塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

コーカサスの白墨の輪

2005/02/04

私とMacintoshとのつきあいは既に丸12年に達しています。仕事柄ノートPCは会社貸与の「国際商用機器社」製Windowsマシンを使っていますが、自宅では3台のデスクトップMacを用途に応じて使い分けています。当然、ノート型MacであるiBookやPowerBookも大好きだし、それが人の手によって活躍するのを見るのもうれしい。それがあってはならない場所で使われていない限りは。

で、「コーカサスの白墨の輪」ですが、3年前の「セツアンの善人」に続いて松たか子と串田和美の組み合わせで取り組むブレヒトの音楽劇という触れ込みに興味をそそられました。ブレヒトの演劇に対する予備知識はまったくなかったのですが、串田和美の仕事ならたぶん安心だし、観劇仲間うっちゃまん女史は前から「深津絵里・松たか子・堤真一を観たい!」と希望していたので、「走れメルス」での深津絵里さんに続いて、この芝居で松たか子に会えるというのもいかにも好都合です。

世田谷パブリックシアターの劇場内に入ると、天井が高く奥行きのある空間の、中央の円形の舞台上に既に役者たちがぞろぞろと立って、パンフレットを売ったり思い思いにストレッチをしたりしていて、見ればその中に松たか子も茶色のバンダナを頭に巻き、質素な衣装を来てまぎれこんでいます。客席は2方向からこの舞台を曲線を描いて見下ろすようになっていて、1階席の最前列は舞台と同一平面になっています。芝居の中では役者たちが舞台のまわりをぐるりと囲むように座り込んで自分の出番に向け待機する場面が多かったから、そうしたときは最前列にすわったお客は目の前に役者の背中を見ることになるわけです。ちなみに我々が坐ったのは1階席のN列(14列目)。

やがて客席側の照明が落ち、声の音合わせ。一段高いテラスから降りてきた白い髪の眼鏡をかけた男(あさひ7オユキ=音楽監督の朝比奈尚行)が、もう1人の男(演出・美術・出演の串田和美)と「今日はどんな話をしようか?」みたいな会話を始めます。ここでやっと思い出しましたが、「コーカサスの白墨の輪」は第2次世界大戦末期のコルホーズで国(ソ連)の復興を話し合う農民の集会での余興で話されるという、劇中劇のスタイルをとっています。白い髪の男は語り部となる歌手で、ムックリや各種の弦楽器 / 打楽器 / 声を操る楽士たちも白い髪の男とは反対側のテラスに陣取っています。結局、グルシャ・ヴァシャナゼの物語とアズダックの物語をごちゃまぜにして話すことに決まり、歌が始まって劇の中に入って行きます。ブレヒトの戯曲にある全6場のうち、冒頭のコルホーズでのやりとりのほとんどをカットし、また第5場になって始まるアズダックの物語をもっと前からスタートしてグルシャの物語と並行させる演出というわけです。以下、反乱の勃発、その中でのグルシャとシモンの恋と再会を期しての別れ、幼いミカエルを連れての逃避行、兄のもとでの不遇、再び巡り会ったシモンとの行き違い、そして裁判へと至るストーリーが描かれ、ここにどさくさまぎれに裁判官になった賄賂好きの憎めない男アズダックのエピソードが差し挟まれていき、最後に二つの話が合流します。

なんといってもすてきなのが、松たか子の歌と演技。身体の使い方はごくナチュラルで、その上に豊かな表情と伸びやかな声が乗っていて自然に惹き込まれます。とりわけ、ミカエルを連れて切れそうな吊り橋を渡る場面や雪(舞台の周囲に坐った役者たちが紙吹雪を吹き上げます)に巻かれながら兄を頼って旅を続ける場面などが印象的でした。また、さすが毬谷友子さん。知事の妻役で反乱のさなかに狂気にとらわれそうになるところもいかにもでしたが、随所で出てくるミカエルの声!そしてアズダックの物語の一挿話となる老婆役で、仮面をつけて腰の曲がった老婆を演じていた毬谷友子さんがアズダックに向かってふと仮面をとり、すっくと立ち上がって静かに、しかし悲痛な語りを一瞬だけ聴かせる場面は、劇場内に凍り付いたような空気が流れました。他の役者の芝居もそれぞれに達者で、なかでも田中利花さんの歌はあいかわらず説得力があり、全体を通しても歌と芝居が語りを介して違和感なくつながっていて、素直に楽しめました。

装置はないに等しいのですが、棒が巧みに扱われて橋や門を表現していたり、舞台上に持ち込まれた模型のように小さな家から恐ろしく小柄な役者が出てきて驚いたり。照明はそれほど凝っていませんでしたが、音響面では何カ所かピンポイントで役者の声にかかるエコーが、非常に効果的に響いていました。それに、全体にとてもフレンドリーな芝居進行で、冒頭の舞台上でのがやがや感も、コルホーズの農民たちの集会の場という設定だし、休憩時には舞台で役者さんやスタッフがグルジアワインを1杯300円で売っていて(なかなかおいしかった)、いつの間にか休憩が終わると、そのとき舞台上にいた観客はそのままアズダックのはちゃめちゃな裁判官ぶりの傍聴人として芝居に巻き込まれてしまいます。最後、グルシャの物語がハッピーエンドで終わり、コルホーズの場面に戻って皆が踊りの輪を作ると、役者たちが次々に客席から観客を引っ張り出して踊りの輪に加えていきました(松たか子と手をつないで踊る観客がうらやましかった)。

しかし一方で、疑問に思うところもないではありません。

まず、グルシャの物語に感情移入していきかけるとその度に話が切られてアズダックのエピソードが織り込まれてくるので、どうしてももう一つのめり込むことができないもどかしさを感じることがありました。アズダックのストーリーはそれほど起伏のあるものではないし、もうすこし刈り込んでパート数を減らしてくれたらよかったと思います。また、偽装結婚した後に生き返った「夫」の苦悩をグルシャはまるで認めようとしないし、シモンが誤解からグルシャに一度は別れを告げたのに裁判の前に再会するときはすっかり改心しているのも都合が良過ぎる感じ。そして、最後の裁判の場面は、大岡裁きそのままの流れなので日本人には当たり前過ぎてあっけなく(大岡の話もブレヒトの戯曲ももとは中国の劇「灰欄記」に題材をとっており、さらにこの話は『旧約聖書』「列王記」のソロモンの裁判に似ているそうです)、もう少し盛り上げ方というか、観客の意表を突くことはできなかったのでしょうか。もっとも、ここではグルシャが子供の手を引き続けることができなかったことよりも、その前にアズダックから「お前が自分の息子ではないといえば、あの子は宮殿をもつのだぞ」と問い掛けられたときの「あの子が金の靴をはいたら……石の心臓を抱いて毎日をくらす、そんな不幸な一生を送ることになる」という「語られなかった言葉」の方が大事だったのかもしれませんが……。

さらにもう一つ、最初から最後までどうしてもなじめなかったのが、語り部の白い髪の男が手に持ち続けていた純白のiBookです。外国人の役者たちにたどたどしい日本語のセリフを語らせていたのは非日常性を強調したかったのだろうと受け止めたし、ワダエミさんの衣装がコルホーズの簡素な農民服の上に民族衣裳風のさまざまな上衣や装飾品をまとわせることでグルジアの遠い日の物語というイメージをとても上手に醸し出していたのに、そこに持ち込まれたたった1台のコンピュータが、観衆に劇場の外の世界を常に意識させてしまいます。それとも、それが狙いだったのでしょうか?そう単純には感情移入させないぞ、といった突き放しのための小道具だったのだとしたら、ずいぶん意地の悪い役回りをiBookは与えられたものです。

配役

グルシャ・ヴァシャナゼ / 民衆 松たか子
シモン / 医者 / 鉄シャツ / 民衆 谷原章介
知事の妻 / 兄嫁 / 老婆 / ミカエル / 民衆 毬谷友子
公爵 / 宿の主人 / 男 2 / 弁護士 / 鉄シャツ / 民衆 中嶋しゅう
足の悪い男 / ユッスプ / 弁護士 / 鉄シャツ / 民衆 内田紳一郎
シャウワ / 僧侶 / 鉄シャツ / 民衆 大月秀幸
医者 / 小作人 / 病人 / 農場主 1 / 鉄シャツ / 民衆 さとうこうじ
料理人 / ラヴレンティ(グルシャの兄) / 鉄シャツ / 民衆 春海四方
シャルバ / 商人 1 / 農場主 2 / 鉄シャツ / 民衆 斎藤歩
若い騎手 / 使用人 / 甥っ子 / 一番大きな子供 / 鉄シャツ / 民衆 草光純太
ソッソ / 鉄シャツ / 民衆 細川貴司
大公 / 農場主 3 / 民衆 池田六之助
マロ / 姑 / 民衆 田中利花
年上の女 / 小作女 / 年寄りの女 / 料理女 / 民衆 稲葉良子
若い女 / 商人の女 / 女 1 / 民衆 谷口直子
医者 / 男 1 / 鉄シャツ / 民衆 ギヨーム・ラヌウ
伍長 / 鉄シャツ / 民衆 アレックス・ノルカ
馬丁 / 山賊 / 鉄シャツ / 民衆 チャック・バンティン
ゲオルギ・アバシュヴィリ(知事) / 鉄シャツ / 民衆 ウォルター・ロバーツ
小作夫 / 鉄シャツ / 民衆 フェジャ・ソーンツェフ
商人 2 / 馬丁 / 男 3 / 老夫 / 鉄シャツ / 民衆 クロッシュ・アミニ・インゴ
年下の女 / 女 2 / 女の子 / 老妻 / 民衆 タティヤーナ・モクリェツォーワ
太った女 / ルドヴィカ / 女 3 / 太った子供 / 民衆 マリーナ・ポターポヴァ
アズダック / 民衆 串田和美
歌手 あさひ7オユキ
楽士 尾引浩志 / 岡山守治 / 鈴木光介 / 佐藤直子 / 関根真理

あらすじ

宮中護衛兵に反乱を起こさせ、領主のゲオルギを暗殺した野心家の貴族カツベキは、ゲオルギが支配していた領地を乗っ取った。残された領主夫人は、副官や侍女とともに落ち延びるが、肝心の息子ミカエルを置き去りにしてしまう。しかも、もののはずみでミカエルは、乳母から台所女中のグルシャに押し付けられることに。赤子を見捨てることができないグルシャは、恋人シモンと別れ、牛乳や寝場所の確保、反乱軍兵士の追跡、絶壁に架かるつり橋など、幾多の苦難を乗り越え、目指す兄の家に辿り着く。

一方の領主夫人は、動乱が収まると都に戻り、亡夫の領地を取り戻すため、息子の所有権を主張。裁判が開かれることになり、白墨の輪の中に立つミカエルの手を「生みの親」と「育ての親」が引っ張りあうことになるが、その結果を見て裁判官アズダックが下した判決は……。