アントニオ・ロペス展

2013/06/01

Bunkamuraザ・ミュージアム(渋谷)で開催されている展覧会「アントニオ・ロペス展」を見に行きました。

アントニオ・ロペス(1936-)はスペインの画家・彫刻家で、一般にはリアリズムの芸術家と目されています。確かに、圧倒的な技巧で描かれた丹念な絵画作品の多くは、あたかも写真を見るかのような写実性をもっていますが、一方で、その作品のいくつかにはキュビズムやシュールレアリズムの影響を見てとることができ、複眼的な視点の置き方に虚を突かれることがあります。また、アントニオ・ロペスの制作方法の最大の特徴は、何といっても一つの作品を仕上げるのにかける年数の膨大さです。と言っても、その間ずっと描き続けているわけではなく、たとえば途中で制作を中断したり一応の完成に至った作品をずっと後になって取り出して筆を加えたり、何年にもわたって一定の季節の限られた時間帯だけを使って同じ光の状態での風景を描いたり。そのような制作スタイルがもたらす「寡作」のせいもあって、これまでこの画家の作品がまとまったかたちで日本で紹介されることはなく、この展覧会が日本初のアントニオ・ロペスの個展ということになります。

故郷

最初のコーナーは、10代から20代にかけての若きアントニオ・ロペスの作品群。スペイン中南部のラ・マンチャ地方トメリョソに生まれたアントニオ・ロペスは、その画才をやはり画家である叔父に見出され、13歳で絵画修行のためにマドリードに出て、王立サン・フェルナンド美術アカデミーの美術学校に入りました。この頃の作品には、後のリアリズムとは異なり幻想的なムードをたたえた不思議なモチーフのものが含まれており、たとえば《飛行機を見上げる女》(1953-54年)にはキュビズムの明確な波及が感じられますし、《ギリシアの頭像と青いドレス》(1958年)は光源の配置の不自然さにシュールレアリズムの気配を見てとれます。そして、ポンペイの壁画から影響を受けたらしい夫婦像の後に登場する《フランシスコ・カレテロ》(1961-87年)は、もともと小さな胸像として制作され、その後にその四倍近い面積の半身像に作り直して四半世紀以上も筆を加え続けたというもの。

家族

まずは《夕食》(1971-80年)の異様さにびっくり。家族が食卓で夕食をとっている情景を描いた作品で、自分の席から丸テーブルの反対側に座る幼い次女と右手に座る妻とを描く構図ですが、妻の顔は後からの加筆が中断されたままであるためにブレた写真のように二重に描かれており、テーブルの上の肉やリンゴは生々しいコラージュ。結局この作品は未完のままに終わってしまっています。しかしこのコーナーの、というよりこの展覧会の白眉となるのは長女マリアを鉛筆による素描で描いた《マリアの肖像》(1972年)でしょう。アントニオ・ロペスにとって素描は下描きではなくそれ自体独立した制作スタイルなのですが、この《マリアの肖像》に見られる簡潔な構図の中の少女の表情の神秘性とコートの柔らかな質感には、文字通り目が釘付けになります。

植物

1992年公開の映画「マルメロの陽光」(監督:ビクトル・エリセ)の中で制作された、自宅の庭に生えているマルメロ(バラ科の果樹)をラフなタッチで描いた《マルメロの木》(1990年)がこのコーナーの眼目です。結局は未完に終わった作品ですが、朝の光に上部を照らされ輝く黄色い果実と緑の葉が織りなす穏やかな雰囲気は、マルメロの木に対する慈しみを感じさせます。他に、ブドウやバラ、スミレなどを描いた小品がいくつか。

マドリード

このコーナーの作品群には、圧倒されました。マドリードの目抜き通りの朝の情景を緻密に描いた《グラン・ビア》(1974-81年)、真昼の強い光の下に静まるマドリードの町を消防署の塔の上から描いた《バリェーカスの消防署の塔から見たマドリード》(1990-2006年)、穏やかな夕陽の色に染まるマドリードを眺める《トーレス・ブランカスからのマドリード》(1974-82年)といった作品が並び、特にマドリードの町を俯瞰する作品はどれも縦横数mはある大作ばかり。画面の上半は大きな、雲以外に何もない空。画面の下半には緻密に描き込まれた建物の密集。これらの作品の前に立って絵の中に吸い込まれそうな気持ちになりながら、ふと気付くと、どの絵にも人の気配がまったくありません。そのことこそがまさに、マドリードの町そのものがこれらの作品の主題であることを明瞭に示しているよう。しかし、ではそれらの絵が無機質かというとそんなことはなく、たとえば消防署の屋上の赤い手すりが極近景として絵の下部に大胆に描かれているのを見ると、いまこの絵(に描かれたマドリードの町)を眺めている自分の立ち位置に、画家自身の存在を強く感じることができます。

静物

ここでは幅広い年代の、油彩画・ブロンズの浮彫り・素描が並んでいます。初期の油彩画はシュールな作風、ブロンズの浮彫りはスペイン伝統のボデゴン(厨房画)を連想させ、1990年代の素描に描かれたカボチャの細密な表現は究極のリアリズム。

室内

《食器棚》(1962-63年)の浮遊する燭台や妻の胸像に見られるシュールな雰囲気に驚き、その隣の木彫彩色の《眠る女(夢)》(1963年)のリアルな表現に目をみはり、そして《トイレと窓》(1968-71年)の大胆な構図に愕然とします。この《トイレと窓》では画面が中央で上下に二分割され、描かれているのは同じシャワー / トイレルームなのですが、上半分は窓を正面から見た構図、下半分は便器とシャワーの台を見下ろす構図。何だこれは?

人体

最後は、彫刻による人体表現のコーナー。リアルそのものの《男と女》(1968-94年)としばし睨み合った後、アントニオ・ロペスの孫がモデルとなっている《子どもたちの顔》(1996-2013年)年に癒されましたが、近年、アントニオ・ロペスはパブリックアートに精力的に取り組んでおり、マドリードのアトーチャ駅には直径3mを超える幼児の頭部、マドリード郊外の町の交差点には高さ5.5mの女性半身像が設置されているのだとか。見てみたいような、見たくないような……。

一言で言って、行ってよかった展示会。リアリズムと言っても、一頃はやったスーパーリアリズムのような細密表現それ自体を目的化した作品ではなく、そこには画家の生のタッチがあり、最上の瞬間を捉え続ける視線があり、対象に対する時間を超越した愛情が感じられました。その点では、私が大好きなアンドリュー・ワイエスの制作態度と共通する部分があるようにも思えるのですが、しかしやはりワイエスにはアメリカの、そしてアントニオ・ロペスにはスペインの香りが強く漂っていて、それぞれに独自の世界を描き続けている作家であるとしか言いようがなさそうです。