塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

贋作 罪と罰(NODA・MAP)

2005/12/14

Bunkamuraシアターコクーン(渋谷)で、NODA・MAPの「贋作にせさく 罪と罰」。題名の通り、この作品はドストエフスキーの「罪と罰」を翻案したものですが、ちょうど10年前の1995年に、やはりこのシアターコクーンで観ています。そのときの配役は、三条英が大竹しのぶ、才谷梅太郎が筧利夫、都司之助が生瀬勝久でした。そして今回は、松たか子・古田新太・段田安則の組み合わせ。したがって興味としては新旧布陣でどのように違いが出てくるかということに普通ならなるのですが、幸か不幸か10年前の記憶はほとんど消えてしまっており、そういう意味では実に新鮮な気持ちでこの芝居を観ることができた……のですが。

前方と後方の2方向に客席を配した菱形の舞台。周囲にはスロープが巡り、舞台の上には椅子と柱、まわりにもたくさんの椅子が置かれてあります。いつの間にか舞台上に老婆が上がり、その妹が椅子を引きながらスロープを一周する間、老婆が無言で椅子に腰掛け、チャリンという大きな音をたてながら金を数えています。そうした無言の場面が永遠に続くかと思われた頃に髪をポニーテールにまとめ切羽詰まった表情をした男装の松たか子が舞台に上がって老婆の部屋の扉(に見立てた柱)をどんどんと叩くところから照明が落ちて、原作さながらに、主人公・三条英による老婆とその妹の殺害、親友・才谷梅太郎(古田新太)との交流、捜査官・都司之助との心理戦、妹・智の犠牲的な結婚といった場面が連なります。

シンプルな舞台の上で情景を形作るのは、学校椅子をはじめとするさまざまなかたちの椅子とポータブルな柱だけ。そして場面転換は舞台の左右から流れてきて通り過ぎるカーテンによって空間と時間がいっときの間断ち切られることによって実現します。役者たちは、自分の出番が終わって舞台を下りても、衣装を変える必要がない限り舞台の周りにとどまって音作りなどに加わっていて、密度の高いライブ空間を作っていて、これはやはり松たか子が主演をつとめた「コーカサスの白墨の輪」を連想させました。

ストーリーは、原作(?)の「罪と罰」に近い内容です。

江戸開成所の女塾生・三条英には、ある確固たる思想があった。

『人間は全て凡人と非凡人との二つの範疇に分かたれ、非凡人はその行動によって歴史に新しい時代をもたらす。そして、それによって人類の幸福に貢献するのだから、既成の道徳法律を踏み越える権利がある。』

その思想に突き動かされ、英はかねてよりの計画通り、金貸しの老婆殺害を実行に移してしまうが、偶然そこに居合わせた老婆の妹までも手にかけてしまう。この予定外の殺人が、英の思想を揺さぶり、心に重い石を抱かせてしまう。

殺人事件の担当捜査官・都司之助は、事件の確信犯的な性質を見抜き、次第に英に対して疑惑の目を向け始めた。それに気付いた英は、都の仕掛ける執拗な心理戦を懸命にしのごうとする。一方、英の親友・才谷梅太郎は、罪の意識に苛まれ苦しむ英の異変に気付き、その身を案ずるが、才谷もまた、同時代の、より大きな歴史的事件の渦中にいたのだった。(NODA・MAPウェブサイトより引用)

この後果たして、目的は手段を浄化するのか?と続きますが、三条英に関しては答ははっきりしていて、彼女の殺人はその冒頭からいかにも偶発的であり、その後の2時間はひたすら自分の良心と都司之助の追求からの逃避とそのための強弁でしかありません。その三条英をかつての大竹しのぶは張りつめたガラスの薄片のような脆さの中で演じていましたが、この日の松たか子による三条英は私には一本調子に感じられて感情移入できず、最後に改心した三条英が(シベリアを模した)寒い流刑地から才谷に送る手紙でのこういうことは、人殺しには似合わないかもしれないけれど、愛していますとのモノローグもなぜか心に響いてきませんでした。

この戯曲の中で重層的な存在感を示したのは才谷梅太郎(坂本龍馬)で、この才谷は、原作ではラスコーリニコフの親友ラズミーヒンと、ラスコーリニコフの心を浄化する無垢な魂の持ち主である娼婦ソーニャを兼ねた役どころのようですが、そこに才谷自身の計画(大政奉還)が絡むところが一筋縄ではありません。しかし、このように才谷という役どころにソーニャを兼ねさせ、それを古田新太が演じていることには少々無理を感じました。「正義について」の理屈ばかりで実行を伴わない頭でっかちの塾生たちに向かって重戦車さながらに椅子を蹴散らし、蝙蝠のごとく幕府側と倒幕側の間を立ち回りながら偽悪的に蓄財に励む才谷は古田新太のはまり役で、彼のアドリブセンスはたとえば三条英が母・清から送金されたお金の受取りのサインをするときにストロング金剛……とツッコムところで発揮されますが、その彼が三条英に滑舌の悪いセリフ回しで大地に口づけをして贖罪せよと諭すのは、やはり何かが違う感じ。同様に、宇梶剛士が醜悪なマスクでフィクサーとしての存在感を発揮していた溜水石右衛門も、なぜ江戸城の門前でピストル自殺をしなければならないのかすんなりとは理解できず。もっともこれは、後日戯曲を読むことで解決できるかもしれません。

素晴らしい場面も、いくつもありました。段田安則の都司之助が三条英を追いつめるさまはさすがで、それはクライマックスに近く、アンダーグラウンドな司法取引に持ち込み、三条英が手向けの酒を一升まるごと墓にかけ、その手がぶるぶる震えていく場面で頂点に達します。父・聞太左衛門の中村まことが野田秀樹の母・清と再会して思い切りためらいながら接吻し、その後で気持ち悪さと恥ずかしさをないまぜにしていたのは理屈抜きに笑えたし、何より素晴らしかったのは妹・智を演じた美波。おかっぱ頭でちょっと足りない妹の、いつも眉を寄せながら姉の生き方とは違う行き方で自分を貫こうとする、その健気さがストレートに観る者に伝わってきます。そして、都司之助と三条英、溜水石右衛門と妹・智の二組の男女の対決が舞台上に交錯する場面の緊迫感は、この芝居の最もスリリングな瞬間でした。

終幕近く、舞台の頭上から音をたてて降り注ぐ小判や金粉が、やがて白く色を変えて降りしきる雪の粉になるマジックが美しいのですが、その天井から巨大なシートが降りてきて舞台上を覆い、前述の三条英のモノローグと並行して才谷(坂本龍馬)がシートの下をのたうちまわりながら、ついに父・聞太左衛門に討たれてしまう悲劇。時代の変わり目の中でようやく魂の浄化を得たかに見えた三条英から、野田秀樹はなぜ最後に救いを奪い取ってしまったのでしょう?

配役

三条英 松たか子
才谷梅太郎 古田新太
都司之助 段田安則
溜水石右衛門 宇梶剛士
妹・智 / 警備隊 美波
志士クロダ / 目付護之進 / 左官屋 / 瓦版屋 / 門番 / 塾生 マギー
志士ヤマガタ / 男 2 / 塾生 右近健一
志士イトウ / 左官屋仁助 / 送金の男 / 塾生 小松和重
志士カツラ / 庭番 / 取調官 / 塾生 進藤健太郎
おつば / 下宿屋女主人 / 酒場の女将 / 旅籠屋の女将 / 志士ムラオカ 村岡希美
父・聞太左衛門 / 男 1 中村まこと
母・清 / 老婆おみつ / 警備隊 / 将軍 野田秀樹