塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情

2008/11/30

国立西洋美術館で「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」。ハンマースホイ(1864-1916)は、生前はヨーロッパで高く評価されながら、死後に忘れられた存在になっていたそうですが、近年、欧米で開催された回顧展を通じて再評価の機運が高まっているのだそうです。日本ではこれまでほとんど知られていなかったハンマースホイとは、そもどんな絵を描くのでしょうか?

まずは、展示の構成を見て下さい。

  1. ある芸術家の誕生
  2. 建築と風景
  3. 肖像
  4. 人のいる室内
  5. 誰もいない室内
  6. 同時代のデンマーク美術―ピーダ・イルステズとカール・ホルスーウ

19世紀から20世紀にかけて活躍したこのデンマークの画家の画業の全体を初めて紹介するとすれば、まずは時系列に沿って画風の変遷を追うのが常道のように思えますが、冒頭の「ある芸術家の誕生」で初期作品を提示した後は、モチーフによって分類された作品群が各展示室を埋めていきます。なぜそうなるのかと言えば、ハンマースホイの作品には繰り返し特定のモチーフが登場し、そのほとんどが初期の絵に既に現れているからです。

展示会は、1885年にコペンハーゲン王立美術アカデミー春季展に出品され、落選したことがアカデミーの委員と画学生たちとの間に論争を巻き起こしたことで図らずもハンマースホイの名を知らしめることになった《若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ》から始まります。ぼんやりと背景に溶け込むような人物の輪郭と遠近感のずれが当時の保守的なアカデミーには受け入れられなかったそうですが、ここには穏やかながら妹への愛情が感じられます。同様に魅力的な肖像画として《イーダ・イルステズの肖像、のちの画家の妻》(1890年)も挙げられます。しかし、婚約者を描いたこの作品の中では既に、イーダの目は放心したように見開かれ、不安と孤独の虜となっているようです。ここからハンマースホイの独特の世界が広がり、クレスチャンスボー宮殿を描いた数点の絵画、がらんとした空間がじわじわと威圧してくる《リネゴーオンの大ホール》(1909年)、逆光の木漏れ日が明るくも不気味な《フォトゥーネン近く、イェーヤスボー、デューアヘーウェン自然公園》(1901年)といった作品での、まったく人影の見当たらない風景に北欧の寒々しさを感じます。ハンマースホイはフランスやイタリアにも訪れていますが、多くの画家がそうしたようには訪問先の流行の明るい色調の絵画や輝かしい陽光にはついに惹かれることがなく、霧に包まれた陰鬱なロンドンをむしろ愛したということです。

「肖像」のコーナーも、なんだか不思議です。《3人の若い女性》(1895年)に描かれているのはハンマースホイの義兄の妻、自分の妻、そして妹の3人ですが、そのタイトルや登場人物と画家との親しい関係とは裏腹に、彼女たちはお互いにまったく干渉し合わず自分の世界に閉じこもってしまっており、そこに何のストーリー性も見いだすことができません。自分と妻イーダを描いた《ふたりの人物像(画家とその妻)、あるいは二重肖像画》(1898年)に至っては、画家は鑑賞者に背中を見せ、妻は夫を視線を交わすこともなくうつろにテーブルクロスの上を見つめていて、まったく会話が存在しません。いったいなぜ、こうした鑑賞者を置き去りにするような絵ばかり描くのでしょうか……。

続く二つのコーナーで描かれるのは、ハンマースホイの住居の中の光景です。とりわけストランゲーゼ30番地の住居を舞台にした室内画では、繰り返しさまざまな構図でがらんとした部屋や白い扉、外界から隔絶する窓、そしてその中に佇む後ろ姿のイーダを描いていて一見ただの風俗画のようですが、色彩はどれも灰色(ノルディック・グレー)と白、それにイーダのドレスの黒が基調となった、明るくはあっても寒々しいもの(「同時代のデンマーク美術」のコーナーでの穏やかに暖かい色遣いとは対照的)。

おまけによく見ると、たとえば《室内、ストランゲーゼ30番地》(1901年=イーダが窓から外を眺める構図のもの)では、イーダの足は椅子の脚と同化し、ピアノは壁から生えているように脚が2本しかなく、テーブルの脚から伸びる影の方向もばらばらで、見ているうちにある種の不安に駆られます。あたかも、人物ではなく扉や調度、あるいは部屋そのものが意思を持って絵の向こう側からこちらを眺めているような奇妙さで、図録では「物語のない日常」という言葉を使ってフェルメールほかの17世紀オランダ絵画の影響を論じていますが、私には関係性の喪失という特徴からはむしろのちのホッパーを連想させます。ただし、ホッパーによって描かれるのは見知らぬ第三者なのでしょうが、ハンマースホイが描いたのは妻、そして自身が暮らした家。したがってそこには、「静かなる詩情」というタイトルが示しているように、不安にさせられる奇妙さと同時に不思議に落ち着いた雰囲気が漂い、いつの間にか絵の中に吸い込まれていくような魅力に満ちてもいます。

なお、図録の印刷については少々難あり。色合いが微妙に暖色系にぶれており、ハンマースホイの本来の寒々しい色彩を再現できていないようです。