塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

走れメルス(NODA・MAP)

2005/01/05

Bunkamuraシアターコクーン(渋谷)で、NODA・MAP名義の「走れメルス」。この作品は野田秀樹が20歳のときに書いた戯曲を1976年以降、劇団夢の遊眠社で数次にわたり上演したものの再演で、初期の野田作品に特徴的な言葉遊びの洪水、複雑でスピーディーな場面展開が難解にも感じられます。その内容を読み解くための材料を、まずはNODA・MAPのウェブサイトから借用すると……。

物語は、少女・芙蓉が愛用する「鏡台」を中心に、鏡の面の「こちら岸」と「向う岸」の両側を目まぐるしく往復することで展開します。

登場する人物の大半は、鏡面を境に「こちら」と「向こう」で互いに反転し、呼応しあいます。

「こちら岸」には、久留米生まれのしがない下着泥棒の少年スルメ(中村勘太郎)と彼のあこがれの少女・芙蓉(深津絵里)がいて、スルメは下着を盗むことで少女への思いをつなごうとします。

一方、「こちら岸」を反転させた「向う岸」の世界では、華麗な人気スター、メルス・ノメルク(河原雅彦)がゲスト出演した結婚披露宴から花嫁・零子(小西真奈美)と逃亡し、「七人の刑事」(古田新太ほか)がその後を追います。芙蓉の鏡で二つの世界に隔てられた住人たちは、いつしか反転する互いの姿を求め合い、鏡面を目指して突き進み、そして、その果てには……。

出演者は全部で15人。上記のように、こちら岸と向う岸それぞれに男女のペアがいて、それ以外の人物11人はこちら岸と向う岸のそれぞれで異なる役を演じます。

舞台上には焼け焦げた集積回路工場の廃墟のセット。会場には懐かしの青春歌謡曲(入場したときかかっていたのは郷ひろみの「男の子女の子」)が次々に流れて、城みちるの「イルカに乗った少年」が途中で唐突に切られた瞬間、舞台上の壊れた複数のテレビに砂嵐が輝き始めたところへスルメが登場。客席に向かって長い台詞を呼び掛けるのが、あぁ野田秀樹だなぁと思っていたら、廃墟のセットが丸ごと天井へ引き上げられて、メルス・ノメルクが少女たちの黄色い歓声に包まれる場面へ鮮やかに転換します。以下、芙蓉とスルメのいるこちら岸では下着を干す物干し台の下の芙蓉の部屋のセットが、メルスと零子のいる向う岸では180度回転して海峡を渡る船のブリッジになり、可動の大道具も役者たちが流れるような動きで出し入れしてどんどんシーンを展開させていきます。マスコミにとりあげられなければ存在がなくなってしまう運命のスター、メルスにはメルスの自分探しの旅があって、零子にさんざん引き回されたあげくついに渡り着いたこちら岸の芙蓉と鏡台をはさんで向かい合うのですが、終幕近く、三人姉妹(峯村リエ・濱田マリ・池谷のぶえ=「マクベス」の3人の魔女に通じる?)がメルスなんて最初からいないのよと言い放つところからすると、そうした向う岸の物語の全てが、芙蓉の願望 / 妄想が作り出した虚構の世界なのでしょうか。そして鏡台の向うの世界に泣きながらのめり込む芙蓉についに受け入れられなかったスルメが、砂糖ではなく里(こちら岸の世界)に火をかけて芙蓉を刺し、冒頭の廃墟のセットが降りてきて終幕。

笑いをとる場面では古田新太がおいしい役柄で、ぶっ飛ばした百太郎(小松和重)に重戦車のように迫る動きでバレエ風のジュテを見せますがその跳躍は恐ろしく低く、「坊や」と「ボヤ」の言葉遊びの場面では赤ん坊を抱く仕種からそれをボールに見立ててラグビーやサッカーを始めたと思ったら、大奥様役の野田秀樹がレスリングのグラウンドになって大地主・古田新太が気合だ!ポイント違うだろう!とアテネ五輪でのアニマル浜口のパロディ。ハバネロチップスを抱えたチップス先生にも笑いましたが、その直前に出てくる野田秀樹のメアリーポピンズにものけぞりました。七人の刑事の早送り・巻き戻しは、どこからこういうアイデアが生まれてくるのだろう?福引きの場面では私の目の前で、本筋とは関係なく無言で演じられる浅野和之の迫真のロボコップ動きから視線をはずせなくなってしまい、うれしい困惑。中村勘太郎も熱演で、セリフ回しにやっぱり歌舞伎役者らしさを覗かせつつもそこに違和感はなかったのですが、どちらかといえばお父さん(勘九郎丈)よりも叔父さん(橋之助丈)に似ている感じがしました。芙蓉にいいようにあしらわれ続ける百太郎の小松和重、大磯ロングビーチでメルスとの愛を叫ぶ霧島年江の峯村リエのエネルギーにも圧倒されます。一方、零子の小西真奈美は「赤鬼」での万華鏡のような人格転換があまりに鮮やかだったためか、一瞬メルスのマネージャーに変身する場面を除けば、今回の一本調子の役柄にはちょっと物足りなさを感じました。関西弁の使用も効果的だったとは思えないし、聯合艦隊(大和・武蔵就航前)の艦艇の名前を朗々と並べるところもその重い艦名の響きのために芝居の流れが淀みます(せめて最高司令官ではなく司令長官ならよかったのですが)。

それにしても、冒頭に書いたように若い頃の作品だけあって、役者に求められる身体能力の高さやテンションは感動的。あまりにもエネルギッシュ(過酷)なため、ところどころで役者さんの素が出るのがまた面白く、たとえばメルスの河原雅彦が、押し込められていた狭い便器の中から出てきて息を切らせながら普通に苦しかった!。百太郎の小松和重は大奥様の野田秀樹に手首をつかまれて床の上をぐるぐる転がされる場面があり、野田秀樹がにやにやしながら2度目に入るところで思わずえ?(本当にまだやらせるの!)。仕方なく回り終わってついにキレて何をさせたいんですか!。大地主の古田新太も「坊や」の激しいスポーツ三連発の後にふらふらになって、目の前が暗くなったと本音のセリフを漏らし会場大爆笑。考えてみるとこの日はマチネもあって、我々が観ているのはこの日2演目。この芝居を1日2回も演ったら、それは消耗するどころではなく、マジで生命がけかもしれません。本当にご苦労様です。

しかし、そんな修羅場の中にあっても、ピュアで残酷で壊れやすくて本当は一番エキセントリックな芙蓉を演じた深津絵里さんが、とにかく素晴らしいものでした。天真爛漫に見えてスルメを翻弄する前半(ねえ、灯りを消して下さる?お・ね・が・いにぞっこん)、白紙の青春歌集から紡ぎ出した自分の嘘に圧倒されて涙を流す後半、そして最後、スルメに刺される場面での迫真の逃避の試み、そうした全ての場面で彼女に目が釘付け。「この作品のテーマ」といったものを超越して、そのときどきの芙蓉の声や表情が、記憶の襞にしみじみと縫い込まれていきます。終演後、舞台が明るくなって客席から穏やかでも熱心な拍手が湧き、役者が勢揃いするところで深津絵里さんが涙をそっとぬぐったのを目にしたとき、この舞台を観る機会を得られて幸運だったと心から思えました。

配役

こちら岸 向う岸    
芙蓉   深津絵里
久留米のスルメ   中村勘太郎
  零子 小西真奈美
  メルス・ノメルク 河原雅彦
大地主 芦田刑事 古田新太
百太郎 太股田刑事 小松和重
城代家老 脇田刑事 浅野和之
勘定奉行 尻田刑事 松村武
小作人 踵田刑事 腹筋善之助
三匹の侍 1 臑毛田刑事 六角慎司
三匹の侍 2 膝小僧田刑事 櫻井章喜
大奥様 桐島洋子 野田秀樹
女学生 1 桐島年江 峯村リエ
女学生 2 桐島歌江 濱田マリ
女学生 3 桐島花江 池谷のぶえ