脱ぎに見せ、黒地に金波の半切袴を穿き太刀を腰に佩いて、法体でありながら甲冑姿であることを示す特殊な姿をしています。一ノ松からシテが血は涿鹿の河となり、紅波楯を流す、世を宇治川の網代の波、あら閻浮恋しや、伊勢武者は、みな緋縅の鎧着て、宇治の網代に、掛かりぬるかなと謡えば、舞台上は合戦の情景となって一気に緊迫。御経を読んで欲しいとのシテの求めにワキがこれを快諾すると、シテは自らを源三位頼政と名乗り、舞台中央で床几に掛かると、恐るべき音圧で地謡が謡う〈サシ・クセ〉のうちに「執心の波に浮き沈む因果の有様」=謀反の模様を仕方で語ります。シテは都からいったん三井寺へ、そこから南下して大和路への騎行を扇を振るって再現しますが、疲弊した以仁王が六度までも落馬したため平等院に立ち寄り、以仁王が落ち延びる時間を稼ぐためにここで敵を迎え撃つべく宇治橋の板を外して備えるうちにも追っ手は白旗を靡かせて押し寄せます。ここで詞章はシテに引き継がれ、源平の兵が宇治川を挟んで対峙し、鬨の声、矢羽の唸りが謡われますが、ここから視点は平家の将・田原忠綱に移り、三百余騎の轡が轟く様を徐々に速くなる足拍子で示すと、一斉に川に乗り入れて波に抗い渡河に成功します。これほどに写実的で力強く、それでいて様式美を備えて引き締まった仕方を見たのは記憶になく、心の底から感動しました。

ついに渡河を許したところで視点は再び頼政のものに戻り、立ち上がったシテは数歩後ずさって味方の勢が半町下がる様子を見せると、ここを最期と太刀を抜いて目付柱に向かい三たび太刀を振り下ろしますが、乱戦のうちに囃子方のブレイクが唐突に訪れ、頼政の子息たちの戦死が語られます。今は何をか期すべきと立ち尽くしたシテは扇を広げて正先に置き、安座。ついで短刀に見立てて扇を手に握り、静かに辞世を歌います。

埋れ木の花咲く事もなかりしに 身のなる果てはあはれなりけり

ここで合戦の修羅から立ち戻った頼政の霊は、向かって跡を弔って欲しいとワキに頼み、正先に扇を再び置くと常座に退いて、左袖を返して膝を突くことで草陰に消えていく態を示してから、見所に背を向け立ち上がって終曲を迎えました。

とにかく、素晴らしい舞台でした。前場でたっぷり聞かせたワキの美声、シテとワキとの味わい深い対話、中入後の緩むことのない堂々たる間語リ。一転して後場でシテが描き出す合戦の修羅の写実と様式美、舞台を揺るがす程に高揚する囃子方と分厚く一体感ある地謡。そして終曲時の静謐な虚無感まで、全てが完璧であったと思います。

配役

狂言和泉流 苞山伏 シテ/山伏 高澤祐介
アド/山人 三宅右矩
小アド/使いの者 三宅右近
喜多流 頼政 前シテ/老人 粟谷能夫
後シテ/源頼政の霊
ワキ/旅僧 森常好
アイ/所の者 石田幸雄
松田弘之
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 白坂保行
主後見 友枝昭世
地頭 出雲康雅

あらすじ

苞山伏

仕事に疲れた山人が山奥で苞を傍らに置いてまどろんでいると、羽黒山の山伏が修行を終えて帰国の途上に通りかかり、やはり疲れて近くに寝込む。そこに現れたこの辺りに住む使いの者は、眠っている山人の苞の中の昼飯をたいらげてしまう。山人が目覚めたので使いの者は苞を山伏の枕元に投げ捨て狸寝入り。昼飯がなくなった山人は怒って使いの者を起こし詰問するが、使いの者は山伏が食べたのだろうと動じない。ついで起こされた山伏が法力を使うと、使いの者の身体はこわばり、その場に倒れ伏してしまう。喜んだ山人は山伏を家に招くが、山伏が法力を解いて使いの者を解放すると、先ほどの怒りを思い出して使いの者を追い回す。

頼政

旅の僧が京都から奈良に向かう途中、宇治の里に赴き、一人の老人に出会う。僧に宇治の名所を教えてほしいと頼まれた老人は、僧を平等院へと案内すると、かつて源三位頼政がこの場所に扇を敷いて自害したことを話し、自身が頼政の幽霊であると名乗り、姿を消す。夜、頼政の幽霊が現れ、平家に敗れたときの様子を語る。高倉の宮に謀反を勧めた結果、都落ちすることになり、平家に追われた頼政らは宇治川の橋板を外し、対岸で追手を待ち構えたが、平家方は田原の又太郎忠綱が先陣として宇治川に馬を乗り入れて川を渡り、合戦となる。頼政の息子二人も討たれてしまい、ついに頼政は平等院の庭の芝に扇を敷いて、辞世の和歌を詠んで自害した旨を語り、消えていく。