塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

メディア

2005/05/27

Bunkamuraシアターコクーン(渋谷)で、蜷川幸雄演出・大竹しのぶ主演の「メディア」(エウリピデス作・山形治江訳)。1998年に平幹二郎のメディア、大和田伸也のイアソーンで観たことがある演目で、そのときはどうにも感心しない出来だったので、以来蜷川ものには食指が動かなかったのですが、今回は大竹しのぶの主演ということにひかれてチケットを買ってみました。

舞台は、石積みの壁が背後の三方に立ち、正面の壁は高いところに木の扉があって狭い階段で舞台上へ降りて来られるようになっており、左右の壁には低いところに出入りする口が開いています。そしてその三方から出入りする舞台上には一面に水が張られ、蓮の花が咲いています。舞台の中央、最も客席寄りのところにごく小さな台が設けられていて、そこと背後の階段の周囲だけは水の上になっていますが、役者たちは、くるぶしまで水につかってばしゃばしゃと歩き回りながら演技をします(なので、最前列の観客には水よけのビニールが配られています)。

冒頭はメディアに使える乳母の長いモノローグ。小舟に乗った子供たちを連れて守役が現れ、2人でメディアの不幸を憂えるうちに、壁の向こうから大竹しのぶの嘆きが響きます。

ああ、悔しい!なんてみじめな。こんな目に遭わされて。ああ、死んでしまいたい。

あ」の震え、「んて」の強拍。この短い言葉の中に、メディアの性格と心情を全てこめ、客席に届かせる絶妙の台詞術。コルキスからやってきたメディアは、頼みとする夫イアソンに裏切られ、自尊心をずたずたにされて、これから人間の母性を捨てて復讐へと駆り立てられていく、そうした悲劇の予告です。ついで登場するコロスは、赤子を背負う16人の老婆。前回観たときとの決定的な違いは、コロスの息がぴったりと合い、その言葉が鮮明に伝わってきたこと。メディアとコロスのやりとりが、メディアの中の心の揺れを増幅する働きを果たします。そして、背後の扉からいよいよ登場したメディア。肩をあらわにした衣装に短髪で、ギリシア悲劇ならではの長尺のセリフがそのまま人の姿になって歩き回っているようです。ここから、メディアの夫への怨嗟が子殺しの決意へと変貌していくさまが圧倒的な迫力で語られ、演じられます。4人の従者に担がれた輿に乗ったクレオン王がメディア追放を命じながら、メディアの子供のためにせめて1日の猶予をとの嘆願にほだされて私は王だ。だが……王に向かない性格だと悩むところがこの日唯一ほっとするポイントになりましたが、そんなクレオンを見送ったメディアがなんてまぬけな男なんだろう!と吐き捨てると、こちらの背筋は再び凍り付きます。

メディアは、たまたまこの地を通りかかったアイゲウスの庇護の約束を取り付けた後に、神に向かってこう叫びます。

愛する神々よ、我らは勝てる。今こそ敵に勝てる。

我らとは?敵とは?メディアが子殺しの計画をコロスに打ち明けたとき、コロスは口ではおやめなさいと翻意を促しますが、積極的にこの惨劇を阻止しようとはしません。そして計画の実行のためにイアソンを呼びに行かされる乳母も、泣きながらではあってもメディアに逆らおうとはしません。メディアの同じ女同士じゃないのという言葉が象徴するように、娘をメディアの計略で殺され自らも倒れるクレオン王や、2人の子をメディアに殺されるイアソン(さらに言えば子供を授かるためにアポロンの信託を求めたアイゲウスも)の男親が子を思う気持ちに対して、ここに登場する女たちは半ば共犯の立場で子殺しを実行する、男女対立の構図が浮かび上がります。我らとは女、敵は男です。

そしてこの芝居の中での見どころは、夫と周囲への復讐に燃える自尊心が子を愛する母性に打ち克つ瞬間の納得性ですが、ここを大竹しのぶは力技で乗り越えてみせました。子供たちのあどけない笑顔にだめだ。とてもできない。やめよう、この計画は……と顔を伏せた次の瞬間、目に光を帯びて人格が切り替わります。

いったいどうしたというのだ!?敵どもはおまえを嘲笑っている。このまま何の仕返しもせず放っておいていいのか。やるしかない。なんて意気地がない。つまらないことを考えて臆病になるとは!

終幕、全てを失って館に戻ったイアソンの頭上を2人の子の亡骸を抱えて竜車に乗って飛翔するメディアの表情も声も、既に全ての迷いを捨てて吹っ切れた様子です。最後のコロスの語りの際に、背後の壁の観音扉が開いて劇場の外、駐車場の向こうに車が走っているところまで見通させたのは、この物語が現代に通じる普遍性を持っているということを示したかったのでしょうか。

カーテンコールでの大竹しのぶは、素に戻っていていつものようにかわいかったのですが、今、この人が日本女優の一つの到達点になっていることを強く実感した舞台でした。

配役

メディア 大竹しのぶ
イアソン 生瀬勝久
クレオン 吉田鋼太郎
アイゲウス 笠原浩夫
乳母 松下砂稚子
守役 菅野菜保之
報告者 横田栄司

あらすじ

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