伊賀越道中双六 / 艶容女舞衣 / 天変斯止嵐后晴

2009/09/12

今月の国立劇場小劇場(隼町)での文楽公演(三部制)から、第二部の「伊賀越道中双六 / 艶容女舞衣はですがたおんなまいぎぬ」と第三部の「天変斯止嵐后晴てんぺすとあらしのちはれ」。ポイントは、綱大夫・住大夫の両人間国宝揃い踏みの「伊賀越道中双六」沼津と、シェークスピアの「テンペスト」を文楽に翻案した「天変斯止嵐后晴」ですが、「艶容女舞衣」の嶋さまワールドにももちろん期待です。

伊賀越道中双六

「沼津の段」は以前『社会人のための文楽鑑賞教室』として始めて観た演目の一つ。そのときは前を呂勢大夫、後を千歳大夫のお二人が語りましたが、今回は豪華絢爛、綱大夫・住大夫のお二人の共演です。これまで綱大夫の出番を狙って予約をとったものの、ふたを開ければ「病気休演」ということが二度ばかりあったので、今度こそという気持ちで臨みました。

まずは東海道筋での呉服屋十兵衛と人足平作のやりとり、荷を担がせてほしいという平作の頼みに仕方なく荷を預けたものの、七十過ぎの年寄りには重過ぎる荷に足を踏ん張ってもなかなか上がらず、綱大夫も勘十郎師も肩で息をする様子。それを見ながら「この親父、大丈夫かいな」といった風情で十兵衛が煙管をくわえて本当に煙をふかす姿が、人形ながら見事に粋です。ついに足を怪我してしまった平作にあわてて十兵衛は薬を塗ってやったところへ平作の娘お米が現れて、舞台上は平作宅内のセットに変わります。ここでのやりとりでお米に兄がいることがわかり、十兵衛がシテその兄貴は、今幾つ位ぢやのと問うのに対して平作はハイ、さいぢやな。あれが、ム丁度今年二十八と答えるのですが、このの前の間、それから思い出したようにと顔を上げるタイミングが、綱大夫と勘十郎師は当然目を見交わしてもいないのに、なんとも絶妙でした。その話に目の前の平作が実の父親だと気付いた十兵衛は、その貧苦の様子にお米を嫁にもらうことを口実として金を渡そうとしますが、これはお米に嫌われて失敗。阿呆らしいと肩で腹立ちを示す姿は、歌舞伎なら「ビビビのビー」というところかもしれません。首の後ろに手を当てて真つ平御免と謝る十兵衛にお米も機嫌を直し、一同眠りにつくところで、床の上は住大夫・錦糸コンビに代わりました。

夜中、仏壇の火が明滅してふっと消えたところで、お米は夫の疵を治すために十兵衛の妙薬を盗み取ろうとしますが、気付いた十兵衛に取り押さえられてしまいます。目を覚ました平作が事の次第に気付いて娘を詰るところがまず高揚、さらに訳を聞かれてお米が身を震わせながら事情を語る場面は歌うような自在の語り口。そして十兵衛に江戸の吉原で全盛の瀬川だろうと見抜かれての、お米のハイ、テモよう御存知テモの前に「あっ」と小さく息を呑むところも、実に行き届いています。さて、事情を察した十兵衛は改めて石塔寄進に事寄せて平作に金と書付を渡して出立します。その際にお米を外へ呼び孝行にさつしやれと思い入れ。見送った二人は残された印籠と書付から十兵衛が平作の息子であるとともに、敵の行方を知ることを悟り、後を追います。

そのまま千本松原のセットになって、息も絶え絶えに十兵衛に追いついた平作は、半泣きのような声になって十兵衛に印籠の主の行方を尋ねます(ここで時折すすり上げる声が入るのが、坂田藤十郎丈を連想させました)。父親の心を察しつつも義理あって行方を話せない十兵衛に、平作は十兵衛の脇差を抜き取って自分の腹に突き立てると、胡弓の調べに乗って苦しい息の平作の語り。その中で平作が、親子の名乗りはできないながらにわが子……の様に思ふものと述べると十兵衛はたまらず平作に抱きつきます。死にゆく自分になら敵の行方を聞かせても義理の道に外れることにはならないだろうという平作の必死の願いに、十兵衛は泣きながら様子を見守っているお米たちに聞こえるように敵の行方を告げると、とうとう堰を切ったように親父様、平三郎でござりますと自らの幼名を名乗ります。最後は、十兵衛に見守られつつ平作が苦しい息の内に称えるなむあみだがだんだん小さくなってついに消え、親子の別れとなって幕。

やはり、住大夫の語りは凄い。もちろん舞台上も素晴らしい動きでしたが、集中力の半分を舞台に持っていかれるのがもったいなく、これは素浄瑠璃で聞いてみたいと心底思わされました……というぐらい素晴らしい語りだったのに、隣の席でうっちゃまん女史は途中から白河夜船。仕事疲れ?それにしても贅沢な(贅沢過ぎる)BGMだな……。

艶容女舞衣

明るい語りの英大夫から。舞台上は酒屋のセット。入口には「茜屋」と大書されたエンジの暖簾、軒からは杉玉。奥の菰樽は「相生」と「剣菱」ですが、歌舞伎にしても酒といえばたいがい「剣菱」が出てくるのはどうしてなんでしょうか?さて、その酒屋の売場で居眠りしている丁稚の長太が、英大夫のふるさとは〜と語り出す声にびっくりして笑いを誘うところから始まります。長太がこの家の女房に叱られているところへ紫の頭巾姿の三勝がそれと知られぬよう現れて銘酒を買い求め、長太に角樽を運ぶよう頼みます。入れ替わりに代官所から戻って来た主の半兵衛は、見るからに頑固そうな面構え(首は「舅」)。事情を知る年寄五人組と思案投げ首のうちに、先ほどの長太がおいおいと泣きながら幼い女の子を連れて戻って来て、どうやらこれは捨て子らしいということになります。先ほど買い求めた酒はこの子の養育を頼む心、それと知って五人組と半兵衛はこれが捨て子となりやなんとまあ、利口なしやうぢやござりませぬかこりや流行りませうわいのハ丶丶したがこりや捨て子のつ丶もたせぢやないかやって、そんな呑気な……といった具合に春風駘蕩という雰囲気の英大夫から、床の上は嶋大夫へスイッチ。

うっちゃまん女史に「そのうち前傾姿勢で熱く語りだすから!」と予告したのですが、期待に違わずこの日の嶋大夫は絶好調。一度は実家へ連れ戻したお園を連れてやってきた宗岸に対し、半兵衛が渋々顔で何の用だと毒気を吐くあたりから早くも嶋さまワールド起動。まだ語りはゆったりしているのに、徐々に嶋大夫の顔が紅潮していきます。お園をもとのように嫁として迎えてほしいと頼む宗岸に対し、太公望の故事まで引いて反対する半兵衛はいかにも融通がきかない頑固一徹。ついに倅めは勘当したれば、嫁といふべき者もない筈と決めつけたものだから、その勘当した半七の身代わりに縄にかかったのはどういうことだと宗岸から反撃されてヤアと動揺。半七の人殺しが明らかになってしえ〜と驚く女房やお園を前にして、お園を戻そうとする真心を情理を尽くしての長い語り、コレ手を合わして頼みます、手を合わして頼みますわいなうと頼む宗岸に半兵衛も聞き入り、客席も聞き入ります。最後は娘可愛さを切々と訴える宗岸の熱い叫び泣きに客席から拍手が湧きました。ついに宗岸の心根を受け止めた半兵衛は、ついで話そうとするところで持病の痰に咳入つてゴホゴホとやるのですが、このゴホゴホがあまりに迫真で、嶋大夫が本当に死んでしまうのでは?と心配になるくらい。

そして、半兵衛夫婦と宗岸が奥の間に移り、一人残ったお園が行灯を前に持って来て、三和土に降りて柱に手をかけ外を見やると客席から「待ってました!」の掛け声。高く歌うような細い声で今頃は半七様、どこにどうしてござらうぞ。さらに以下のクドキでは人形も、泣き、背を客席に向けて左(主遣い側)に見返り、(足遣いが前に出てきて)足を投げ出し、とお園の心情をさまざまに表現して拍手を集めました。

この後は、お通の守り袋に残されていた書置を母、父、お園、舅の順に読んでいくのですが、それぞれに泣かせるポイントが設定されていて、みな読んでいる途中から涙声になってしまいます。母にはお通を私の小さく成りしと思し召され、父には親父様の御勘当、相果て候跡にても御赦し下され候、そしてお園には未来は必ず夫婦にて候。ここの四人の語り分けがこれまた見事で、もう嶋さまワールド全開。店の外では当の半七と三勝がこの様子を見ながら悲嘆に暮れていますが、ついに抱き合いながら店の内の人々に別れを告げて幕となりました。

とにかく嶋大夫の充実の語りを満喫できて満足……ですが、場面転換を一切使わずに最後まで見せきる筋運びの巧みさにも感動しました。二人の父親の息の詰まるようなやりとり、お園の切々としたクドキ、四人の書置回し読み、そして店の内と外とで愁嘆場が並行する構図の妙。

第2部と第3部の間に、うっちゃまん女史があらかじめ買ってきてくれていたとてもおいしいお弁当を広げたのですが、このインターバル、実質20分しかないんですよね。せっかくの美麗なお弁当を、二人とも全速力でかき込むしかありませんでした。残念。

天変斯止嵐后晴

第3部「天変斯止嵐后晴」は、平成四年(1992年)に初演されたものの再演だそうです。原作はシェークスピア単独作としては最後の作品となる「テンペスト」(1612年頃初演)。あらかじめ原作を読んで予習しておいたのですが、文楽版のストーリーも原作をほぼなぞるかたちになっていたので、理解は容易でした。もっとも、歌舞伎の「十二夜」でもそうだったように、こちらも舞台を日本に移し、登場人物も日本人にしているので、あらかじめ誰がどの役になっているかを頭の中にいれておかないと、かえって混乱してしまいそう。

登場人物の関係はこういうことになるのですが、この図を見ると、アロンゾーの弟のセバスチャン、アロンゾーに付き従う貴族エイドリアンとフランシスコー、道化トリンキュロー、それに船長や水夫が略されていることがわかります。それでいて、ミランダとファーディナンドの出会い方など多少エピソードを変えてあるところもあるものの、話の大筋はほぼ原作に忠実でした。

冒頭、場内が真っ暗になると舞台上に浮かび上がったのは六人の太棹と十七弦。琴は最初撥によって効果音的に叩かれていましたが、これはハンマーダルシマーを連想しました。また黒御簾の中からはウインドチャイムの音も聞こえていて、暴風雨の海の荒れようを迫力ある演奏で示していました。この琴とウインドチャイムはこの後も、妖精が登場する場面では必ず演奏されて、その超常的な存在を印象づける役割を果たしています。で、その音に乗って英理彦が白いひらひらした衣装で両手を広げて飛んできたのを見たときには、びっくり仰天。ラピュタのロボットか?という感じ。一方、醜い妖怪(?)の泥亀丸はひらべったい頭に緑のトゲトゲ頭、手足は毛むくじゃらですが目がぱっちりしていて、意外にかわいいかも。

続く大領らが打ち上げられた浜辺の場面で、またしても目が点。舞台は九州の近くのどこかの島ということになっているはずですが、浜辺には椰子の木やハイビスカス。うっちゃまん女史は博多出身なので「九州の浜って、あんな熱帯風なの?」と聞いてみると、うっちゃまん女史はつんととりすました顔で「さあ?」。そのときガチャン!と音がして大領の人形の腰にさしていた太刀が落ちた様子です。どうするのかな?と思ってみていたら、袖から入った黒衣が身を屈めて刀を拾い、演技の切れ目で大領の左遣いとひそひそ話をしていましたが、そのまま太刀を持って下がっていきました。いろいろありますね。

なぜかソテツの密林、手前には紅白の百合というワケのわからない植生の森の中で美登里と春太郎が出会う場面は、イケメン太夫の呂勢さんの語り。出会いの前に泥亀丸が美登里にセクハラを仕掛けるのですが、美登里に抱きついた泥亀丸がもうこうなってはたまらーん!と脳天から素っ頓狂な声を出したときは、呂勢さんも三の線に成り下がったか……とある意味うれしくなってしまいました。しかし泥亀丸は春太郎に追い払われ、若い二人の見交わす目と目。なろうことなら妹背仲、二世の契りが結びたやとずいぶん短絡的というかストレートというか。しかし、二人が左衛門の待つ窟に戻ってみると、左衛門は春太郎に厳しくあたり、罵ります。この左衛門の罵倒や哄笑をイケメン呂勢さんが熱く語り、ついで自らが実の弟に国を逐われてこの島に流れ着くまでを朗々と物語って聞かせました。実を言えば左衛門は嵐を起こした最初から、春太郎が美登里と出会ってやがて結ばれる(このことによって左衛門の血筋が筑紫に入る)ことを見通しており、そのことは二人が去った後に英理彦への呼び掛けで暗示されます。

次の元の森の中は、笑いを誘うチャリ場。木々はマングローブのような気根をはやし、背後にはラフレシアまで咲いているんですけど、このジャングル、本当に九州?うっちゃまん女史動揺しつつ曰く「筑紫にはジャングルはなかでしょうねえ」。そりゃそうだ。でもって登場した酔っぱらいの珍才は、一緒に流れ着いた四斗樽が五つあれば何日もつか勘定するのに、やおら携帯電話を取り出して電卓機能で計算。そこへ逃げてきた泥亀丸は、自分をさんざん懲らしめた春太郎に怯えてあんな強い奴にはかなわねえ。あいつはもしや、朝青龍?白鵬?それとも竹本住大夫?……どうやら住大夫は恐ろしい存在でおられるようです。この二人と入れ替わって登場した大領以下の三人を幻覚で苦しめたのは、鳥の顔にフリル付きの衣装を着た異形の者ども。さらに金閣のてっぺんにいるような巨大な黄金の鳳凰まで羽ばたきながら登場して、そこまでやるか!という感じ。

大団円は元の窟で、ここで全ての登場人物が一堂に会して嵐の真相を知ることになるのですが、その前に、左衛門が春太郎と美登里を諭す人間本来無一物、眠りに始まり眠りに終わるという台詞は、「テンペスト」の中でも有名な文句であるWe are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.をなぞったものでしょう。また逆に、最後の仕上げにかかる前に左衛門も煩悩の、雲霧晴れし心地にて方術の秘巻法具を残らず焼いて再び用いることはないと述べているのは、左衛門の心理についての解釈を補ってわかりやすくした点です。そして全てが許され、帰国の途につく左衛門たちを五人の太夫、三挺の太棹が四海波静かにて〜平和の世こそめでたけれと迫力をもって寿ぐ中、登場人物たちは一人一人下手へ消えていきましたが、最後に残った左衛門が舞台中央でスポットライトを浴びると、シェークスピアの原作にもあるエピローグ、すなわち術の力を失った自分を国へ帰すもこの島に残すも観客の皆さんの拍手の力次第、と千歳大夫が述べて、万雷の拍手のうちに終演となりました。

プログラムに書かれていた脚色・演出の山田庄一氏の「雑感」によれば、文楽らしさを出すために立役の「物語」と女形の「口説」に向く場面を原作から拾い出して構成するという苦労をされたそうですが、ご本人としては不本意感は免れていない模様。確かに原作をなぞっただけという感じは否めませんし、妖精たちの造形などももっと徹底して「和」にこだわってもよかったのでは?と思わないでもないですが、それでも、こうした試みは貴重だと思います。上述の「十二夜」のような成功例もあるので、ぜひ今後もこうした取り組みは続けてほしいものです。

配役

伊賀越道中双六沼津の段   竹本綱大夫
鶴澤清二郎
ツレ 鶴澤清馗
  竹本住大夫
野澤錦糸
胡弓 豊澤龍爾
〈人形役割〉
呉服屋十兵衛 吉田蓑助
荷持安兵衛 吉田玉誉
親平作 桐竹勘十郎
娘お米 桐竹紋寿
池添孫八 吉田清五郎
艶容女舞衣酒屋の段 豊竹英大夫
竹澤団七
豊竹嶋大夫
鶴澤清友
〈人形役割〉
丁稚長太 吉田文哉
半兵衛女房 桐竹勘寿
美濃屋三勝 吉田清三郎
娘お通 桐竹勘次郎
舅半兵衛 吉田玉輝
五人組の頭 吉田玉翔
親宗岸 吉田玉女
嫁お園 吉田文雀
茜屋半七 吉田一輔
五人組 大ぜい
天変斯止嵐后晴 第一 暴風雨   竹澤宗助
野澤喜一朗
鶴澤清志郎
  鶴澤清馗
鶴澤清𠀋
豊澤龍爾
鶴澤寛太郎
第二 窟の中
第三 浜辺   竹本千歳大夫
鶴澤清介
鶴澤清志郎
第四 森の中
第五 元の窟の中   豊竹呂勢大夫
鶴澤清治
鶴澤清志郎
第六 元の森の中 泥亀丸・大領 竹本文字久大夫
珍才・英利彦・権左衛門 豊竹咲甫大夫
刑部 竹本相子大夫
  竹澤宗助
琴・ツレ 鶴澤清志郎
ツレ 鶴澤清馗
琴・ツレ 鶴澤清𠀋
第七 元の窟の中 左衛門 竹本千歳大夫
大領・泥亀丸 竹本文字久大夫
美登里・英利彦 豊竹呂勢大夫
春太郎・珍才・権左衛門 豊竹咲甫大夫
刑部 竹本相子大夫
  竹澤宗助
琴・ツレ 鶴澤清志郎
ツレ 鶴澤清馗
鶴澤清𠀋
鶴澤清公
〈人形役割〉
阿蘇左衛門藤則 吉田玉女
美登里 桐竹勘十郎
英利彦 吉田蓑二郎
泥亀丸 吉田文司
筑紫大領秋実 吉田玉也
日田権左衛門 吉田勘市
刑部景高 吉田玉佳
春太郎 吉田和生
茶坊主珍才 吉田勘緑
妖精 大ぜい

あらすじ

伊賀越道中双六

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艶容女舞衣

浪速の上塩町の酒屋、茜屋半兵衛の息子半七は、お園という妻がありながら、女舞の芸人美濃屋三勝と深い仲になり、お通という子供までもうけている。ある日、お園を連れて父宗岸が茜屋を訪れ、実家に連れ戻したことを詫びて再び嫁として置いてほしいと懇願するが、半兵衛は息子半七を勘当したからは嫁もないという。しかし、実は半兵衛は三勝に横恋慕する友人善右衛門を殺してお尋ね者になっている半七の罪をかぶって着物の下に縄目を受けていた。互いに子を思う気持ちを知り、嘆き合う半兵衛と宗岸が奥の間に入り、一人残ったお園が自分の未練を責めるところへ現れた幼子は、お園も顔見知りのお通。その守り袋の中から出てきた書き置きに記された半七の心に一同が嘆く外では、三勝と半七が家の様子を窺いながら涙し、やがて死に場所へと急ぐ。

天変斯止嵐后晴(《》内は原作の役名)

阿蘇左衛門藤則《プロスペロー》が方術で起こす嵐に翻弄される大船。その船に乗っていたのは、かつて左衛門を追放した筑紫大領秋実《アロンゾー》と左衛門の弟刑部景高《アントーニオ》ほか。左衛門の意のままに動く妖精英利彦《エアリアル》の働きによって左衛門の島に打ち上げられた一行は、英利彦によって見せられた幻覚にさんざんに悩まされ、かつて左衛門を陥れた悪行を激しく責められる。一方、一行とは別の場所に打ち上げられ、森をさまよっていた大領の息子春太郎《ファーデイナンド》は左衛門の娘美登里《ミランダ》と巡り会い、ひかれあう。左衛門の課した苦行に耐えた春太郎に、左衛門は美登里と一緒になることを認め、さらに左衛門の窟に辿り着いた大領一行も前非を悔いたため、左衛門は全てを許す。