塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

キル(NODA・MAP)

2007/12/19

野田秀樹にとって10年ぶり3度目の上演となる「キル」を、Bunkamuraシアターコクーンで観ました。1994年の初演はテムジン=堤真一 / シルク=羽野晶紀 / 結髪=渡辺いっけい、そして97年の再演は堤真一 / 深津絵里 / 古田新太という強力布陣でしたが、今回はテムジンに妻夫木聡、シルクに広末涼子を起用し、結髪に勝村政信をあてて舞台を引き締める作戦(?)です。

最初にストーリーを要約すると……。

羊の国の洋服屋の息子テムジンは、ファッション戦争に敗れた父の遺志を受け継いで「蒼き狼」ブランドによる世界制覇を目指す中で、絹の国から来た娘シルクと恋に落ちる。しかし、敵の手に落ちたシルクがみごもって生まれた息子バンリにいずれとって代わられることを恐れ、バンリを折しも出現した偽ブランド「蒼い狼」制圧のため西の羊の国に遣わす。バンリは消息を断ち、腹心・結髪をも失ったテムジンは、「蒼き狼」に自らはさみを入れ、大草原の青空の下に死んでゆく。

オープニングで、舞台上にかけられた幕が奥に引き上げられて、壮大な音楽とともに豊かな雲を浮かべたモンゴルの大空と大地が出現するのが壮観。まずここでぐっとつかまれて、主人公テムジンのミシンが夢を見た。大草原の夢を縫っていたという最初の呼び掛けにつながっていきます。

ここから、いつとはわからない時代のモンゴルで生まれ成長するテムジンをめぐる人々と、現代のツアー客たちとが時を越えて競演することになりますが、物語の中心は、父から憎しみをもって育てられたテムジンが、父のいまわの際の世界に制服を着せるのだ。その時、お前は蒼き狼なんだという言葉をよすがに、ファッション戦争を勝ち抜いていくストーリーです。

出演者の中では、何といっても結髪役の勝村政信が大熱演です。テムジンの腹心で、テムジンとシルクの仲をとりもち、しかし自身もシルクに思いを寄せているという役柄。テムジンからシルクへ、シルクからテムジンへと手紙(どちらも結髪が書いたもの)を運ぶときに、舞台の上をお〜え〜と野太い奇声を上げながらスローモーションで全力疾走(?)して息も絶え絶えになる様がとりわけ笑えます。

その結髪がテムジンの父の敵ヒツジ・デ・カルダンの手に落ち、オネエコトバを無理矢理使わされるときに、野田秀樹が声をひっくりかえしてあちきが、結髪子で、ありんす、わ・い・なーとお手本を見せるのが抱腹絶倒。野田秀樹はさらに、観光客の真人バンリがロウ人形になって溶けていく場面で股関節の柔軟性を見せつけ、テムジンの子・病弱なバンリではコホコホとちからなく咳き込んでみせたりして、相変わらず変幻自在です。ただ、この芝居ではあくまで脇に回っている感じで仕どころはそう多くありません。

人形役の高田聖子も、存在感ありあり。シルクとやりたいテムジンに結髪がそれですぐにやらせる女は小劇場出身の女優とモデルだけですと言った途端、舞台の下から顔を出して結髪を指差しおい!とクレーム。それ以上に、テムジンのショーをファッショのショーだと酷評する批評記事を砲丸投げで投げ捨て、孤立しているテムジンを鼓舞してあたしは、あなたが世界に制服を着せる日のファッションショーの晴れ舞台にモデルとして立ちますよと言い放ち、テムジンの征服心の理解者、またはテムジン以上の野心家としての存在感を発揮します。

主演の2人のうち、シルクの広末涼子はさすがにオーラがありました。特にファッションショー対決での自信に満ちたモデル姿は輝きを放って、テムジンが一目惚れするのも当然と納得させるものがあります。ここがつかめているので後に芝居つながっていくのですが、たぶん羽野晶紀や深津絵里に比べると、ねじの抜け具合が足りなかったかもしれません。

そしてテムジンの妻夫木聡は、かなり役づくりに苦戦したのではないでしょうか。世界征服の夢に取り付かれてから「蒼い狼」との対決まで、テムジンはほぼ一貫して粗野で傲岸で、わずかに人形との対話の中でこの服が俺の理想の制服なのか、そう思うと、時にミシンを踏む足が止まるのだと弱音を吐きますが、人形に鼓舞されるとためらうな。ミシンを踏め。草原をひろげろと元のテムジンに戻ってしまいます。この観客にとって極めて感情移入しにくい主人公に感情移入させられるかどうかが役者の腕の見せ所なのですが、妻夫木聡の演技も一本調子で、それを補うかのようにラウドな音響がかえって効果を上げていないと感じました。

もっとも、この戯曲の構造にも責任の一端はあって、途中に休憩をはさんで2幕2時間の芝居の中で、真のテーマが姿を現すのは最後の15分。「蒼き狼」の偽ブランドである「蒼い狼」がテムジンの征服心=父の呪縛そのものであることに気付いたテムジンが、自らの心臓にはさみを入れ、1台のミシンが初めて見た夢は、制服を着せることではない、制服を脱がせてやることだと語りながら、青空を見上げつつ人知れず死んでいくことで、ようやく野卑に隠されたテムジンの苦悩が理解される仕組になっていて、並行する現代の観光客の挿話や、テムジンと同じく蒼き狼の末裔としてのアイデンティティを求めたバンリの物語がフェイントのように立ち現れては、いつの間にかフェードアウトしてしまいます。

それでも最後に、この日初めて使われた青い色の布が、舞台後方から前方へと瞬時に広がると、冒頭の壮大なイメージがより鮮やかに蘇りました。そして、ミシンの上に崩れ落ちているテムジンの後方で大草原の民が生まれて来た子に祝福を与え、観ている我々も大草原の青空の光と風を感じつつ、終演となります。

配役

テムジン 妻夫木聡
シルク 広末涼子
結髪 勝村政信
人形 高田聖子
フリフリ 山田まりや
J・J 村岡希美
案人ガイド / ヒツジ・デ・カルダン 市川しんぺー
旅人ポロロン 中山祐一朗
イマダ / 蒼い狼 小林勝也
トワ 高橋惠子
バンリ / 真人バンリ 野田秀樹