塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

くるみ割り人形(アメリカン・バレエ・シアター)

2014/02/21

渋谷のBunkamuraで「シャヴァンヌ展」を見たときに衝動買い的にチケットを購入したのが、オーチャードホールでのアメリカン・バレエ・シアター「くるみ割り人形」。ABTは他に「マノン」と「オール・スター・ガラ」もプログラムとして用意していましたが、日程の都合でやや季節外れな「くるみ」を観ることにしたものです。そして、マルセロ・ゴメスとダニール・シムキンのどちらをとるかという岐路もあったのですが、ここは第12回及び第13回の世界バレエフェスティバルで溌溂としたダンスを見せてくれていたシムキンに期待することにしました。

当然「くるみ割り人形」もあれこれ観ていて、主流のワイノーネン版はもちろん何度も観ていますし、モーリス・ベジャール版マシュー・ボーン版も。それに熊川哲也版も観ました。しかるに今回はアレクセイ・ラトマンスキー振付で、プログラムの解説によればダンスに台詞のような意味を持たせるダンス・ドラマの流れと音楽を緻密に視覚化することを目指すシンフォニック・ダンスの流れを結合させた稀有なスタイルなのだそうです。実際、いろいろなサイトを調べてみるとラトマンスキーは現在最も注目されている振付家のひとりで、彼の「くるみ」は各方面から絶賛をもって迎えられているようでした。このようにさまざまな演出が試みられるのは、初演当時から指摘されていたように、「くるみ割り人形」にはバレエとして台本の不備があるからです。第1幕はクリスマスパーティーでの子供たちのドタバタでマイムばかりなので主役の踊りが入らないし、第2幕はディヴェルティスマンだけで物語が一向に進展しません。おまけに初演時のプティパ / イワーノフ版ではクララはおとぎの国に行ったままで終わってしまうので、いったいこの物語の結論は何だったのかということが解決されません。もっともこれには、バレエ「くるみ割り人形」は同じチャイコフスキーのオペラ「イオランタ」との2本立てで構想され、実際にも初演時にはそのようにして上演されており、この二つの作品には主題の面でも音楽的にも関連性があるばかりでなく、「くるみ割り人形」自体が「イオランタ」に対する余興を目指したものであったという理由が指摘されています。

序曲に続く第1幕第1場は、普通はシュタールバウム家でのクリスマスパーティーに向かう人々の道行ですが、この日の演出ではパーティーの準備に余念のない台所の情景でした。天井からソーセージがたくさんぶら下がり、コックやメイドが忙しげに立ち働いている様子がダンスで表現されますが、テーブルの下に隠れている子ねずみがいたずら者で、メイドを脅かしたりコックに追いかけられたり。やがてクララ(少女)とフリッツの姉弟もやってきてテーブルの上の料理をつまみ食いし始めますが、優しい両親に伴われてパーティー会場へ向かうと、後はねずみたちの独壇場となってソーセージが食い散らかされます。寸胴鍋の中から子ねずみが出てきたのには驚きましたが、そのねずみたちも突如ドアを開けて入ってきたドロッセルマイヤーとくるみ割り人形にびっくり。

第2場はパーティー会場となるシュタールバウム家の広い応接間で、K-BALLET SCHOOLの子供たちによる達者な群舞の中にいつの間にか滑り込んだドロッセルマイヤーが妖しい雰囲気を醸し出し、ついでその場に持ち込まれた巨大な箱の中から登場した人形たちは、まず白黒模様の新兵と従軍商人、ついでブルーと赤のコロンビーヌとハーレクイン。前者は個々のダンスのキレが素晴らしく、後者は2人のダンサーのコンビネーションが抜群でした。上手の階段を登って寝室に向かう子供たちの最後に続くクララを呼び止めたドロッセルマイヤーが用意していたのはくるみ割り人形(少年)で、大人たちが舞台奥で食事しながら会話を楽しんでいる間にクララは舞台手前でくるみ割り人形で遊んでいましたが、フリッツがちょっかいを出したために人形は壊れて自力では立てなくなってしまいました。仕方なくクララは人形をずるずると引きずって舞台下手に立つクリスマスツリーの前の長椅子に寝かせましたが、フリッツが悪ガキたちを引き連れて戻ってきて長椅子の前に立ちはだかるうちに、くるみ割り人形はその影で背後に消えて小さいサイズの本物の人形と入れ替わります。この場面では登場人物、とりわけ子供たちの感情の起伏が大きく、音楽も旋律や調性の変化でその様子を的確に表現しているのですが、振付もまた音楽そのものを台本として子供たちに演技をさせているように見えました。やがて子供たちは2階の寝室へと追い払われ、大人たちのダンスもおじいさんとおばあさんの息も絶え絶えの短いパ・ド・ドゥで締めくくられて、舞台は第3場の真夜中の闘いへ。

クララが階段を下りてくると、長椅子では子ねずみがくるみ割り人形をもて遊んでいます。怯えるクララ、そして0時の鐘の音。クリスマスツリーの巨大化は、最初にツリーの背後からより大きなツリーがせり上がり、ついで背景が切り替わって強烈な遠近法のマジックと共に舞台下手袖から巨大ツリーの一部が引き出されることで表現されます。少年の姿を取り戻したくるみ割り人形やおもちゃの兵隊たちとねずみたちとの対決は、ハーレクインたちが持ち出した大砲も巻き込んで延々と続いたものの、肩の回りにたくさんの首をぶら下げたねずみの王様がダントツで強く、ねずみの王様にぶんぶん振り回されたくるみ割り人形があわやというところで、舞台からはみ出るほどに巨大化した椅子の上(舞台上5mの高さ)からクララが投げつけたスリッパによってねずみの王様もくるみ割り人形も倒れ込んでしまいます。ねずみたちが去り、クララがくるみ割り人形に駆け寄ると、いつの間にかくるみ割り人形のかぶりものがなくなって人形はリアルな少年の姿になっていました。そして背景は雪の原へと変わり、クララと少年が舞台手前で手を取り合って踊る向こう側に、2人の幻のように純白のコスチュームに身を包んだ王女(サラ・レイン)と王子(ダニール・シムキン)が現れて、2組はシンクロして踊ります。そして、クララと少年が舞台上に座って見つめ合うと、王女と王子による素晴らしく滑らかなパ・ド・ドゥが踊られました。

ここが今回の演出の大きな特徴の一つで、多くの場合、クララは最初から主役が演じ、くるみ割り人形もねずみの王様との闘いが終わると主役に切り替わるのですが、今回は少女・少年と王女・王子の2組が用意され、王女と王子はクララの前に幻のように現れる存在であり続けます。これは、かなり面白い趣向だと思いました。

第4場は雪の原。このページの右上にあるプログラムの表紙の写真が、この場面における雪の精たちの姿で、ABTのコール・ド・バレエは何となく揃っていない雰囲気が常に漂うのですが、何せ全員が素晴らしいプロポーションの持ち主なので文句はありません。最初はこの雪の精たちと戯れるように降る雪を楽しんでいたクララと少年でしたが、途中から照明がやや暗くなり、それまで美しいだけと見えていた雪の精たちの姿は明らかに2人を飲み込もうとする邪悪なものに変わっていきました。雪の精たちに引き離されてあわやというところへ、ドロッセルマイヤーが大きなそりを持ってやってきて2人を救い出し、3人を見送った雪の精たちが悔しそうにがっくりと倒れ込んだところで、第1幕が終了しました。

この「邪悪な雪の精」というのも初めて観ましたが、後日読んだ『永遠の「白鳥の湖」』によると、1929年のロプホーフ版の中で既に振付家は雪のワルツの中に主人公たちの行く手を阻もうとする力が潜んでいることを聴き取り、主人公(ロシア風の名前でマーシャ)の前に踏切の遮断機のような横木を置くという演出を試みていたそうです。

第2幕、賑やかな金平糖の精の国の情景を垣間見せた後に、舞台手前に陣取った金平糖の精と家令の前へドロッセルマイヤーのそりが到着し、クララと少年は温かく迎えられます。少年がマイムでねずみ退治の様子を再現し、クララのスリッパでねずみの王様をやっつけたことが伝わると、金平糖の精の国の人たちは一斉に拍手。そのまま下手に席を与えられたクララたちの前で、ここからディヴェルティスマンが展開しますが、これも凝ったものでした。最初は男女3人ずつのスペインで、これは比較的普通のスペイン風。ところが続くアラビアは禿頭の男1人が4人の女性になぜかモテモテで、しかし男の方は女たちを冷たくあしらうという不思議な関係です。ついにキレた女たちは男に愛想尽かしをして去って行き、その後を男が追っておしまい。中国はこれも普通に一本指立てて、軽業っぽいリズミカルなダンス。ロシアは男性3人ですが、ダンスの動きそのものよりも3人の人間関係に注目したコミカルなもの。しかし緑色のドレスを着た美しい5人の女性たち(くるみ割り人形の姉たち)によって踊られた葦笛の踊りは、正統派の美しいものでした。その後に、赤い横縞の衣裳を着た道化(子供たち)8人が飛び出してきて元気に踊っているところへ、巨大なスカートを履いた身長3mくらいのジンジャーおばさん(演じているのは男性=第1幕のコック)が現れて、子供たちはそのスカートの下にかくれんぼのように潜り込んでゆくと、いつの間に潜り込んでいたのか子ねずみまでもスカートの中にいて大混乱。さらに驚いたのは花のワルツで、白・ピンク・赤のグラデーションが美しい衣裳の花の精たちがあの有名な旋律に合わせて優美に踊っていると、黒地の燕尾服風の下に黄色と黒の縞模様のシャツ、頭には触覚付きの黄色いヘルメットを被って複眼のようなサングラスをかけた4人の男たちが現れてサビのフレーズを踊ってしまいます。力強くも不気味なその姿に慣れるまでに時間を要し、これはどうやら花の間を飛び回る蜜蜂らしいと気付いたときは花のワルツも終わろうとしていました。

舞台奥にシュタールバウム邸の形をした扉が現れ、そこから登場した王女・王子とクララ・少年が入れ替わって、いよいよグラン・パ・ド・ドゥ。一つ一つのパについての細かい描写は控えますが、まずアダージョは安定感が際立ち、そうした中にも飛び込んでフィッシュ→瞬時に肩の上へリフトといった場面も交えつつ、最後のフィッシュまで隙のないダンスでした。続くダニール・シムキンのヴァリエーションはバネの強さとリズム感が強調され、サラ・レインの(金平糖の精ではなく王女としての)金平糖の踊りはしなやか。コーダでもシムキンがジャンプの高さを活かしたブリゼ、大きく舞台を廻るジュテで客席を湧かせましたが、さすがに全幕物の王子役だからか曲芸的な超絶技巧を誇示することはせず、すぐにサラ・レインを迎え入れてきびきびとしたコンビネーションを見せ(サラの背後から素早く左右に顔を覗かせる動きがモダンです)、グラン・パ・ド・ドゥを締めくくりました。

最後に、王子が王女にマイムで指輪を贈り、金平糖の精の国の人々が次々に短い祝福のダンスを踊るのですが、これも案外に侮れないダンスが続き、特にくるみ割り人形の姉たち5人がぴったりシンクロしたフェッテで回ったときには拍手が湧き起こりました。そうした中へクララのベッドが後方から持ち込まれ、舞台の前へ押し出されて金平糖の精の国は下りてきた幕の向こうに消えてしまいます。その幕に開けられた小さな窓から見える舞台奥に雪が降りだし、暗闇の寝室の中で目を覚ましたクララは、下手袖近くに王子、上手袖近くにくるみ割り人形(少年)の姿を見つけましたが、どちらも近づこうとすると姿を隠してしまいます。悲しい思いを抱きながらベッドに戻ったクララは、そこに小さなくるみ割り人形を見つけ、その姿を窓の外からドロッセルマイヤーが見守るうちに終演となりました。

ラトマンスキーの演出は上述のように「なるほど、そうくるか」と思わせる独自の解釈を伴った理知的なもので、個々の場面をとっても雪の精の性格づけや花のワルツの意外性(これは好みが分かれるかも)など随所に個性を感じました。舞台装置は比較的シンプル(特に第2幕)でしたが、第1幕の闘いの場面のクララが小さくなった表現は面白く、また全体に衣裳はとても綺麗でした。さらに、細かい演技の要素も少なからずありましたが、主役の出番がごく限られているのに対しここまで子供たちに活躍させるのはどうなのかな(熱演だったことは疑いないですが)というのも正直な感想です。そして期待のダニール・シムキンは、飛び道具的な技巧の高さよりも、ぶれない回転軸や高いジャンプからの着地姿勢の安定などが目立ち、作品世界を形づくるのに見事に貢献していたように思います。ただ、ワンダーボーイとまで呼ばれた彼の溌溂としたダンスに期待する向きには、少し物足りなかったかも。そこに期待するなら、「くるみ」ではなく「ガラ」を観るべきなのでしょうけれど。

ところで、「くるみ割り人形」を観るたびに毎度思うことですが、ドロッセルマイヤーとは結局いかなる存在なのでしょうか。バレエの中では夢と現実の両方の世界に属し、クララの成長を後押しする存在ですが、ホフマンの原作ではねずみの王様との間に長い敵対関係もあった模様。また、ねずみの呪いによってくるみ割り人形に変えられていた王子の呪縛からの解放……という設定もあり、そうしてみると原作でのねずみの役割はずいぶん重いものであったようです。いずれ機会があれば、この原作も読んでみたいものです(→ 読んでみました)。

配役

クララ(少女 / 王女) アデレード・クラウス / サラ・レイン
くるみ割り人形(少年 / 王子) ダンカン・マクイルウェイン / ダニール・シムキン
ドロッセルマイヤー ロマン・ズービン
乳母 / 金平糖の精 ツォンジン・ファン
子ねずみ ジャスティン・スリオレヴィーン
フリッツ(クララの弟) グレゴール・ギレン
キッチン
執事 アレクセイ・アグーディン
コック ケネス・イースター
メイド ケリー・ボイド / ルシアーナ・パリス
シュタールバウム夫妻 グラント・デロング / ニコラ・カリー
パーティー
コロンビーヌ(人形) ミスティ・コープランド
ハーレクイン(人形) クレイグ・サルステイン
新兵(人形) カルヴァン・ロイヤル
従軍商人(人形) ニコール・グラニエロ
おばあさん マリアン・バトラー
おじいさん ショーン・スチュワート
2人のおばさん ジェシカ・サーンド / ポリーナ・ワスキー
闘い
ねずみの王様 トーマス・フォースター
金平糖の精の国
家令 アレクセイ・アグーディン
くるみ割り人形の姉たち ステラ・アブレラ / ミスティ・コープランド / エイプリル・ジャンジェルーソ / メラニー・ハムリック / リーヤン・アンダーウッド
アラビアの踊り ジェームズ・ホワイトサイド / ニコラ・カリー / エリーナ・ミエッティネン / ケリー・ポッター / デヴォン・トゥシャー
スペインの踊り ルシアーナ・パリス / パトリック・オーグル / クリスティーン・シェフチェンコ / グレイ・デイヴィス / イサドラ・ロヨラ / ホセ・セバスチャン
中国の踊り ジェマ・ボンド / ジョセフ・ゴラック
ロシアの踊り ブレイン・ホーヴェン / クレイグ・サルスティン / アロン・スコット
ジンジャーおばさん ケネス・イースター
蜜蜂 トーマス・フォースター / ダニエル・マンタイ / ルイス・リバゴルダ / エリック・タム
パーティーの子供たち / おもちゃの兵隊 / 妖精 / 小姓 / 道化 K-BALLET SCHOOL
指揮 デイヴィッド・ラマーシュ
演奏 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団