鳴子 / 俊寛

2010/11/19

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「鳴子」と能「俊寛」。

鳴子

最初に後見が作リ物を持って出てきたのですが、一畳台の上に藁屋根が乗った奇妙な姿に「なんじゃあれは?」と訝しんでいたら、これがポータブル藁屋。屋根の下に柱が四本折り畳んであって、これを舞台中央で組み立てたところ高さ2mほどの立派な藁屋になりました。そして主と太郎冠者・次郎冠者の登場。

主は、稲穂実るめでたい秋を喜びつつも、鳥が田を荒らすのを防ぐために鳥を追い払いに行ってくれと二人に頼みますが、二人はそんなの子供の仕事では?と一度は断ります。しかし、狐や熊も出るから子供ではダメ、という主の言葉に納得した二人は、鳴子を持たされて田に向かいます。この「鳴子」は、解説の文章をそのまま使うと細い竹管を数本並べて小さい板に櫛の形につるし、縄を引いて音を鳴らす道具。そして二人は道々、主がいかに優しい人であるかということを褒め讃えながら田に着くと、鳴子を下げた紐の一端をそれぞれ目付柱と脇柱に結びつけて、田を見渡し稲がようできた!とうれしそう。そこへ近づいてくる鳥の群れをめざとく見つけて、息を合わせてこれを追い払います。鳥がよその田へ行ってしまったことを見極めた二人は、藁屋に腰掛けて休みますが、正面に向かって仲良く座った二人は、雛壇に並んだよう。それに太郎冠者は小柄、次郎冠者は大柄の凸凹コンビなので、見た目だけでも十分楽しくなってきます。そしてここから、二人ののんびりしたおしゃべりに続いて始まる小謡が見どころ聞きどころ。太郎冠者のソロに続いて二人ユニゾンの朗々とした謡は明るくリズミカルなものになりますが、その内容は鳴子にちなんだ引き物尽くしなのだとか。さらに次郎冠者が「ホ〜ウ!ホ〜ウ!」と声を掛けながら鳴子を引いたり、太郎冠者が清元みたいな高音にこぶし(?)を利かせたりして楽しく謡っているところへ、鳥追いご苦労さん、と主が酒を持ってやってきます。本当に優しいご主人様……。

一度は恐縮した二人でしたが、鳴子の紐を藁屋の柱に結びつけると酒を仲良く酌み交わし始めます。ざんざと鳴るはの浮かめ浮かめと小謡や舞を披露し合ううちに鳥が再びやってきますが、すっかり酔っぱらった太郎冠者は鳥を追うことができません。あわてた次郎冠者が一所懸命鳴子で鳥を追うと、さすがに太郎冠者も加勢して一段落。すっかり楽しくなってしまった二人はまた藁屋に腰掛けて小謡を謡い出し、さらに立ち上がって浮キ回リ(両足を交互に上下させて軽やかに回る)を見せながら鳴子を柱から外すと、ふらふらになって寝込んでしまいました。こうなると筋は見えたようなもので、しっかり働いているであろう二人をねぎらいにやってきた主は、二人が寝込んでいるのを見てびっくり、「やいやい太郎冠者!」と起こしにかかりました。酔眼で「……や?」と主を見上げた太郎冠者の方もびっくりし、あわてて起きると「許されませ」と次郎冠者共々平身低頭ですが、どこまでも人のいい主がちゃんと鳥を追ってくれと頼むのに太郎冠者と次郎冠者はもう飲み過ぎたので鳥追いは勘弁、と逃げてしまいます。

40分間と狂言としては長い一番でしたが、美しく稲穂揺れる秋の田の情景描写、太郎冠者と次郎冠者の賑やかな謡と舞、人の良い主人とその主人を慕う二人の従者のおおらかな関係など、観ていてうきうきとしてくるような楽しい狂言でした。

俊寛

世阿弥作、舞事を伴わない劇能である「俊寛」。私にとっては、歌舞伎の方でおなじみの演目です。もちろん、そのルーツは『平家物語』にあり、鹿ヶ谷の謀議に加わって流された三人の流刑人のうち一人鬼界ヶ島に取り残された俊寛の悲劇(結局37歳で島で亡くなっています)はとりわけ劇的なものとして、世阿弥や近松の創作意欲をかきたてたのでしょう。ただし歌舞伎と能とでは描き方が大きく異なっており、前者は成経の妻となった千鳥を船に乗せるために自ら島に残ることを決意しながら「思い切っても凡夫心」、ついに取り乱してしまう人の心の弱さをダイナミックに描くところが眼目となるのに対して、能の「俊寛」の場合は非情な運命に翻弄される俊寛の救いようのない哀れを一種冷徹に眺めているようなひんやりした筆致が感じられます。そしてエンディングは、歌舞伎版「俊寛」の渾身の激情もいいけれど、能「俊寛」の、涙に霞む俊寛の目を通して見たかのような茫洋とした幕切れもまた、深い余韻を残して感動的です。

さてここで、現在受講している講座『初めての能の世界』の桑田先生による「俊寛」の【鑑賞のツボ】。

  • 絶海の孤島に残される俊寛の悲劇を描いた能。物語性が強く、劇的な構成の能。
  • 前半は、康頼と成経の三熊野詣の場面。これに加わらなかった俊寛だけ取り残されるという設定から、熊野権現の霊験を称える内容となっている。
  • 〈クセ〉の謡と所作は秀逸。俊寛が赦免状を繰り返し眺め、礼紙(書状の包み紙)にあるかもと赦免状をひっくり返すシーンに合わせ、絶妙の緩急で語られる地謡の迫力は、能の中でも屈指の名場面。
  • 俊寛が纜にすがりつくが、その綱が切られてしまうシーンは、他に例を見ないほどリアルな型。そこで尻もちをつきながら綱をうまくさばくのは、たいそう難しい所作。
  • 俊寛が置き去りになり、康頼と成経を乗せた船が段々と遠ざかっていくシーンは情感たっぷりである。だんだん去っていく舟影と、海漫々たる水平が感じられる。

これらを意識しながら、舞台上に注目することにしました。

今日の地頭は、豊かな体躯とぎょろりとした目が特徴の観世銕之丞師。その手前(見所側)には柴田稔師の顔も見えていて、迫力十分。そして流麗な〔名ノリ笛〕と共に登場したワキ/赦免使は、先日の「道成寺」でも見た長身イケメンの若手・福王和幸師。ブルーの横縞の素袍姿で現われ、中宮御産の御祈りのために非常の大赦が行われ、鬼界ヶ島の流人のうち丹波少将成経と平判官康頼の赦免の使いを承ることになった旨を述べると、アイ/船頭を呼び出して舟の用意を命じ、退出します。

そして鋭いヒシギ、〔次第〕の中に濁りのない笛の音が短調の旋律を奏で、ツレの康頼(西村高夫師)・成経(谷本健吾師)の〈次第〉は神を硫黄が島なれば、願ひも三つの山ならん。康頼は角帽子に茶の衣、深緑の縷水衣。成経は紺の衣の上に淡い緑の縷水衣、腰蓑という出立ちです。そして二人は〈名ノリ〉の後にユニゾンでこの島に三熊野を勧請し参詣を重ねていることを述べるのですが、先ほどの「鳴子」の二人が完璧な重唱だったのに対し、こちらは成経が常に康頼の後を追いかけて謡っているような感じで、その微妙なずれ具合がちょっと気になりました。やがて〔一声〕、そして角帽子に熨斗目、暗い色の絓水衣、腰蓑、何となく悲しげな表情が特徴的な専用面「俊寛」(是閑作)を掛けたシテ/俊寛(山本順之師)が登場すると、一ノ松から後の世を、待たで鬼界が島守となる身の果ての、冥きより冥き途にぞ、入りにける。何やらシニカルに自分の運命を諦めきったような言葉を漏らしながらも俊寛は、熊野参りをしていた康頼・成経の「道迎え」として酒を持って来たというのですが、流刑の島に酒のあらばこそ。不思議に思った康頼がそも一酒とは竹葉の、この島にあるべきかと歩み寄って覗き込むリアルな所作をするとや、これは水なりと驚きます。それでも三人は中央に着座して、この島の清水を酒に見立てて酌み交わしながら都に住んでいた昔を懐かしみ、しかし今の境遇も平家を討とうとした自分の心に発しているのだと溜め息をつきます。

そこへ〔一声〕。アイが舟の作リ物を一ノ松辺りに置き、水棹を構えて立つと、ワキが再び登場しました。早舟の、心に叶ふ追風にてというところは囃子もスピーディーに奏され、島に着いたとのアイの言葉にワキは赦免状を掲げて舞台へと進み入ります。この間に、アイは舟を三ノ松辺りの奥の欄干に立て掛けました。そしてワキは朗々と、都より赦免状を持って来た旨を告げて、赦免状をシテへ渡し急いでご拝見候へと促します。あらありがたや候と喜んだシテは、しかしその書状を自分で読むのが怖かったのか、康頼に渡してやがて康頼ご覧候へ。ワキは角から見所を向き、流人三人が斜めに向かい合う形で下居しているのですが、康頼が読み上げた赦免状の中には俊寛の名前がありません。えっ?という顔つき・口調で俊寛は何とて俊寛をば読み落とし給ふぞと康頼を咎めますが、あなたの名前はありませんよ、自分でご覧なさいという康頼から赦免状を受け取って読んでみても名前はなく、きっとワキを見てさては筆者の誤りか。しかしワキは、冷たく叩き付けるような口調でいや某都にて承り候ふも、康頼成経二人は御供申せ、俊寛一人をばこの島に残し申せとの御事にて候とにべもありません。この辺りの、地謡を交えずにシテ・ツレ・ワキが互いに畳み掛けるような台詞のやりとりは非常にスリリングで、あたかも現代劇を観ているかのようです。

自分一人が島に残されるという非情な通知に動揺したシテは、同じ罪、同じ配所なのになぜ自分だけが……とがっくり腰を落としてシオリ、詞章の末尾も震え声となってしまいます。ここから地謡がたとひいかなる鬼なりと、このあはれなどか知らざらんと〈クセ〉をダイナミックに謡い上げ、思い余ったシテは畳んで手にしていた赦免状をもう一度開いて繰り返し眺めますが見れども見れどもただ、成経康頼と、書きたるその名ばかりなり。そしてもしや礼紙にやあるらんとはっと腰を浮かして赦免状を引っくり返しますが、もちろんそこにも自分の名前はなく、シテはわなわなと震え膝を打ちながら立ち上がり、夢なら覚めよと激情に駆られて正先に出ると、赦免状を床に投げつけて下がり、大小前にがっくり着座してモロシオリ。

このあまりにも劇的な表現に見所は息を詰めて見入るばかりでしたが、それまで後見座に控えていたワキが一ノ松に出されていた舟に移り、康頼・成経に出発を促します。その言葉に橋掛リへ行きかけた康頼の袖にシテが常座で必死に縋ると、ワキは右肩を下ろした荒々しい姿で僧都は舟に叶ふまじ。せめて向かいの地=薩摩半島まででも連れて行ってほしいと懇願するシテでしたが、ワキは櫓櫂を振り上げて打とうとするのでたまらずシテは逃れ、今度は舟の纜ともづなに取り付きます。ここでは実際に綱をつかませる演出があり、上記の桑田先生の【鑑賞のツボ】に記されているのもその演出を念頭に置いたものですが、この日の演出は綱を持つ形のみ。それでも目に見えない綱を引くシテが、その綱を押し切られた反動でどうと膝を突き座す迫真の姿は迫力十分でした。

波の上に浮かぶ舟に向かって手を合わせるシテ、しかしついにもとの渚にひれ伏して……声も惜しまず泣き居たりということになってしまいます。そのシテに対して、橋掛リの舟からワキと康頼・成経が傷はしの御事や、我等都に上りなば宜きやうに申し直しつつ、軈て帰洛はあるべし。御心強く待ち給へと呼び掛ける場面。「講座」で桑田先生から、ここは本当に気の毒がっているように謡ってはいけないという口伝があると教わり、それを私は、自分たちが京に帰れるうれしさが勝っていて能天気な口調になっているのだと解釈したのですが、この日実際の舞台で聞いて理解を改めました。康頼や成経は心底いたわしいと思って俊寛に励ましの言葉を送っているのですが、涙に目も耳も霞んでしまった俊寛には、海上から呼び掛ける康頼と成経の声は、もはやぼんやりと単調にしか聞こえなかったのでしょう。そうした俊寛の心象を舞台に再現した、康頼と成経の台詞であったのだろうと今は思います。

渚に取り残されたシテを励まし呼び交していた海上の三人も、やがて作リ物を出てゆっくりと影のように揚幕の奥へと消えていき、その姿をゆらゆらと追ったシテは常座に立ち尽くし、そしてわずかに後ずさったように見えたところで終曲となりました。

配役

狂言和泉流 鳴子 シテ/太郎冠者 佐藤融
アド/主 佐藤友彦
アド/次郎冠者 井上靖浩
観世流 俊寛 シテ/俊寛僧都 山本順之
ツレ/平判官康頼 西村高夫
ツレ/丹波少将成経 谷本健吾
ワキ/赦免使 福王和幸
アイ/船頭 三宅右近
藤田次郎
小鼓 曽和正博
大鼓 國川純
主後見 浅見真州
地頭 観世銕之丞

あらすじ

鳴子

稲穂が実る秋。鳥が田を荒らすので、主人は太郎冠者と次郎冠者に鳥追いをさせることにする。二人は鳴子を引いて鳥を追い払うと、主人からもらった酒を酌み交わし、歌を謡いながら鳴子を引くうち、酔いが回ってきて鳥を追うことを忘れ眠りこんでしまう。

俊寛

中宮徳子の懐妊に伴う大赦により、鬼界ヶ島に流されていた俊寛僧都、平判官康頼、丹波少将成経のもとにも赦免使が派遣されることになる。

島に勧請した熊野権現への巡礼を終えて戻ってきた康頼と成経が道迎えに来た俊寛と、酒に見立てた山の湧き水を酌み交わして思いを巡らせていたところへ、赦免使が到着する。しかし、赦免状に書かれているのは康頼と成経の二人だけで、俊寛の名はない。俊寛は赦免状の裏や礼紙まで見直すが、いくら見つめても自分の名はなく、ただ呆然とする。船は俊寛を置いて岸辺を離れ、康頼と成経の慰めの言葉を残して消えていく。