オルセー美術館展 / 魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展

2014/08/10

国立新美術館(六本木)の「オルセー美術館展」へ。1848年から1914年までに制作された作品を網羅することを目的として設立されたオルセー美術館は、とりわけ印象派及びポスト印象派の充実したコレクションで知られています。私は1989年に出張の帰路立ち寄ったパリでオルセー美術館を訪ねていますが、いきなり出会ったアングルの《泉》の印象が強くて、他の絵画の記憶はまったく残っていません。とは言うものの、その後私も人並みには印象派絵画の勉強をしたので、今ではその周辺の主だった画家と作品についての予備知識を持っており、今回の展示は開催前から楽しみにしていたものの一つでした。

国立新美術館では2010年にも「オルセー美術館展」を開催していて、そのときは「ポスト印象派」をテーマとしていましたが、今年はずばり「印象派の誕生」と銘打って、印象派を代表する画家たちの84点の名画を日本に持ち込んでいます。

その84点は、上の図(クリックすると拡大します)に示された画家を含む多数の画家たちの作品が集められていて、1874年の第1回印象派展から140年という切りの良い年である今年にふさわしい充実したラインナップとなっていました。

1章 — マネ、新しい絵画

冒頭に置かれるのは、自らは印象派展に参加することは一度もなかったものの、印象派の先駆者として同時代を描き続けた画家、マネの「新しい絵画」を示す章。とりわけ、本展覧会のフライヤーの表面を飾る《笛を吹く少年》(1866年)の存在感は圧倒的です。抽象化された背景の前に立つ輪郭のくっきりした少年の赤みがかった肌色と、鮮やかな赤と黒、金のコントラストの見事さには息を呑みます。この作品がサロンで落選したとき、その先進性に惚れ込んだエミール・ゾラは憤りのコメントを発表したのだとか。また、《読書》(1865年)や《ピアノを弾くマネ夫人》(1866年)にも、マネ夫人の顔立ちを柔らかく描く繊細な輪郭線と、柔らかいレースのカーテンやソファーの掛け布、透過性のある生地でできた夫人のワンピースに見られるふわりとした質感、かたやピアノや壁の硬質な感じに、画家の練達の技術を見てとることができます。

2章 — レアリスムの諸相

ここでいう「レアリスム」とは、古典的な世界観の中で描かれる理想としての田園生活ではなく、現実の農民生活の貧困と過酷をありのままに描こうとする態度のこと。バルビゾン派のミレー《晩鐘》(1857-59年)が展示されていることを知らなかった私はこの作品を見て大いに驚いたのですが、その主題の神々しさにもかかわらず、くすんだ色合いと何の特別扱いもない展示方法とによって他の作品の間に埋没してしまいそう。むしろ、まるで写真のような「リアリズム」の技法とモデルたちに振り付けられた派手な演出が際立つブルトンの《落ち穂拾いの女たちの招集》(1859年)や、放心したかのように草原に座り込む女性の腕に青く浮かんだ血管までも精緻な筆遣いで描いたバスティアン=ルージュ《干し草》の方が人気を集めていたように思いました。そして、この「レアリスム」の視線が都市生活に向いた作品がカイユボット《床に鉋をかける人々》(1875年)。このカイユボットこそ、オルセー美術館の前身であるリュクサンブール美術館に印象派絵画のコレクションを寄贈することによって現在のオルセー所蔵作品の中核を形成した人物です。

3章 — 歴史画

旧世紀のアカデミズムが最も重視し、古典(神話や叙事詩、聖書などのテキストと古代彫刻)に準拠することが尊ばれてきたジャンルである歴史画の分野において19世紀におきたこともまた、鉄道や写真の発展によるリアルな環境描写。ラリドン《星に導かれてベツレヘムに赴く羊飼いたち》(1863年)やジェローム《エルサレム》(1867年)に描かれた、からからに乾きひび割れた大地の描写にはその歴史的主題以上に有無をいわせない説得力があります。

4章 — 裸体

歴史画の一要素であった裸体を抜き出してクローズアップしたかのようなカバネルの《ヴィーナスの誕生》には通俗すれすれの官能性が感じられます(確かにすごい美人!そしてその上に浮かぶキューピッドたちの表情が妙に邪悪)が、それでもまだアングル的な理想のプロポーションを保っていたことによってサロンの好評を獲得しました。しかし、モローの《イアソン》(1865年)の両性具有性やクールベ《裸婦と犬》(1861-62年)、ルノワール《横たわる半裸の女(ラ・ローズ)》(1872年頃)に見られる生身の豊満さは、高級娼婦が闊歩する快楽の町パリのブルジョワ階級の審美眼への叛旗でもあるようです。

5章 — 印象派の風景

「田園にて / 水辺にて」と副題をつけられたこのコーナーの白眉は、モネの大作《かささぎ》(1868-69年)となるでしょう。生け垣が斜めに影を落とす農村の雪景色の中、画面左端に近いところにひとり黒々と佇むかささぎは画面の右側をじっと見つめており、この絵を見る者はあたかもかささぎの目と意識を通じて同じ景色を眺めることになるのです。この絵は、この展覧会に展示された作品の中で最も長くその前に立ち尽くすことになった作品となりました。また、このコーナーには同じモネの《アルジャントゥイユの船着場》(1872年頃)も置かれていてこれまた見どころとなっていますが、それよりも暗く静かな林間の川と橋を堅固な構図と大胆なタッチで描くセザンヌの《マンシーの橋》(1879年頃)に強く惹かれるものを感じました。

6章 — 静物

りんご1個で世界を変えるセザンヌ。ここでは《スープ入れのある静物》(1873-74年)を鑑賞することができますが、これを見れば、多くの印象派の画家たちが激賞した浮世絵の極度の遠近法とは対極にある平面的な構図表現にセザンヌが傾斜していった後の傾向を読み取ることができそうです。

7章 — 肖像

だんだん疲れてきたので、この辺りは駆け足で。バジール《家族の集い》(1867年)が文字通り幅を利かせていますが、なんだかアンリ・ルソー的なへたうま感が漂っていて私としてはいまひとつ。それよりもモネの《ゴーティベール夫人の肖像》(1868年)のアンニュイな雰囲気(夫人はなぜか横顔を見せている)や、アメリカ人ホイッスラーが老いた母を横から描いた《灰色と黒のアレンジメント第1番》(1871年)の静謐感に心を奪われました。

8章 — 近代生活

今回の展示中の最大の大作であるモネの《草上の昼食》(1865-66年)が、ここにありました。このモチーフでは1863年にスキャンダルを呼んだマネの作品が有名ですし、この展覧会にはセザンヌの同名作品も展示されていましたが、モネのこの作品はそれらの中で最も穏健(?)と言えるもののようです。フォンテーヌブローの森でピクニックに興じる一団の男女を木漏れ日の中に描いたこの絵は、湿気によって傷んだために画家の生前に二つに切断されたキャンバスは、左の縦長418×150cmと右の方形248.7×218cmを並べたかたちで展示されていました。ここには、モネの風景画家・静物画家・人物画家としての資質がすべて盛り込まれているとみなされていますが、ただ私の感性からすると左端の女性の衣服のオレンジは毒々し過ぎ、その隣の女性のスカートの描き方もラフに過ぎ、そして何より人物の顔の描き方がアバウト過ぎで、いまひとつ感情移入できません。同じモネが《サン=ラザール駅》(1877年)で描いた汽車の吐き出すブルーの穏やかな煙や、ベルト・モリゾ《ゆりかご》(1872年)の中で彼女の姉が赤子に注ぐ慈愛に満ちた眼差しには心癒されたのですが。

9章 — 円熟期のマネ

最後は、再びマネ。1本のアスパラガスを描いた《アスパラガス》(1880年)には、《アスパラガスの束》の購入者が希望額より多く支払ってくれたので「あなたのアスパラガスの束から1本抜け落ちていました」という言葉を添えて進呈したという機知に富んだエピソードが残されています。そして、病に冒された画家の最晩年の作品の一つ《ロシュフォールの逃亡》(1881年頃)で見る者の心を大海の彼方へと送り込んで、展示は幕を閉じます。

あわせて見たのが、同時開催されていた「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」です。

バレエの歴史を学んだことがある人なら、バレエ・リュスの名は誰でも知っているでしょう。「リュス」とはロシアのこと。ロシアの地方貴族出身の芸術プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフがニジンスキーらロシアのダンサーたちを率いて1909年にパリで鮮烈なデビューを果たしたバレエ団です。その活動は20年間に及び、その間に関わった芸術家は主立ったところだけでも、ダンサーではニジンスキーやアンナ・パヴロワ、振付家ではフォーキン、マシーン、バランシン、作曲家はリムスキー=コルサコフ、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、サティ、ラヴェル、そして美術家はマティス、ルオー、ピカソ、ユトリロ、デ・キリコ、コクトー、ブラック、ローランサン、シャネル等々。つまり、ロシア出身でありながら当時のパリの前衛的な芸術家たちに活躍の場を与えた画期的なバレエ団であったわけです。

ディアギレフの死後、派生バレエ団がモンテカルロに立ち上がった後オーストラリアにも渡ったことから、オーストラリア国立美術館ではバレエ・リュスの衣装(上述の美術家たちがデザインしたもの)の貴重なコレクションを保有するに至りました。この展覧会ではそのコレクションの中から約140点もの衣装が出展されており、「シェヘラザード」「牧神の午後への前奏曲」などのBGMが静かに流れる中、各作品のあらすじと制作背景、そして衣装のポイントなどが詳細に解説された案内板を前にして大胆なデザインと機能性を両立した美しい衣装の数々を間近に眺めることができました。

また、これも色鮮やかなデザイン画やバレエ・リュスの公演プログラムなどの貴重な史料も展示されていて興味深く見ることができましたが、驚いたのは当時のダンサーが実際に踊っている映像が残されていたこと。そのテクニックは現代のバレエダンサーと比較しても遜色ないように見え、圧倒的な運動量と前衛的な美術・音楽と共に当時の観客を興奮の坩堝に叩き込んだことは間違いないだろうと思いました。もちろん、それが一歩間違うと「春の祭典」初演(1913年)のようにスキャンダルになったりもしたわけです。

ともあれ、かなり力のこもった展覧会で、バレエファンならこれは必見です。