塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

ギリシャの踊り / 火の鳥 / 春の祭典(東京バレエ団)

2008/05/10

20世紀を代表する振付家のひとり、モーリス・ベジャールが亡くなったのが昨年の11月。その追悼公演として企画されたのが、東京文化会館(上野)での東京バレエ団の〈ベジャール・プロ〉です。ちなみに来月は本家のモーリス・ベジャール・バレエ団も来日して「ボレロ」「バレエ・フォー・ライフ」ほかを披露するのですが、値段があまりに高いのと日程が合わないのとでそちらはパスしました。

ギリシャの踊り

この日最初に踊られた「ギリシャの踊り」は、エーゲ海の海鳴りと美しいブルーのスクリーンを背景に若い男女たちが波のうねりのように揺らぐ群舞から始まり、2人の若者、男女ペア、ソロ、群舞と多彩な組み合せで、親しみやすく微かに哀調を帯びたギター曲に乗って若人たちのダンスが繰り広げられ、最後には冒頭の海鳴りの群舞に回帰します。片足でのバランスを求められる場面が多くときどき後ろの方でぐらつくのが気になりはしましたが、ハサピコでの上野・高岸コンビはオーラが違い、ぐっとひきつけられました。逆にソロの後藤晴雄は熱い踊りではありましたが、振付の重要なポイントを外していたように思えます。それは、たとえば回転するときの腕の位置の低さもさることながら、棒が入っているかのような幾何学的な身体の線、真っすぐ後退するときに膝を高くあげながら足はぺたぺたと床をつかむ不思議な吸着感、そして端正なようでいて狂気をはらんだ目。つまりは、私が20年前に始めてこのソロを見たときにショックを受けたポイントであり、今日観たソロではそれらが再現されていない点に違和感を覚えてしまったようです。

ところで、「ギリシャの踊り」とは結局何なのか。音響的要素以外にはギリシャ的なものを示さないこのバレエ作品には、しかしギリシャ彫刻のように引き締まった肉体をもつ若者たちと、そのパートナーにふさわしい優美さを備えた娘たちが大勢登場します。この作品をそうした若いダンサーたちによる青春賛歌ととらえることももちろんできるでしょうが、さらに考えてみれば、ギリシャとはヨーロッパ文明の揺籃期のこと。そして青春というのは往々にして(かつ、残念なことに!)リアルタイムの輝きではなく、年を経て懐旧の気持ちで振り返る対象なのですから、今のヨーロッパがかつての若々しく輝かしかった過去を振り返る郷愁のような感情が、この作品にこめられていると見ることもできるのではないでしょうか。

火の鳥 / 春の祭典

残る2作は、ストラヴィンスキーの曲に基づく「火の鳥」と「春の祭典」。「火の鳥」は、黒い人民服のようなパルチザンたちとそのリーダーの火の鳥、そして闘争に倒れた火の鳥を復活に導く不死鳥の物語に変わっていて、視覚的にはとてもわかりやすかったのですが、さしもの高岸直樹も木村和夫をリフトするのはちょっと辛そう(重そう)に見えてしまいました。そして「春の祭典」は、第1部が青年たちの集団の荒々しい確執、第2部が娘たちの集団の情景と、そこに襲いかかる青年たちとの間に繰り広げられる緊張、そしてラストの狂おしい交合に至るまて、あの複雑極まりない曲が見事に振付と一体化しています。出演者の中では、生贄の吉岡美佳さんの存在感が光っていました。

東京バレエ団は、この後7月までヨーロッパへのツアーに出て、帰国後の11月には「くるみ割り人形」、12月には「ザ・カブキ」、そして来年1月には「ボレロ」とベジャール追悼公演を継続します。これらも、時間と財布の許す限り見ておきたいものです。

配役

ギリシャの踊り 2人の若者 長瀬直義 / 横内国弘
パ・ド・ドゥ 小出領子 / 松下裕次
ハサピコ 上野水香 / 高岸直樹
ソロ 後藤晴雄
パ・ド・セット 佐伯知香 / 高村順子 / 西村真由美 / 乾友子 / 田中結子 / 森志織 / 吉川留衣
火の鳥 火の鳥 木村和夫
フェニックス 高岸直樹
パルチザン 小出領子 / 高村順子 / 西村真由美 / 高橋竜太 / 平野玲 / 松下裕次 / 井上良太 / 宮本祐宜
春の祭典 生贄 中島周
2人のリーダー 平野玲 / 横内国弘
2人の若い男 氷室友 / 小笠原亮
生贄 吉岡美佳
4人の若い娘 小出領子 / 高村順子 / 西村真由美 / 佐伯知香