塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想

2012/05/03

大型連休後半の初日は、朝から大雨。これは近場で絵でも見に行くしかないか……という消極的な動機で、自宅から徒歩10分のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている展覧会「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」を見に行きました。

万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの業績のうち、絵画に現れる「美」をレオナルド本人の作品とその工房や周辺・後世の影響を受けた画家の作品を通じて追求するというのがこの展覧会のテーマで、本会場における展示の構成と、それぞれのコーナーでの代表的な作品は、次の通り。

レオナルドの時代の女性像
レオナルドの時代の芸術家、とりわけラファエロとその工房の作品に見られる女性表現に与えたレオナルドの影響を確認することがこのコーナーの主題となっていて、《カーネーションの聖母》(1506年頃)や《ヒワの聖母》(1505年以降)が中心的な作品となりますが、個人的にはボッカッチーノの《ロマの少女》(1504-05年頃)の吸い込まれるようなエキゾチックな目に惹き込まれました。
レオナルド・ダ・ヴィンチとレオナルド派
レオナルドは、当時(ルネサンス期)の習慣に従って師の工房に入って腕を磨き、長じては自らの工房を構えて弟子たちと共に作品を制作しました。このコーナーには、本展覧会の白眉をなすレオナルド自身及び彼の工房の作品が並んでいます。まず、若き日のレオナルドの作品である《衣紋の習作》(1470-75年頃)に目が釘付け。衣紋しか描かれていないのにあたかも人が着ているかのような自然な襞と、これを縁取るデリケートな光や陰翳、生地の質感は素晴らしいものです。そして本展覧会のメインである《ほつれ髪の女》(1506-08年頃)の、やや俯いた顔にかかる柔らかい髪の動きが示す女性の内面の美しさ。レオナルドはその手記『絵画論』において頭部を描く場合は、その頭髪が、若々しい顔の周りの風に合わせて動いているように描くことだ。その際、顔の周りを優美に飾る髪の癖も描かなくてはならないと記していますが、《ほつれ髪の女》はこの記述をまさに体現しています。多くの学者によって後に制作される聖母像の下絵であるとされるこの小振りな作品は、しかしこれ単独でレオナルドの傑作の一つと言えるようです。一方、絵画としての完成度という点では《岩窟の聖母》(1495-97年頃)も見逃せません。レオナルドによる《岩窟の聖母》は3点が現存しており、一つはルーヴル美術館所蔵(オリジナルバージョンで画面全てがレオナルド真筆)、一つはロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵、そして今回来日した作品は公開されることが多くない個人蔵(レオナルドとその弟子による作品)。幼子の姿である洗礼者ヨハネとイエス、2人を見守る聖母マリアと大天使ウリエルという構図は宗教的神秘さに満ちていますが、この作品のオリジナルバージョンは注文主であるフランシスコ会士との間で主題と描かれ方に関する諍いを生んだそうです。それにしても、イエスの顔が妙に金属質の青みがかった光沢を帯びているのはなぜなんでしょうか?それに幼子2人の髪はモヒカンで、表情もとても怖いんですが……。
「モナ・リザ」イメージの広がり
さまざまな作者による《モナ・リザ》が展示され、それらの比較を通じてモナ・リザが幅広く受容されていった様子を見るとともに、そもそものモナ・リザのモデルは誰であったかをも考察しようとする意欲的なコーナー。さまざまな版の《モナ・リザ》が並べられていて、注文主の好みを反映しているのか、それぞれに顔立ちや雰囲気が異なるのが面白いと言えば面白いのですが、この展覧会において注目されるのは、レオナルドによる1503年の未完成作説があるという《アイルワースのモナ・リザ》です。今回のような規模の展覧会では世界で初めて公開となるというこの作品の主人公は、ルーヴル美術館のそれと比較すると若い顔立ちですが、その穏やかで理知的な、また神秘的な笑顔はルーヴル版を彷彿とさせます。
「裸のモナ・リザ」、「レダと白鳥」
《モナ・リザ》の派生主題と言える《裸のモナ・リザ》の作品群と、美しく身体をくねらせた裸体の女性美が中心をなす《レダと白鳥》(レオナルド周辺の画家による16世紀の作品)を紹介。
神話化されるレオナルド
レオナルドの肖像や、《モナ・リザ》を描くレオナルドの姿を主題とする絵が配置され、最後にレオナルドの生涯を解説する約9分のショート・ムービーで展示を締めくくります。

このようにして、数は多くないながらもレオナルド自身の作品を見ると、若き日の《衣紋の習作》に示された圧倒的な技巧が、《ほつれ髪の女》では女性の表面的な美しさをなぞるだけではなく内面の優美さを表出するほどの高みにまで達していることに気付かされます。これは会場の随所に掲示されたレオナルドの手稿『絵画論』の引用によっても明らかですし、同時にそのことがレオナルドとそのフォロワーたちとの決定的な差でもあるように思いました。

というわけで、冒頭に書いたようにあまり思い入れなく足を運んだBunkamuraでしたが、予想以上に充実した展示を見ることができて、ラッキーでした。